JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
帝都高速度交通営団 「◯地」東京駅発行 20円区間ゆき片道乗車券
前回エントリーで、営団地下鉄霞ヶ関駅で発行された20円区間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は丸ノ内線の東京駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。
1962(昭和37)年8月に丸ノ内線の「◯地」東京駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、こちらも帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
券面の地図を見ますと、東京駅から20円区間ゆきの運賃区間は、荻窪方面が赤坂見附駅、池袋方面が後楽園駅になっています。
前回御紹介いたしました霞ヶ関駅発行の乗車券同様、御紹介の券は丸ノ内線が中心になっており、銀座線らしき線が赤坂見附駅にちょこんと出ています。
赤坂見附駅の部分を拡大してみました。
前回および前々回に御紹介いたしました霞ヶ関駅や渋谷駅の券は赤坂見附駅付近で、丸ノ内線と銀座線が並行しているように表現されていますが、今回御紹介の券については、丸ノ内線と銀座線がクロス(交差)しているようにも見えます。
しかし、見方を変えれば、赤坂見附駅を通過して左上に上がる線を丸ノ内線の荻窪方面への線路と捉えれば、同駅から左へまっすぐに伸びている線が銀座線の渋谷駅方面への線路で、右下へ下がる線が銀座線の浅草方面への線路と考えることができます。
同社がかつて発売していましたメトロカードに書かれた営団地下鉄時代の路線図です。
赤坂見附駅付近を拡大すると、上のように表現されていますので、もしかすると、このラインの形をイメージして作成されたのが御紹介の券の地図なのかも知れません。
裏面です。券番と発行駅名の他、「東京から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、同駅には地下鉄以外の路線として国鉄線が乗り入れていますので、その区別の意味で付けられているものと思われます。
帝都高速度交通営団 「◯地」霞ヶ関駅発行 20円区間ゆき片道乗車券
前回エントリーで、営団地下鉄渋谷駅で発行された20円区間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は丸ノ内線の霞ヶ関駅で発行された乗車券を御紹介いたしましょう。
1962(昭和37)年9月に丸ノ内線の「◯地」霞ヶ関駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、こちらも帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
券面の地図を見ますと、霞ヶ関から20円区間ゆきの運賃区間は、荻窪方面が四谷三丁目駅、池袋方面が淡路町駅になり、途中の赤坂見附駅で乗換える銀座線の渋谷方面の外苑前駅、浅草方面の新橋駅が含まれています。
前回御紹介いたしました渋谷駅発行の乗車券を再掲いたします。
渋谷駅発行の銀座線が中心である地図とは異なり、御紹介の券は丸ノ内線が中心になっており、銀座線が赤坂見附駅からハの字型に伸びており、やはり平行して路線が形成されているように表現されています。
裏面です。券番と発行駅名の他、「霞ヶ関から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、前回エントリーの渋谷駅のように地下鉄以外の路線が乗り入れている駅ではないので不要かと思いますが、東武鉄道東上線にも同名の霞ヶ関駅がありますので、その区別の意味で付けられていたのかも知れません。
帝都高速度交通営団 「◯地」渋谷駅発行 20円区間ゆき片道乗車券
1962(昭和37)年9月に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄。現、東京メトロ)銀座線の「◯地」渋谷駅で発行された、同駅から20円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色JPRてつどう地紋のB型地図式大人専用券で、山口証券印刷系列の帝都交通印刷で調製されたものと思われます。
当時の営団地下鉄の乗車券は地図式がメインで、高額券になると相互式が使用されたりしていました。これは少しずつ路線が開業していく発展期であった同社では、複数の着駅を1枚の乗車券にまとめたいという考え方に拠るものと思われます。
裏面です。券番と発行駅名の他、「渋谷から20円」の表記と、「表面太線区間内の1駅ゆき」の文言、「通用発売当日限り 下車前途無効」の文言があります。
発行駅の前にあります「◯地」は「地下鉄駅」であることを示すもので、国鉄の乗車券や運賃表などには「地下鉄渋谷」駅と記載されているものも見受けられました。これは、同駅には営団地下鉄の他に国鉄線や東急東横線、京王帝都井の頭線などの路線が乗り入れているための区分のために付けられているものです。
最遠である着駅の赤坂見附駅の部分を拡大してみました。
渋谷駅から伸びた太線が着駅の赤坂見附駅まで繋がれていますが、その先の区間外の駅である虎ノ門駅方面に伸びる線は細い線で表されています。また、同駅から「サザエさんの波平の双子の兄、海平さんの頭の毛」のような逆ハの字に2本「生えている」線は、丸ノ内線を表しているものと思われます。
なんとなく、丸ノ内線は決して銀座線とクロスしているのではなく、平行して走行している感じが出ているかと思います。
ちなみに、こちらが海平さんです。
◯交 関西支社発行 近畿日本鉄道 上本町駅から近畿日本名古屋駅ゆき 片道乗車券
1954(昭和29)年1月に発行された、近畿日本鉄道(近鉄)大阪線の上本町(現・大阪上本町)駅から近畿日本名古屋(現・近鉄名古屋)駅ゆきの片道乗車券です。
緑色近鉄自社地紋のB型一般式大人・小児用券になっています。
経由欄には「大線(大阪線)・久居経由」と記載されており、大阪線の伊勢中川駅から先、名古屋線久居駅を経由して近畿日本名古屋駅に至る経路であることが分かります。
発行箇所名は裏面に記載されており、「日本交通公社関西支社安土町案内所」発行になっております。日本交通公社は現在のJTBで、現在の店舗一覧からは「安土町案内所」という店名がないので不明ですが、安土町は大阪市中央区の堺筋本町付近になりますので、堺筋通りにありますJTBビルのあたりにあった案内所(支店)だったのではないかと思われます。
御紹介の券は、近鉄が日本交通公社に委託発売していた専用の券であることから、名阪特急の特急券と同時に発売するために設備されたものかも知れません。
発駅である上本町駅は現在の大阪上本町駅で、当時はまだ大阪難波駅までの区間が開業していませんでしたので、大阪駅側のターミナル駅として機能していたと聞いています。
また、当時の名阪特急は、旧関西急行鉄道側の近畿日本名古屋駅~伊勢中川駅間が狭軌(1067mm)でありましたため、現在のような直通運転ではなく、途中の伊勢中川駅での乗換が必要でありましたが、それでも名阪間を3時間台で運転されていたと聞きます。
京濱電鐵 新子安駅発行 コロムビア前・川崎大師駅間ゆき 片道乗車券
本日は8月15日、79回目の終戦の日です。拙ブログでは毎年、終戦の日(かつては終戦記念日って言っていたような・・・)のエントリーでは、コレクションの中から戦争に関連したものを御紹介するようにしていますので、今年もひとつ、探してみました。
まだ太平洋戦争前の1937(昭和12)年5月に、京濱電鐵(後の京浜急行電鉄。現・京急電鉄)本線にあります新子安駅で発行された、大師線のコロムビア前・川崎大師駅間ゆきの片道乗車券です。
経年で色あせてしまっていますが、桃色無地紋のA型一般式大人・小児用券と思われます。同社の乗車券は数枚手元にありますが、状態が良いものでも桃色無地紋になっており、裏面についても同色になっていることから、地紋がなかったものと思われます。
裏面です。券番の他、「京濱電鐵」の社名と発行駅名が記載されています。
着駅のコロムビア前駅は現在の港町(みなとちょう)駅で、現在地より300メートルくらい川崎大師駅寄りのところにあったようです。
駅名の由来である「コロムビア」は、当時駅の近隣にあった日本コロムビアの工場に由来していますが、戦時中の1943(昭和18)年に不要不急駅として営業が休止され、翌1944(昭和19)年に港町駅として営業が再開されています。この時に駅名が改称された理由として、当時の世相による外来語禁止や、工場名が駅名にあることが防諜上好ましくないということが理由となり、地名であった港町駅に改められたものと言われています。
日本コロムビア社は国産の円盤式レコードの生産と販売を行う日米蓄音機製造を前身として、日本蓄音器商会として法人化された日本で最古参のレコード会社で、昭和初期から米国のコロムビア・ミュージックエンターテインメント社(現・米国ソニー・ミュージックエンターテインメント社)と提携関係になると日本コロムビア社へ改称されています。しかし、戦時中は敵国企業である「コロムビア」の社名が使用できなくなり、日蓄工業に改称されているようですが、現在でも日本コロムビア社として存続しています。
日本コロムビアの工場は2007(平成19)年に閉鎖されて移転してしまい、今ではその跡地には京急が建設した3棟の高層マンションがそびえ立っており、工場の面影はありません。
東武鉄道 新髙徳から小児90円区間ゆき 片道乗車券
1986(昭和61)年8月に、東武鉄道鬼怒川線の新髙徳駅で発行された、同駅から90円区間ゆきの小児専用券です。
黄褐色TRCとぶてつ地紋のB型金額式小児専用券で、足利印刷で調製されたものです。
小児専用券は大人専用券と様式的には同一ですが、「小」の赤影文字が入ったことと、金額の下に発売額発売額が表記されている点が、大人専用券と異なります。
再掲いたしますが、同駅の大人専用券になります。
大人専用券の場合は「新髙徳から」と「東武線90円区間ゆき」の2行だけなので「(東武鉄道)」の社名が独立した行になって3行になっていますが、小児専用券については「小児50」の発売額を入れるために1行増えるため、「新髙徳から」の表記を中程に寄せ、その前に社名を入れて3行にまとめられています。
裏面です。券番の他、「発売当日限り有効 下車前途無効」の文言と発行駅名があり、表面に社名の無い普通入場券は社名が裏面でしたが、乗車券については社名の表記は裏面にありません。
なお、東武鉄道では、路線図等の案内において同駅を「新高徳」と案内していますが、乗車券類には「新髙徳」と表記されています。ただし、裏面の発行駅名についてはと「新高徳」記載されています。
拡大してみました。
この件につきましては、御訪問者様のわからんが様からもコメントがありましたが、なぜそうなっているのか、どちらが正しいのか、良くわかりません・・・
東武鉄道 新髙徳駅から90円区間ゆき 片道乗車券
1986(昭和61)年8月に、東武鉄道鬼怒川線の新髙徳駅で発行された、同駅から90円区間ゆきの片道乗車券です。
黄褐色TRCとぶてつ地紋のB型金額式大人専用券で、足利印刷で調製されたものです。
同社では、硬券の普通入場券の他、硬券乗車券についても、金額式券については大人専用券と小児専用券の2種類が設備されていました。高額券になりますと一般式券が主流になり、そちらは大人・小児用券になっていました。
ただし、硬券末期になりますと、高額券についても金額式券が新たに登場し、こちらは大人・小児用券として設備されていました。
東武鉄道 新髙徳駅発行 普通入場券(小児用)
前回エントリーで、
> 同社の普通入場券は大人専用券と小児専用券の2種が設定されていて、
> 硬券の普通入場券を取り扱っている駅であれば、必ず双方が設備されていました。
と申し上げました通り、同駅にも大人専用の普通入場券の他、小児専用の普通入場券も設備されていました。
大人券と同じ、1986(昭和61)年8月に、東武鉄道鬼怒川線の新髙徳駅で発行された、小児専用の普通入場券です。
白色無地紋のB型小児専用券で、こちらも足利印刷で調製されています。
同社では、昭和50年代末期まで、普通入場券は白色無地紋券で発行されていましたが、この頃より黄褐色の地紋が印刷された様式に変更されています。理由は定かではありませんが、券売機の普及によって硬券の需要が減ってきた時期でもありましたので、券紙を統一する目的があったのかも知れません。
ただし、一斉に地紋のある券に切替えられたのではなく、在庫分は売り切ってから地紋のある券に切替えられていきましたので、同駅のように、需要が少ない小児専用券の無地紋券が残ってしまい、大人専用券が地紋のある券で、小児専用券が無地紋という駅が散見されました。
西武鉄道 高田馬場から150円区間ゆき 片道乗車券
1986(昭和61)年3月に、西武鉄道新宿線の高田馬場駅で発行された、同駅から150円区間ゆきの片道乗車券です。
若草色せいぶてつどう自社地紋のB型金額式大人専用券になっています。
当時の高田馬場駅では、本屋側での硬券乗車券の発売は行われておりませんでしたが、国鉄山手線との乗換連絡通路にありました精算所では、券売機券は初乗り区間(当時は90円)のみが発売されており、その他の券については硬券で発売されていました。
精算所は乗換連絡の中程にあり、国鉄線から西武線への精算窓口は西武線と国鉄線の境界線ぐらいのところに、西武線から国鉄線への精算窓口は西武新宿方面ゆきホームから階段を昇ったところにあり、改札のラッチは本川越方面ゆきホームから階段を昇ったあたりにありました。
精算口では原券を回収して新たな乗車券を発売していましたが、改札口では国鉄と西武鉄道の乗車券が双方からやってくるのでどちらも確認しなければなりませんし、回数券で乗り継ぐ旅客については着札を回収のうえで新たな券に入鋏を入れる必要がありました。しかも、殆どの旅客の乗車券は硬券でしたから、ここの改札口の業務は過酷な現場であったようです。
当時の高田馬場駅の乗換連絡通路です。古レールの骨組みの通路があり、その途中に精算窓口であった事務所の小屋があります。
現在でも乗換連絡通路はありますが、窓口は連絡通路に入る前のホームの上に建設された橋上駅舎にあり、窓口端末での乗車券の取扱しかありません。ただし、JR(国鉄)側の通路は当時と変わっていませんので、通路幅は現在も同じです。
この通路は電車が到着すると殺人的に混み合う通路ですが、その真ん中に改札口や精算口があった当時の造りのままであったら、今ではどのようになってしまうのかと考えてしまうような場所です。
西武鉄道 武蔵境駅発行 140円区間ゆき 片道乗車券
2005(平成17)年6月に、西武鉄道武蔵境駅で発行された、同駅から140円区間ゆきの片道乗車券です。
桃色PJRてつどう地紋のA型金額式券売機券になります。
御紹介の券は武蔵境駅の高架化工事によってJR東日本と改札分離された後のもので、乗車券は他駅と同じ券売機による発行に切り替わっています。
この様式は改札分離後に導入された券売機で発行されたもので、現在では機器が更新されていて、様式的には同一ですが、フォントの違いや発駅名のローマ字表記の追記、発売日の西暦表記等、細部が異なっています。
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