先住民族関連ニュース

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象徴空間 宇梶さんPR

2018-08-14 | アイヌ民族関連
読売新聞 2018年08月12日
白老20年オープン アンバサダー就任
 白老町に2020年4月24日オープンするアイヌ民族に関する国立施設「民族共生象徴空間」をPRするアンバサダーに、アイヌ民族にルーツがある俳優の宇梶剛士さん(55)が就任する。
 道が10日に発表した。高橋はるみ知事は「全国的に知名度の高い俳優で、発信力に期待している」と述べた。25日には札幌市のJRタワー「プラニスホール」(札幌エスタ11階)で一般客も招き、宇梶さんの就任式を開催する。また、23~29日にJR札幌駅西口でアイヌ民族衣装の試着やVR(仮想現実)でアイヌ住居「チセ」を体験するイベントを開催する。
https://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20180813-OYTNT50268.html

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<石川文洋80歳 列島縦断あるき旅>4 大河に神様のいる場所 40年前撮影で交流続く 旭川―岩見沢

2018-08-14 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/14 05:00

神居古潭を流れる石狩川。両岸が狭まり激流が渦を巻く=7月31日、旭川市(撮影・石川文洋) 7月30日 歩行を中断した比布トンネルまで、元専修大北海道短期大学長の寺本千名夫先生が車で送ってくださった。歩きだすと、旭岳を主峰とする大雪山系が見えた。
 31日 神居古潭まで歩く。カムイコタンは神様のいる場所という意味。石狩川の激流を行く舟が大きな岩にぶつかる難所で、アイヌは神(カムイ)に無事を祈ったという。
 深川市のホテルに馬場節子さん夫妻が待っていた。1977年、大寒波を取材した。忠別川の旭川大橋を渡る途中、息で髪が凍っている馬場さんを撮影し「アサヒグラフ」に掲載された。15年前の徒歩の旅では3人のお嬢さんも会いに来てくださった。一昨年の旭川での写真展には、お孫さんも一緒。ゆったりと流れる忠別川のように、私たちの歳月もずいぶんと流れたことになる。
 8月1日 石狩川に架かる妹背牛橋から国道に出るまで時間がかかった。太陽が頭上にある。今年は暑いと北海道の人も悲鳴を上げている。私も絶えずペットボトルで水を飲み、あめや乾燥梅干しで塩分補給している。
 2日 滝川市内に「ステーキとハンバーグ」の店があった。近年、このような料理は食べないが、力をつけるために入った。チーズバーガー、サラダバー、サフラン飯カレーなどのコース。これが良かったのか、足取りも軽くリュックの重さも気にならなくなった。
 3日 農場の横に、開拓時代に建てたと思われる古い農家が残っていた。昔の家を見るのが好きだ。開拓民の苦労が想像される。徒歩の旅の楽しさはシャッターを押したくなる光景がたくさんあることだろう。26日間で4千枚近く撮影した。「写真は心で撮ろう」という本を前に出したが、それだけ心を動かされたことになる。
 ベトナム戦争中に従軍して撮った写真は約1万5千枚ある。その枚数だけ戦争の中で心に触れる経験をしたことになる。
 急に疲れを感じた。寺本さんが自転車で様子を見に来られた。休憩を取る回数が多くなる。これまでは、どんなに遅く歩いても休憩を取ろうとは思わなかったのだが。
 4日 寺本さんが車で三菱と三井の美唄炭鉱跡へ案内してくださる。山奥に立て坑巻き上げ機2基があった。住宅跡には当時の建物が残り、現在も使っている家もある。日本の歴史の一部を見たような気持ちになった。
 夕張炭鉱が出てくる山田洋次監督の映画「幸福の黄色いハンカチ」が好きだ。土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」は炭鉱で生活する人々を表現した傑作と思っている。
 今日は好調だ。リュックも軽く感じ、1時間3キロ歩くことも。寺本さんは回復を喜んでくれた。
 5日 休養の日。甲子園の入場式を見た。故郷の沖縄と現在住む長野の高校。そして、歩いて来たばかりの旭川大高校を応援しようと思った。

いしかわ・ぶんよう 1938年那覇市生まれ。65年から68年までベトナムに滞在し、ベトナム戦争の最前線を撮影した。カンボジア、アフガニスタンなどの戦場や沖縄の基地問題の写真でも知られる。著書に「戦場カメラマン」「日本縦断 徒歩の旅」など。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/218077

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