とだ*やすこの「いまここ@島本」

暮らしの豊かさ最優先!
ひとが主役のまちづくり!

大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

歴史文化資料館懇話会

2011年05月18日 | とだ*やすこの活動日記
朝、島本駅前でマイクを握り、帰宅後は今日こそ自宅で事務作業!と意気込んでいましたが、手帳をみると10時から「島本町立歴史文化資料館懇話会」。傍聴しました。本年度第1回目です。

教育次長の人事異動、教育委員長の辞職、歴史文化資料館の新館長誕生などの人事案件の他、資料館前の広場の活用について、ここでの朝市開催の話がもちあがっており、それを背景に(と思われる)3月議会の予算編成でテント購入費等が計上されていました。

テントについては、もちろん他にもさまざまに活用可能ですが、少なくとも10年は「教育」を目的にこの施設(旧「麗天館」)を活用するという大阪府との約束があるとのこと。懇話会として「朝市」をどのように判断されたのか、見届けておく必要がありました。

結果、朝市を希望されていた申請者から取り消しの申し出があったとのこと。当面、保留ということになりました。懇話会のメンバーからは、使用目的に反するのではないか、金銭のやりとりを伴うことについてどう考えるのかなど、たいへん厳しい意見が出ていることもわかりました。

「農」「食の安全・安心」「地産地消」を軸にした賑わいづくりを望む気持ち(公募の委員から、手作り品などのマーケットを望む気持ちもあるとの意見あり)と、学芸員を中心にした歴史文化資料館の本来の目的に沿った発信を充実させたい思いが、わたしにもあり、前者こそ、持続可能なまちづくりの鍵となると確信しています。

けれども、資料館の本来の姿が曖昧かつ雑多になり、学芸委員の職務がさらなる「消化」になる危険性をはらんでいることは明白。施設の名称を決める際に充分議論し「歴史文化資料館」としたのであって「交流」の場は他でも可能。傍聴していて、「原則」を守る姿勢を求める声に、当然、理があると判断しました。

水無瀬駒をはじめとする有形無形の歴史文化的財産を守り、活かしていく事業、ソフト面の充実に力を注ぐべきときかもしれません。落ち着いた賑わいが必要です。

夕刻、会派の平野議員とともに、生協前&水無瀬駅前でマイクを握り、各自の議会報告ニュースを配布しました。5月議会の報告とともに、澤嶋議員辞職について、わたしたちの言葉でお知らせしようとしています。明日の朝は水無瀬駅前、夕方は島本センター周辺に立ちます。

画像は、島本町立歴史文化資料館の入り口
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楠木正成と観阿弥

2011年05月17日 | とだ*やすこの活動日記
昨日、ふるさと島本案内ボランティアの会に数ヶ月ぶりに出席しました。本年度は、今までの研究会改め、交流会という名のもと、歴史・文学・自然の3つのグループに分かれてテーマを決めて活動します。わたしは「歴史」に所属します。欠席することが多く迷いましたが、町の歴史を知って「資源」として活かしたい思いがあり参加を決めました。

今日は「桜井の駅跡」特に楠木正成に関して、個々の関心を自由に述べるということで、大正・昭和初期の町の地図を入手して発表される方、英国人公使パークスの進言により、この地に碑を建てたという権知事の「権」とはどういう位置づけであったか調べると面白いのではないかと発言される方と多種多様・・・面白いことになりそうです。

わたし自身は、みなさんの想像を超えて日本史を理解していないので、この場にいるだけで幸せな思いです。ただ、学術的には必ずしも正当性が認められていないものの、観阿弥・世阿弥と楠木正成が血縁関係にあるという説におおいなるロマンを感じており、これを中心に関心を寄せていたいと思います。

梅原猛氏が「観阿弥と正成」(発行:角川学芸出版)でその信憑性を説いておられます。白州正子さんも感覚的に真実であろうと述べられていたそうです。ここを入り口に「正成」について、後の世に利用されて得た名声以前の姿にスポットライトが当たらないものか。

「楠公さん」とも呼ばれる史跡・桜井の駅跡は、全国ネットの史跡でありながら、地域振興に活かそうとすればするほど、「戦意高揚」と重なって、どこかしら複雑になってしまいます。ひっそり忘れ去られんばかりに鬱蒼としていた史跡(好きでした)が、JR島本駅開業とともに再び面舞台に踊りでたのです。町の見識が問われることになります。

今朝は、JR山崎駅で平野議員とともにマイクを握りました。5月臨時議会の報告を中心に町政報告をさせていただきました。明日の朝はJR島本駅前、夕方にはコープ島本前と阪急水無瀬駅前に立ちます。わかりやすく、共感して納得していただけるようにお伝えすることは、簡単ではありませんが、頑張ります。

画像は、史跡・桜井の駅跡にある「謡曲・楠の露」と桜井の説明書
謡曲史跡保存会の寄贈により、大阪府教育委員会が立てたものです
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総合的な交通政策

2011年05月16日 | とだ*やすこの活動日記
妙な疲れと目の奥から来る頭痛、悪寒がありました。どうしたものかと苦やしがっていたら、おそらく黄砂が原因と指摘されて納得。ある意味、花粉よりも深刻です。黄砂が飛ぶ憂鬱を思うと、比べることは適当ではないとしても、目に見えない放射能に怯えながら暮らすストレスは、想像を超えるものであろうと思います。

原子力発電は、その必要性を議論する以前に、万が一のリスクがあまりにも深刻すぎます。地震の2ヶ月後にメルトダウンがわかるなど、そんなことがあるものか、隠蔽していたのではないかとわたしは疑っています。実際、初期の衝撃に比べて、わたし自身の受け止め方が変化しています。

もっとも恐れていたメルトダウンが起こっているにもかかわらず、初期のような、身体が緊張するような恐怖心が薄れている・・・。専門家の間では、既にメルトダウンが起こっていることは想定の範囲内だったようです。現場で作業されている方のことを思うと、言葉がみつかりません。

今になってメルトダウンが判明したことが真実だとしても、それほどまでに現状把握ができないのが原発事故の本当の姿、現実ということです。原発は嘘のかたまり。低コスト、安全でクリーン、みんな大嘘です。放射能による影響は子どもたちにもっとも深刻で、後年になって影響があっても実証されないとしてうやむやになってしまう可能性が大きい。大人の責任は重いです。

さて、午前中、若山台バスターミナルの音声信号設置要望を受けて、現地調査に行ってきました。ガドヘルパーさんから、音声信号を設置する必要性があるとして、事情をお聴きしていました。管轄の高槻警察に、そのような要望があったことを4月に伝えていました。そして本日現地調査の運びとなりました。

会派で建設水道委員会に所属する平野議員はもとより、当事者のご家族、当事者団体の代表者の方、地元自治会関係者、町職員2名が警察関係者3名と現場で出会いました。こんなにたくさんの方に関心を寄せていただいて有難いと、深々と頭を下げておられるご家族の方の思いに、いったいどれほど応えられるのか、身が引き締まりました。

視力を失われ、自立のためのさまざまな訓練、試練を経て、自ら要望をあげられるまでの道のりは想像以上に厳しいと同時に尊く、社会に向けて大きな力を発信されました。要望ではなく「権利」そのものであり、意義深い「社会参加」です。わたし自身とても勉強になりました。

静寂な住宅街に音声信号が繰り返し響きわたる現実を、地元住民の方がどのように受け止められるか、しかしこれも避けて通れない課題となります。また、周辺道路のバリアフリー化なく音声信号を唐突につけても、充分な対策にならないどころか、安全安心上の問題が発生しかねません。ことは簡単ではないと理解できました。

信号機そのものが既に相当古いタイプであることからも、単に音声装置をつければよいというものではなさそうです。開店したばかりのスーパー前の状況がバリアフリーの観点からは問題があること、バスターミナルのあり方に改善の余地(必要性!)があることなど、大きな課題も認識できました。さらに、周辺は歩行者が信号を無視する環境が整っていることも実感。

バリアフリー対策も含め、総合的な交通施策につなげるべき案件というのがわたしの印象です。音声信号設置を目標にすると、警察は警察、町は町の言い分があり、なおかつUR(都市再生機構)の管轄であるということで、堂々巡りになるでしょう。総合的交通施策となれば、町、警察、URすべてが当事者であり、地元住民の参画によって、まちづくりへと発展します。

これは「若山台ルネッサンス」の大きな課題です。関係各方面に働きかけてくださったヘルパーさんのコーディネート力はもちろん、地域住民の助け合い、世代間交流、自治防犯防災をめざしてNPOを発足された若山台の瞬発力を感じた現地調査会となりました。

今後は、当事者を含めた地元住民のみんさんを中心に、若山台に住んでいる高山議員(本日副議長として東京出張)とともに超党派で取り組み、対策から政策へと発展させることが議員の役割であると考えます。本当に要るものは要り、実現すべきものは必ず実現すると、至ってシンプルに考えています。財源を考えると時間はかかります。

今回の要望を軸に、いかにして周辺整備を行っていくのか、その検討を誤らないことが重要。絆創膏のような場当たり対策は望ましくない。それにはやはり、専門的な知識をもつ技術者の助言、総合的な交通施策からのまちづくりへの助言が要ると思います。

画像は、大原寂光院手前の建礼門院徳子陵
宮内庁の管轄になります
5月3日撮影
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5月臨時議会

2011年05月15日 | とだ*やすこの町政報告
黄金週間から一週間。初夏の日差しを感じます。大雨警報も出され、夏の訪れも近いです。ブログの更新ができていませんでしたが、12日の臨時議会で、議長・岡田議員、副議長・高山議員、監査委員・藤原議員が決まりました。今任期後半、戸田は総務文教委員、議会だより編集委員、農業委員を務めます。

既にお知らせしましたように、4月30日付けで澤嶋議員の議員辞職が正式に承認されました。「人びとの新しい歩み」は平野かおる議員とふたりになり、戸田が会派代表者、平野議員が議会運営委員を務めます。澤嶋議員から学んだことを忘れず、市民派と呼ばれるに相応しい議員としてみなさまのお役に立ちたいと思います。

町長から森川教育委員長の4月30日付辞職が報告されました。平成19年2月の就任から4年、歴史文化資料館の文化的な活用、文化財保護条例制定、水無瀬駒にちなんだ地域伝統文化事業の推進など、遅れているといわれた島本町の文化事業が大きく前進したのは、森川教育長の功績によるところが大きいとわたしは感じています。

「水無瀬駒のふるさと」として歩みはじめたばかりの島本町になくてはならない方でした。今年2月14日から引き続き二期目を迎えられたところでしたが、健康上の理由によりやむなく退任を決められたとのこと。治療、療養に専念していただき、よりよく回復されることを心からお祈りします。

議会からは、議会改革特別委員会・部会での調査研究結果として一定の合意に至った次の3点について報告しました。

1)通年議会の実施
2)議会推薦の審議会委員について
   法的に定められたもの以外は原則として議会からの選出を差し控える
3)議会報告会(議員個人ではなく議会として開催)
   年1回以上、主に「予算・決算等の審議状況」を報告

議会改革については、詳しくお伝えしなければならないと思いながら文章にできていません。6月4日、戸田の議会・議員活動報告会「ひと・まち語らい広場」を開催しますので、このときぜひ、議会改革について意見交換したいと思います。追ってお知らせします。

議会に前後して、幼稚園の筍堀体験見学、ごみ学習会島本プロジェクトの集まり、衆議院議員辻元清美さんの「つじともネット」地区代表者会議(2回)、しまもと広域行政・合併問題学習会ミーティングなど、日々さまざまでした。

ようやく、議会報告「いまここ*島本」ができました。3月議会の報告が中心です。来週から配布をはじめますので、間もなくお手元にお届けできると思います。来週は、「いまここ」のポスティングと、自ら取り組んでいる課題の整理、依頼原稿執筆を優先します。ちょっと疲れ気味、体調管理がいまひとつできていません。
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近江八幡の町並み

2011年05月05日 | とだ*やすこの活動日記
家族で大津市内に宿泊しました。ドライブの途中で、いかにも新しそうな草津のイオンモールを発見。目的地は、昨日偵察に行った竜王の三井アウトレットでしたが、昨日雰囲気がわかったので、イオンで衣類を買い求めることにしました。

その後、いささか場当たり的に憧れの近江八幡市へ。ちょこっと歩いただけで、これといった観光もできず(家族がもたない)に再び京都に向かいました。

たった一泊の旅行、近隣の大津市への旅でも、母に犬を預けていくので大移動になります。犬を飼うということは、まさにこういうことで、実は大反対でした。が、一緒に暮らしてみると十分以上に意思の疎通ができ、とてもとても楽しいものです。

犬2匹をピックアップして夜に帰宅。今、なにがしたいかと問われれば、信じてもられないかもしれませんが、実は「仕事」。この2年間、いつもそう思っています。ただ、この黄金週間には、この2年間ですっかり疎遠になってしまった多くの方に、少しでも会っておきたいと思っています。

画像は、近江八幡の町並み
今度はもっとゆっくり訪ねたい
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鴨川を歩く

2011年05月04日 | とだ*やすこの活動日記
大原に行った後、実家に宿泊。翌朝、愛犬ダッチ&クッキーを連れて鴨川を散歩しました。黄砂で山がくっきりみえません。鴨川は近年、遊歩道などが徐々に整備され、ほんとうに美しくなりました。魚を捕って遊んだ川の素朴な姿も懐かしいですが、市民の憩いの場に変わつつあります。

散歩、ジョギング、サイクリングはもちろん、尺八を練習する人、上半身裸で身体を鍛えている人(お年を召した男性)、カメを散歩する人(伏見からバイクで来たという熟年の女性)と楽しみ方も多様。カメは、甲羅にYUKIと名の書いた使い捨てカイロを貼られていました。ほんと、いろいろで自由です。

午前中、お見舞いに澤嶋さんを訪ねました。久しぶりに会ってさまざまに話が盛り上がりました。午後からは山科、そしてその後大津に行きます。

画像は、出雲路橋北、左岸にある大きな榎
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大原で建礼門院を思ふ

2011年05月03日 | とだ*やすこの活動日記
憲法記念日、新緑の大原に行ってきました。思えば、縁あって5月3日は毎年のように寂光院参道を訪ねています。壇ノ浦の戦いで、平家滅亡の修羅をみて、ひとり敵方の源氏に助けられた高倉天皇皇后・建礼門院徳子を想い、平和な世に生まれたことの意味を再認識します。

徳子の幼子、安徳天皇は、海の底にも都はあると言われ、祖母の胸に抱かれて入水したといいます。たったひとり残された徳子は京で出家、余生を大原・寂光院で過ごしました。大原名物の柴漬けは、里の人が届ける野菜を保存して食するため、建礼門院が考案したものといわれているようです。慎ましい暮らしぶりがわかります。

放火で焼ける前の寂光院を、学生の頃一度だけ訪ねた記憶があります。参道で親戚の小さな土産店を手伝っていました。あのとき、あの場所にあった、ひなびた像のたたずまいを思い出すと、今も無念の思いで胸がつぶれそうになります。先人の足跡を後世に伝える歴史文化遺産を失う喪失感は、観光的なダメージとは違う重さがあります。

安徳天皇亡き後、皇位の象徴である三種の神器が揃わないまま天皇の位に就いたのが、弟(母は違う)の後鳥羽天皇。後に後鳥羽上皇を祀る水無瀬神宮は、建礼門院が余生を送った大原寂光院と時代がつながっていることになります。

日本通史をいまだ充分に理解していないわたしですが、「ふるさと島本」を知ることで日本史が多少なりとも身近になりました。とはいえ、浅すぎる歴史認識では、面白味を感じるところまでには至りません。

里の駅では、次回「まなびとひろば」の講師をお願いしている渡辺さんが育てられた黒米を購入(昼頃でしたが野菜は完売)。これもまた、つながっています。憲法記念日に寂光院を訪ねる・・・偶然でありながら、実は必然のような気がしています。

画像は、寂光院の入り口の門
ひっそりと風情のある石段を登ります
が、今日は観光客で賑わっています
16花弁の菊の紋は後鳥羽上皇が好まれました
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尺代の清掃工場

2011年05月02日 | とだ*やすこの活動日記
使わなくなった炬燵を処分するため、夫の運転する車で尺代の清掃工場へ。車ごとスケールに乗り、炬燵を降ろしてから再びスケールに乗ります。1330㎏と1320㎏の差、10㎏が処分してもらう炬燵の重さということになります。「一般持ち込み・家庭」種別は「混合ゴミ」。処理料金は85円でした。

花粉の季節は、ぶらさがり健康機と並んで、洗濯物の部屋干しに大躍してくれましたが、それなりに余分な場所をとっていたので、やれやれ、ひとつ課題が片付きました。連休の狭間に普段できない家事に手をつける人が多いのでしょうか、いつにもまして持ち込みゴミが多い様子。今日の職員はとても忙しそうでした。お世話になりました。



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豊かさの食卓

2011年05月02日 | とだ*やすこの活動日記
天王山ファーム&フードマーケットで求めた、長岡京市・農家かねじんさんのレタスです!150円!「はらぺこあおむし」が住んでいそう!こんな野菜が食卓にあれば、みんなもっと幸せ、ハッピーになれます。これが1,000円だったらダメ!

農家と消費者とが「畑の作品」を手にとりあって、150円!
ここが重要です!

当日は、台所で外側の葉っぱを剥しながら口にしては、ほら美味しい!こんなに美味しい!とひとり大騒ぎしてしまいました。芯の土を洗って犬にそっと上げてみたら、なんと・・・大喜びで食べました!いつもは見向きもしないレタスなのに、シャリシャリ音を立てて食べました、ワン!

今日、息子が一口いただくなり「えっ?」と呟き、なにもつけないという選択をして、手でつまんでパリパリ食べまていした。実は、マヨネーズ嫌い。だから市販のサンドイッチは、ほとんど食べられない。野菜には塩やレモン果汁、ゴマドレッシングなどをつけています。

大好きなブロッコリーにもマヨネーズがかけられ、保育所ではずいぶん苦労していたようです。息子のマヨネーズ嫌いについては、ある意味、母親としては味覚を養うための正しい選択と思って歓迎していたのですが(市販のものは、その多くが化学調味料の味)、「好き嫌いは駄目です」というのが当時の保育士さんの方針でした。ゆるぎないものでした。「我が家のマヨネーズ戦争」と呼んでいます。

それにしても、今まで食べていたレタスは、いったいなんだったんだろう・・・というのが正直な感想。今夜のおかず「豚肉の唐揚げ」は、マルという部位の塊を一口大に切って、たっぷりの生姜すりおろし・酒・塩・胡椒・少しの醤油で下味をつけ(揉みこむ)、最初に片栗。少し時間をおいて小麦粉をまぶして揚げました。

中華料理店の酢豚はきっと「マル」を使っているにちがいない!と納得するできばえ。お料理は、よい食材があったら80%成功です。料理は苦手ですが、農家やお店に感謝する気持ちを忘れて美味しい料理は作れない、というのが考え方のレシピ。
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