今日の議会改革特別委員会は、「議決事件の拡充」と「反問権」について議論しました。各自の調査・研究をもとに議論する部会ですが、「意見」を述べるだけに終始していては水掛け論から抜けられません。議会改革とは、まず、この水掛論からの脱却。
北摂市民派議員の勉強会で入手した資料(先行自治体などへの調査まとめ一覧)を提供し、共有することを部会長に認めてもらうことができました。「資料が多すぎるのもよくないが、情報量は多い方がよい」という部会長の判断でした。一部会では、資料の提供、共有さえも容易にはかないませんでしたので、一歩前進の感。
テーマが「議員定数」「議員報酬」「政務調査費」となれば、水掛け論はなおさらです。今日から第一部会に所属する委員となったわたしは、「議員定数」「議員報酬」「政務調査費」について第二部会で交わされた議論を傍聴者として聴きました。疲れました。議論に加わっているときよりもストレスは大きい。
自分と異なる見解、意見を否定するように自らの意見を述べることが多い部会長。「意見はいろいろやからな」「それぞれ意見がちがうんや」ということで、「こんなんでは、まとまらん」「いつまでたってもまとまらん」を連発。「みんなの意見を聴いて!」と傍聴席から意義申し立て、「野次」として厳しく注意されました。
実は本日2度、不適切発言。その前に「15名でできているのだったらば、15名でもできるという声が住民さんから出てきて当然。みなさんはこの点どのように思われるのでしょうか」という意見が自民党の議員から出され、これに反応して「関係ないやろ!」と小声で、はき捨てるように、不適切発言をしてしまいました・・・(よう、きこえたなと思うくらいの小さい声)
既に15名の議員でやっているなら、とは澤嶋元議員の辞職のことを意味します。そういう声が必ず出ることは想定の範囲内でした。議員とはそういうものです。ただ、亡くなられたことが公表されたばかり。家族葬ということで公表はされていないものの、今朝、告別式を終えられたばかりです。
辞職されてまだ一ヶ月も経っていない他界。それが知らされ、はじめて顔を合せたその日に、まるでなにもなかったように、このような発言ができる・・・そういう感覚は、今まで50年間生きてきた中でも非常に珍しい経験でした。議員とはそういうものでしょうか。わたしはそうは思いません。
議員が互いの信頼関係を築くことと、議員としての主義、主張、議論を是々非々で戦わせること。これが分けて考えられないと民主主義は成り立たない。仲良しクラブではいけません。日本的な「和」「仲間」「派閥」意識を捨てないと、「個」が確立している西洋社会から取り入れた議会制民主主義は成り立たないと、わたしは考えています。
それにしてもお耳汚しです。こういう吐露(議会報告に値せず、まったくもって公務の範囲外!)をやめないことには、議会は信頼されません。議会改革の道は遠く、果てしない。しかし歩まねばならない道です。
そもそも議会改革とはなにか?
水掛け論からの脱却
議員がコップの中の争いをやめること
すべての議員が調査研究、研鑽を重ねること
各委員会の所管事務調査の徹底(できていない)
議員個人の資料をときに共有し、議会力を高め、「議会」として組織的に機能できることで、はじめて行政と対等に向き合える・・・それらが今、議会に求められていることです。
※ 20日の日付で「住民自治の芽」UPしています
画像は、庭のアジサイにアマガエル
北摂市民派議員の勉強会で入手した資料(先行自治体などへの調査まとめ一覧)を提供し、共有することを部会長に認めてもらうことができました。「資料が多すぎるのもよくないが、情報量は多い方がよい」という部会長の判断でした。一部会では、資料の提供、共有さえも容易にはかないませんでしたので、一歩前進の感。
テーマが「議員定数」「議員報酬」「政務調査費」となれば、水掛け論はなおさらです。今日から第一部会に所属する委員となったわたしは、「議員定数」「議員報酬」「政務調査費」について第二部会で交わされた議論を傍聴者として聴きました。疲れました。議論に加わっているときよりもストレスは大きい。
自分と異なる見解、意見を否定するように自らの意見を述べることが多い部会長。「意見はいろいろやからな」「それぞれ意見がちがうんや」ということで、「こんなんでは、まとまらん」「いつまでたってもまとまらん」を連発。「みんなの意見を聴いて!」と傍聴席から意義申し立て、「野次」として厳しく注意されました。
実は本日2度、不適切発言。その前に「15名でできているのだったらば、15名でもできるという声が住民さんから出てきて当然。みなさんはこの点どのように思われるのでしょうか」という意見が自民党の議員から出され、これに反応して「関係ないやろ!」と小声で、はき捨てるように、不適切発言をしてしまいました・・・(よう、きこえたなと思うくらいの小さい声)
既に15名の議員でやっているなら、とは澤嶋元議員の辞職のことを意味します。そういう声が必ず出ることは想定の範囲内でした。議員とはそういうものです。ただ、亡くなられたことが公表されたばかり。家族葬ということで公表はされていないものの、今朝、告別式を終えられたばかりです。
辞職されてまだ一ヶ月も経っていない他界。それが知らされ、はじめて顔を合せたその日に、まるでなにもなかったように、このような発言ができる・・・そういう感覚は、今まで50年間生きてきた中でも非常に珍しい経験でした。議員とはそういうものでしょうか。わたしはそうは思いません。
議員が互いの信頼関係を築くことと、議員としての主義、主張、議論を是々非々で戦わせること。これが分けて考えられないと民主主義は成り立たない。仲良しクラブではいけません。日本的な「和」「仲間」「派閥」意識を捨てないと、「個」が確立している西洋社会から取り入れた議会制民主主義は成り立たないと、わたしは考えています。
それにしてもお耳汚しです。こういう吐露(議会報告に値せず、まったくもって公務の範囲外!)をやめないことには、議会は信頼されません。議会改革の道は遠く、果てしない。しかし歩まねばならない道です。
そもそも議会改革とはなにか?
水掛け論からの脱却
議員がコップの中の争いをやめること
すべての議員が調査研究、研鑽を重ねること
各委員会の所管事務調査の徹底(できていない)
議員個人の資料をときに共有し、議会力を高め、「議会」として組織的に機能できることで、はじめて行政と対等に向き合える・・・それらが今、議会に求められていることです。
※ 20日の日付で「住民自治の芽」UPしています
画像は、庭のアジサイにアマガエル