JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
江ノ島鎌倉観光 藤沢駅から100円区間ゆき 片道乗車券
1976(昭和51)年3月に、江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)の藤沢駅で発行された、同駅から100円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色PJRてつどう地紋のB型金額式大人専用券で、山口交通印刷で調製されたものです。
裏面です。券番の他、循環番号が印刷されています。
同社では、現在では硬券乗車券は使用されていませんが、当時は有人駅各駅で硬券乗車券が発売されており、小児用としては専用の小児用券が設備されていました。
なお、江ノ島鎌倉観光は、1981(昭和56)年9月に江ノ島電鉄に商号変更されています。
日立運輸東京モノレール モノレール浜松町駅発行 羽田駅ゆき 往復乗車券
1977(昭和52)年7月に、日立運輸東京モノレール(現・東京モノレール)羽田線(現・羽田空港線)のモノレール浜松町駅で発行された、羽田駅(廃駅)までの往復乗車券です。
若草色TMKとうきょうモノレール自社地紋のA型大人専用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
裏面です。券番の他、下車前途無効の文言と、発行駅名、循環番号が印刷されています。
現在の東京モノレールは大和観光株式会社として設立され、日本高架電鉄株式会社への商号変更を経て、1967(昭和39)年に東京モノレール株式会社(初代)として開業しています。
その後、設立以来資本参加していました名古屋鉄道(名鉄)が資本参加から撤退し、日立運輸株式会社、東京モノレール株式会社(初代)、西部日立運輸株式会社の3社が存続会社を東京モノレール株式会社として合併し、1967(昭和42)年に日立製作所が株式の81%を取得した子会社としての日立運輸東京モノレール株式会社に商号変更されています。
その後、1981(昭和56)年に子会社として東京モノレール株式会社(2代)が設立されてモノレール事業が同社に譲渡され、日立運輸東京モノレール株式会社は物流部門のみを残して日立運輸株式会社(現・ロジスティード)に商号変更されています。
そして、2020(平成14)年に日立運輸から商号が変更された日立物流が株式をJR東日本に70%、日立製作所に30%譲渡し、JR東日本が筆頭株主になり、東京モノレールはJR東日本の傘下に入ることになり、現在に至っています。
同社は本年(2024年)9月17日に開業60周年を迎え、開業時の車両塗色をイメージしたラッピング列車の運行を開始するなど、いろいろな周年イベントが計画・発表されています。
東京モノレール モノレール浜松町駅発行 羽田駅ゆき 片道乗車券
1967(昭和42)年1月に、東京モノレール(初代)モノレール浜松町駅で発行された、羽田駅ゆきの片道乗車券です。
若草色TMKとうきょうモノレール自社地紋のB型相互式大人小児用券で、山口証券印刷で調製されたものと思われます。
御紹介の券が発行された当時は、発駅であるモノレール浜松町駅と羽田駅(廃駅)との間には競馬開催時のみ営業される臨時駅であった大井競馬場前駅以外に途中駅はなく、空港連絡鉄道の色が濃い路線でした。そのためでしょうか、赤い飛行機とその軌跡のようなイラストが入れられています。
地紋部分を拡大してみました。
この地紋は同線開業時に制定されたもので、現在の同社旅客営業規則においても、第70条の2において、表面に第10号様式による字模様として定められています。
裏面です。券番の他、発行駅名および循環番号が印刷されています。
東京モノレールは今から60年前の1964(昭和39)年9月17日にモノレール浜松町駅~羽田駅間が途中駅なし、昭和島信号所・穴守信号所の2カ所の信号所のみで開業し、翌1965(昭和40)年5月に臨時駅の大井競馬場前駅が開業しています。その後、1967(昭和42)年3月に羽田整備場(現・整備場)駅の開業を始めとして、新平和島(現・流通センター)駅、昭和島駅、天王洲アイル駅といった順に途中駅が開設されています。
そして、1993(平成5)年9月に羽田整備場(現・整備場)駅~羽田駅間が廃止され、羽田整備場駅~穴守信号所間の地点で線路切り替えが行われ、羽田駅(2代)、新整備場駅、羽田空港駅が開業し、1998(平成10)年11月に京浜急行電鉄空港線羽田空港駅延伸開業に伴って、羽田駅(2代)は天空橋駅に改称されています。
また、2004(平成16)年12月には、羽田空港駅~羽田空港第2ビル駅間が延伸開通し、同時に羽田空港駅を羽田空港第1ビル駅に改称し、2010(平成22)年10月に新駅建設工事に伴って、天空橋駅~新整備場駅間の経路を一部変更のうえ、羽田空港国際線ビル駅が開業しています。
さらには、2020(令和2)年3月の空港ターミナル名称変更に伴って、羽田空港国際線ビル駅を羽田空港第3ターミナル駅、羽田空港第2ビル駅を羽田空港第2ターミナル駅、羽田空港第1ビル駅を羽田空港第1ターミナル駅に改称し、現在の路線に至っています。
京成電気軌道 京成金町駅発行 町屋・新三河島駅ゆき 片道乗車券
1944(昭和19)年5月に京成電気軌道(現・京成電鉄)の京成金町駅で発行された、町屋・新三河島駅ゆきの片道乗車券です。
古いものなので地紋が不明ですが、もしかすると時代的な背景から、当初から無地紋であったかも知れません。
御紹介の券は「町屋・新三河島駅ゆき」として発売されていますが、印刷では「町屋 道灌山通 間」と表記されています。
これは、この券が設備された当時には、町屋駅から先は新三河島駅・道灌山通駅・日暮里駅と駅がありましたが、前回エントリーで御紹介いたしましたように、道灌山通駅が1943(昭和18)年10月に営業休止されてしまいましたため、残券の「道灌山通」の部分に「新三河島」の印を捺印して訂正した状態で発売されていたものと思われます。
訂正部分を拡大してみました。活字が薄れていますが、「道灌山通」と印刷されていることが確認できます。
また、訂正後は町屋駅と新三河島駅2駅だけですので「町屋 新三河島」ゆきということになりますが、訂正前は屋駅と新三河島駅、道灌山通駅の3駅であったことから、「町屋 道灌山通 間」ゆきということになっていたものと思われます。
裏面です。券番しか記載がなく、社名の表記はやはりありません。
京成電気軌道 千住大橋駅発行 道灌山通・日暮里駅ゆき 片道乗車券
日付が分かりづらいですが、1937(昭和12)年3月に、京成電気軌道(現・京成電鉄)千住大橋駅で発行された、道灌山通・日暮里駅ゆきの片道乗車券です。
桃色PJRてつだう地紋のB型矢印式大人専用券になっています。
裏面です。券番の他に発行駅名と「(ぬ)」という循環符号が印刷されていますが、社名の記載はありません。
着駅にあります道灌山駅は、かつて新三河島駅と日暮里駅の間にあった駅で、JR西日暮里駅の近くで京成線の線路がカーブを描き、西日暮里駅の方から伸びている道灌山通りと交差するあたりにあったそうです。日暮里駅から徒歩圏内であったことから1943(昭和18)年10月に営業が休止され、1947(昭和22)年2月に廃止されてしまっています。
東京メトロ 東京駅発行 160円区間ゆき片道乗車券
前回エントリーで東京地下鉄(東京メトロ)営業2日目に、日比谷線の小伝馬町駅で発行された160円区間ゆき片道乗車券を御紹介いたしました。この乗車券は券紙は東京メトロであるものの、印字された内容は営団地下鉄のままという暫定的なものでした。
これは、多数ある券売機を1日で改修することが難しかったため、約1ヶ月をかけて順番に各駅の券売機を改修していったため、この時期だけ、東京メトロの券紙で発行された交通営団時代の内容の乗車券が各駅で発売されていました。
券売機の改修についてはどのような順番で行われたのかは不明ですが、東京メトロとして営業が始まった2日目である、2004(平成16)年4月2日時点では、ターミナル駅であります丸ノ内線東京駅の券売機についても、まだ改修が行われていない状態でした。
2004(平成16)年4月2日に、丸ノ内線東京駅で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。水色東京メトロ自社地紋のA型金額式券ですが、記載内容は営団地下鉄のままの内容になっています。
東京メトロ 小伝馬町駅発行 160円区間ゆき片道乗車券
前々回エントリーで東京地下鉄(東京メトロ)営業初日に丸ノ内線の荻窪駅で発行された160円区間ゆき片道乗車券を御紹介いたしました。
同駅の乗車券は券紙は東京メトロであるものの、印字された内容は営団地下鉄のままという暫定的なものでした。
これは、多数ある券売機を1日で改修することが難しかったため、約1ヶ月をかけて順番に各駅の券売機を改修していったため、この時期だけ、東京メトロの券紙で発行された交通営団時代の内容の乗車券が各駅で発売されていました。
東京メトロとして営業が始まった2日目である、2004(平成16)年4月2日に、日比谷線の小伝馬町駅で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。
水色東京メトロ自社地紋のA型金額式券ですが、記載内容は営団地下鉄のままの内容になっています。
東京地下鉄 荻窪駅発行 160円区間ゆき片道乗車券 ~その2
前回エントリーで、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線の荻窪駅で発行された160円区間ゆき片道乗車券を御紹介いたしました。
御紹介の券は東京メトロとしての営業初日の券ではありましたが、券の内容は営団地下鉄のものと全く変更がなく、券紙のみが変更された暫定的な券になっていました。
それから20日程度経った、2004(平成16)年4月22日に、丸ノ内線荻窪駅の06番券売機で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。
水色東京メトロ自社地紋のA型金額式券になります。
同社では営業を開始してから約1ヶ月をかけて各駅に設備されている券売機を改修していたようで、券売機改修後に発行されたものになります。
改修前の券を再掲してみました。
社名の「(交通営団)」の名称が「(東京地下鉄)」に変更され。金額部分の「営団線」の表記が「東京メトロ線」になっていますが、その他部分については変更はされていません。
改修された部分を拡大して並べてみました。
営団地下鉄の券紙から東京メトロの券紙に変更になった時点では、印字内容に変更は見受けられませんが、
記載内容が変更された時点においては、「(交通営団)」のスペースに「(東京メトロ)」の文字が、文字幅を詰めた上で同じ幅のスペースに入れられているように見受けられます。
また、金額部分の「営団線」から「東京メトロ線」に変更された部分については幅が広く取られるようになっていますが、文字数が増えたために文字間隔が詰められただけでなくフォント幅も狭くなっており、同じ「線」の文字を比較すると、その差がはっきりと分かります。
東京地下鉄 荻窪駅発行 160円区間ゆき片道乗車券 ~その1
前回エントリーで、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)丸ノ内線の荻窪駅で発行された、営団地下鉄最後の日に発行された乗車券を御紹介いたしました。
今回はその翌日である、東京地下鉄(東京メトロ)初日に同駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。
2004(平成16)年4月1日に、東京メトロ丸ノ内線の荻窪駅で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。御紹介の券は、前日の営団地下鉄最終日に購入した券売機と同じ丸ノ内線荻窪駅の06番券売機で発行されたものになります。
券紙は水色東京メトロ自社地紋になったA型金額式券ですが、会社名は「(交通営団)」のままであり、金額表示も「営団線160円区間」のままです。
再掲いたしますが、前日の営団地下鉄時代に同じ06番券売機で発行されたものになります。
約180駅あるという同社には、当然券売機は各駅1台という訳ではありませんので、すべての台数が何台あるかは不明ですが、相当数の機器が設備されていることになります。そのため、営団地下鉄から一晩で東京メトロに会社が替わった同社では、翌日の営業初日までにすべての券売機を更新することは困難であったため、「取り敢えず」は券紙のみ営団地下鉄のものから東京メトロに交換し、その場をしのいでいました。
ちなみに、同社の券売機は、営団地下鉄時代に印版式券売機は全廃されておりますので、東京メトロになってからの券売機はサーマル式のみしか存在しません。
そのため、印字されている内容は全く営団地下鉄時代のものと同一で、券番もすでに2630番であり、新会社がスタートした時点でリセットされたとは考えにくい番号になっています。営団地下鉄時代の券番と809番の差異がありますが、恐らく通常の精算業務だけが行われていたものと推測されます。
帝都高速度交通営団 荻窪駅発行 160円区間ゆき片道乗車券
帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現・東京メトロ)は、今から20年程前の2004(平成16)年3月31日の営業を以て民営化され、翌4月1日から東京地下鉄(東京メトロ)に移管されています。
営団地下鉄最終日である2004(平成16)年3月31日に、丸ノ内線荻窪駅の06番券売機で発行された、同駅から160円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色ていとこうそくどこうつうえいだん地紋のA型金額式券で、サーマル方式券になります。
地紋部分を拡大してみました。営団地下鉄の乗車券は、硬券や補充券などの軟券についてはJPRてつどう地紋の券が使用されていましたが、券売機券については昭和40年代前半から券売機専用に地紋が使用されており、そのまま印版方式からサーマル方式に券売機が改良されても、感熱式の券売機用専用券紙が使用されてきておりました。
営団地下鉄がなくなってからすでに20年が経過しており、管理人のような年配のコレクターにとっては昔懐かしい地紋でありますが、若いコレクター氏のなかにはご覧になられたことがない方もおられるかと思います。
営団地下鉄の「営団」という組織形態は官民共同出資の形態で、営団地下鉄の設立当初は民間鉄道による出資が含まれていたと聞いたことがありますが、1951(昭和26)年に行われたの法改正により民間組織が排除されてしまい、以降は日本国有鉄道(国鉄)と東京都の出資による公的な法人になっていました。国鉄分割民営化の後は、出資の主体は日本国有鉄道清算事業団を経て、大蔵省(現・財務省)に渡っていました。そのため、営団地下鉄は、名称として「営団」の名ではありましたが、市営交通や株式会社形態である第三セクターとは異なり、国鉄と東京都の出資による公営企業として独特な位置づけで、その組織実態として、国の外郭団体である公団や公社のような存在であったようです。
2004(平成16)年4月1日に東京地下鉄株式会社法が施行にされ、営団地下鉄の一切の権利及び義務、設備、車両は東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に継承されます。
東京メトロ発足段階では日本国政府と東京都が新会社に対し、国が53.42%、都が46.58%の比率で出資をしていましたが、政府は東日本大震災の復興財源確保のために、国の持ち分のメトロ株を売却して得た収入を東日本大震災の復旧・復興のために発行した復興債の償還費用財源とすることが特別措置法で定められていました。
当初は2022年度までに全株式を売却する予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響などもあり、売却期限は2027年度に延期されて現在に至っています。
しかし、本年10月、東京メトロ株の上場が決定しており、政府と東京都は東京メトロの株式の売却を2024年度中にも始める予定で、両者で100%を保有する株式を最終的に50%売却するとしています。
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