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木彫作家・藤戸竹喜さんに道功労賞 「阿寒の誇り」喜ぶ地元

2018-08-16 | アイヌ民族関連
北海道新聞08/15 05:00

【阿寒湖温泉】釧路市阿寒町阿寒湖温泉の木彫作家藤戸竹喜さん(83)が、道内の経済や文化発展に貢献した個人・団体を表彰する本年度の道功労賞に選ばれた。毛並みや表情までダイナミックに再現した木彫り熊や、アイヌ民族の先人を表現した等身大の人物像などで道内の文化振興に貢献したことが高く評価された。地元関係者から「阿寒の誇り」と喜びの声が上がっている。
 藤戸さんは旭川市出身のアイヌ民族。熊彫り職人だった父のもとで幼少期から木彫りを始め、1964年に阿寒湖温泉で民芸店を開業。71年にモスクワのレーニン博物館に「レーニン胸像」を納めたほか、94年には、米国スミソニアン国立自然史博物館に作品が展示されるなど海外でも活躍し、14年にJR札幌駅にエカシ(長老)像が展示された。
 昨年10~12月に札幌芸術の森美術館で開かれた個展「木彫家 藤戸竹喜の世界」には1万2千人が来場。同展は今年1~3月に国立民族学博物館(大阪府吹田市)でも開催され、2万5千人が訪れた。
 阿寒観光協会まちづくり推進機構の大西雅之理事長は藤戸さんの功労賞受賞を「木彫り一筋に生きてきたアイヌ芸術家をたたえる最高の栄誉。受賞は郷土阿寒の宝であり、アイヌ民族全体の誇りとも言えるはず」と喜ぶ。
 藤戸さんは現在入院中で、妻の茂子さん(69)は「藤戸は、受賞を『闘病の励みになる』と喜んでいる。支えてくれた多くの方のおかげ」と感謝を示した。
 阿寒湖温泉からの同賞受賞は、1983年の前田一歩園財団初代理事長・故前田光子さん以来2人目。(佐竹直子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/218507

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アイヌから奪われた「先住民の権利」とは何か

2018-08-16 | アイヌ民族関連
WEBRONZA 2018年08月15日
杉田聡 帯広畜産大学教授(哲学・思想史)

サケを祭壇に供え、川の神に祈るアイヌの儀式「ペッカムイノミ」=2015年、白老町
連載 「北海道150年」事業への疑問
 前回、先住民の権利にふれた。だが、そもそも先住民の権利とはいかなるものか。国連の「先住民族の権利宣言」(2007年)に見るように、それは多くの権利を包括するが、ここでは同前文で唯一強調された権利を中心に論ずる。
土地、領域および資源に対する権利
 同宣言において唯一前文に記されたのは、「土地、領域および資源」に対する権利である。それは条文としては第25~28条に記されている。この権利は、北海道ウタリ協会(当時)による「アイヌ民族に関する法律(案)」(1984年)の条文では不明確だが、それに先立つ法の制定理由において強調されている。そこには、「土地も森も海もうばわれ、鹿をとれば密猟、鮭を取れば密漁、薪をとれば盗伐とされ、一方、和人移民が洪水のように流れこみ、すさまじい乱開発が始まり、アイヌ民族はまさに生存そのものを脅かされるにいたった」と、開拓がアイヌにもたらした苛酷な歴史的現実が記されている(『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、2017年、13頁、以下『概説』と略記)。
 小野有五氏はこれを意識してか、先住民族の権利として、「自治権」「土地権」の他に「自然環境の管理権」(後述)をあげている(小野有五他著、北大大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編『先住民族のガバナンス――自治権と自然環境の管理をめぐって』同センター発行、2004年、5頁)。
アイヌの先住権が認められなければならない
 そもそもアイヌは、かつて自在に行使することができた各種の権利を(権利意識などないままに)有していた。鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、言いかえれば河川・山の利用権等がそれである。
 だが「開拓使」はそれらの権利を剥奪した。北海道という名称付与もアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)の無主地扱いもそうだが、これらはアイヌに何の相談もなしに開拓使が決め、後に3県庁(函館県・札幌県・根室県)および道庁がより大きな規模で追認した施策である。特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に従来の採取生活を続け得べき広大な未処分未開地」(高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、534頁)をアイヌから最終的に奪いとった。
 来るべき「アイヌ新法」を考えるとき、これらの事実を深刻に受け止めなければならない。言いかえれば、アイヌから奪われた各種の権利をアイヌの先住権として認めなければならない。だがこれまで、日本政府は一度もその先住権を認めたためしはない。「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書も、一部のあまり意味のない場合以外は「権利」という言葉を巧みに避けている。使われるのは「先住民族の権利宣言」にふれる場合だけである。しかも同宣言がアイヌ政策に積極的な意味をもつと認めているのに(22頁)、それでも権利という言葉を用いないとすれば、「有識者」の名を汚す。「懇談会」といえども、政府に対してはっきりと物を言うのでなければ存在価値はない。
 なるほど「アイヌ文化振興法」の衆参両院内閣委員会での附帯決議には、「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実であり……」とある(『概説』16頁)。また後に衆参両院は、ひいては日本政府は、アイヌを先住民であるとはっきり認めた(2008年)。だが、「旧土人」という言葉に見るように、アイヌの先住性自体が歴史的に疑われたことは、実際はない。問題は先住民としての法的権利=先住権を認めるかどうかである。
土地・資源の所有・利用権――国公有林・社有林等の返還 ・・・続きを読む
(残り:約1570文字/本文:約4518文字)
http://webronza.asahi.com/culture/articles/2018081400004.html

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浦河でアイヌ料理体験

2018-08-16 | アイヌ民族関連
日高報知新聞 2018.08.13日高報知新聞

 札幌大学でアイヌ文化を学ぶウレシパクラブの学生19人が8日、浦河町でアイヌ料理を手伝い、伝統料理を味わった。
 「ウレシパ」はアイヌ語で「育て合う」の意味。札幌大学は平成22年度からアイヌ民族の子弟を対象に、4年間の授業料や入学金を全額支援するウレシパ奨学金制度を導入。奨学生は一般学生も参加のウレシパクラブで週2回、夜にアイヌ語や文化・歴史を学んでいる。
 夏休みには毎年道内各地で合宿し、アイヌ関連施設の視察や関係者からアイヌ文化について知識を深めており、今回は3泊4日で平取や新ひだか町、帯広市周辺と初めて浦河町を訪れた。
 合宿には同クラブ会長でアイヌ文化やアイヌ史が専門の本田優子教授が同行。8日はアイヌ文化に造詣が深い様似町教委の大野徹人さんから話を聞き、浦河町の堺町生活館でアイヌ生活相談員の堀悦子さんらの指導で、アイヌ料理の調理を手伝った。
 メニューはキンキのたたき(チタタプ)、野菜具だくさんのサケ汁(チェプオハウ)やサケの白子焼、昆布ダレの団子(コンブシト)、アワ入りご飯などで、学生たちは魚のさばき方や臼で米を粉にする作業などを体験。食事後はこの地方に伝わるアイヌの踊りなども学んだ。
 学生の中には日高管内の出身者も。えりも町出身(えりも高卒)の岩谷実咲さんは「地元にもしっかりアイヌ文化が根付いていることを知り、大野さんから詳しい話を聞き勉強になった。もっと日高のアイヌ文化について学ぶ必要性を感じた」と話していた。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/7265

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バンクーバー美術館で日系人アーティストと先住民族アーティストの共同展

2018-08-16 | 先住民族関連
バンクーバー経済新聞 2018.08.15

日系カナダ人アーティストのアユミ・ゴトウさん
 日本人アーティストと先住民族アーティストの共同展示「how do you carry the land?」が現在、バンクーバー美術館(750 Hornby St. Vancouver TEL 604-662-4719)で行われている。
「how do you carry the land?」展示
 差別と和解、土地への思いを映像、パフォーミングアート、写真、往復書簡などを通して表現する。日系カナダ人アーティストのアユミ・ゴトウさんと、タルタン族出身のピーター・モリンさんは長年の親友同士。2013年以来バックグラウンドの違いを超えて、共同でカナダという土地への思いを表現している。
 ゴトウさんは日系人としてアートを通し文化的、人種的な自分の所属する場所を探求しており「差別され苦労した日系人も(先住民族の人々と同様に)和解、許しという過程を通ってきた」と言う。「日系人だけではないが、新しい祖国として移民たちが生活の基盤を作っている土地は先住民族の土地なのだというつながりは強く感じている。自分はカナダ生まれのカナダ人だが、もしかしたら日本でまるで違った人生を歩いたかもしれない。ここにいる意味というものを考える」と制作の意図を話す。
 会場にはゴトウさんが制作したでんでん太鼓、モリンさんが制作したガラガラ、友人の先住民族アーティスト制作のマスクなどを展示する。
 開館時間は10時~17時(火曜・金曜は21時まで)。入館料は一般=24カナダドル、シニア(65歳以上)=20カナダドル、学生=18カナダドル。10月28日まで。
https://vancouver.keizai.biz/headline/2506/

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マレーシア、観光誘致ロゴに批判止まず作り直し「オランウータンがサングラス? あり得ない!」

2018-08-16 | 先住民族関連
ニュースウイーク 2018年8月15日(水)16時30分 大塚智彦(PanAsiaNews)

政権交代によってマレーシア観光芸術文化省は観光客誘致キャンペーンのロゴを作り直すことに
<日本同様マレーシアも2020年まで観光客誘致に力を入れているが、政権交代で批判の多かったキャンペーンロゴがさっそく作り直しの事態になっている。>
2017年から2020年までを「マレーシア観光年」として国際的に観光誘致を官民挙げて進めているマレーシア政府が8月14日、すでに発表された観光促進ロゴを変更することを決めた。理由は「あまりに時代遅れでダサい!」と国民の間から嘲笑の的になっていることを重く受け止めた結果という。
問題となっていたロゴは全体として切手のデザインで「ビジット マレーシア2020年 トラベル・エンジョイ・リスペクト」の文字とともに首都クアラルンプールの象徴でもあるペトロナスタワー(ツインタワー)が中心に描かれ、2020の二つの0の部分に椰子と海と亀のイラストとオランウータンとテングザルが並ぶ様子が描かれている。
2018年1月にこのロゴがマレーシア観光芸術文化省などで発表された直後から、国民の間で議論が沸騰、大半がロゴに反発するものだった。
なぜ亀、オランウータンがサングラス
国民の不満、批判が集中したのは、ロゴに登場する亀、オランウータン、テングザルというマレーシアを代表する動物がそろってサングラスをかけていることだ。
ネットなどに書きこまれた国民の不満は「時代錯誤であり、センスがない」「醜く不愉快」「サングラスをかける意味が不明」「亀、オランウータン、テングザルはサングラスをかけることはない」「標語にリスペクトとあるが動物へのリスペクが感じられない」など酷評に次ぐ酷評で、一部ではロゴ変更を求める署名運動も起き、数千人が名前を連ねたという。
こうした不満、批判の声に対して当時のナズリ・アブドゥール・アジズ観光芸術文化大臣は「ロゴを変更するつもりはない」として強硬姿勢を維持していた。
ところが2018年5月のマレーシア総選挙でそれまでのナジブ政権が野党連合に敗れ、政権交代が実現し、それに伴い観光行政のトップである大臣も交代した。
マハティール元首相率いる新政権で観光芸術文化大臣に抜擢されたのはモハマディン・ケタピ氏でボルネオ島サバ州の先住民族系という異色の大臣だった。
オランウータンは最も人間に近い類人猿でインドネシアとマレーシアにしか生息しない絶滅の危機に瀕した動物である。新大臣の出身地サバ州のセピロクには絶滅の危機に瀕したオランウータンのリハビリセンターがあり、密輸やペットから保護されたオランウータンを自然の森に返すためのリハビリが行われている。
コンテストで近く新デザイン
ケタピ大臣は地元メディアに対し「現在のロゴは変更する。そのための新デザインを決めるコンテストを近く開催したい」と変更することを決断した。
この決定に対し、Face Bookなどのインターネット上では「ついに醜く酷いロゴが変わることになった!」と歓迎する声があふれている。
この決定を受けてマレーシア観光局のインターネットのホームページ「ツーリズム・マレーシア」ではロゴが消え、ダウンロードもできなくなっている。ただし同ページでは評判が悪かったロゴについて「シンプルかつパワフルなデザインでマレーシアの多様多彩な観光資源をよく表している。オランウータンとテングザルは貴重なマレーシアの野生動物である」などと高く評価している文章がまだそのまま残されている。
魅力ある観光スポットの数々
マレーシアはマラッカ海峡の歴史的都市群やレンゴン渓谷の考古遺跡、ボルネオ島サバ州にあるキナバル山(標高4095メートル)を擁する自然公園、洞窟群とジャングルトレッキングのグヌン・ムル国立公園という文化、自然の世界遺産があるほか、ペナン島、ランカウイ島、ティオマン島などのリゾート島、
カジノのゲンティンハイランド、シルク王ジム・トンプソンが消息を絶ったキャメロンハイランドなど多くの観光スポットがある。
東南アジアの中では治安は比較的よく、イギリス連邦から独立したため英語もよく通じることや、マレー、中国、インドの民族と文化が混在する多様性も魅力となっている。
だが、マレーシアは観光キャンペーン期間の2017年から2020年までの間、毎年3600万人の観光客を誘致する構想を描いていたが、2016年の総観光客数が2676万人、2017年は2540万人と微減するなど、キャンペーンの効果は今のところ出ていないというのが実情だ。
このため政府、観光業界の総力を挙げて観光客誘致を進めているところで、評判の極めて悪かった「キャンペーンロゴ」の見直しはその一環となる。
もっともケタピ大臣は「これまでのロゴを全面的に破棄して変更するというより、改良する形で早期に新しいロゴを決めたい」としており、果たしてどんな新ロゴが誕生するか国民の期待が集まっている。
[執筆者]大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/08/post-10787.php

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【終戦の日に読む英霊列伝】台湾先住民からなる、最強の「高砂義勇隊」(7/17付記事より)

2018-08-16 | 先住民族関連
ザ リバティウエブ 2018.08.15

(画像はWikipediaより)
平成最後の「終戦の日」となった。本欄では英霊に感謝を捧げるべく、過去に掲載した「英霊列伝」を再掲する。
統治時代に台湾を近代化させた日本
日清戦争に勝利した日本は1895年、下関講和条約によって、清国より台湾の割譲を受けます。これによって台湾は日本の統治下に入りました。
歴史をひもとくと、台湾には古代から先住民が暮らしていましたが、1624年のオランダからの侵略を皮切りに、圧政と搾取の歴史が続いていました。
日本に割譲された当時、台湾は清朝政府から「中華文明の及ばない、風土病の地」と呼ばれ、見捨てられていました。衛生環境が悪く、伝染病が広がりやすい気候風土の中、多くの人が病気に命を奪われていたのです。
統治を始めた日本はすぐに衛生環境を整備し、風土病の撲滅に力を入れます。同時に巨額の資金を投じて教育や就労環境を整え、インフラ整備を行い、台湾を近代化させたのです。
大東亜戦争勃発後は、戦線の拡大とともに、1942年に施行された陸軍特別志願兵制度により、台湾人にも軍人の門戸が開かれます。
日本に恩義を感じていた台湾の青年たちは、志願を許されたことを最高の喜びと思ったといいます。「自分たちも日本兵として、内地の日本人と一緒に戦い、祖国を守るんだ!」と、応募が殺到。約1千人の募集に対し、40万人もの熱烈な志願がありました。
高い倍率の中から選ばれた青年たちは日本に渡り、軍の学校などで厳しい訓練を積み、軍人として各地に配属されていったのです。
日本軍最強とも呼ばれた台湾の先住民による高砂義勇隊
台湾出身の日本兵の中でも、特に多大なる貢献をした「高砂義勇隊」と呼ばれる先住民志願兵たちがいます。
「高砂族」は、アミ族やタイヤル族など9つの台湾の先住民の総称です。彼らは主に山地や台湾東部に暮らすため、ジャングルでのサバイバル法を熟知していました。目や耳がよく、脚も強く、天才的な勘を持ち、一度見た山の形は忘れなかったといいます。
マレー・ポリネシアン系の言語も話すため、フィリピンやボルネオ、ニューギニアなどの南方戦線で、通訳としても活躍。彼らのおかげで、現地の部族と友好関係を結ぶこともできたのです。
先祖伝来の「蕃刀(ばんとう)」でジャングルを切り開き、果敢に敵に向かっていく彼らは、数々の戦線で大活躍します。彼らの働きに感謝し、尊敬する日本兵も多く、ニューギニアのブナにおける戦闘では、作戦を指揮した山本重省陸軍大佐が、高砂義勇隊の戦いぶりに感謝を込めた遺書を遺して玉砕しています。
義勇隊員が見せた大和魂 今も台湾に息づく「日本精神」
日本軍最強とも呼ばれた高砂義勇隊ですが、ただ戦闘能力に優れていただけではありませんでした。
日本兵としての誇りを持ち、仲間思いで、使命に忠実だった彼らには、確かに大和魂が宿っていました。1943年の毎日新聞に、「ニューギニアからの便」として、福湯海軍報道班員が綴った記事からも、それを感じることができます。概要を以下に掲載します。
ニューギニアの戦場でカメラマンとともに道に迷った福湯氏は、4人の日本兵が駐屯しているテントに導かれます。食料不足で困っている兵隊たちに、福湯氏たちは持っていたおにぎりを差し出しました。
「おお、白い握り飯!」と、兵隊たちが宝物を拝むように口に運ぼうとした瞬間、その中の一人が急に立ち上がり、そばに建てられた粗末な墓に向かいます。そして墓前におにぎりを供え、「俺にはこの握り飯は食えない」と慟哭したのです。
別の兵隊が、この墓には高砂義勇隊員が眠っていると説明しました。食料のない日が何日も続き、その義勇隊員は、ずっと後方の兵站基地まで食料を取りに向かいました。ところが何日経っても戻らず、探したところ、彼は遺体で発見されました。50キロの米を担いだまま、ジャングルの中で飢え死にしていたのです。
話しながら、兵隊の眼には涙があふれていたと、福湯氏は記しています。
飢餓状態にありながら、背中の米には手をつけず、一刻も早く戦友に食料を運ぼうとする――。仲間を助けることは、日本を守ると言う大義につながると、その義勇隊員は悟っていたのでしょう。己の命を顧みないその働きは、大和魂そのものといえます。高砂義勇隊は、大東亜戦争において、紛れもなく「日本兵」だったのです。
当時の話を聞かれた、ある元高砂義勇隊員は、「心から日本を愛し、日本のために戦った。今も日本人の誇りを持ち続けている」と語っています。
台湾出身の元軍人や、日本統治時代を知る人たちは、戦後も「日本精神(リップンチェンシン)」を持ち続けているといいます。責任感や勤勉さ、公正さ、規律、愛国心など、戦前の日本人が持っていた高貴な精神のことを指すそうです。
日本の先人たちの誠実な生き方は、「日本精神」として、今も台湾に伝わっています。今こそ、脈々と受け継がれている日本人としての精神を、見つめ直すときかもしれません。
(駒井春香)
https://the-liberty.com/article.php?item_id=14762

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高雄代理市長、フェイスパック姿で市産アイギョクシをPR/台湾

2018-08-16 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2018/08/15 18:14

フェイスパック姿で地元産のアイギョクシをアピールする高雄市の許立明代理市長(右)と原住民事務委員会の谷縦・喀勒芳安主任委員=同市政府提供
(高雄 15日 中央社)南部・高雄市で生産される良質なアイギョクシ(愛玉子)の消費拡大を目指し、許立明代理市長が14日、自らアイギョクシのパックを顔に乗せてトップセールスを行った。パック後の感想は「ひんやりして潤いたっぷり」。美しくなりたい女性はぜひ、と呼び掛けた。
同PRイベントに臨んだ同市政府原住民(先住民)事務委員会の谷縦・喀勒芳安主任委員によると、アイギョクシは台湾固有の植物で、先住民の人が多く住む桃源区の栽培面積は約200ヘクタール、生産額は約3000万台湾元(約1億円)に上る。通常は愛玉ゼリー(果実から作られる寒天状のデザート)などとして親しまれる。
食用以外の使い道をアピールするため、同委員会の助言・指導の下で「Kaohsiung Tabakai(山籟愛玉)」ブランドの商品が開発された。ラインナップには、外出先で手軽に楽しめるインスタントの愛玉ゼリーのほか、フェイスパックやせっけんなどが揃うという。
18、19両日には、同市の産業発展を目指すプロジェクトの一環として、アミ族の豊年祭の要素を取り入れたPRイベントが高雄メトロ(MRT)中央公園駅(R9)で開催される予定。
(王淑芬/編集:塚越西穂)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201808150008.aspx

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