富山地方鉄道 宇奈月温泉駅発行 電鉄富山接続福井ゆき片道連絡乗車券

廃札券ですが、富山地方鉄道宇奈月温泉駅で発行されていた、電鉄富山駅接続のJR北陸本線福井駅までの連絡乗車券です。


   


桃色富山地方鉄道自社地紋のA型一般式大人・小児用券で、日本交通印刷で調製されたものです。
乗車経路は宇奈月温泉~(富山地方鉄道本線)~電鉄富山・JR富山~(北陸本線)~福井という経路で、宇奈月温泉~電鉄富山間が営業キロ53.3kmで運賃1,790円、JR富山~福井間が営業キロ136.1kmで運賃2,210円、合計営業キロ189.4kmで合計運賃が4,000円となっていたようです。

現在、富山駅からJR利用のために北陸新幹線を利用して金沢駅から北陸本線の在来線を使用すると、新幹線へのルート変更によって0.8kmほど営業キロが短縮され、合計営業キロ188.6kmとなっているようです。


ここで疑問が出て来ます。
合計営業キロ189.4kmで合計運賃が4,000円という長距離の区間になりますが、「発売当日限り有効 下車前途無効」となっているのです。この券は宇奈月温泉駅で実際に発売されていたのを確認していますが、どうやら有効期間の表記を間違えたミス券のまま発売されてしまっていたようです。

実際に使用した旅客が金沢あたりで途中下車をしようとして、トラブルになることはなかったのでしょうか?

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明知駅発行 恵那ゆき片道乗車券

前回および前々回に明知鉄道の明智駅で発行された恵那ゆき片道乗車券を御紹介いたしましたが、手元に国鉄明知線時代の同区間の乗車券がございましたので御紹介いたしましょう。

昭和58年9月に明知線(現・明知鉄道)の明知駅(現・明智駅)で発行された、恵那ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、名古屋印刷場で調製されたものです。
国鉄当時は「明知駅」という駅でしたが、前回エントリーの中で御紹介いたしましたように、明知線が廃止されて第三セクターの明知鉄道に移管されたタイミングで「明智駅」に改称されています。


当時の名古屋鉄道管理局管内では、他の管理局同様に近距離乗車券については金額式が一般的でしたが、硬券口座については一部の券を一般式券として発行しています。
このような現象は名古屋局だけではなく全国的に多数例があり、理由はわかりませんが、敢えて口座が多くなってしまうリスクがあっても、車掌が現場で集札する際に乗車券の有効区間が一目瞭然になって確認の時間が短縮できるようにされたものと思われます。

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明知鉄道 明智駅発行 恵那ゆき片道乗車券 ~その2

前回エントリーで明知鉄道明智駅で発行された恵那ゆきの片道乗車券を御紹介いたしました。平成2年当時は活版印刷で調製された券が発売されていましたが、それから19年後の平成21年7月に訪問した際には新しい印版印刷の券に変わっていましたので御紹介いたしましょう。


こちらは前回御紹介いたしました、平成2年に発行された、活版印刷による券です。


   


日本交通印刷で調製された活版印刷による硬券は、印刷の圧にムラがあるのか、文字に濃淡があって均一感のないものが散見されますが、この券は比較的安定した印刷となっていました。


   


こちらは平成21年7月に発行された、印版印刷となった新券です。写真だとあまり違いが分かりませんが、現物を比較すると明確にわかります。

特に、活版印刷券では着駅の「恵那」の文字に歪みがありますが、印版印刷券はきれいに整っています。また、活字の字体はほぼ同一ですが、「発売当日限り有効」の文言は双方の字体が顕著に違っています。

該当部分を比較して見てみましょう。まずは「恵那」の文字です。


   


上が活版印刷のもので、下が印版印刷のものです。活版印刷より印版印刷のほうが若干フォントが太く、活版印刷に見られた歪みは印版印刷には見られません。

次に「発売当日限り有効」の文言です。


   


上が活版印刷のもので、下が印版印刷のものです。活版印刷より印版印刷のほうが若干フォントが横に大きく、活版印刷に見られた若干の歪みが印版印刷には見られません。

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明知鉄道 明智駅発行 恵那ゆき片道乗車券

平成2年11月に明知鉄道の明智駅で発行された、恵那ゆきの片道乗車券です。


   


桃色明知鉄道自社地紋のA型一般式大人・小児用券で、日本交通印刷で調製されたものです。


明知鉄道明智駅の開業当初の駅名である「明知」は当時の自治体が「明知町」であったために制定された駅名ですが、明知町は戦後静波村という村と合併し、合併後の町名を「明智町」としたため、昭和60年の第三セクター移管時に新町名に合わせ、明智駅に改称しています。しかし、旧町名の「明知」は明知城に由来し、現在でも会社名は「明知鉄道」で、路線名も「明知線」を名乗っており、会社名・線名と駅名の表記が合わないため、御紹介の券についても会社名の「明知」と発駅名の「明智」が噛み合わない体裁いなっています。

ちなみに、新町名であった「明智町」平成の大合併によって消滅しており、現在は恵那市の市内町名となっています。


明知鉄道は、JR中央西線恵那駅から明智駅に至る路線で、旧国鉄明知線が廃止された際に第三セクターとして移管された路線です。営業キロは25.1kmしかありませんが、峠を2つ越えるという急勾配と急曲線の連続する山岳路線となっています。
この路線の特徴として、第三セクター移管後に運輸省(現・国土交通省)の特認を受けて新設された飯沼駅と野志駅は、鋼索鉄道を除いた日本の普通鉄道線において第1位と第2位の急勾配の途中に設置された駅となっており、開業にあたり、運輸省の担当官立ち会いのもと、停車・発進の安全性確認テストを繰り返し、特認により設置が認められた駅として有名です。

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池袋駅発行 池袋から120円区間ゆき片道乗車券

前回エントリーで国鉄時代の池袋駅では比較的遅くまで硬券の普通入場券を発売していたと申し上げましたが、同窓口では近距離乗車券も発売しており、そのために日中は行列が絶えない状態になっていました。当日、普通入場券と同時に「〇14番」窓口で購入した池袋から120円区間ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型大人専用金額式券で、東京印刷場で調製されたものです。普通入場券同様、菅沼式のダッチングマシーンで発行日が打刻されています。
発行箇所名の前にある「〇14」の符号が窓口番号を表し、後にある「〇17」の符号は循環符号となっています。


同駅ではこのような近距離硬券が券売機横の窓口で日常的に発売されており、その発売枚数は莫大なものでした。改札口で入場する旅客が所持する乗車券を観察すると、5枚から6枚に1枚程度が硬券であったように感じます。関東地区の国鉄駅で使用する改札鋏は柄がぶつかってカチカチ鳴るタイプのものが使用されていましたが、頻繁に硬券が来る事態は、力を入れて鋏を握らなければならないばかりか、柄の部分に手の甲を挟んでしまった時は痛いだけでなく確実に血豆ができてしまいましたので、改札掛にとっては大変重労働であったものと想像できます。

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池袋駅発行 普通入場券

昭和58年11月に池袋駅で発行された普通入場券です。


   


白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

同駅は都内でも有数の巨大ターミナル駅で利用客が大変多い駅ですが、軟券化(硬券を廃止して印発機もしくはマルス端末を導入すること)が比較的遅く、まだ硬券の普通入場券が発売されていました。
この券を発売していた「〇14番」窓口は近距離きっぷ用の券売機が並んでいる場所に存在し、マルス端末の設置はなく、大きな硬券箱と若草色に塗られた菅沼式ダッチングマシーンが鎮座している窓口でした。

指定券類を発売する「みどりの窓口」ではありませんでしたが、日中はいつも混雑していて行列の絶えない窓口でした。

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