区間変更券の裏面のカギカッコ

前回エントリーで区間変更券の表記金額からの差し引きについて御紹介いたしました。
今回は、区間変更券の裏面の御案内文について、疑問に思っている表記方法がございますので、御紹介致したいと思います。


   

1977(昭和52)年7月に東京駅で発行された区間変更券です。青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。


   

その裏面になります。

御案内文の一つ目は、
東京都区内各駅([区]表示駅)途中下車禁止
福岡市内各駅([福]表示駅)下車前途無効
となっており、この券が発行された当時は筑肥線の博多~姪浜間が廃止される以前で、姪浜駅・下山門駅・周船寺駅の各駅は除外する旨の文言はありませんでしたので疑問はありません。

疑問を抱いたのは次の文のカギカッコの向きです。
◎券面に ⎣(コ)○○円⎤と表示した場合は、表記金額から差し引く額です。
というように、カギカッコの向きが本来であれば⎡⎦となるところ、ここでは⎣⎤となっています。
他の券を見てもそのようになっていますので、何らかの意味があったのかも知れませんが、一般的な解釈からすると不思議です。
管理人が中学生くらいの時に東京駅の区間変更券の裏面を見て以来、このカギカッコにずっと疑問を抱いていました。


時代は変わり、国鉄が民営化されると、東海道新幹線の運営はJR東海になり、東京駅で発行される区間変更券は東京印刷場から名古屋印刷場に印刷工場が移管されます。


   

名古屋印刷場となってからの、東京駅で発行された区間変更券です。青色JRC地紋のA型一般式大人・小児用券になっています。券面の大きさに変更はありませんが、印刷場が変わって使用される活字が変わったため、かなり違った印象になります。


   

裏面です。
東京都区内各駅([区]表示駅)途中下車禁止、の文言に変化はありませんが、
◎券面に 「(コ)○○円」と表示した場合は、表記金額から差し引く額です。
となっており、カギカッコの向きが一般的な向きに変わっています。


結局、東京印刷場のカギカッコの向きは何だったのだろうと思っていますが、未だ理由は解りません。

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区間変更券の表記金額からの差し引き

拙ブログ2021年7月22日エントリーの「JR東日本 小田原駅発行 区間変更券 ~その2」において小田原駅の臨時精算所で発行された区間変更券を御紹介いたしましたが、その中で、区間変更券独自のもので、“券面に「(コ)○○円」と表示した場合は、表記金額から差し引く額です。”という文言について御紹介いたしました。
今回は実際にそのような取り扱いが行われた券を御紹介したいと思います。


   

小田原駅ではありませんが、1981(昭和56)年7月に東京駅で発行された、熱海・函南・宇佐美間ゆきの区間変更券です。青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券となっています。
この券は原券が東京山手線内の駅から170円区間ゆきの乗車券で、それを精算窓口に出したうえで区間変更を申し出たものです。券には「(コ)170円」という赤いゴム印が捺印されています。


   

捺印部分の拡大になります。

これは東京山手線内の駅から熱海・函南・宇佐美間まで途中下車せずに区間変更した取扱いとなりますので、正規運賃である1,400円から既に支払っている原券分の170円を差し引くという意味で、1,400円-170円の1,230円で発売したということを表しています。

㋙(コ)の由来を聞いたことはありませんが、恐らく「原券控除」の控除の「コ」から来ているのではないかと思われます。

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小田原駅発行 早川ゆき区間変更券

1986(昭和61)年11月に、小田原駅で発行された、早川ゆきの区間変更券です。


   

桃色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
普通乗車券のような体裁をしていますが、改札内で発売されている補充券の一種であり、硬券式改札補充券と呼ばれたりします。
着駅の早川駅は、小田原駅から静岡方面の隣駅になります。


   

裏面です。
小田原駅を発駅とした近距離用の券として設定されているからだと思いますが、硬券式の改札補充券にありがちな「券面に「(コ)〇〇円」と表示した場合は、表記金額から差し引く額です。」という案内文はありません。


この券は同駅の構造が国鉄と小田急および箱根登山鉄道が同じ改札内にあったころ、東西を貫く地下コンコースの、小田急および箱根登山鉄道ののりばと国鉄のホームに上がる階段の中程あたりに、臨時にテーブルを置いて特別改札をしていた駅掛員氏から購入したものです。
当時、小田急および箱根登山鉄道ののりばには小田急が運営する中間改札と精算所がありましたが、小田原駅で下車する旅客はそのまま中間改札を通ることができるため、それを利用したキセル乗車が多発していたのでしょう、土曜日曜祝日が多かったと記憶しておりますが、国鉄はゲリラ的に特別改札を行い、乗越精算を兼ねてキセルの摘発を行っていました。

コレクションのために購入したい旨を、その場を通ることのできる有効な乗車券を提示して改札掛員氏に申し出て購入しましたが、当時は記念乗車券ではない普通の乗車券をコレクションするということがあまり一般的ではなかったのかも知れませんが、彼らは「どうしても運賃を払いたくない」無賃客から運賃を「取り上げる」のが任務であるため、ちゃんと運賃を払っていて、なおかつ「2重に」運賃を払いたいという「変なこと」を言う旅客は皆無だったのでしょうか、変人を見るような目で見られたものです。
コレクションとしてこの券を持ち帰ることを理解されると、「本当は売れないんで、使わないでね」と言いつつも、「コレクションならパンチ入れない方がいいですか?」という感じで発売して頂くことができました。

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仙台駅発行 宮城野原から東京都区内ゆき 片道乗車券

前回エントリーで、東北楽天イーグルスの田中選手入団発表に因んで仙台市内から東京都区内ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたが、同区間の乗車券にはちょっと変わったものがございますので、以前御紹介したとは思いますが、改めて御紹介致しましょう。


   

1975(昭和50)年7月に仙台駅で発行された、仙石線宮城野原駅から東京都区内ゆきの片道乗車券です。青色こくてつ地紋のA型大人・小児用券で、仙台印刷場で調製されたものになります。

発駅である宮城野原駅は仙台駅から出ております仙石線の仙台駅から2つ目の駅で、「特定都区市内」制度のうちの仙台市内の駅になります。
宮城野原駅からの乗車券であり、本来であれば「仙台市内から」となりますが、この券の場合はピンポイントの単駅表示になっています。これは、この券が仙台駅の精算所で発売された硬券式の改札補充券であるという性格から、このような表記になっているものと思われます。

この券を購入した経緯は、仙石線の宮城野原駅で乗車券を購入する時間が無かったために「取り敢えず」仙台駅まで(当時30円)を購入して仙台まで行き、仙台駅の仙石線精算所で東京都区内までの乗車変更を行った際に発行されたものです。
当時の仙石線の仙台駅は「宮城電気鉄道」という私鉄を買収した路線であった名残りで仙台駅「本体」と改札が別々になっていたため、仙石線から東北本線に乗換える際には一旦仙石線の改札を出場して再び東北本線などのある改札を入る必要がありました。そのため、仙石線の改札を出る際に宮城野原駅で購入した乗車券で出てしまうと無効として回収され、仙台駅で改めて東京都区内までの乗車券を購入しなければならず、本来であれば仙台市内から東京都区内までの運賃が当時1,790円であったところ、原券の30円と1,790円の合計である1,820円になってしまうため、仙石線の改札を出るとき、仙石線の精算所で乗車変更をしてから出場する必要がありました。
これは、東京都区内ゆきに限ったことではなく、仙台駅よりも先まで行く旅客が仙台駅までの乗車券しか持ち合わせていない場合、同じように改札を出る前に差額精算をする必要がありました。

当時、同精算所には仙石線の仙台市内の駅である榴ヶ岡駅・宮城野原駅・陸前原ノ町駅・苦竹駅・福田町駅・陸前高砂駅の各駅から東京都区内までの精算をする需要がかなりあったのでしょうか、精算所にはその旨の案内が貼られており、東京都区内ゆきに精算するための改札補充券が硬券式で設備されていました。ただし、仙台駅から同じ運賃帯である榴ヶ岡駅および陸前原ノ町駅発分や、運賃帯が40円となる陸前原ノ町駅や苦竹駅発分、50円となる福田町駅や陸前高砂駅発分となる券も存在したかどうかは確認できておりません。また、小鶴新田駅および中野栄駅は当時まだ開業されていませんでしたが、JRとなってから開業した小鶴新田駅は別として、昭和の国鉄の時代に開業した中野栄駅発分についても設備されていたかどうかの確認はできておりません。


   

裏面です。
何だかごちゃごちゃ書かれています。上から、「仙台市内 途中下車禁止」とありますが、この券が仙台市内からの乗車券であるため、そのような記載があるのだと思われます。表面の発駅が「宮城野原」となっているにも関わらず、裏面を見ると実際には「仙台市内」が発駅になっていることになります。
その下は「東京都区内 下車前途無効」とあります。
そしてその下です。「(買替)」とあり、宮城野原駅で先に購入していた仙台駅までの乗車券代の30円分を「既収運賃」とし、仙台市内から東京都区内までの運賃である1,790円から既収分である30円を差し引いた1,760円が「差額運賃」として記載されています。そしてその下に、「宮城野原ー仙台間使用ずみ」とありますが、これは読んだままの内容で、宮城野原駅から仙台駅間はすでに乗車してしまっているので使用済である旨の記載です。


   

ちなみに再掲になりますが、前回御紹介いたしました仙台市内から東京都区内ゆきの片道乗車券は同じ時代のものとなりますので、運賃は同額になっています。

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平車掌区乗務員発行 特殊区間式特別補充券

1979(昭和54)年8月に平車掌区(現・いわき運輸区)乗務員によって発行された特殊区間式特別補充券です。


   

黄褐色こくてつ地紋の特殊区間式券で、東京印刷場で調製されたものと思われます。
確か、土浦駅で筑波鉄道から乗り継いだ際に常磐線車内で精算した時のもので、急行「ときわ」に乗車したときのものであったと記憶しています。

首都圏の車掌区のものとは違い、平車掌区の券は仙台・郡山・水戸・宇都宮地区の路線が上部に描かれていました。この当時は東京山手線内にある駅と、中心駅である東京駅から片道の営業キロが51kmを超え200km以下の区間内にある駅との相互間の片道普通旅客運賃は東京駅を起点または終点とした営業キロによって計算することになっていたことから、平車掌区が受け持つ車内精算では「東京山手線内ゆき」もしくは「東京山手線内から」として発券することが多かったからでしょうか、首都圏の路線が下の方に詰め込まれており、都内在住の管理人にとっては大変新鮮に感じられました。


しかしながら、地図を見ていますと、一つ大変違和感を感じる部分がありました。


   

その部分を拡大してみました。
中央本線の新宿から先、三鷹駅から先については図版のスペースの関係からでしょうか、主要駅のみの記載になっているため、三鷹の次は国分寺となり、その次は西国分寺になっています。
問題はその次です。
図版の都合ですからその次の駅との間隔がえらく長いのは良いとして、なんと次の駅が新小平なのです。
中央本線から全く分岐をすることなく、ストレートに武蔵野線に入ってしまっているのです。
狭いスペースに無理やり路線図を押し込んだ感がアリアリで、決して間違いとは言い難いものがありますが、ここまで来ると「どうだかなぁ」という気がします。

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羽後本荘駅発行 薬師堂駅ゆき片道乗車券

1985(昭和60)年9月に、羽越本線の羽後本荘駅で発行された、薬師堂駅ゆきの片道乗車券です。


   


若草色こくてつ地紋の特別補充券で発行して頂いています。
薬師堂駅は国鉄矢島線の1駅目で、無人駅になります。同駅の最短区間の乗車券は、券売機券になってしまいますので、記念用として補充券での発券をして頂いています。


当時の同駅には羽越本線の他に矢島線が乗り入れていましたが、この券が発行された9月30日を以って矢島線は営業を終了し、翌10月1日からは由利高原鉄道鳥海山ろく線に移管されています。

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仙台車掌区乗務員発行 自由席特急券 上野から800kmまで

1979(昭和54)年4月に特急「はつかり」号車内にて、仙台車掌区乗務員が発行した、上野から800kmまでの自由席特急券です。


   


桃色こくてつ地紋の車急式券で、仙台印刷場で調製されたものと思われます。
一番上の券面部分には「特急券」の題字があり、その下に発売(乗車)日、乗車駅、注意書きおよび発行車掌区名の順に記載されています。

発売日欄については年号を省略して記入するようになっており、乗車駅についてはチェックをすることで特定します。
御紹介の券のように、赤鉛筆を使用していた例が多くみられましたが、他に赤ボールペンや黒ボールペンで記入する例もあります。また、発駅名をチェックではなく、丸を付ける車掌さんもいました。


乗車駅名を見てみますと、当時の「はつかり」号の停車駅は、上野を出ますと(大宮)・宇都宮・郡山・福島・仙台・(小牛田)・一ノ関・(水沢)・(北上)・(花巻)・盛岡・(一戸)・(北福岡、現・二戸)・(三戸)・八戸・(三沢)・(野辺地)・浅虫、終点の青森(括弧括りの駅は列車によって異なる停車駅)となっており、黒磯・白石・水戸・平の各駅については停車駅の該当がなく、逆に水沢・花巻・一戸・北福岡・三戸・三沢・野辺地・浅虫の各駅については空欄の四角の中に記入するようになっているようです。
これは、仙台車掌区が受け持つ「はつかり」号以外の東北本線と常磐線を走る特急列車の乗務にもこの券で対応できるよう、券面のスペースの都合から、需要の多い駅をピックアップした結果なのだろうと思います。

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〇T 鶴見駅発行 昭和から140円区間ゆき片道乗車券

昭和駅関連の話題をもう一つ致しましょう。


1983(昭和58)年11月に鶴見駅の鶴見線と東海道本線の乗換口にあります中間改札口の精算所で発行された、昭和から140円区間ゆきの片道乗車券です。



   


桃色こくてつ地紋のB型大人・小児用金額式券で、東京印刷場で調製されたものです。

この券は昭和駅から無札もしくは乗車券を所有していても鶴見駅以遠まで行くには運賃が不足している旅客に対して発売されたもので、一般的な乗車券とは性格が異なります。区間変更券という改札補充券のカテゴリーになるものと思われますが、この券は「鶴見線用特殊金額式券」というもので、発行駅が「〇T」鶴見駅という鶴見線と東海道本線の乗換口にあります中間改札口の精算所窓口専用として設備されていたものになります。

部内では「特金」と呼ばれていたようで、断片に「〇鶴 乗車駅大人運賃」を表示することが決められていました。東京印刷場管内では断片には小児差額運賃を表記して精算時の差額精算に充てていたようですが、この券の場合、同窓口には鶴見線各駅発の特金券が設備されていることから、断片に大人運賃を表示することで発駅および着駅を示す意味があったようです。


   


裏面です。
鶴見駅で精算をするということは鶴見線は乗車済であることから、「鶴見線内使用ずみ」という文言が入れられていました。

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拝島駅発行 沢井から二俣尾ゆき片道乗車券

昭和60年3月に拝島駅で発行された、沢井から二俣尾ゆきの片道乗車券です。


   


黄褐色こくてつ地紋の特殊区間用車内補充券の版を流用したもので、当時存在した西武鉄道との連絡口(改札なし)での特別改札で使用されていたものです。
版は「D-1」というバージョンで、立川・豊田・武蔵小金井などの車掌区で使用されていたものと同じものが使用されていますが、発行箇所名は「拝島駅発行」となっています。
このような例は武蔵境駅や立川駅でも見られましたが、当時の国鉄が不正乗車対策として臨時に改札を行う「特別改札(特改)」の場面でよく登場していたように記憶しています。


この券は必要な乗車券を提示してきっぷを蒐集しているので購入できないか申し上げましたところ、区間は駅員氏任せで発行して頂いたものです。なぜこの区間になったか分かりませんが、恐らく一番後々問題が起こらない区間であったのでしょう。
当時はまだこのような券を蒐集する「物好き」は少なかった時代でしたし、特改の係員は不正乗車を摘発する役目のある係員でしたので、有効な乗車券のほかに蒐集用に乗車券を買うということがよほど珍しかったのでしょうか、不思議なものを見るような目で見られたものです。

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安城駅発行 岡山から名古屋ゆき特急券

前回エントリーで問寒別駅で発行された特殊補充券を御紹介いたしましたが、それより1世代前の様式が手元にございましたので御紹介いたしましょう。


   


昭和35年10月に安城駅で、岡山から名古屋ゆきのあさかぜ号特急券(座席車)として発行された特殊補充券です。
若草色こくてつ地紋の軟券で、カーボンを挟んで記入する様式です。



この様式は前回エントリーの様式の1世代前の様式で、昭和33年9月に「特殊補充券(出札用)」として制定された様式で、昭和35年6月に様式変更となるまでの2年足らずの期間に使用されました。
様式変更後のものとの違いは、記事欄および有効日・発行日等を記入する欄に変更が生じています。


   


前回エントリーの昭和35年以降の様式を再掲いたします。記事欄および有効日・発行日等を記入する欄に変更が生じており、旧様式は券紙が縦に少し細くなっています。

図示は致しませんが、この旧様式については裏面の「(注意)」の記載がありません。

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