ぴあ 9/10(金) 12:13配信

父のもと12歳から木彫りの道へ
芸人・俳優としてテレビや舞台、ラジオなどで活躍する一方で、粘土作品を作り、個展を開催するなどアーティストとしても知られる片桐仁さん。ガンダムからゴッホまで広くアートを愛する片桐さんが、ときに展覧会を見に行ったり、アーティストに話を聞いたりしながら、アートの魅力をユニークな視点でお伝えしていきます。「“アートってちょっと難しい”と思っている方が、アートを楽しむ『とっかかり』になりますように!」(片桐さん)[ぴあアプリ「片桐仁のアートっかかり!」より転載]
今回、東京ステーションギャラリーで開催中の『木彫り熊の申し子 藤戸竹喜』(9月26日(日)まで)。北海道で活躍した藤戸竹喜と、その驚くべき技巧について東京ステーションギャラリー館長の冨田章さんに解説していただきました。
片桐 展示室に入った瞬間、熊がいっぱいです。すごい迫力!
冨田 藤戸竹喜は、お父さんがアイヌの木彫り熊職人で、彼も12歳からお父さんの下で熊彫りをはじめました。自身が阿寒湖畔で営むお土産店「熊の家」で木彫り熊を作って売っていた。そのため、美術業界とはほとんど縁のない人だったのです。
片桐 12歳から! すごいキャリアだ。熊の木彫りって北海道土産の定番というイメージでした。とはいえ、こんなに生き生きした熊がいたとは。
冨田 明治以降、日本政府の政策の影響でアイヌの人たちは自由に猟ができなくなり、かといって他の職業に就くことも難しかった。生き抜くために、ある人は民族衣装を着て踊りを披露し、ある人は祭祀の道具を作るための木彫りの技術を生かして、土産物を作って売るようになる。熊はアイヌにとっては神様でもあるので、よく彫られていたようです。これが、北海道土産の定番になっていったのですね。
片桐 熊の木彫りにはそんな歴史があったんですね。
冨田 2017年に出張で札幌に行く機会があったのですが、そのとき偶然訪れた札幌芸術の森美術館で、藤戸竹喜の展覧会をやっていて、なんとなく入ったのですが、その素晴らしさに二つのショックを受けました。一つは彼の作品そのもの、そしてもう一つは、こんなすごい人を自分が今まで知らなかったということ。これは東京で紹介しなくては、と思いました。
片桐 たしかにこの表現力はすごい。眼力も強いし。
冨田 木彫りの熊って、実は作る人によって全然違うものです。左前足を上げて敵を威嚇するこのポーズは、藤戸が編み出したオリジナル。この部屋の作品は若い頃のものなので、このあとの熊はさらに熟練されていきますよ。
そして藤戸がすごいのは、一切デッサンやスケッチをしないこと。習作も作らない。彼の作品はほとんどが1本の木から作られた、いわゆる一木造りの彫刻なのです。しかも、木材にアタリもつけず、いきなり彫り進めていく。この《群熊》や《熊と葡萄のレリーフ》も太い幹を彫って作ったものです。
片桐 「私の手はその形を石の中から取り出してやるだけ」って、ミケランジェロが言ってましたけど、藤戸さんも木のなかに熊を見ていたのかな。すごいなー。
冨田 実際、藤戸も「木を見ていると、なかから姿が出てくる」って言っていたそうです。
<熊以外の動物や人物を彫るようになったきっかけ>
冨田 そんな彼の実力に注目した地元の人が、ある日彼に観音像の制作を依頼しました。藤戸は熊以外のモチーフをほとんど彫ったことがなかったので悩みましたが、お世話になった方なので引き受けることにしました。関西に一週間滞在して、いろいろな仏像を見て回り、もちろん描き止めることはせず、記憶だけを頼りに半年かけて制作したのがこの観音像です。制作の最終段階では、ずっと小屋にこもって作っていたそうです。
片桐 独特の存在感! 京都や大阪の仏像と佇まいが全然違う。宝冠や光背も独特ですね。指の形とかも個性的です。
冨田 この作品がきっかけとなって、藤戸は熊以外の動物や人物も彫るようになり、創作の幅がグッと拡がっていきました。
片桐 アイヌの衣装の細かいところまで描写していますね。そして鹿も彫るようになった。しかもこれも一木造りだというのだからすごい。大きな丸太からここまで彫り進めてるわけですよね。すごいなあ。
冨田 藤戸は、自分で木彫り熊を制作していただけではなく、北海道各地の木彫り熊をコレクションしていました。北海道の木彫り熊はアイヌ民族が彫った旭川、スイスの土産物を参考に始められた八雲の2つのルーツがあり、相互に刺激を与えあってたそうです。
片桐 こうやって、他の人の木彫り熊を見ると、やっぱり作り手の個性が見えてきますね。いままでは全部同じに見えていました。おもしろいなあ。
冨田 そして、藤戸はこんなものも制作しています。
片桐 自在置物だ。藤戸さんはこういったこともするのですか!
冨田 1990年代のある時期、藤戸は海の生物を数多く制作しています。基本一木造りなのですが、これらの作品に関してはパーツごとに彫って組み合わせてます。ヤシガニは沖縄から生きたヤシガニを取り寄せ、観察しながら作っていました。
片桐 木でこれをやってしまうんだ。この殻の質感とかも真に迫っています。
冨田 いまも超絶技巧な作品を作る人も、一木造りで作品をいる人もどちらもいます。でも、両方やる人はいませんし、しかも藤戸のようにどちらも完璧にできてしまう人は存在しない。
驚くほどにリアル!熊や人物の大作たち
片桐 そして、この熊。ポスターにもなっている熊ですね。全身の毛の流れがすごい。柔らかそうで触りたくなってくる。これも計算なしで彫り進めているわけですよね。
冨田 ホテルのロビーに置くために注文されていたもので、ニスを塗った台座も一体になっている一木造りです。
片桐 これがロビーにあったらみんな写真撮りたくなっちゃうだろうなあ。迫力ある。
冨田 そして、リアルな人物像も彫るようになっていきます。
片桐 このアイヌの人達もすごく細やか。手の節や血管、肌部分の彫りがすごい。シワやたるみまで彫ってるんだ。服もすごい。アイヌ刺しゅうの質感もしっかり出てるし。この人物像は木目も相まってすばらしい。なんでも彫れてしまう人なんですね。
冨田 なんでも彫れる藤戸ですが、狼については満足のいくものが彫れたのは70歳を過ぎてからと言っています。
片桐 狼?
冨田 藤戸は子どものころ、北海道大学の植物園でお父さんとエゾオオカミの剥製を見たことがあったんですが、お父さんに「狼を彫りたい」と言ったそうなんです。そのときに、お父さんから返ってきた言葉が「熊も満足に彫れないのに狼を彫るとはなにごとか!」。
片桐 僕たちからすると熊を彫るのと狼を彫るのと、どっちが難しいのかわかんないですけどね。
冨田 で、先程の観音像を完成させた後、ようやく狼を彫れるようになりました。
片桐 思い入れがあったんですね。
冨田 藤戸は狼を彫るときは、長年地中に埋まっていた木材「埋もれ木」を好んで使っていました。こちらの3つの作品とも埋もれ木なのですが、一番左が埋もれ木の風合いがわかりやすいかもしれません。
片桐 少しくすみがかかった色合いなんですね。彫る題材によって素材を変えることもあるのか。
<晩年に取り組んだ連作〈狼と少年の物語〉>
冨田 2017年に、藤戸は札幌芸術の森美術館で大規模な展覧会を開くのですが、この展覧会に先立って制作されたのが、19点からなる連作〈狼と少年の物語〉です。アイヌ民族の赤ちゃんが両親とはぐれ、狼に育てられるというもので、藤戸がずっと心のなかで温めていた物語です。
冨田 エゾオオカミは開拓とともに駆除されてしまったわけなんですけれど、その絶滅の歴史もなぞっています。
片桐 70歳をすぎてようやく満足のいく狼が彫れるようになって、そしてその狼で連作を作る。相当な思い入れがないとできないことですよね。
冨田 そして、こちらが絶作。
片桐 この荒彫りから、毛流れをつけて細かく仕上げるつもりだったのでしょうね。左足もまだ彫られていない。
冨田 藤戸は体調を崩して入院することになったんですが、その直前まで元気で、あえて作りかけでこちらをアトリエに置いていきました。戻ってきて仕上げるつもりだったのでしょうね。
片桐 最初から最後まで、藤戸さんの技巧に驚かされっぱなしの展覧会でした。木彫って、彫りすぎるとリカバリーすることができないから、本当に難しいと思うんですよ。わずかな失敗で全体が狂ってしまう。なのに、藤戸さんはデッサンもしないし、いきなり彫りはじめてしまう。頭の中にビジョンがしっかりできているんでしょうね。とても楽しい展覧会でした。ありがとうございました!
構成・文:浦島茂世
https://news.yahoo.co.jp/articles/d6b346eab94b4f22097bf3763d7f48cfb068e2be