新十津川駅発行 普通入場券

本年5月6日を以って正式に廃止された札沼線の新十津川駅ですが、かつては有人駅でありましたため、有人駅時代は普通入場券の発売も行われていました。


   

1982(昭和57)年3月に新十津川駅で発行された普通入場券です。
白色無地紋のB型大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。

この券が発行された当時の国鉄の入場料金は、営業キロ1~3kmの運賃と同額の110円でありましたが、同駅が無人化されたのはこの券が発売されてから4年後の1986(昭和61)年3月でしたので、有人駅末期の同駅では120円券までが発売されていたことになります。


永らく札沼線関連の記事をエントリーして参りましたが、ここで一区切りつけたいと思います。

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新十津川駅発行 新十津川から下徳富・南下徳富間ゆき 片道乗車券

前回エントリーで、JR東日本品川駅の指定券券売機で発行された、JR北海道札沼線の新十津川から下徳富・南下徳富間ゆきの片道乗車券を御紹介いたしましたので、今回は国鉄時代の新十津川駅で発行された、新十津川から下徳富ゆきの片道乗車券を御紹介致しましょう。


   

1984(昭和59)年7月に新十津川駅で発行された、下徳富・南下徳富間ゆきの片道乗車券です。
桃色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、札幌印刷場で調製されたものです。


当時の同駅は「しんとつわ」駅という駅でしたが、1997(平成9)年4月に「しんとつわ」駅と、漢字名は変更ありませんでしたが、読み方が変更されています。
この券が発行された頃の新十津川駅は、その先の新十津川駅~石狩沼田駅間の路線が1972(昭和47)年6月に廃止されてから12年の年月が経過していますが、その頃はまだ有人駅となっており、乗車券類の発売が行われていました。しかしながら、この券が発行されてから約2年後の1986(昭和61)年3月に無人化されています。

着駅である下徳富(しもとっぷ)駅も無人駅ですが、昭和50年代中頃までは有人駅として乗車券の発売が行われていました。駅には有人駅であったことを窺わせるような待合室がありましたが、晩年は1日あたりの乗降者数が1名以下という駅だったようです。
また、もうひとつの着駅である南下徳富駅は当初から無人駅であったようで、やはり1日あたりの乗降者数は1名以下であったようです。


ところで、この券の着駅は「下徳富・南下徳富ゆき」となっていますが、下徳富駅と南下徳富駅の間には駅はありません。晩年は廃駅になってしまっていますが、新十津川駅と下徳富駅の間に2006(平成18)年まで中徳富駅という無人駅が存在していましたが、この表記に中徳富駅は関係なさそうです。

新十津川駅と中徳富駅の間の営業キロは2.6kmで、中徳富駅と下徳富駅の間の営業キロは2.4kmであり、新十津川駅と下徳富駅の間の営業キロはちょうど5.0kmになります。また、下徳富駅と南下徳富駅の間の営業キロは2.1kmであり、新十津川駅と南下徳富駅の間の営業キロは7.1kmになります。
そうなりますと、この券の有効区間の営業キロは5.0km~7.1kmということになり、国鉄の営業キロ帯では4~10km帯に相当しますので、共通着駅間に駅が無いということは「下徳富・南下徳富ゆき」という表記は印刷ミスであり、本来であれば「下徳富・南下徳富ゆき」となるのが正当ではないかと思われます。

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JR北海道 新十津川から下徳富ゆき 片道乗車券

2020年4月にJR東日本品川駅の指定席券売機で発行された、JR北海道札沼線の新十津川駅から下徳富駅ゆきの片道乗車券です。


   


青色JRE地紋の共通指定券券紙で発行された85㎜券となります。


本来であれば本日の14時17分に同駅を出発する臨時快速列車が同駅から北海道医療大学前駅間の最終列車となるはずでしたが、新型コロナウイルスの影響によって本年4月17日の10時00分に同駅を出発した列車を最後に運休状態となったまま、廃止日である明日を迎えることになってしまいました。

この券や実際の営業終了日である4月17日に購入したもので、乗車日を営業最終日分として購入いたしました。
購入した時間は17日の17時30分ごろでしたが、まだマルスシステムでは発券停止となっていなかったようで、本来であればもう列車が運転されない時刻に、運転されることない乗車日の乗車券として発売されています。

実態は不明ですが、購入時に北海道医療大学駅から石狩金沢駅ゆきの乗車券も購入しようとしましたが、すでに石狩金沢駅はリストに出てくることは無く、購入することはできませんでした。その代わり、北海道医療大学駅から新十津川駅までの区間は購入することが出来ました。


   


こちらが同時に購入した、北海道医療大学から新十津川までの片道乗車券です。
もうすでに誤発券による営業事故を防止するための処置が行われていたものと思われますが、もしかすると、特定の区間については「記念用」として発券可能なように設定してあったのかも知れません。

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新宿駅発行 普通入場券

1983(昭和58)年8月に新宿駅で発行された普通入場券です。

   

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

前回エントリーの渋谷駅もそうですが、日本一乗降客数を誇る新宿駅でも、国鉄末期まで硬券の発売が行われていました。小田急電鉄との乗換精算窓口ではJR化後も硬券の乗車券が発売されていたくらいです。

国鉄窓口で最後まで硬券が発売されていた窓口は「〇52」窓口という南口の甲州街道に面した窓口で、普通入場券や乗車券の他、急行券類についても設備されており、比較的大きな硬券箱が置かれており、昭和58年か59年頃に軟券化されたという記憶があります。


新宿駅も多くの人出があることから、このところの新型コロナウイルスの報道でテレビの画面に映し出されております。
1日でも早い感染の終息を心よりお祈り申し上げる次第です。

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渋谷駅発行 普通入場券

1983(昭和58)年3月に山手線渋谷駅で発行された普通入場券です。

  

白色無地紋のB型大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものになります。

本年4月に新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が7都府県に発令されて以来、報道の画面に良く渋谷駅のハチ公広場が映し出されます。いかに渋谷駅周辺は人出が多いかということを象徴しているわけですが、そのような渋谷駅でも、かつては御紹介のような硬券の普通入場券が発売されていました。
今の混雑した渋谷駅で、あたりまえのように硬券が発売されていたことを想像できない方も多いかと思います。

なかなか収束しない新型コロナウィルスですが、今もってなお、感染被害を受けている患者様が多数いらっしゃられています。一日も早くこの事態が終息し、平穏な生活を取り戻せるよう心から願っております。また、治療の甲斐なくお亡くなりになられた方々には、謹んでお悔やみを申し上げますとともに、罹患されている方々に、心よりお見舞い申し上げます。

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