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釧路・MOOで7月1日「大道東まつり」 飲食や雑貨30店

2023-06-28 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年6月27日 21:09
 釧路市内の飲食店など30店舗が出展する物産展「大道東まつり」が7月1日、釧路フィッシャーマンズワーフMOO2階の交流スペースで開かれる。
・・・・・・体験コーナーも設け、アイヌ刺しゅうやハンドマッサージを楽しめるほか、釧路市在住の漫画家最上うみみさんによる似顔絵作成ブースも設ける。
 午前11時~午後5時。入場無料。問い合わせは946BANYA、電話070・3332・9460へ。(長谷川史子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/868766/

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映画「地球交響曲 第九番」、釧路で7月2、3日上映 阿寒湖温泉でアイヌ文化伝承の床さん出演

2023-06-28 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年6月27日 19:06(6月27日 19:24更新)

浦河町の浜辺で床みどりさん(中央)ら姉妹が歌うシーン=「地球交響曲 第九番」より、龍村仁事務所提供
 生命や自然の尊さを描くドキュメンタリー映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第九番」の上映会が7月2、3の両日、釧路市内で開かれる。シリーズ最終作で道内初上映。市内阿寒湖温泉在住でアイヌ文化を伝承する床みどりさん(72)が、故郷の日高管内浦河町の浜辺でアイヌ民族の歌を口ずさむ場面が盛り込まれている。
■「自然との共生」歌う場面も
 同作は、1月に死去した龍村仁監督が手がけた。1992年に「第一番」が発表されたシリーズ作で、最終章となる今回は、「音」をテーマに「コバケン」の愛称で知られる指揮者小林研一郎さんらを追う。2019~20年に撮影された。 
・・・・・・
(佐竹直子)
※「イコロ」の「ロ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/868655/

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シマフクロウの家で交流会 「大地よ!」のフラを披露  白老

2023-06-28 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2023/6/27配信
 アイヌ民族文化伝承者の宇梶静江さん(90)が活動拠点とする白老町東町のシマフクロウの家で26日、ハワイの伝統舞踊「フラ」で交流する会が開かれた。  宇梶さんが千葉県木更津市で暮らしていた頃から25年ほど交流がある小玉一枝さん(75)…
この続き:343文字
ここから先の閲覧は有料です。
https://www.tomamin.co.jp/article/news/area2/111014/

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脅威にさらされる「伝統の英知」...子供たちのアマゾン生存は「単なる奇跡」ではなかった

2023-06-28 | 先住民族関連
ニューズウィーク6/27(火) 18:10配信

<行方不明だった幼いきょうだい4人が約40日ぶりに救出。その陰には先住民が受け継いできた、森についての深い知恵があった>
行方不明になっていた先住民の4人の子供たちは、アマゾンの密林でコロンビア軍に救出された(6月9日、写真は一部加工) COLOMBIAN PRESIDENCYーREUTERS
「ジャングルの奇跡」に、世界中が沸いた。南米コロンビア南部のアマゾンの密林で行方不明になっていた先住民の幼いきょうだい4人が、6月9日、約40日ぶりに救出された。
【動画】アマゾンで救出された子供たち
乗っていた小型飛行機が5月1日に墜落。同乗していた母親や操縦士ら大人3人は死亡が確認されたが、子供たちの行方は分かっていなかった。
4人を発見したコロンビア軍兵士の第一声は「奇跡、奇跡、奇跡!」だった。だが、人類学研究のためにこの地域の先住民族アンドケと共に1年余りを暮らした筆者は、これを簡単に奇跡とは表現できない。
少なくとも普通の意味で言う奇跡ではない。子供たちが生き延びて救出されたのは、先住民が代々受け継いできた森の複雑さに関する深い知識と適応力のおかげだ。
子供たちの捜索活動が続く間、私は彼らの曽祖母の姉妹であるラケル・アンドケと連絡を取っていた。儀式用の共同の家マロカの所有者を意味する「マロケラ」と呼ばれる長老の彼女は、地域の子供たちには主体性と判断力があり、体も丈夫だから、必ず生きて帰ってくると何度も繰り返した。
この地域では小学校に入る前から、両親や親戚に付き従って、さまざまな活動をする。狩猟、釣り、川下り、蜂蜜や果物の採集......。
4人の子供たち──レスリー、ソレイニー、ティエン、クリスティン──も、そうやって実践的な技術や知識を身に付け、今回生かすことができた。
先住民の子供たちは幼い頃から、密生する草木をかき分けて道を切り開いたり、どの果物が食べられるかを見分ける方法を学ぶ。飲み水の見つけ方、雨よけの作り方、動物を捕らえる罠の仕掛け方も心得ている。
アマゾンに住む子供たちは、都会の子供が遊ぶ玩具やゲームなどに触れる機会はほとんどない。当然ながら木登りがうまくなり、小舟のオールや斧といった大人の道具に触れる。身体活動への理解を深め、さまざまな植物の使い道についても知識を蓄えていく。
狩猟動物の殺し方や皮の剝ぎ方など、先進国ではわざわざ子供にさせないような活動も経験する。これらは貴重な動物学のレッスンになり、精神力も鍛えられる。
家族や親戚でジャングルへの小旅行に出るときは、鬱蒼と茂る森の中で空を見上げ、太陽の位置を頼りに進んでいく。
アマゾンでは大きな川がたいてい太陽の動きとは反対の東向きに流れているため、太陽を頼りにすれば主要河川に近づける。4人の子供が残した足跡や物品の跡をたどると、アパポリス川に進んでいた節がある。そこまで行けば見つけてもらえると思ったのだろうか。
■暮らしの全てが学びとなる
子供たちは食用になる草木や花をどこで見つけられるかも、親や長老から学んでいただろう。木の種類によっては、その周りにキノコが生えることも教わっていただろう。
語り継がれる昔話に込められた知識も、森に分け入る際の貴重な情報源となる。神話に登場する動物たちには知性があり、いたずらをしたり誘惑したり、命を助け合ったりする。
先住民以外には理解しにくいかもしれないが、森を舞台にしたこれらの神話は人間以外の無数の生き物たちの複雑な相互関係をうまく拾い上げている。
先住民の知識は、人間と動植物の関係に光を当てる。そして両者が協力しながら環境を守り、生態系に取り返しのつかない害を及ぼさないようにする。
こうした洗練された知識は、数千年にわたって育まれてきた。その間に先住民は森に順応しただけでなく、自分たちの身をもって森をつくり上げたのだ。
幼い頃からたたき込まれる豊富な知識は、自然に身に付いていく。農作物の栽培や収穫の方法にも取り込まれ、子供たちは幼い頃からそうした知識に触れる。
今回の出来事を先進国の人々が「奇跡」と呼んだ理由の1つは、きょうだいで最年長である13歳の長女レスリーの行動だ。母親が亡くなった後にレスリーは、飛行機の墜落時に生後11カ月だったクリスティンを含む3人の妹弟の面倒を見た。
だが先住民の家庭では、年長の娘が幼い頃からきょうだいの母親代わりを期待されるのは普通のことだ。一家の遠縁だというイリス・アンドケ・マクナは、私にこう語った。
「一部の白人(非先住民)は、子供に庭仕事をさせたり、長女に弟の世話をさせるのは、いけないことのように思うだろう。でも私たちの感覚では、とても素敵なこと。子供たちは自立している。だからレスリーは、ずっと妹弟の面倒を見られた。しっかり者になっていたから、妹弟に何が必要かが分かっていた」
■脅威にさらされる伝統の英知
4人の子供たちの行方が知れなかった約40日間にわたり、長老やシャーマンは民俗信仰に基づく儀式を執り行った。スペイン語で主人を意味する「ドゥエニョ」という存在と、人間との関係性についての儀式だ。
ドゥエニョは、森に生息する動植物の守護霊とされる。子供は命名式でドゥエニョに紹介されることで地域とのつながりを認められ、生まれた土地で繁栄する資格を与えられる。
捜索期間中に長老は、カケタ州中部各地の共同の家マロカや、墜落現場を先祖伝来の土地と見なす他の先住民社会で、ドゥエニョと対話していた。ラケルは私にこう説明した。
「シャーマンは聖地と交信する。精霊にコカとタバコをささげて、こう言う。『これをどうぞ。代わりに孫たちを返してください。あの子たちは私のもので、あなたのものではありません』」
こうした信仰と慣行は、カケタ州中部に暮らす先住民の私の友人たちには大きな意味を持つ。彼らは子供たちが生きて救出されたのは、コロンビア軍の技術力のおかげではなく、霊的な力のためだと固く信じている。
こうした考え方を受け入れるのは、先住民以外には難しいかもしれない。だがこういう信仰こそが、サバイバルの闘いに耐えるために不可欠な信念と精神力を子供たちに植え付けていた。4人を捜す先住民たちが決して諦めなかったのも、この信仰のおかげだろう。
子供たちには分かっていた。自分たちは森で死ぬような運命ではない。祖父母やシャーマンが天と地を動かし、生きて連れ戻してくれる、と。
ただし残念ながら、こうした伝統的な英知は脅威にさらされている。アグリビジネス(農業関連)の巨大企業や鉱山業、不法行為、国家による怠慢、先住民の同意を得ずに進む開発......。これらがアマゾンの人々を苦しめている。
貴重な知識が埋め込まれている生活基盤。その基盤となる土地。そして知識を維持し、発展させ、伝えていく人々──これらが危機にさらされている。まさに生命に奇跡をもたらす知識と技能を守ることが、いま至上の課題なのだ。
Eliran Arazi, PhD researcher in Anthropology, Hebrew University of Jerusalem and the School for Advanced Studies in the Social Sciences (Paris)., Hebrew University of Jerusalem.This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.
エリラン・アラジ(エルサレム・ヘブライ大学研究員)
https://news.yahoo.co.jp/articles/58c10084e57b72590233315d327412dbe476d5fc

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Snow Man阿部亮平、SDGs特別企画「教育支援」取材で学校訪問 『Live News イット!』スタジオで生報告

2023-06-28 | 先住民族関連
岩手日報2023.06.27

29日放送『Live News イット!』に出演する阿部亮平、ガチャピン、東洋英和
女学院 中学部・高等部の皆さま (C)フジテレビ
 人気グループ・Snow Manの阿部亮平が、29日放送のフジテレビ系情報番組『Live News イット!』(月~金 後3:45)に「マンスリースペシャルキャスター」として生出演する。阿部によるSDGs特別企画、今回のテーマは「教育支援のSDGs」。都内にある東洋英和女学院中学部・高等部を訪問。SDGsの17の目標の1つ「質の高い教育をみんなに」について学校・生徒たちの取り組みを取材し、番組お天気キャスター・ガチャピンと共にスタジオで生報告する。
【写真】Snow Man大喜び!氷でできた雪だるま
 同校ではドリップバッグ式のコーヒー「Eiwa cafe(エイワカフェ)」を販売。このコーヒーはパナマのコトワ農園で栽培された豆を使用していて、購入することで、地元の先住民であるノベ族の子供たちへの教育支援につながる仕組みとなっている。
 今回、阿部とガチャピンはこの支援活動を取材して実際に活動に参加。そして新商品の開発にも取り組み生徒たちと試飲会を開催した。新商品に選ばれたコーヒーの決め手になった点は。また、今回の出演でも、気象予報士の資格を持つ阿部は、ガチャピンと共に天気コーナー「ソラよみ」を担当する。
■阿部亮平(Snow Man)マンスリースペシャルキャスター
「Eiwa cafe(エイワカフェ)の取り組みを取材して、生徒たちのコーヒーの販売がパナマの子どもたちの教育支援につながっていることを知りました。このコーヒーを買うことで、遠く離れた場所で貧困と闘う子供たちに少しでも希望や支援を届けることができるのだなと認識しました。
また、この経験を通じて、コーヒーの一杯が、子供たちに大きな影響を持つ可能性があることも実感しました。私たち一人一人が小さな行動を通じて社会に貢献できることを生徒たちも信じて取り組んでいました。今回の放送でSDGsの理解が広がり、貧困で教育が受けられない子どもたちへの支援もいっそう広がることを願っています」
https://www.iwate-np.co.jp/article/oricon/2284545

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インカ帝国から600年続くつり橋、先住民が架け替え ペルー(動画)

2023-06-28 | 先住民族関連
AFPBB News 2023.06.27
【6月22日 AFP】ペルー南部のクスコ(Cusco)でこのほど、インカ(Inca)帝国時代の約600年前に造られた世界最後の綱のつり橋とされるケスワチャカ(Q'eswachaka)橋の架け替えが、先住民によって行われた。
 毎年6月になると、先住民ケチュア(Quechua)の人々が集まり、アンデス山脈(Andes)産のわらの一種を用いて太い綱を作り、橋の損耗した部分を架け替えていく。
 橋は、アプリマク川(Apurimac River)の水面から28メートル上に架けられているが、先住民は命綱も使わず、ひるむ様子も見せずに作業に臨んだ。
 橋の全長は約30メートル、幅は約1.2メートルで、綱を作るのに数週間、架け替えに3日かかる。
 綱作りの参加者(54)は「架け替えなければ(神から)罰が下る。事故などに遭うかもしれない」と話した。
 橋は2013年、国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の無形文化遺産に登録された。マチュピチュ(Machu Picchu)遺跡のあるクスコの観光名所でもあり、収入源にもなっている。
 架け替えに携わった参加者(40)は、「この橋が無くなったら、伝統も収入もなくなる」と語った。
 映像は8~11日撮影。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/インカ帝国から600年続くつり橋-先住民が架け替え-ペルー/ar-AA1cRWKr

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どうすれば差別をしない人間になれるのか…「あいつらは〇〇だから」という軽口が差別の種になっている

2023-06-28 | 先住民族関連
どうすれば差別をしない人間になれるのか…「あいつらは〇〇だから」という軽口が差別の種になっている
PRESIDENT Online2023/06/26 09:15
どうすれば差別はなくなるのか。ノンフィクション作家の藤原章生さんは「そもそも人間は差別をしてしまうものだ。それを踏まえた上で、一つひとつの差別について『これはおかしい』と突き詰めていくしかない。『差別はいけない』と諭すだけでは、差別は消えない」という――。
※本稿は、藤原章生『差別の教室』(集英社新書)第9章「感受性と属性と──学生の問いに答える」の一部を再編集したものです。
■人間は相手が誰であれ差別をしてしまうもの
「差別は消えないのでしょうか」という声をいただきましたが、それについて少し考えたいと思います。
差別がなくなってほしいと私は思っています。でも、差別を考えるとき、自分も差別をする人間だという自覚が必要だと思います。
「私は差別をしない、悪いのは差別をする人間だ」と言って、自分だけ聖職者みたいな態度の人がいますが、それはおかしい。人間は相手が人であれ動物であれ物であれ、分類してしまうものです。そして分類したものの優劣を決めてしまいがちです。
それを十分踏まえた上で、そこに差別が生じた場合、一つひとつ「これはおかしい」と突き詰めていくしかないんじゃないかと思います。理屈で「差別はいけない、はい終わり」という話ではないんです。
だから、それぞれの事例に当たって、そこから出た答えを積み重ね、差別をしない人間になるという理想に自分を追い込んでいく。意図的に追い込んでいくというより、直感的にそうなっていったほうがいいと思うんです。
■絶対に正しいことはない
「差別をなくすことへの使命を感じますか」という問いがありました。どうでしょう。私にはそんな高邁(こうまい)な考えはありません。ただ、差別の話に耳が傾くのは確かです。でも、使命とは違いますね。もちろん、差別がなくなってほしいとは常々願ってはいます。
1986年製作のローランド・ジョフィ監督『ミッション』という映画があります。ロバート・デ・ニーロが主演の映画で南米が舞台です。カトリックのイエズス会の話です。宣教師たちが先住民の村に入って布教活動をするわけです。先に来た宣教師は殺されてしまうのですが、主人公たちはどんどん奥地へと入っていくわけです。彼らは現地人を見て、あの人たちに神のことを知らせ、目覚めさせなくちゃいけないと本気で思っています。途中で散々ひどい目に遭いながら、ミッション、使命だからと、密林を分け入っていく。最後は彼らもひどい末路を迎えるのですが、やっていることは正しい、神は見てくれていると思い込んでいる。
ちょっと泣けるような映画なんですけど、私は観たあと、こんな思いを抱きました。彼らのミッションは間違っていた。「上から目線」という言葉がありますが、上から目線って何も悪くないと思うんです、それ自体は。知識のない人たちに知識を教えるとか、そういうことは当然ですから。
だけど、「これは絶対なんだ、これは正しいんだ」という正義で人に何かを押しつけていく行為が「ミッション」に描かれていたと。
コロンブスが新大陸に到達してから500年あまり、「野蛮な人たち」を救い出して、自分たちと同じように一神教を信じさせなくてはいけないというミッションが各地で為されてきました。でも、それが正しかったのか。80年代のこの映画はそう問いかけていると思いました。
■「使命」という言葉は少し怪しい
ジャーナリズムも同じです。絶対に正しいなんてことはないと思います。「なぜ、あなたはこれをやっているんですか?」「それを人に知らせる必要があるんですか?」とジャーナリストはみな自分に問い続けているわけです。
三十何年かインタビューをしてきて、人から話を聞くことに多少は慣れました。でも常に躊躇(ちゅうちょ)があるし、苦しみます。使命というのは言い訳で、やはり最後は自分自身、自分一人の問題になります。なぜ、お前はそれをしたいのかという自問です。
使命だと思い込み、悲惨な立場にある人々を取材し、自分のモヤモヤした気持ちをうまく追いやったとしても、自分自身があとで傷つくこともあります。使命というのはいい響きですが、少し怪しい言葉です。
■差別を生む「種」はどこにあるのか
南アフリカに住んでいたころは、差別がなくなるといいなといつも思っていました。あらゆる差別がなくなってほしいと。当たり前ですが、自分がそういう目に遭ったら嫌ですよね。
ちょっと買い物に行こう、ワインでも買いたいなと歩いて5分ぐらいの店に行って帰ってくるだけなのに、「おい、お前、いつまでいるんだ、国に帰れよ」などと言われたくないですよね。「この国にいるな!」とかね。日々、「道の真ん中を歩くんじゃない」とか、「端っこを歩け、お前は二等市民なんだから」とか、そんなこと言われたくないですよ。そんな差別はあってほしくないと当然思っています、消えてほしいと。
「差別は良くないよ」と言い続け、消えればいいですけど、なかなか消えない。じゃあ、どうしたら少しずつでも改善されるのか。
例えばアフリカの子供の写真を見て、条件反射的に、短絡的にその意味を掴んでしまう。ひどいことだと背景も知らずに一般化する。それが偏見であり、その偏見が自分のふるまいに表れれば、差別行為となる。そんな差別を生む「種」、心の底にある何か、それがどこから来たものなのか、どんな意味があるのかを自分で捉えていくしかないと思います。
私の場合、何かを書くことで、少しでも状況が良くなればと思っていますが、どう書けば伝わるのか。ずっと探っているところです。
■差別ではなく人間を学ぶ
「いままでの私は興味が湧かないと言って何も学ばない人間だったが、話を聞いていろいろなことに挑戦していこうと思った。アフリカだけではなく、私生活すべてにおいて気になることがあればそれについて調べ、アプローチしていこうと思った」と感想を書いてくれた学生がいました。
特に若い学生たちはこれからもいろんな場面で差別を目撃したり、自分が差別されたりすると思います。そういうとき、これはどういう意味だったのかと考える。こうすべきだったという答えはありませんが、差別を学ぶのではなく、人間を学ぶということです。
人間、その一人である自分はどう反応するか。自分の生き方と言うと大袈裟ですけど、自分がどうすべきだったのか、相手とどうコミュニケーションをとるべきだったのかを考えていく。その反省から、この学生が書いたように「挑戦していこう」という気持ちになる。この人はそういうことを直感的に感じてくれたんだと思うんです。
■どうしたら差別をしない人間になれるのか
「どうしたら差別を意識しない、あるいは差別をしない人間になれますか」という問いが結構多かったんですけど、どうでしょう。自分の場合、そういう気持ちになるときは、「常に明るい人間でありたい」と思ってきました。
そして、「きちんと自己主張する人間でありたい」と。そのためには言葉ですね。自分は結構英語ができると思って、英語圏の南アフリカに行ったんです。でも、南アフリカの英語はブリティッシュイングリッシュに近いこともあって、自分はできると言ってもやっぱり日本人の中でできただけでした。
当時、南アフリカの大統領だったネルソン・マンデラさんの定例会見に最初に行ったときの話です。マンデラさんは、私が手を挙げて質問しても「はあ?」みたいに耳に手を当てて、「わからない」という感じの反応をしたんです。
最初のうちは英語でうまくコミュニケーションがとれず、フラストレーションが溜まっていましたが、英語ネイティブだった妻に「それは英語の問題。基礎をちゃんとやったほうがいいんじゃない」と言われ、先生について必死に勉強しました。
つまり、英会話を勉強するだけではなく、自分の言葉をしっかり英語で組み立てられる人間になろうとしました。きちんと書ける、読めるというのが大事です。
どうしてもポンポン話せる英会話ができるほうがいいと思いがちですが、会話をするためには、言葉を知らなくてはならない。それには、どれだけ読めるか、書けるかが大きいんです。そういうことを一生懸命やっているうちに、2年ぐらいで自信がついて、英語の世界でさほど苦もなく仕事ができるようになりました。
言葉ができれば友達もできるし、明るい人間でいれば、愛されるキャラクターになっていく。それが大事じゃないかと思うんです。
■差別した人にあえて会いに行く
誰からも愛されるというわけにはいきませんが、少なくとも、その土地で、親しみを持たれるようになる。でも、愛されるには自分が相手のことを好きにならないとダメですね。だから、男性であれ、女性であれ、出会った人に興味を持つ。「あの人はなぜああ言ったんだろう?」「どうしてあんなきついこと言ったんだろう?」と考える。
差別的な目に遭えば逆にその人に会いに行く。そうしたら、「いやあ、あのときはどうも」みたいな話になります、多くの場合。それで、あれはこういうことだったんだと自分の中で解消されていく。すると、それが一つの経験となって自信になっていきます。ただ、静かに家にこもっていては限界がある。
交流の苦手な人に話を聞くと、アメリカ人やイタリア人を「あいつら」みたいな言い方をする人がいます。アメリカ研究をやっている人が「アメリカ人はバカだから」と言っていました。そんなことは言えないでしょ、あれだけ複雑な社会なのに。
だけど、そう言ってしまうのはその人の中に、一般化したくなる残念な過去があるのかもしれません。そうならないためには、まずは個を見なくてはいけない。
相手を個で見ようとしたとき、では、自分自身はなんなのかと問いが返ってきます。
■大事なのは所属ではなく個人
私の属性はいろいろあります。日本人、男、壮年、いわき市生まれ、東京の板橋、足立育ち、職歴、家族構成など。その中で日本人というのは、帰属の一つにすぎないと思えば、さほどそこにこだわらなくなります。
なぜこだわらなくなったのか。アフリカで暴動に巻き込まれた経験については話しましたが(『差別の教室』)、それ以外の理由もあると思います。
計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。
国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。
私がすごく尊敬している親しい人は中国出身で海外生活の長い人です。親しい友人には日本人、南アフリカ人、コロンビア人、メキシコ人、アメリカ人がいます。彼らを国籍で好きになったわけではない。彼らにはいろんな属性があって、そのうちの一つが中国の上海生まれだった、くらいのことです。
■国籍はIDの一つにすぎない
入国審査などで「お前は何人だ」と聞かれたら、「日本人です」と答えますが、普段、日本人である自分を売りにしているわけではない。究極のところで、国籍はIDの一つにすぎない。
日本の歴史や日本人全般についての評判を受け止めるとき、それは国や総体という曖昧模糊(もこ)とした存在についての話であり、何も自分のことだと受け止めることはない。そこから一歩下がったところで、その属性やそれについてのイメージを眺めていればいいという態度です。
差別を乗り越えるために、人は国家や民族といった属性、人間集団からどこまで自由になれるのか。その問いを常に抱えて生きていくことが大事だと思っています。
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藤原 章生(ふじわら・あきお)
ノンフィクション作家
1961年、福島県いわき市生まれ、東京育ち。北海道大学工学部卒業後、エンジニアを経て、89年、毎日新聞社入社。特派員としてヨハネスブルク、メキシコシティ、ローマ、郡山に駐在。2005年、『絵はがきにされた少年』で第3回開高健ノンフィクション賞受賞。著書に『ガルシア=マルケスに葬られた女』(集英社)、『資本主義の「終わりの始まり」』(新潮社)、『ぶらっとヒマラヤ』(毎日新聞出版)、『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』(山と溪谷社)など。
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(ノンフィクション作家 藤原 章生)
https://news.goo.ne.jp/article/president/bizskills/president_70880.html

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