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NZ先住民・マオリの男性が来苫 学校や施設で伝統披露

2018-08-24 | 先住民族関連
苫小牧民報 2018/8/23配信

 ニュージーランド先住民のマオリの男性2人が22日、苫小牧市内の小中学校や高齢者福祉施設を訪れ、伝統の歌や踊りを披露した。苫小牧の姉妹都市・ネーピア市のジョリアン・タンガエレさん(24)とコーディ・ホリスさん(27)。マオリ文化初体験の子供らは、2人の情熱的なパフォーマンスに大喜びだった。
 長年、マオリと交流を続ける苫小牧のアイヌ文化伝承グループ苫小牧うぽぽ(佐々木義春会長)が企画。ジョリアンさんは元プロラグビー選手で、現在はマオリ族の小中高一貫校で体育の教師をしている。コーディさんはマオリの伝統的な絵画を描き、タトゥーを彫る芸術家。2人ともマオリの伝統的パフォーマンス団体に所属している。
 21日に来日し、22日は苫小牧市内の錦岡小や啓北中、明徳町の社会福祉法人ふれんど高齢者複合施設2を訪れ、子供たちや高齢者と交流した。
 啓北中では、音楽の授業の一環で体育館に2年生全クラス約130人を集め、マオリの歌を一緒に熱唱。ステージ上では木製の武器を手にマオリの気合と団結を示す舞踊の「ハカ」も披露した。力強い舞いに生徒たちは大興奮。お返しに生徒全員で合唱曲「雲の指標」を歌った。その後も、2人は教室で給食を生徒と一緒に食べるなどして親交を深めていた。
 ジョリアンさんは「子供たちはマオリの歌を覚えるのが早かった」と笑顔。コーディさんは「マオリの文化を日本で披露できてうれしい」と語った。
 啓北中2年1組の金子挙士郎君(13)は「マオリの踊りはとても迫力があって驚いた」と話した。
 苫小牧うぽぽの佐々木会長(67)は「世界の文化を学ぶことは子供たちにとって重要なこと。喜んでもらえてうれしい」と述べた。
 23日は千歳市の末広小学校で交流会を開催。24日は札幌市内で、25日は苫小牧市矢代町の市生活館でそれぞれ地元のアイヌらと懇親を深め、26日に帰国する。
https://www.tomamin.co.jp/news/main/14511/

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アマゾン奥地に未確認の部族 ドローンが撮影(動画)

2018-08-24 | 先住民族関連
www.FNN PRIME 2018年8月24日 金曜 午前1:29
アマゾンの奥地で、未確認の部族を発見。
森の中を弓矢のようなものを持って歩く人。
これは、ブラジルで先住民族の保護にあたっている機関が、ペルーとの国境に近いアマゾンの奥地をドローンで撮影した映像で、21日に公開された。
この機関は、この部族の調査を数年続けてきたが、カメラで撮影できたのは初めてだという。
AP通信によると、映像では16人が確認されたほか、部族にまだ名前は付けられていない。
ブラジルには、100を超える孤立した部族の存在が確認されていて、環境破壊などの影響で存続の危機にあるという。
https://www.fnn.jp/posts/00399337CX

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DaVinci Resolve Studio事例:「アリフ、ザ・プリン(セ)ス」の場合

2018-08-24 | 先住民族関連
PRONEWS 2018-08-23 掲載

写真提供:Modern Cinema Production Co
Blackmagic Designの発表によると、金馬奨受賞作品「アリフ、ザ・プリン(セ)ス」は、URSA Mini 4.6Kデジタルフィルムカメラで撮影され、カラリストのチャン・ゾーイ氏により、DaVinci Resolve StudioおよびDaVinci Resolve Advanced Panelを使ってグレーディングされたという。
ワン・ユーリン監督、ワン・パンユン撮影監督による「アリフ、ザ・プリン(セ)ス」は、女性になりたいという願いと、原住民族の族長の後継者という立場の間で板挟みになっている25歳の美容師のアリフと彼を取り巻く友人たちのストーリー。ウジョンオン・ジャイファリドゥ、チャオ・イーラン、ウー・ポンホン、チェン・ジューションらが出演している。同作は、2017年の金馬奨で、最優秀助演男優賞を受賞し、最優秀作品賞にノミネートされた。また、第30回東京国際映画祭では、「アジアの未来」に選出された。
プロジェクト全体の予算が25万USドルという厳しい条件の中、ワン・ユーリン監督は、低価格でもハイエンドの映像を撮影できるデジタルフィルムカメラを必要としていた。Blackmagic Production Camera 4KとBlackmagic Cinema Cameraを長年に渡って使用してきたワン監督は、Blackmagic Designカメラの画質を信頼していたので、今回の作品ではURSA Mini 4.6Kカメラを使用することを決めたという。
ワン・パンユン撮影監督は次のようにコメントしている。
ワン氏:低価格でパワフルな機能を搭載していることに加え、URSA Mini 4.6Kはサイズも完璧でした。肩乗せで撮影しても重くありません。さらに屋内のシーンは、台北市内の古い建物やバーなど、狭い場所で撮影することが多かったのですが、カメラを簡単に持ち運びできました。俳優の動きを追ったり、バーの狭いトイレやカウンターなどでのセットアップも簡単でしたね。
コストを抑えるために、できる限り照明は使わずに、自然光を光源として撮影を進めた。自然光では暗すぎる場合にだけ、人工照明を使用したという。夜のシーンの撮影では、特定のエリアだけを照らした。その結果、多くのフッテージは非常に暗い仕上がりになった。
カラリストのチャン・ゾーイ氏にとって、この暗い映像は大きな課題となった。チャン氏はこれまでに、人気映画「Monkey King 3:Kingdom of Women」、「Devil and Angel」、「閃光少女」、「 Black & White 2:The Dawn of Justice」、「Cook Up a Storm」、「End of Summer」などの作品を手がけている。
チャン氏:ワン監督は、低コストで高品質の作品を作りたいと希望していました。私はDIの分野で長年経験を積んできましたが、今回のような課題には、いつものようにリラックスして臨む訳にはいきません。
URSA Mini 4.6Kで撮影したRAWフッテージを実際に初めてDaVinci Resolve Studioで見るまでは、監督のビジョンが分からなかったとチャン氏は言う。
チャン氏:15ストップのラティチュードで撮影しているので、ハイライトや暗い部分に埋もれたディテールを確認して、回復することができました。私が一番驚いたのは、室内の窓辺で撮影した逆光のシーンでした。窓辺で撮影した逆光のフッテージで、ここまでディテールを維持できるハイエンドのデジタルフィルムカメラは見たことがありませんでした。
同作のルックについて、チャン氏は次のようにコメントしている。
チャン氏:黒い部分を緑がかったルックにしたくなかったんです。人物の顔が汚れているように見えてしまいますから。特にこの作品は、暗めのスキントーンの台湾先住民族を描いていますし、多くのシーンは照明が十分ではありませんでした。さらに主人公のアリフはトランスジェンダーで、「美」に携わるプロのスタイリストです。私は、スキントーンとリッチなカラーを慎重にグレーディングすることで、繊細で感傷的という主人公の人物設定をサポートしようと思いました。
「アリフ、ザ・プリン(セ)ス」のルックを設定する際、最初に3つのトーンを作成して監督に選択してもらいました。1つ目は、黒い部分には赤茶色が、そしてニュートラルカラーを含むミッドトーンのエリアには淡い青がかっており、人物が背景から浮き出るような感じのルックでした。2つ目のトーンは前述の色をより強調したものです。そして3つ目は、グレーディングを抑えた自然でニュートラルなトーンです。
ワン監督は、日中の屋内および野外のシーンでは、2つ目のトーンを選択した。この作品は3つのストーリー軸で成っている。すなわち、アリフと彼のおてんばなルームメイトのストーリー、夜な夜なドラッグクイーンに扮する公務員のストーリー、そしてトランスジェンダーのパブオーナーと彼女が想いを寄せる配管工のストーリーである。チャン氏はシーンやストーリーに応じてさらに調整を施していった。
チャン氏:欲情的なシーンでは、紫を多く取り入れました。また、パブでのシーンでは、DaVinci Resolve StudioのPower Windowを使って特定のエリアで照明の色のサチュレーションを上げることで、イメージを魅惑的な音楽とマッチさせることができました。そして病院のシーンは、グレーがかった暗めの青いルックにしました。夜の屋内のシーンでは、窓や窓周辺のエリアに濃い青を入れ、光源の近くは温かいトーンを強調して空間の奥行きを広げました。
海辺のシーンと駅のシーン、そしてアリフとおてんば娘の息子が出てくるシーンでは、ハイライトの温かなトーンを強調したという。
チャン氏:アリフが性転換手術を受けた後、継承の儀式のために部族の元へ戻るシーンでは、黒いエリアに赤茶色のトーンは使わず、代わりに青を加えることで赤い伝統衣装を際立たせました。衣装の赤を強調しつつ、唇の色は変えたくなかったので、衣装や髪飾りの他の色を分離させて強調しました。DaVinci Resolve StudioのPower Windowとトラッキング機能は非常に便利で性格なので、時間を大幅に削減できました。
ワン・パンユン撮影監督は、同作のDIについて次のようにコメントしている。
ワン氏:ゾーイは彼女がこれまでに培った経験と技術を基に、色やディテールが観客にとってパーフェクトに表示されるよう各フレームを作成しました。特にアリフが身につけている衣装や髪飾り、そして継承の儀式のシーンでは、鮮やかな色とそれにマッチする明度/暗度が精密に計算されています。ゾーイは大作のみならず、超低予算の作品でもグレーディングを完璧にこなしてくれます!
https://www.pronews.jp/news/20180823163430.html

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ニュージーランドの伝統舞踊「HAKA=ハカ」。その意味とは?

2018-08-24 | 先住民族関連
tenki.jp 2018年08月23日
8月も残すところ約1週間となり、暑さが少しやわらいできました。これからはスポーツを見るのもやるのも、心地よい季節になってきますね。
そんな秋の気配を感じる8月終盤……明日24日は「ラグビーの日」に制定されていることをご存じでしょうか? 2019年には日本でラグビーW杯が行われ、世界の強豪国が集結します。ラグビーファンでない方にも、ぜひ注目してもらいたいのが強豪・ニュージーランド代表が見せる「HAKA=ハカ」なるパフォーマンス。手を叩き足を踏み鳴らす迫力満点の舞いには、一体どのような意味が込められているのでしょうか。
オールブラックスの象徴「HAKA=ハカ」とは?
ラグビーの世界で、ニュージーランド代表といえば自国だけでなく世界的にも「オールブラックス」の愛称で親しまれ、常に世界トップクラスに名を連ねる強豪国として知られます。そんなニュージーランド代表が、試合前に見せるパフォーマンスが「HAKA=ハカ」(以下・ハカ)です。
もともとハカは、ニュージーランドの先住民族「マオリ族」の民族舞踊でした。ニュージーランドはかつてイギリスの植民地でしたが、ニュージーランド議会が正式にイギリスから独立を正式承認されたのは1947年のこと。つまり、独立からまだ100年も経っていないことになります。
約1000年前にポリネシアの島「ハワイキ」からカヌーでニュージーランドにやって来たと伝わるマオリ族は、常に土地戦争、主権争い等にさらされてきました。そうした歴史から、マオリ族の戦士は戦いの前に手を叩き、足を踏み鳴らすことで相手を威嚇し、さらには自らの力を誇示する……その舞踊が「ハカ」の原型とされています。
ラグビー競技のルールを知らない人にとっても、ニュージーランド代表が試合前に行うパフォーマンス・ハカは大人気ですが、今日では相手を威嚇する意味合いよりも、自らのモチベーションアップの意味合いが強いようです。
ところで、ハカはどんな歌?
ハカには2種類のものがあります。
■カ・マテ
■カパ・オ・パンゴ
「カ・マテ」は、19世紀初頭から伝わる伝統的な舞い。
一方「カパ・オ・パンゴ」はオールブラックスのためにつくられたという比較的新しい舞いで、伝統的な「カ・マテ」は下記のような歌詞で構成されています。
── 私は死ぬ!私は生きる!私は死ぬ!私は生きる!
── 太陽を輝かせた、毛むくじゃらの男が上がってくる!見よ!この勇気ある者を!
── 再び太陽を輝かせる!
── 一歩はしごを上へ!一歩上へ!そして最後の一歩!そして外へ一歩!
── 太陽の光の中へ!昇れ!
もともとは戦いをイメージさせる舞踊であったハカ。歌詞には、戦いに臨むマオリ族の決死の思いや、勇敢さが表れていますね。
一方のオールブラックスのためにつくられた「カパ・オ・パンゴ」の歌詞は、このようなもの。
── 鋭く叫べ!オールブラックスよ!
── 国をひとつにさせてくれ!鳴動するわれらの国よ!
── 今だ!今こそわれらの国が奮起するとき!
── われらこそオールブラックス!今こそがその時だ!
── われわれが支配し、その優位は偉大なる勝利に!
── われらこそオールブラックス! われらこそオールブラックス!
戦いに臨むオールブラックスの賛歌「カパ・オ・パンゴ」の意味は、「黒い服の戦士と、銀の羊歯」。「黒い服の戦士」は、その名の通りオールブラックスのことで、「銀の羊歯」は「シルバーファーン」を指します。
「シルバーファーン」とはニュージーランドの国章であり、ニュージーランド航空のロゴに使用されているニュージーランドの象徴する植物・シダのこと。ニュージーランド・ナショナルチームのロゴとしても有名ですね。こうした背景を知ると、大事な試合の前に歌われる意味あいが理解できますね。
冠婚葬祭で披露されるハカ
かつてハカは、戦闘時に相手を威嚇する舞踊でしたが、今では冠婚葬祭の場でも披露されるようになっており、その様相は大きく変化しています。戦いだけでなく、結婚式や葬式、功績を称えるためのイベントで披露されるなど、特別な場面でハカが披露されるようになっているのです。
また、オールブラックスが披露する男性的な荒々しさに満ちたハカではなく、女性が披露するエレガントな雰囲気のハカもあるそう。今では、先住民であるマオリ族の文化を伝える大事な役割をハカが果たしているのでしょう。
── 筋骨隆々の勇ましいオールブラックスの面々が、一斉に手を叩き、足を踏み鳴らす大迫力のハカは、リアルに観るのはもろちんテレビで観ても感動間違いなし! 試合を目前にしたオールブラックスの鳥肌必至のパフォーマンスに、ぜひとも注目してみてくださいね。
https://tenki.jp/suppl/y_kogen/2018/08/23/28377.html

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むしろ「シャクシャイン独立戦争350年」事業を

2018-08-24 | アイヌ民族関連
WEBRONZA 2018年08月20日
杉田聡 帯広畜産大学教授(哲学・思想史)
北海道150年=北海道開拓150年
 「北海道150年」を祝うということは、一体どういうことなのか。人びとが歴史をふり返ることは、重要である。巨大な権力を持つ、北海道庁という行政機関にとっては、なおのことそうであろう。
 しかし、ふり返るべき時がなぜ150年前なのか。「北海道150年」で問題にされているのは、どう言いつくろおうと要するに開拓使以来の開拓の歴史である。この100年、道庁は「北海道開拓50年」、「北海道開拓100年」を祝ってきた。今回は「開拓」と言わずに単に「北海道150年」あるいは松浦武四郎による命名を前面に出して「北海道命名150年」と呼んでいるが、いずれも結局は「北海道開拓150年」とほとんど同義である。アイヌに一言の相談もなしに「北海道」と命名したことと、無主地という名目でアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)「開拓」にまい進したこととは、同じ楯の両面である。
 とはいえ、今回の「北海道150年」事業が、四半世紀にわたる新たなアイヌ認識・政策を確かにふまえている事実の意味は大きい。私はその限り、今回の行事に一定の評価をしうると考える。実際、北海道150年事業から、「開拓」視点が後退したのは事実である。例えば、「開拓100年」事業時に作られた北海道開拓記念館(1970年建設)がアイヌ関連施設とともに北海道博物館へと装いを新たにした(2015年)事実は、典型的な例である。
 そもそもアイヌモシリには、主にアイヌと自称する先住民がおり(「主に」なのは他にもウィルタと自称する少数民族もいたからである)、そこには人びとの、あたり前の、多分つつましくそれでいて幸福な生活があった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫、1978年)をひもとくと、それがひしと感じられる。だが和人はアイヌモシリに入り込んでアイヌを徹底して虐待・搾取したし、明治以降の「開拓」は、彼らの存在を無視した土地の収奪であり、彼らの和人への同化を前提にした、彼らの文化・伝統の破壊にほかならなかった。
 今回の北海道150年事業を見ていると、そうした「開拓」のあやまちが、それを固有の任務とした行政機関である道庁に、あるていど理解されていると確かに感じられる。
道庁には同化政策への自己批判が求められる
 だが、今回でさえアイヌに関して強調されているのは、相変わらずアイヌが有する自然に対する価値観であり、細々と残された少数民族としての伝統・文化にとどまっている。「北海道150年」という祝典の場に不似合と感じるのであろうが、アイヌに対する和人の非道な――これに道庁自体も使命感をもって加担した――開拓の歴史は、どこまで自覚されているか。目をふさぎたくなるであろうが、だがわれわれ和人は、かつてアイヌに加えた非道をもはっきりと知る必要がある。
 アイヌにとっては、和人による虐待・搾取ひいては同化という悲話を聞かされるのは、さぞつらいことだろう。だが、和人はそれをほとんど、あるいは全く知らずにいる。ちょうど、かつて朝鮮半島や中国大陸、台湾・太平洋アジア諸国・諸地域で日本(人)が行ってきた非道を知らないように。
 今回の行事では未来へのつながりが強調されている。だが未来につながるためには過去をはっきり踏まえる必要がある。しかも道庁という行政機関の長は、道庁がとってきた「同化」政策の誤りをはっきり指摘し、アイヌに謝罪する必要がある。アイヌの今日までの苦難は、同化政策の必然的帰結である。それは、政策と別に偶然起こったのでもなければ、政策に反して起こったのでもない。アイヌを、和人と同様の日本臣民に仕立てようとしながら、両者の間に非常に大きな差別を持ちこんだのも(前述のように付与される土地の広さに100倍もの開きがあった)、確たる政策の一環である。
 アイヌを人間視しない政策の目線が、その執行者(吏員)に伝染するのは必然的であった。だから、上川アイヌの「給与予定地」150万坪の多くは詐取されて、いつのまにか3分の1以下の45万坪へと減らされてしまったのだし、アイヌの共有財産は、乱脈経理企業の株券に換えられたあげくに無価値にされてしまったのであり、二風谷(にぶたに)の裏山は大資本に付与されたためにアイヌは利用権・採集権を奪われてしまったのである。これにはすべて道庁の吏員が関わっている。
 前述のように、1997年、北海道旧土人保護法を廃止する際、アイヌ共有財産についてそれまで道庁がどれだけズサンな行政的処置をとってきたかについて、深刻な総括は行われなかった。北海道150年事業はけっきょく開拓150年の祝いにすぎないと、こうした道庁の甘さからも判断しなければならない。今後、北海道150年を記念して50年ぶりに『新新北海道史』が書かれるのであろうが、開拓100年時の『新北海道史』に見られる、道庁に関する相対化・批判の欠如という轍を踏まないよう、強く望む。
実質的な権利回復の努力を ・・・続きを読む
(残り:約2354文字/本文:約4484文字)
http://webronza.asahi.com/culture/articles/2018082000009.html

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