朝日新聞 2018年8月20日10時44分
苦難の歴史から新たな扉
和人にとっての「北海道命名150年」は、先住民族のアイヌの人々にとっては苦難の歴史だった。様々な記念の行事を、複雑な思いでとらえるアイヌの人々も少なくない。一方で、アイヌ民族の文化を復興する政策が進められたり、新しい形でアイヌ文化を発信したりする動きが出てきている。(芳垣文子)
文化発信「かっこよく」
「ペナンペです」「パナンペです」「2人合わせてペナンペパナンペです」。 7月中旬、札幌市中央区で開かれたイベントで、川上竜也さん(42)と川上将史さん(36)のお笑いコンビ「ペナンペパナンペ」が登場した。アイヌ語で「ペナンペ」は川上の方の人、「パナンペ」は川下の方の人、という意味だ。
2人ともアイヌ民族の血を引く。名字は同じだが、兄弟や親戚ではない。
「僕らアイヌ文化をベースにお笑いをやってまして、『会いに行けるアイヌ』です」と竜也さん。将史さんが伝統楽器ムックリを取り出し、音色を響かせると、拍手が起きた。
結婚式で椀に盛ったごはんを夫婦で食べ合う習わしや、手先が器用な男性がもてるといったアイヌ民族にまつわる話を織り交ぜ、約30分間のコントを終えた。
2人とも札幌市内の別々のアイヌ関連団体職員。仕事の合間に、手弁当で漫才をしている。練習は仕事の後のカラオケボックス。ときにはカラオケも歌う。
CMにもなった曲「お~い北海道」に「♪おやじのおやじがひらいた土地だよ北海道」という歌詞がある。竜也さんが歌うと、こうなる。「♪おやじのおやじのおやじのおやじの……」。「ひらいた」というフレーズは言わない。
「150年」への思いを聞いてみた。「正直そう単純ではないけれど、水を差すつもりもない。以前よりアイヌに対して配慮されるようになったと思う」と竜也さん。将史さんも同感だ。「北海道はもともとアイヌの土地。節目節目で考えないと、それも忘れられてしまう」。アイヌ民族の歴史を考えるきっかけにして欲しいと感じている。
ひと昔前なら、アイヌ民族という出自をお笑いのネタにするのは難しかった。だが最近は、アイヌ文化をこれまでにない形で表現しようという動きが活発だ。
明治時代の北海道を舞台に、元兵士とアイヌ民族の少女が莫大な財宝を求めて冒険する漫画「ゴールデンカムイ」。連載は2014年にスタート。綿密な取材に基づいたアイヌ語表現や食文化も描かれ、アイヌの人たちにも好評だ。
教育や生活の場でも取り組みが広がる。地域にアイヌ民族の住民が多い平取町の二風谷小学校では、3年前にアイヌ語の授業がスタート。今春には、一部のバス路線で、アイヌ語の車内アナウンスも始まった。
2人はそんな変化を追い風にしようとしている。竜也さんの目標はお笑いコンテスト「M―1グランプリ」で上位に食い込むこと。将史さんの夢は「ラスベガスでコントを披露すること」だ。2人は、こう口をそろえた。
「アイヌのイメージを明るくかっこいいものにしたい」
根強い差別、解消訴える 萱野茂二風谷アイヌ資料館館長・萱野志朗さん
「道は『命名150年』を大々的にうたっているが、1871年の戸籍法でアイヌ民族が日本国に統合されて約150年といった方が的確だろう」
こう語るのは、平取町の萱野茂二風谷(にぶたに)アイヌ資料館館長、萱野志朗さん
(60)だ。父は1994年にアイヌ民族初の国会議員となった故・萱野茂さん。
アイヌ民族にとって150年は苦難の歴史だった。明治政府が設置した開拓使は1871年、男性の耳飾りや女性の入れ墨などアイヌ伝統の風習を禁じる命令を出し、同化を求めた。75年に日本とロシアが「樺太千島交換条約」を結ぶと、樺太や千島に住むアイヌの人々が移住を強いられた。急激な環境変化や伝染病に苦しみ、多くの命が失われた。
志朗さんは50年前の1968年、「北海道開道100年」の記念行事が盛大に行われた時を思い起こす。当時小学4年生だった。自宅のある平取町から家族で札幌に出かけ、大博覧会場で観覧車に乗ったり、ラムネを飲んだりした。
その時は幼くてよく分からなかったが、当時も「アイヌ民族の歴史はもっと前からあるのに、『開道100年』はおかしい」という批判の声があったことを、大人になって知った。
それから50年。差別や格差は依然として残る。道の「アイヌ生活実態調査」(2017年度)によると、大学進学率はアイヌ居住市町村の平均が45・8%なのに対し、アイヌ民族は33・3%にとどまる。2割以上が「差別を受けたことがある」と答えている。
志朗さんは父親同様、アイヌ民族の地位向上に尽力している。国会が「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」を採択した08年、北海道洞爺湖サミット(G8)に合わせ、札幌と平取町で開かれた「先住民族サミットアイヌモシ2008」の統括責任者をつとめた。地元二風谷のラジオ局「FMピパウシ」では、パーソナリティーとして発信を続ける。
「格差が解消しアイヌ民族の生活が向上することは、和人にとっても良いこと、という発想がほしい」
政策・人材育成「先見据えて」
開拓使がアイヌ民族の呼称を「旧土人」に統一したのは、1878(明治11)年のことだ。近代的な土地制度が導入されるなか、アイヌの人々は生活の場を奪われていく。99年、生活に困窮するアイヌの人々を保護するという名目で「旧土人保護法」が制定されるが、実際は同化政策の一環という側面が強かった。
「アイヌ民族法制と憲法」の著書があり、元北大総長でもあるアイヌ民族文化財団の中村睦男理事長(79)は憲法学者として、アイヌ民族を巡る法制度や社会の動きを丹念に追った。この数十年で、アイヌ民族政策や社会の見方が大きく変わってきたとみる。
民族意識の高まりとともに新しい法律を求める動きが広がり、1984年、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)が「アイヌ民族に関する法律案」をまとめる。アイヌ文化を守り、基本的人権の保障や教育の充実などを求めたものだ。
司法でも画期的な判決があった。土地所有者のアイヌ民族が平取町の二風谷(にぶたに)ダムの用地収用取り消しなどを求めた訴訟で、札幌地裁は97年、強制収用の裁決を違法とし、「アイヌ民族を先住民と認める」とする判決を言い渡した。
この年「アイヌ文化振興法」を制定、旧土人保護法はようやく廃止される。
21世紀に入り、2007年、国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択される。これが追い風となり、08年国会で「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」が全会一致で採択された。
当時は福田康夫内閣。道選出の町村信孝官房長官は談話の中で「近代化の過程の中でアイヌの人々が差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止めたい」とし、官邸に有識者懇談会を設置、政府全体でアイヌ政策に取り組むことを明らかにした。
中村さんは「長らくアイヌ民族は北海道という地域の問題と捉えられていた。国会決議をきっかけに、国全体の問題と考えられるようになってきた」と語る。
20年には、白老町にアイヌ文化復興の拠点として「民族共生象徴空間」が開設される。アイヌ新法の制定作業も進む。中村さんは言う。「アイヌ政策に法的な根拠を与え、国が主体となることが求められる。人材を育成し、20年から先を見据えることが重要だ」
◇
次回は9月中旬に掲載予定です。
https://www.asahi.com/articles/CMTW1808200100005.html
苦難の歴史から新たな扉
和人にとっての「北海道命名150年」は、先住民族のアイヌの人々にとっては苦難の歴史だった。様々な記念の行事を、複雑な思いでとらえるアイヌの人々も少なくない。一方で、アイヌ民族の文化を復興する政策が進められたり、新しい形でアイヌ文化を発信したりする動きが出てきている。(芳垣文子)
文化発信「かっこよく」
「ペナンペです」「パナンペです」「2人合わせてペナンペパナンペです」。 7月中旬、札幌市中央区で開かれたイベントで、川上竜也さん(42)と川上将史さん(36)のお笑いコンビ「ペナンペパナンペ」が登場した。アイヌ語で「ペナンペ」は川上の方の人、「パナンペ」は川下の方の人、という意味だ。
2人ともアイヌ民族の血を引く。名字は同じだが、兄弟や親戚ではない。
「僕らアイヌ文化をベースにお笑いをやってまして、『会いに行けるアイヌ』です」と竜也さん。将史さんが伝統楽器ムックリを取り出し、音色を響かせると、拍手が起きた。
結婚式で椀に盛ったごはんを夫婦で食べ合う習わしや、手先が器用な男性がもてるといったアイヌ民族にまつわる話を織り交ぜ、約30分間のコントを終えた。
2人とも札幌市内の別々のアイヌ関連団体職員。仕事の合間に、手弁当で漫才をしている。練習は仕事の後のカラオケボックス。ときにはカラオケも歌う。
CMにもなった曲「お~い北海道」に「♪おやじのおやじがひらいた土地だよ北海道」という歌詞がある。竜也さんが歌うと、こうなる。「♪おやじのおやじのおやじのおやじの……」。「ひらいた」というフレーズは言わない。
「150年」への思いを聞いてみた。「正直そう単純ではないけれど、水を差すつもりもない。以前よりアイヌに対して配慮されるようになったと思う」と竜也さん。将史さんも同感だ。「北海道はもともとアイヌの土地。節目節目で考えないと、それも忘れられてしまう」。アイヌ民族の歴史を考えるきっかけにして欲しいと感じている。
ひと昔前なら、アイヌ民族という出自をお笑いのネタにするのは難しかった。だが最近は、アイヌ文化をこれまでにない形で表現しようという動きが活発だ。
明治時代の北海道を舞台に、元兵士とアイヌ民族の少女が莫大な財宝を求めて冒険する漫画「ゴールデンカムイ」。連載は2014年にスタート。綿密な取材に基づいたアイヌ語表現や食文化も描かれ、アイヌの人たちにも好評だ。
教育や生活の場でも取り組みが広がる。地域にアイヌ民族の住民が多い平取町の二風谷小学校では、3年前にアイヌ語の授業がスタート。今春には、一部のバス路線で、アイヌ語の車内アナウンスも始まった。
2人はそんな変化を追い風にしようとしている。竜也さんの目標はお笑いコンテスト「M―1グランプリ」で上位に食い込むこと。将史さんの夢は「ラスベガスでコントを披露すること」だ。2人は、こう口をそろえた。
「アイヌのイメージを明るくかっこいいものにしたい」
根強い差別、解消訴える 萱野茂二風谷アイヌ資料館館長・萱野志朗さん
「道は『命名150年』を大々的にうたっているが、1871年の戸籍法でアイヌ民族が日本国に統合されて約150年といった方が的確だろう」
こう語るのは、平取町の萱野茂二風谷(にぶたに)アイヌ資料館館長、萱野志朗さん
(60)だ。父は1994年にアイヌ民族初の国会議員となった故・萱野茂さん。
アイヌ民族にとって150年は苦難の歴史だった。明治政府が設置した開拓使は1871年、男性の耳飾りや女性の入れ墨などアイヌ伝統の風習を禁じる命令を出し、同化を求めた。75年に日本とロシアが「樺太千島交換条約」を結ぶと、樺太や千島に住むアイヌの人々が移住を強いられた。急激な環境変化や伝染病に苦しみ、多くの命が失われた。
志朗さんは50年前の1968年、「北海道開道100年」の記念行事が盛大に行われた時を思い起こす。当時小学4年生だった。自宅のある平取町から家族で札幌に出かけ、大博覧会場で観覧車に乗ったり、ラムネを飲んだりした。
その時は幼くてよく分からなかったが、当時も「アイヌ民族の歴史はもっと前からあるのに、『開道100年』はおかしい」という批判の声があったことを、大人になって知った。
それから50年。差別や格差は依然として残る。道の「アイヌ生活実態調査」(2017年度)によると、大学進学率はアイヌ居住市町村の平均が45・8%なのに対し、アイヌ民族は33・3%にとどまる。2割以上が「差別を受けたことがある」と答えている。
志朗さんは父親同様、アイヌ民族の地位向上に尽力している。国会が「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」を採択した08年、北海道洞爺湖サミット(G8)に合わせ、札幌と平取町で開かれた「先住民族サミットアイヌモシ2008」の統括責任者をつとめた。地元二風谷のラジオ局「FMピパウシ」では、パーソナリティーとして発信を続ける。
「格差が解消しアイヌ民族の生活が向上することは、和人にとっても良いこと、という発想がほしい」
政策・人材育成「先見据えて」
開拓使がアイヌ民族の呼称を「旧土人」に統一したのは、1878(明治11)年のことだ。近代的な土地制度が導入されるなか、アイヌの人々は生活の場を奪われていく。99年、生活に困窮するアイヌの人々を保護するという名目で「旧土人保護法」が制定されるが、実際は同化政策の一環という側面が強かった。
「アイヌ民族法制と憲法」の著書があり、元北大総長でもあるアイヌ民族文化財団の中村睦男理事長(79)は憲法学者として、アイヌ民族を巡る法制度や社会の動きを丹念に追った。この数十年で、アイヌ民族政策や社会の見方が大きく変わってきたとみる。
民族意識の高まりとともに新しい法律を求める動きが広がり、1984年、北海道ウタリ協会(現北海道アイヌ協会)が「アイヌ民族に関する法律案」をまとめる。アイヌ文化を守り、基本的人権の保障や教育の充実などを求めたものだ。
司法でも画期的な判決があった。土地所有者のアイヌ民族が平取町の二風谷(にぶたに)ダムの用地収用取り消しなどを求めた訴訟で、札幌地裁は97年、強制収用の裁決を違法とし、「アイヌ民族を先住民と認める」とする判決を言い渡した。
この年「アイヌ文化振興法」を制定、旧土人保護法はようやく廃止される。
21世紀に入り、2007年、国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択される。これが追い風となり、08年国会で「アイヌ民族を先住民とすることを求める決議」が全会一致で採択された。
当時は福田康夫内閣。道選出の町村信孝官房長官は談話の中で「近代化の過程の中でアイヌの人々が差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止めたい」とし、官邸に有識者懇談会を設置、政府全体でアイヌ政策に取り組むことを明らかにした。
中村さんは「長らくアイヌ民族は北海道という地域の問題と捉えられていた。国会決議をきっかけに、国全体の問題と考えられるようになってきた」と語る。
20年には、白老町にアイヌ文化復興の拠点として「民族共生象徴空間」が開設される。アイヌ新法の制定作業も進む。中村さんは言う。「アイヌ政策に法的な根拠を与え、国が主体となることが求められる。人材を育成し、20年から先を見据えることが重要だ」
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次回は9月中旬に掲載予定です。
https://www.asahi.com/articles/CMTW1808200100005.html