TOTOからはじまったイモづる式音楽日記

旧タイトル:TOTOからはじまるLA FUSION CONNECTION~ネタはフュージョンやらAORやら。

13CATSについて その2

2005-06-07 01:19:18 | Weblog
13CATSのご紹介、その2です。

13CATSとしての活動も乗り始めていた1990年、KARL PERAZZOがSANTANAバンドのパーカッショニストに大抜擢されます。恐らくSHEILA E.との活動を通じ、SANTANAと懇意であったPETE ESCOVEDO(SHEILA ESCOVEDOの親父です)の口利きでもあったんでしょうね。そしてKARLはラテンパーカッショニストの憧れの的であるSANTANAのパーカッショニストの座を手にし、高い評価のもと現在に至っています。
そんな経緯もあってか、「MARCH OF THE 13CATS」のリリース後、13CATSとしての活動が鈍りますが、そのころに熱心にラブコールを送っていたのがSING LIKE TALKINGの佐藤竹善でした。
まずは沼澤尚がSING LIKEのレコーディングに参加するようになり、LAから日本に戻ってきた頃からでしょうか、SING LIKEのツアードラマーとしても行動を共にするようになりました。そして「TOGETHERNESS」で13CATSとのコラボ実現。このアルバムの評価、そしてもちろん佐藤竹善がFMで13CATSを褒めちぎっていたこともあり、このあたりから13CATSとしての人気が本格化します。

佐藤竹善を通じ、塩谷哲、岩崎宏美のアルバムプロデュースなど国内における活動の幅を拡げ、満を持してのアルバムリリース。1996年「ANOTHER SHINING DAY」は前作から実に5年ぶりのリリースでした。国内のBLUENOTEをめぐるツアーも成功させ、まさに人気爆発、ピークを迎えていた時期でした。
しかし、SING LIKE TALKINGとのコラボレートも「WELCOME TO ANOTHER WORLD」でピークに至り、これが最後となりました。そしてKARLもSANTANAのグラミー受賞などの影響もあってか、なかなか13CATSとしての活動が出来ない状況にもなり、更には沼澤尚も日本屈指の人気ドラマーとなったことにより、多忙を極めるようになります。

1999年、13CATS FEATURING EDDIE M.としての国内BLUENOTEツアーを行い、佐藤竹善のソロツアーにCATとTAKAが参加したのを最後に、13CATSとしての活動は終焉を迎えます。どうも正式に解散したとか、13CATSはどうなったとかいう話はタブーになっているようで、その後は全く話題に上ることがないのが寂しい限りです。何があったのかはわかりませんが、以降佐藤竹善とTAKAの共演は全くなくなりましたし、(最近は森俊之とばっかりですねえ)KARLはSANTANAと自身のサルサバンド「AVANCE」での活動に注力しているようです。で、CATは...行方不明?全く消息を聞くことがありません。一体どうしてしまったんでしょう。どなたかご存知ありません?
花火のように打ちあがり、消えていった13CATS、ここいらでもう一度再評価したいものです。

というわけで、これからしばらく13CATS絡みのアルバム紹介をしていきたいと思います。
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