TOTOからはじまったイモづる式音楽日記

旧タイトル:TOTOからはじまるLA FUSION CONNECTION~ネタはフュージョンやらAORやら。

救いがない

2012-07-17 23:47:09 | Weblog
昨今報道されている、件のいじめ問題。
これが犯罪でなかったら何なんだろうか、という思いで一杯になります。
我々一般人が暴行なり恐喝なり、そのような目にあわされたらまずは警察、というのが常識。だけど学校という空間においては、その常識がまかり通らない世界だというのが今回の事件を通じてよくわかったのではないかと思います。青少年保護の観点?から警察の介入は極力避けられる。その観点とはもちろん被害者目線ではなく、加害者を保護する観点に他ならない。本来警察が介入しないのは、学校という現場での教育的対応を優先するという建前があってのこと。ところが学校も教育委員会も、何ら対応することなく非常にわかりやすく保身に走ったのは見ての通り。一体どの口からいじめと自殺との関連が認められないなど言えるのであろうか。心底そう思っているのであれば、この人たちは感情を捨てた人間の形をした機械である。そもそも暴行なり恐喝なりの犯罪が遊びの範疇などと判断されるのであれば、文字通り警察はいらないし、それで保護されてしまった加害者に至っては…善悪の判断ができない、犯罪者予備軍(てか既に犯罪者か)を学校が育てるという結果にもなりかねない。そして被害者は被害を被るだけで、どこにも救いを求めることができない。犯罪被害に対して誰も助けてくれないという孤独極まりない環境。まさに泣き寝入りするしかない、そして生きる意味を失う。どう考えても異常な世界。
はびこる「校内犯罪」の検挙という新たな視点をもってビシビシと警察が介入し、「犯罪防止」の視点による監視体制を整えるべきではないかと。
この手の話を聞いていつも思うのは、人権って、他人の人権を侵す人を守るためにあるということ。決して弱者・被害者を守るためのものではないということを痛切に感じるのです。


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コメント
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