JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
頸城鉄道 鉄道省からの連絡乗車券
前回エントリーに引き続き、くびき野レールパークでの話題です。
くびき野レールパークでのイベント会場にありました頸城自動車の記念品販売ブースでは、書庫から出てきた着札も販売していました。
昭和17年1月に鉄道省(国鉄の前身)信越本線高田駅発行の百間町ゆき連絡乗車券です。
状態は決して良くはありませんが、戦前に発行された頸城鉄道への常備連絡乗車券として大変希少価値の高いものと思われます。しかし、特段昔の乗車券類の販売告知の全く無いイベントでしたので、会場内には乗車券蒐集家は皆無のようで、このようなはっきり言って小汚い乗車券を手にするような人は居らず、縁あって管理人のコレクションに加えられたわけです。
券は桃色GJRてつだうしやう地紋のA型券で、運賃は3等で32銭となっています。
現在の連絡乗車券では接続駅が経由表記されているのが普通ですが、この券には経由表記はありません。
鉄道省からの常備連絡乗車券はもう1枚ありました。
これは昭和19年2月に同じく信越本線直江津駅発行の明治村ゆき乗車券です。桃色GJRてつだうしやう地紋のB型券となっています。
昭和19年となりますと、前年11月には鉄道省は運輸通信省に改組されていますので、正式には運輸通信省時代の券となりますが、昭和24年に国鉄となるまで運輸通信省地紋の券は誕生していませんので、てつだうしやう地紋のままとなっています。
このころになりますと戦局が厳しくなってきている頃ですので、昭和17年当時はA型券であったものが、用紙節約のためにB型券に変更となっています。
この券の裏面を見てみますと、何らかの書類を貼り付けたような跡があります。少々見づらいので、左右裏返しにして見てみましょう。
あまりはっきりしませんが、「願拂(払)戻候…」と記載された用紙がくっついており、恐らく経理精算業務の過程において貼り付けられていた伝票であったのではないかと推測されます。
詳細は分かりませんが、もしかすると、運輸通信省に対して頸城鉄道線分の運賃を請求(払戻)するための経理処理をしたものの、実際には請求されないまま現在に至ってしまったのかもしれません。