武蔵野競技場前駅発行 東京電環ゆき片道乗車券

日付が不鮮明ですが、1951(昭和26)年5月に中央本線の支線である武蔵野競技場線(廃線)の武蔵野競技場前駅で発行された、東京電環ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型相互式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
着駅の電環(=東京電環)の活字はゴシック体になっていますが、発駅の「武蔵野競技場前」の活字は明朝体の活字を組んだだけになっており、特活にはなっていません。これは同駅が通年営業の駅ではないため、敢えてコストを掛けなかったのではないかと思われます。他駅ゆきの乗車券も見たことがありますが、どれも発駅は明朝体の活字を組んだ様式です。


武蔵野競技場前駅はかつて東京都武蔵野市にあった東京スタジアムグリーンパーク球場に隣接して開設された駅で、野球場のイベント開催日のみ営業する駅となっていました。通年営業の駅ではありませんでしたが、営業時には、試合終了と共に短時間で大量の旅客がなだれ込むため、出札窓口は8~10窓くらいあったと言われています。



   (鉄道ピクトリアルより)


休止後の武蔵野競技場前駅の写真です。休止後かなり経過しているようで荒れ果てていますが、出札窓口が複数あった様子が分かります。


武蔵野競技場線は中央本線三鷹駅から分岐する支線で、終着の武蔵野競技場前駅までの路線総延長は3.2kmで、途中駅はありませんでした。1950(昭和25)年に廃止された旧中島飛行機引込線を利用し、武蔵野グリーンパーク野球場への旅客輸送のために1951(昭和26)年4月に開業しましたが、武蔵野グリーンパーク野球場がワンシーズン限りで終了すると営業休止状態となり、1959(昭和34)年11月に廃線となってしまっています。


   


武蔵野競技場線の空撮です。中央本線三鷹駅から武蔵境方面に出発すると、競技場線は本線から右側に分岐して、カーブを描いて北北東の球場方面に向かいます。そして、戦時中に日本軍の戦闘機などを製造していた中島飛行機武蔵製作所跡地に作られたグリーンパーク(在日米軍宿舎)に突き当たるあたりで、線路は一旦左に膨らんだように曲がり、大きく右カーブとなります。そして、カーブの先が武蔵野競技場前駅であり、下車して左手に進むと東京スタジアムグリーンパーク球場に行きます。


東京スタジアムグリーンパーク球場は国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)のホームグラウンドとして開設されましたが、球場内の砂ぼこりがひどかったことと、都心からの交通の便が悪かったことや、開設翌年に神宮球場がGHQから返還されたことを受け、ワンシーズン限りで球団は神宮へ移り、野球場は一般の競技施設として存続しましたが、1956(昭和31)年に閉鎖されてしまっています。


   (武蔵野市史料より)


東京スタジアムグリーンパーク球場の写真です。ネットの記述を見ると武蔵野グリーンパーク野球場という表現もありますが、武蔵野市の史料には「東京スタジアムグリーンパーク球場」と記載されていますので、ここではこの名称を採用しました。ここは本格的な野球場であったようで、売店や喫茶店のほか、ビアホールまであったと言われています。野球場は残されていませんが、跡地に建設された公団住宅の構内道路は今でも少し窪んだところがスタジアムそのままの形になっており、そこが野球場であったことが分かります。


現在も廃線跡は三鷹車両センター脇から「堀合遊歩道」として辿ることができます。
武蔵野競技場跡は、数年前までは国鉄官舎になっていましたが、現在は官舎はなくなり、「ガレリア」というマンションになっており、休止から68年、廃止から60年が経過した現在、駅があった痕跡は残されておりません。

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