JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
問寒別駅発行 音威子府から札幌ゆき座席指定券
今月、小坂精練や伊予鉄道、富山地方鉄道などの国鉄時代の「横型特殊補充券」に似た様式の券を御紹介致してまいりましたが、肝心の国鉄時代の特殊補充券を御存知ない若いコレクター氏もいらっしゃると思いますので、今回はこちらを御紹介致しましょう。
昭和40年12月に宗谷本線問寒別駅で発行された特殊補充券です。音威子府から札幌までの急行天北号の座席指定券として発行されています。
若草色こくてつ地紋の軟券で、カーボンを挟んで記入する様式となっています。
裏面です。
富山地方鉄道の旧様式券にあるものと同様ですが、この頃は「(ご案内)」ではなく「(注意)」とかなりお役所的な表現になっています。
この様式は昭和35年6月に、昭和33年9月に制定された出札用の特殊補充券の記事欄付近の配置を変更して制定された様式で、その後昭和40年9月の様式再改定を経て昭和44年5月に廃止されています。
この券は昭和40年9月の改定以後の発券ですので、新券切り替え後に残券が使用されたことになります。
ちなみに、昭和44年5月に横型の特殊補充券の様式が廃止されると同時に「特殊補充券」の名称も廃止され、「一般用特別補充券(出札用)および(改札用)」に変更されています。
仙台駅発行 宮城野原から東京都区内ゆき改札補充券
昭和50年7月に㉝仙台駅で発行された、宮城野原駅から東京都区内ゆきの改札補充券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、仙台印刷場で調製されたものです。
一見すると他駅発東京都区内ゆきの乗車券のように見えますが、この券は改札補充券になります。
裏面です。
上から、「仙台市内 途中下車禁止」「東京都区内 下車前途無効」とあり、その下には「(買替)」と表記され、既収運賃30円と差額運賃1760円という記述があります。そしてその下には「宮城野原ー仙台間使用ずみ」という記載があります。
この券はまだ仙石線が地上駅であったころの仙台駅において、東京都区内まで行く旅客が「とりあえず」仙台駅までの乗車券を購入して仙台まで乗車して買替を申し出た際に発売していたもので、宮城野原駅から東京都区内までの当時の運賃1790円のうち、宮城野原駅から仙台駅まですでに乗車した30円の原券額を差し引いた1760円分の改札補充券で、そこそこ需要があったために硬券式で設備されていたものです。
当時の仙台駅は東北線仙台駅とは分離独立していたため、東北線に乗換えるためには一旦改札口を出る必要があり、ここで仙台までの乗車券しか所持していない旅客は精算をする必要があったわけです。
同じような例として拙ブログ2018年2月にエントリーさせていただきました、「〇T 鶴見駅発行 大川から140円区間ゆき片道乗車券」で御紹介させていただきました鶴見線用特殊金額式券と同じような性格のものと考えられますが、鶴見駅の場合は構内の中間改札という構造であるのに対し、仙台駅は一旦外に出なければならないという構造になっている点が異なります。
仙台印刷場での正式な呼称の文献が見つかりませんでしたので、ここでは改札補充券であろうということで御紹介させていただいています。
当時の仙石線仙台駅が東北線の仙台駅と離れていたことは、仙石線がかつて宮城電気鉄道という私鉄であったことに由来します。
宮城電気鉄道開業当時の仙台駅は現在の仙石線仙台地下駅付近にあった仙台東口駅という仮駅として開業したようですが、同社は仙台の県庁街へ到達させるべく、東北本線の線路を潜る形で、日本初の地下鉄とも言われている単線の地下区間をのちに開業させます。
その後戦時中に同線は国有化されて仙石線となりますが、国鉄は単線で使い勝手の良くなかった仙台地下駅を輸送力増強のために地上に移設しましたが、東北本線の仙台駅に隣接させることなく、かつての仙台東口駅付近に地上駅時代の仙台駅を開業させています。
しかし、歴史は繰り返すと言いますが、民営化後の仙石線地下化によって仙石線仙台駅は再び地下化され、東北本線を潜る形であおば通駅まで路線が延長されています。
加久藤駅発行 浜松町から取手ゆき片道乗車券
新橋にあるチケットショップのジャンク箱の中を何気なく見ていたら見つけた1枚で、昭和60年4月に吉都線加久藤(現・えびの)駅で発行された、浜松町から取手ゆきの片道乗車券です。
若草色こくてつ地紋の特別補充券で、ノンカーボンタイプの様式です。
鹿児島鉄道管理局を示す「〇鹿」の符号のある九州で使用されていたタイプの特別補充券で、下の「(入鋏・途中下車印)」欄が四角く囲まれている、九州独自の仕様です。
先ほど申し上げました通り、この券はチケットショップで見つけたものですのでどのような経緯で発行されたものか分かりませんが、区間から想像するに、航空機で鹿児島空港から羽田空港に降りる予定の旅客が、モノレールで浜松町に出た後に取手までの国鉄線の乗車券として使用するために買い求めたものと推測されます。
入鋏がないことから、何らかの理由で使用されることなく終わってしまったのかも知れません。
加久藤駅は昭和61年に吉都線の信号設備が自動閉塞に切替えられた頃に無人化され、民営化されてJR九州に移管された後の平成2年にえびの駅に改称されています。
両国駅発行 東京都区内発用補充片道乗車券
見本券ですが、両国駅で発行された東京都区内発用の補充片道乗車券(補片)です。
青色こくてつ地紋の軟式補充片道乗車券で、東京印刷場で調製された活版印刷時代のものです。
まだ印発機やマルス端末が発達していなかった時代、東京都区内および近郊の駅では業務の効率化を図るため、補充片道乗車券については自駅発(発駅常備)および他駅発(発駅記入式)の他に東京都区内発および東京山手線内発の券が設備されている駅が多くあり、窓口には補片だけで4種類の券種が置かれていました。実際にこのような券を複数用意することで効率化・省力化が図られたかどうかは定かではありませんが、当時としては意味のある事であったのでしょう。
この券にはありませんが、乙片(報告片)に穴を開け、金属リングで束ねて置いてあることが多かったように思います。
旅客に渡す甲片を拡大してみました。
国鉄末期の民間外注による印版印刷のものと異なり、国鉄直営の印刷場で調製された活版印刷による様式は硬券に使用するものと同じ活字が使用されていたようで、文字が細い印象を受けます。
国鉄時代の窓口氏は、時刻表や距離程表とそろばんを駆使してどのような区間の乗車券でもその場で作成していましたから、当時と比べますと、今の出札窓口に設置されているマルス端末はかなり高性能になっており、相当な効率化・省力化が図られたものだと思います。
深川車掌区乗務員発行 車内補充券
昭和61年9月に深川車掌区乗務員により発行された羽幌線振老から北川口ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋の駅名式車内補充券で、羽幌線の他、深川車掌区が担当していた留萠本線(現・留萌本線)にも対応しており、比較的需要が見込まれる函館本線の小樽~旭川間および宗谷本線豊富~稚内間の主要駅も記載されています。
留萌本線の列車は現在はワンマン運転が実施されていますが、当時は必ず車掌が乗務し、無人駅で乗降する旅客に対する乗車券の発売および集札が行われていました。
1983(昭和58)年10月の交通公社(現・JTB)時刻表の留萠本線のページです。
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普通列車の本数は少ないですが、旭川~留萠間の急行「るもい」が、深川駅で併結されていた急行「かむい」から解結される列車を含めて2往復、札幌から急行「大雪」に併結されたのちに深川駅で解結されたうえで留萠本線を経由し、留萠から羽幌線幌延に向かう急行「はぼろ」が1往復設定されており、短いながら「本線」を名乗る路線として優等列車が運転されていた時代もあったことが分かります。
この券が発行された羽幌線については昭和62年3月に既に全線が廃止され、留萌本線についても明日12月4日を以って留萌~増毛間の営業運転を終了し、翌5日に廃止されることになっています。
〇簡 増毛駅発行 自由席特急券
国鉄民営化直前の昭和62年2月に〇簡 増毛駅で発行された、深川から旭川までの自由席特急券です。
若草色こくてつ地紋の料金専用特別補充券(料補)で発行されたものです。
増毛駅は留萌本線の終端駅で、かつては増毛町の農産物や海産物の貨物取扱でにぎわった駅であったとのことですが、現在の駅は閑散としており、JR北海道は本年12月に留萌本線の留萌駅~増毛駅間を廃止することを予定しているため、それが実現すれば増毛駅は廃止される運命にあります。
同駅は昭和59年に直営駅から無人化されて簡易委託駅となっていますが、JR化後の平成初期に簡易委託が解除されて完全な無人化をされているようです。
小宮駅発行 東飯能経由飯能ゆき連絡乗車券
昭和59年12月に八高線小宮駅で発行された、東飯能経由西武池袋線飯能ゆきの連絡乗車券です。
青色こくてつ地紋の補充片道乗車券(補片)で発券されております。
当時、国鉄では使用済の乗車券の管理が大変厳しく、よほど改札職員の「ご厚意」が無ければ頂くことができませんでしたので、実際に東飯能まで乗車する際、西武鉄道の飯能まで購入して前途を放棄して入手する作戦(?)でこの券を購入しました。
窓口で飯能までの乗車券を買い求める際、硬券の連絡乗車券が出てくるものと思っておりましたが、意に反して窓口氏は補片に手を伸ばし、連絡乗車券の作成に取り掛かっていました。硬券の連絡乗車券の有無を伺いましたところ、拝島接続の一部区間しか設備がないとのことで、発売可能なほとんどの連絡乗車券は補充券での発券であるとのことでした。
着駅の飯能はゴム印が無かったために手書きとなっていますが、経由欄の「東飯能)」は専用のゴム印が設備されており、東飯能接続の西武線への連絡乗車券を発券する需要はそこそこあったものと思われます。
JRの硬券は絶滅し、補片でさえ貴重になった現在、若いコレクター諸氏は「貴重だ」と補片を買い求めていますが、当時は硬券が出てくるのを期待していた時に補充券が出てくるとがっかりとしたものです。
金沢駅発行 復路専用乗車券
前回および前々回にJR西日本金沢駅精算所で発行された復路専用乗車券をご紹介いたしましたが、国鉄時代に発行されたものが手元にございましたので御紹介いたしましょう。
国鉄時代の昭和60年7月に金沢駅改札で発行された、津幡までの復路専用乗車券です。青色こくてつ地紋のA型硬券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
JRとなってからのものとは違い、題字は「復路専用乗車券」となっており、名古屋駅で発行されているものと同一です。発行箇所名は「〇ホ 金沢駅発行」となっており、確かに精算所で購入したものですが、「〇ホ」の意味するところは不明です。
小児断片の一番下にある「〇改」の符号は運賃改定から初めて設備されたロットであることを指す符号で、国鉄の乗車券類では名古屋印刷場の券に多くみられました。
裏面です。
往路分の190円も領収済である旨の注意書きが裏面に印刷されています。JRになってからの大型軟券になるとこの文言は表面に印刷されているところも大きく異なります。
金沢駅の復路専用乗車券は、北陸新幹線開業によって金沢~津幡間がIRいしかわ鉄道に移管されており、移管と同時に設備廃止となっているのか、あるいは現在でも形を変えて存在しているのか、まだ調査しきれておりません。
中野車掌区発行 2等車内乗換券 ~その2
拙2012年7月29日エントリーの「中野車掌区発行 2等車内乗換券」にて国鉄時代の中野車掌区乗務員発行の2等車内乗換券を御紹介いたしました。
これはその時に御紹介いたしました中野車掌区乗務員によって発行された2等車内乗換券という青色こくてつ地紋の駅名式券で、上りと下りのそれぞれに穴を開け、穴のある列で上り列車用なのか下り列車用なのか分かるようになっています。
当初上り列車の中野駅~四ツ谷駅間用として穴をあけられていますが、発行時に間違って次の券も重ねて開けてしまったのでしょうか、訂正印で区間を訂正の上発券されています。
この記事をエントリーさせて戴いた頃は、中央線快速電車にグリーン車が新設されるなどと言うことは考えも及びませんでしたが、先日JR東日本からプレスリリースがあり、とうとうこのようなことが現実のものとなるようです。
中央線快速電車にグリーン車が連結されるということを初めて聞いた時は、正直驚きました。
なぜなら、東海道線などの中距離列車(中電)のような普通車にも便所がついているような列車であれば分からないのでもありませんが、2~3分間隔で運転されている中央線快速電車にグリーン車を連結するというのは山手線の列車にグリーン車を連結するのに匹敵するくらい無謀な冒険のように思えるからです。
尤も、JRのような優秀な企画立案担当者がたくさん在籍しているような会社ですから様々な角度で検証したうえでの発表であると思いますので問題はないのでしょうが、われわれ鉄道業界とは別の世界に居る素人は、東京駅のホームが折返し整備で停車している列車でしょっちゅう満線状態になってしまうのではないかとか、ダイヤ乱れで「折返し準備が出来しだい発車」という状態の時にグリーン車の整備が可能なのだろうかとか、いろいろなことを考えてしまいます。
実際に運転が開始されると、中央・青梅ライナーを利用していた方々がこちらに乗換えてくるかも知れませんし、もしかするとこれが「狙い」で、ダイヤ乱れになると調整の障害となるライナーは廃止されてしまうかもしれません。
もともと「ライナー」という列車は通勤通学時間帯に運転されることでその目的が全うされる列車ですが、ライナーを利用しない利用者の立場からは、急いでいる時に自身が利用しない列車がのんびり通過することでストレスを感じる方も居られるでしょうし、利用するつもりでもライナー券を購入出来なかった利用者にとっては、乗れなかったばかりか、満員電車で立たされて、しかも途中駅でライナーの通過待ちなどされたら、1日の疲れがどっと来ることでしょう。
ただでさえ混雑する中央快速線の電車をせっかく12両編成にするのであれば普通車を2両増結したほうが効果的と考えるのが一般的ですが、首都圏各線の通勤通学時間帯の上り列車の2階建てグリーン車がほぼ満席であることを考えると、逆に新たにグリーン車を2両連結することで、その分普通車の混雑率が緩和されるかもしれません。
JRに批判的と思われるようなことを書くとすぐに「けしからん」というJR親衛隊の皆様からのコメントがたくさん寄せられますが、これは決してJRを批判しているのではなく、個人的な感想ですので、悪しからず。
〇ニ 新宿駅発行 特別補充券
昭和51年頃に新宿駅特急ホーム改札口で発行された、東京山手線内から野辺山ゆきの片道乗車券です。
橙色こくてつ地紋の特別補充券で、東京印刷場で調製されたものと思われます。
当時の新宿駅の特急ホームには、コンコースのホーム入口付近に中間改札口が設けられており、そこで急行券や特急券・乗車券の発売・精算が行われていました。
発行箇所名は「〇ニ 新宿駅発行」となっており、日本交通観光社によって委託運営されていました。
日本交通観光社というのは駅業務を受託する組織として国鉄の主導にて設立された法人であり、国鉄の分割民営化以降は法人名や業態を変えて現在も存続しています。
券は典型的な駅名式となっており、中央本線をメインとし、そこから分岐する小海線や身延線・飯田線と、房総急行対応として房総各線、東京の国電区間の主要駅が記載されており、新宿駅における精算業務で頻出すると思われる駅が並んでいます。
事由欄を見ますと急行券として発券することが可能のようですが、なぜか特急券には対応していないようです。
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