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アイヌ資料収集に焦点 「毛利コレクション」特集展で講座 石巻市博物館

2024-12-30 | アイヌ民族関連

河北新報 2024年12月29日 12:00

 石巻市出身の歴史研究家毛利総七郎(1888~1975年)が明治から昭和にかけて収集した「毛利コレクション」に関し、市博物館は21日、収集品のアイヌ民族資料に焦点を当てた講座を同市開成のマルホンまきあーとテラス(市複合文化施設)で開いた。学芸員の泉田邦彦さん(35)が、収集の意義やその関連人物について解説した。

毛利総七郎とアイヌ民族資料収集に関わった人物、その関係性について紹介した講座

 市博物館で開かれている毛利コレクション特集展に合わせて開催。市民ら約30人が聞き入った。

 泉田さんは、毛利コレクションを共同管理していた洋服店店主で収集家の遠藤源七、収集活動の支援をした東京在住のデザイナー杉山寿栄男を紹介。資料収集を巡る3人の手紙をひもとくなどして、収集の背景や経緯を説明した。

 3人は1939年11月、収集旅行のため北海道を訪問。骨董(こっとう)商からアイヌの腰刀やキセルなどを購入した。実際にアイヌと会ってその日常生活にも触れたといい、泉田さんは「コレクションのアイヌ資料は、どのように使われるものか-という視点で集められている」と説明した。

 アイヌ資料はその後、値段が高騰し、骨董商でも仕入れが難しくなったという。杉山は旅行後の手紙で「よく品物が残っていたものだ」と言及した。

 石巻市鹿又の70代主婦は「毛利コレクションは知っていたが、どのような内容なのか今回知ることができて良かった」と話した。

 特集展は来年3月9日まで。午前9時~午後5時、月曜と年末年始(28日~1月4日)は休館。一般300円、高校生200円、小中学生100円。

https://kahoku.news/articles/20241228khn000028.html


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当事者ではない福永壮志監督が、なぜマイノリティーを描くのか 「アイヌプリ」

2024-12-30 | アイヌ民族関連

ひとシネマ12/29(日) 22:20

「アイヌプリ」は、アイヌ文化を日常の一部として暮らす家族らに密着したドキュメンタリー映画だ。福永壮志監督は「生きた文化は映像には残せても、言葉にならない何かを含めたその神髄は、気持ちが向き合わないと伝えられない」との信念を持って作品を作りあげた。

【写真】インタビューに答える「アイヌプリ」の福永壮志監督 =下元優子撮影

生きた文化を楽しむ 現代のアイヌを撮ったドキュメンタリー

北海道白糠町の食肉処理工場で働くシゲさんこと天内重樹は、先祖から続くマレプ漁や踊りといったアイヌの文化や信仰を息子の基輝らに伝えながら、妻と家族4人で生きている。継承するという気負った考えではなく、楽しみながら続けている。アイヌプリとは「アイヌ式」の意味だ。

福永監督はアイヌを主人公とした劇映画「アイヌモシリ」(2020年)の撮影中にシゲさんに出会い、「マレプ漁」を見学。棒の先にカギの付いた「マレプ」という道具を使ったアイヌの伝統的な漁だ。「シゲさんが日常の中で行っている活動、人としての魅力を映像に収めたかった。一家の姿をそのまま残したい」と19年からドキュメンタリーの撮影を始めた。

「マレプ漁一つとっても、いい大人が必死にサケを追いかけて、楽しそう。気持ちのままにしている活動が、結果的に伝統や文化の継承につながっていることに鮮烈な印象を受けた」。シゲさんの魅力を「純粋でひたむき、信念もあり自然体。信仰も深く祈りも欠かさない。自分からは決して語らない」とよどみなく語る。

家族にスポットを当てたのも、自然の流れだった。序盤では、シゲさん一家の食事風景を淡々と見せる。「シゲさんを追っていたら、その風景に中に家族がいた」。親子の姿も「撮っているうちに物語の核になると考え焦点を当てた」。基輝は素直で自然体、人懐っこい。シゲさんとマレプ漁に行くなどアイヌ文化に関心はあるし父親を尊敬していても、引き継ぐという特別な感覚は示さない。両親も、アイヌとしての活動を押し付けることはない。「シゲさん自身が、文化や活動を復活させようとするのではなく、やりたいからやっている」

「アイヌ全体ではない」一家族の物語

撮影クルーはカメラマン、録音技師、運転手、福永監督の4人。日が暮れた後のマレプ漁の撮影などは暗闇の中で、ギリギリまでライトを使わずに撮っている。シゲさんだけでなくクルーも、楽しんでいるような雰囲気が漂う。福永監督が撮影の日々を語る。「どれだけ調べても自分からは絶対に出てこない言葉に出合うなど、フィクションとは違うドキュメンタリーの面白さを何度も感じた」

インタビューの途中、福永監督が強調したことがある。「映画はシゲさんやその周囲の人の話で、アイヌ全体のことでは決してない。こうした人もいるということ。『アイヌモシリ』から10年近くかかわっているが、アイヌについて知らないことはたくさんある」。その上で、こう話す。「アイヌは一つの成熟した文化で、何事にも感謝を忘れないとか、いろいろなものに神様が宿っているといった考えがベースにある。一方で、合理的な面もある」。2本の映画を通じてアイヌの友人や知人を得たからこその言葉だろう。

偏見生む可能性自覚しつつ

自身の立場をネーティブアメリカンと白人の関係になぞらえ「アイヌに対する和人」と位置付ける。「僕がかっこいいとか美しいとか思ったことを過剰に表現することで偏見を生んでしまったり、アイヌの人たちが違和感を持ったりする危険があった」と細心の注意を払った。そのため、編集にかなりの時間を要したという。

例えば、正装を着た踊りのシーンがある。「正装は儀式や神事で踊る時に着るものだが、映画では練習のシーンで着てもらった。かっこよく撮れたものの、撮影のために正装していいのか確認のつもりでシゲさんに見せたら『かっこつけてるシーンだからかっこよく映っていればいい』と言われた」。こうした経験を繰り返しながら慎重に作りあげた。

「非当事者が被写体を選ぶ難しさを感じた。コミュニケーションをとることでしか見えてこないものもあった」。といって、はれ物に触るような姿勢では映画として表現できない。「信頼してもらい、確認する大切さも学んだ」。踊りのシ-ンは残ったが、正装を身に着けたポートレートのショットはすべて外したという。

見えにくい事象に焦点を当てたい

福永監督はアメリカを拠点に16年間暮らした。その中で最も学んだのは、視点と題材の選び方だという。「なぜ、今、これなのか、明確な答えを持って作る。今までの作品には自分なりの理由があった」と話す。アイヌが題材の映画を2本作ったことについては「北海道の出身なのにアイヌをどれほど知らなかったかに気づき、きちんと知ろうと考えたから」と背景を述べた。アイヌを題材にした映画が近年増えていることについても聞いた。「僕の立場で言えることに意味があるかは分からない」とした上で、「認知度が高まるのはいいことだが、どれほどの繊細さで製作しているかは時に疑問だ」と語る。

長編デビュー作「リベリアの白い血」(15年)以来、マイノリティーを取り上げる作品が多い。「アメリカでアジア人として差別や偏見を経験したことは大きいし、現実への憤りや不条理を感じていることもある。今後も声が届きにくい人、見えにくい事象を映画という形で描いていきたい」と話した。

映画記者 鈴木隆

https://news.yahoo.co.jp/articles/014d4e454d0d079a873fa2a1a0d592b8888f5940


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感謝祭: 米国建国神話の起源

2024-12-30 | 先住民族関連

entrevue.fr 11月28 2024

今週の木曜日、28 年 2024 月 400 日、アメリカ人は米国の歴史に根ざした象徴的な祝日である感謝祭を祝います。毎年 XNUMX 月の第 XNUMX 木曜日、この感謝の日には、家族や友人が伝統的なごちそうを囲んで集まります。では、XNUMX年以上続くこのお祝いの起源は何なのでしょうか?

建国の物語: ピルグリム・ファーザーズの神話

1620 年 102 月、メイフラワー号は 30 人の乗客と XNUMX 人の乗組員を乗せてイギリスのプリマスを出港しました。その中には、「新世界」の自由と繁栄を求める反体制宗教者や冒険家もいた。 XNUMXか月以上の旅の後、彼らはXNUMX月に現在のマサチューセッツ州近くのプリマス・ロックと名付けた場所に到着した。

最初の冬はひどいもので、壊血病、飢餓、極寒により入植者の半数近くが死亡した。地元のアメリカ先住民部族であるワンパノアグ族の援助のおかげで、彼らの運命が好転したのは 1621 年の春になってからでした。後者は彼らに狩猟、釣り、トウモロコシ栽培、地元の植物の使用の技術を教えます。

1621 年の秋、入植者たちの豊作により XNUMX 日間にわたる祝宴が開催されました。彼らは感謝のしるしとして、ネイティブアメリカンの隣人をそこに招待します。野生の七面鳥と地元の産物を特徴とするこの分かち合いの瞬間は、アメリカの感謝祭の起源と考えられています。

地元の伝統から国民の祝日まで

感謝の習慣はアメリカ植民地で徐々に広まっていきました。南北戦争のさなかの 1863 年、エイブラハム リンカーン大統領は、分断された国家を統一することを目的として、感謝祭を国家的な感謝の日として宣言しました。しかし、フランクリン・デラノ・ルーズベルト政権下の 1941 年になって、感謝祭が XNUMX 月の第 XNUMX 木曜日に設定され、連邦祝日として宣言されました。

今日、感謝祭は家族の祝日であると同時に、アメリカ人のアイデンティティを祝う日でもあります。七面鳥のぬいぐるみ、マッシュポテト、パンプキンパイ、クランベリーを組み合わせた伝統的な食事は、ピルグリムファーザーの収穫を反映しています。この日は、アメリカン フットボールの試合や、毎年何百万人もの観客が集まるニューヨークの有名なメイシーズ パレードなど、現代の伝統によっても特徴づけられます。

ただし、この休日には論争がないわけではありません。多くのネイティブ アメリカンにとって、感謝祭は植民地化、戦争、そして人々に与えられた苦しみの始まりを象徴しています。この日を祖先を追悼する儀式で祝い、国民の物語の中で自分たちの歴史が抹消されることを非難する人もいる。

感謝祭とブラック フライデー: 切っても切り離せない組み合わせ

同時に、感謝祭でホリデーシーズンが始まります。翌日、ブラック フライデーは家族の高揚感を商業的な熱狂に変えます。世界的な現象となったこの大規模なセールの日は、本来の単純な祝祭とは驚くべきコントラストを体現しています。

建国神話と現代の伝統の間で、感謝祭は依然としてアメリカの奥深い日です。それは、米国の歴史を貫く緊張と逆説を思い出しながら、立ち直る力と同じくらい感謝の気持ちを称えます。過去と現在が良くも悪くも絡み合う祝賀会。

https://entrevue.fr/wp-content/plugins/gtranslate/url_addon/gtranslate.php?glang=ja&gurl=thanksgiving-les-origines-dun-mythe-fondateur-des-etats-unis/


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南米発の「Q―POP」、先住民のケチュア語で歌う 「境界から」㉞ペルー、世代超えてルーツ発見

2024-12-30 | 先住民族関連

2024年12月29日 11時00分共同通信

 ペルーの古都クスコの劇場で行われたコンサートで踊るレーニン(右)。ダンサーのジュリッサはケチュア語を通じて母と新たなつながりを見いだした=2024年5月(撮影・ウィリアム・ブストス、共同)

 「自由の歌を歌いながらみんなが集まる。恐れるものなどない。消し去ろうとしたって無理さ」―。ほっそりとした黒髪の青年がマイクを手に熱唱しながら、2人のダンサーとステップを踏む。ポーズを決めると、コンサートに集まった若者たちが歓声を上げる。
 南米ペルーの古都クスコの劇場。歌手のレーニン・タマヨ(24)は、アンデス地方の手織り布をあしらった衣装をまとう。K―POP風のダンスミュージックに乗せ、スペイン語にアンデス先住民の「ケチュア語」を交えて歌う。

 歌詞に込めるのは自然や愛、自由の大切さといったメッセージ。「これはQ―POP(ケチュア・ポップ)。世界のみんなをつなぐ音楽だ」

 ▽残る格差

 ケチュア語は南米のアンデス山脈を中心とした先住民の言語の総称。クスコを首都としたインカ帝国の公用語だったが、今も国境を越えて数百万人が話すとされる。

 16世紀にインカを滅ぼしたスペインによる植民地支配で、先住民は迫害を受けた。スペイン語が支配者層の言語となり、ケチュア語は社会の周縁部に追いやられた。

 今もペルーでは首都リマなど「コスタ」と呼ばれる海岸地域と、「シエラ」と呼ばれる山岳地域の経済格差が大きい。国内政治を巡る混乱にもそうした対立が色濃く反映されている。

 「僕たちの親の世代にはケチュア語で育ちながら、都会に出て現代的な生活になじみ、スペイン語だけを話すようになった人たちが多い」とレーニン。「貧困や地方といった差別的なイメージと結び付いているため、ケチュア語を話すのをやめてしまった人がいる」

 そんなレーニンはケチュア語とアンデス音楽に囲まれて育った。母のヨランダ・ピナレスは著名な歌手。クスコに生まれたヨランダは10代半ばでレーニンを産み、女手一つで育てながら毎夜ステージに立った。

 母に歌いかけられながら育ったレーニンは、呼吸するようにケチュア語を身につけた。

 ▽音楽が救い

 リマ近郊に引っ越して小学校に通っていた頃、レーニンはいじめに遭った。おとなしい性格できゃしゃな体つきのせいか、方言交じりの話し方のせいかは分からない。いじめは次第に言葉から暴力にエスカレートした。居場所がなくなった。

 泣きながら過ごしていた時に、3人組の女の子が音楽に合わせて踊っているのを見た。はやりのK―POPだった。思い切って声をかけると仲間に入れてくれた。歌とダンスに救われた。新たな居場所ができた。

 大学に進んで心理学を勉強していた時、学内の歌唱コンテストで優勝した。自信を付けて、ケチュア語で歌い踊る動画を交流サイト(SNS)に投稿した。多数再生されて人気者になった。

 卒業後に活動を本格化し、2023年に初のアルバム「AMARU」をリリースした。コンサートやテレビ番組への出演に加え、支援団体と共に子どものいじめ防止活動にも取り組む。

 普段はシャイだがステージでは堂々としたしぐさ。ケチュア語について話す口調も熱を帯びる。「単なる言葉ではない。自分たちの民族や伝統、文化を深く知るための入り口だ」

 「Q―POPは世代をつなぐ〝橋〟でもある。若い人だけでなく、親の世代にも自分のルーツを再発見してほしい」とレーニンは語る。

 ▽母に驚き
 クスコのコンサートに参加したダンサーで振付師のジュリッサ・チョク(28)も、そんな経験をした一人だ。

 子どもの頃から好きだったダンスを続けながら法律事務所に勤めていたが、新型コロナで事務所が閉鎖された。ダンス教室の生徒の紹介でレーニンの振り付けをすることになった。ある日、家でレーニンの曲を聴いていると、母親が「ケチュア語じゃない?」と聞いてきた。

 「すごく驚いた。それまで母がケチュア語を話すのを聞いたことがなかった」。両親は場所は異なるものの、ともに山岳地域の出身。母はレーニンの歌詞をスペイン語に翻訳しながら、同じケチュア語でもさまざまな方言があることを楽しそうに話してくれた。

 「母は都会に出てきてケチュア語をからかわれ、恥ずかしくなって話すのをやめてしまったらしい」とジュリッサ。「でも故郷に対する思いは消えることがなかった。レーニンの歌をきっかけに母は自分のルーツを思い出したの。今では私にケチュア語を教えてくれる」と笑顔を見せる。

 レーニンの次の舞台はアジアだ。自分の居場所を与えてくれたK―POPを生んだ韓国や日本などでの公演を目指す。

 「アジアと南米には西欧とは大きく異なる文化がある」とレーニン。「自分たちの伝統を劣ったものとして捨て去ったり、忘れたりしていないか。今こそ失われた誇りを取り戻そう」

【取材メモ/抵抗する魂】

 ペルー・クスコ
 レーニンの代表曲の一つが「KUTIMUNI(クティムニ)」だ。ケチュア語で「私は戻ってきた」の意味。スペインの植民者に殺されたインカ帝国最後の皇帝トゥパック・アマルをたたえる。「植民地支配に抵抗し続けた彼の魂が死んでいないことを、音楽を通じて伝えたかった」とレーニン。現代社会はグローバル化の波によって世界のどこに行っても画一的になりつつある。「一つ一つの文化がそうした波にあらがい、変化しながらも伝統とのつながりを忘れないことが大切だ」と語る。

(敬称略、文と写真は共同通信編集委員・吉村敬介、写真は共同通信契約カメラマン・ウィリアム・ブストス=年齢や肩書は2024年8月28日に新聞用に出稿した当時のものです)

https://www.47news.jp/11469950.html


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動画:カナダの海洋保護計画、世界のモデルを目指す

2024-12-30 | 先住民族関連

AFPBBNews 024.12.29十勝毎日新聞

勝毎元旦号 「見る・聞く・つながる」 十勝の“万博”読んで【帯広】2024年12月29日 15:08 発信地:ポートハーディ/カナダ [ カナダ 北米 ]

【12月29日 AFP】上空から見ると、カナダの最新の海洋保護区(MPA)は、太平洋の青い海に緑の森が浮かぶ一見シンプルなものだ。

しかし、バンクーバー島沖のグレートベア海と呼ばれる海域の水面下には、非常に豊かな生物多様性が広がっており、「北のガラパゴス」とも称されている。このエリアは、他の場所で海洋生物を保護するためのモデルとしても役立つかもしれない。

連邦政府は7月、ギリシャとほぼ同じ面積のエリアを海洋保護区に指定するという、前例のない措置を講じた。これまでの保護区はずっと小規模だった。

数年にわたる協議の結果取られたこの措置は、海洋生物を多岐にわたる有害な活動から保護し、再生と繁栄を促す包括的保護モデルの先行事例となることを目的としている。

重要なのは、協議に新しい協力の形があったことだ。

政府に加えて、漁業業界の代表者や地域の資源に依存する先住民コミュニティーも協力し、さまざまな利害関係を調整する保護スキームを作り上げた。

2022年にカナダ・モントリオールで開催された国連生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)では、2030年までに海の30%を保護する合意がなされたが、保護区の規模についての明確な定義はなかった。カナダのモデルはこの不確かさを解消することを目指している。

映像は9月撮影。(c)AFP/Marion THIBAUT

https://www.afpbb.com/articles/-/3556241


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勝毎元旦号 「見る・聞く・つながる」 十勝の“万博”読んで【帯広】

2024-12-30 | アイヌ民族関連

2024.12.29十勝毎日新聞

新年号の動画編集の現場。初めての試みとなるSNS向けのショート動画にも力を入れた

 2025年は巳(み)年。「再生と変化」の年です。1月1日付の特別紙面「元旦号」では、宇宙や物流など、十勝に大きな変革を予感させる分野を報道。また、意外と身近で楽しい十勝のヘビ事情も紹介します。今年のテーマは「見る・聞く・つながる」。記事を読み、動画や豊富な写真を見て、音声でお勧めを聞く。7部構成・120ページ。十勝に関する豊富な話題と情報で、新年も読者と地域をつなぎます。

来年の選挙展望、戦後80年、飛躍する地域

◆第1部 総合
 2025年は、戦後80年の大きな節目を迎える。体験者の声に耳を傾け、十勝の戦禍を振り替える。阪神・淡路大震災からも30年となり、当時、現地に入り活動した人たちの思いも聞いた。2024年に国立公園に指定された日高山脈。その急峻な姿とは対局の身近な「低山」のあふれる魅力にも迫る。ほかにも、夏の参院選や町村長選、東京・札幌支社からの最新事情、北海道知事との対談など来年の動きを知ることのできる記事も満載。

恒例19市町村ページ“地域の宝”掲載

◆第2部 市町村
 十勝の全19市町村について各1ページを使い、それぞれの地域の特色と魅力を伝える。各ページ共通で(1)特産品や文化といった後世に残したい地域の宝を紹介する「わがまちパビリオン」(2)地域発祥の特産品や加工品を取り上げる「イチオシ土産物」(3)十勝に移住した外国人を紹介する「十勝に暮らす」-の3テーマを設定する。

十勝の「ヘビ・へび・蛇」登場

◆第3部 干支・ヘビ
 巳(み)年に意欲に燃えているのは、鹿追町の然別湖で半世紀続く、アイヌの伝説を元にした「白蛇姫舞」だ。活動に励む保存会や子どもたちを伝える。

 また、十勝でもヘビは生息し、おびひろ動物園でも飼育され意外と身近な存在。ペットとして愛好する人に魅力を聞いたほか、十勝のヘビ事情やヘビを題材とした本を通じて、2025年の主役「ヘビ」に迫る。さらにヘビは脱皮することから縁起が良いともされ、1年の開運の糸口も紹介する。

「宇宙のまちづくり」最前線

◆第4部 宇宙
 大樹町が「宇宙のまちづくり」を打ち出してから、2025年で40周年を迎える。商業宇宙港「北海道スペースポート」(HOSPO)の整備が進み、いよいよ大樹からロケットを年間に複数打ち上げる“高頻度化”に挑む新たな局面が始まる。十勝での「宇宙版シリコンバレー」形成も現実味を帯びてきた中、活発化する宇宙産業が十勝にもたらす効果を探る。「食の十勝」が供給する宇宙日本食の試食レポートも。

夢のプロ野球へ 注目の2選手

◆第5部 スポーツ
 スポーツがテーマの第5部では、プロ野球ドラフト会議で指名された十勝出身の片山楽生、澁谷純希の両投手や、1年後に迫った2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪で活躍が期待される地元の注目選手などを紹介する。

 このほか、十勝でじわりと注目が集まっている柔術の道場や、パリ五輪の影響で人気が高まっているスケボー施設、帯広市内で誕生したインドネシア人によるバドミントンチームなど、多彩な話題が満載。

地元食材の「農家メシ」紹介

◆第6部 経済・農業
 食料自給率1212%を誇り、スーパーに行けば地元産食材に事欠かない十勝。ところで、そんな農業王国・十勝を支えている人たちは、どんな食生活を送っているのだろうか。十勝の生産者の食卓をのぞかせてもらうとともに、農協などにそれぞれ自慢の食材を使ったお勧めレシピを教えてもらった。

 また、「2024年問題」や、釧路まで直結した道東道など、物流の話題を特集。来たる年に節目を迎えた管内企業の紹介もある。

芽室出身の浪曲師 新春クイズも

◆第7部 エンタメ
 名跡を襲名し活動を広げる浪曲師、三代目広沢菊春さんは芽室町出身だ。襲名後は実現していない十勝公演に意欲を示す広沢さんに浪曲の魅力や活動への思いを聞いた。

 ほかにもJAGA情報、管内作家の文芸作品、クイズやパズルも掲載。お正月を家族で過ごすお供にぴったりの内容が目白押しだ。三が日のテレビ番組、江戸時代の“メディア王“蔦屋重三郎が題材となるNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」などテレビの情報も。

https://hokkaido-nl.jp/article/36601


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京極夏彦『書楼弔堂(しょろうとむらいどう) 霜夜(そうや)』(完結巻)主人公は書籍流通の仕組み。でき上がったらお役御免です

2024-12-30 | アイヌ民族関連

ブックバン 12/29(日) 6:00

主人公は書籍流通の仕組み。でき上がったらお役御免です

京極夏彦の明治を舞台とした小説『書楼弔堂』が第四巻『霜夜』でついに完結する。無い本は無いという不思議な本屋・弔堂の主が、訪れる客たちにその人だけの一冊を選書するという連作。今回は時計の針が明治四十年に設定されている。シリーズのそもそもの始まりから、『霜夜』に登場するゲストの人選まで、インタビューで最新作を深掘りしてみた。

 この連作は、当時の担当編集者から明治時代の本屋さんについて書いてもらえないか、という提案があって始めたものです。明治は日本の書籍流通が劇的に変化した時代でした。それこそ刻一刻と様相が変わる。編集者の提案は、まだ書店で本を買うことが一般的ではなかった時期に、お薦め本を教えてくれる本のソムリエがいて……というような内容だったのですが、書籍流通の変遷自体を主役に据えたほうが絶対面白いと思いました。だから語り手の個性を前面に出さないため、視点人物については地の文に一人称を設けないという決め事をしました。第一作『破曉(はぎょう)』の視点人物・高遠(たかとお)は「役立たず」で、自由民権運動という大きな波に乗れなかった人。その頃は本の購読なんて特殊な人のすることでした。五年後の第二作『炎昼(えんちゅう)』の時代になると本も自由に買えるようになり始める。でも諸事情で「読めない人」ということで、女性の塔子(とうこ)を語り手にしました。第三作『待宵(まつよい)』の弥蔵(やぞう)は、さらに時代が進んで本も入手しやすくなっているんだけど、そういう世情から置いていかれた「時代遅れ」です。四作目を「本を作る人」にすることは最初から決めていて、当初視点人物は活字を拾う職人だったんですが、具体的な生活環境が掴みにくく、活字を作る手伝いをする男を採用しました。

―― 本編の語り手である甲野(こうの)は、生業の長野版画が駄目になり、東京に出てきました。

 近代化の役に立たない者、男性中心主義の社会の中の女性、時代遅れの老人と、明治の世の中ができていく過程でパージされてきた存在をこの連作では語り手にしています。風俗史学の資料などを読むと、明治から大正、昭和にかけては、旧態依然とした文物を攻撃することで近代人としての自我を確立しようとしていた節があります。現代の価値観で測るなら非常に差別的なまなざしなんだけれど、例えば中央に対する地方は、それだけで差別対象でした。活字を作るという仕事は、役立たずにも、当時の女性にも、時代遅れにもできない。必然的に地方出身者を充てることになりました。

―― 最初から語り手と巻数の組合せも決まっていたわけですね。

『破曉』『炎昼』『待宵』『霜夜』という各巻の題名も決めていました。流通の夜明け、昼間、夕暮れ、そして夜中になって翌朝陽が昇る、朝昼晩夜という構成です。同時に『破曉』の第一話を「臨終」にして、『霜夜』の最終話を「誕生」にしようと決めて。

―― 甲野が長野版画の出身なのはなぜですか。

 出版に中途半端な形で携わった者が、自分の仕事に誇りを持てるまでを『霜夜』では扱おうと考えました。長野版画は江戸時代には盛んでしたが、明治になって下火になり途絶えてしまう。失業した職人が東京に出てきて出版に携わったらどうなるだろうと。ただ、版画の彫り師や摺り師と近代的な本の印刷に関わる人たちはまったく職種が違います。写植を打っていた人が、DTPでフォントを作る人にすぐにはなれないのと同じですよ。ただ同じ用途の仕事をしているわけだから、そういう転職があってもいいかなと思ったんです。

―― 話の入り口をそうやって決められたわけですね。

 甲野の自意識も重要です。江戸期の身分制度を明治はまだ引きずっていて、階層ごとに意識は異なっていたはずです。地方であればなおさらで、甲野が自分を田舎者と卑下してしまうのは、地方出身であることの引け目が彼の屈託につながっているからでしょうか。

―― 『炎昼』の塔子が女性であるために制約を受けていたのに似ていますね。そういう点に着目されているのが小説の特徴にもなっていると思います。

 この連作は特に事件が起きるわけではない、恋をするわけでもない、ただ弔堂のおやじとしゃべっているだけですからね。僕の小説はそういうのが多いんですが、それにしても何も起きない。そういう連作には、何もできない人を狂言回しにするのがいいだろうと思ったんですね。だから、面白くないんですよ、きっと。

―― そんなことないです(笑)。

 いや、面白くないんですけど、面白くないものを、面白そうに見せかけるのが小説じゃないのかと。あらすじだけで面白かったら、別に本文を読まなくていいし(笑)。

〈書楼弔堂〉は「徹子の部屋」? 

―― 話の中心である弔堂の設定は、どのように決められたんですか。

 弔堂は時空を超えているという設定にしたかったんですけどね。幻のように立ち現れて、四作とも別の場所にある。小僧の撓(しほる)もずっと小僧で年を取らない。でも、それだとファンタジーになってしまい、僕の手に余るからやめました。小僧にも五歳ずつ年を取らせて(笑)、主人にも人としての属性を与えましたが、還俗した僧侶という以外は作中であまり触れていませんね。ただ僕の小説にはたくさんしゃべる物知りおやじがよく出てくるので、他の登場人物、たとえば京極堂なんかとはありようを変えなくちゃいけない。弔堂は人の憑き物を落とすような、おせっかいな真似はしません。

―― 弔堂の主人は物語の中心ではないんですね。彼が来訪者にそれぞれの一冊を薦めるというのが物語の定型です。来客はみな歴史上の実在する人物ですが、それはなぜですか。

 もちろん実在の人物ではなくても成り立つんですけどね。渡す本を先に決めて、その本によってなんとかなるような人を創作すればいいわけですから。ただ、それだとなんでもありになる。答えを知ってから問題を作るようなもので、これはつまらない。実在の人物の場合、その背景も設定も勝手には変えられないですね。その強い縛りに、いかにもミスマッチな選書を当てるほうが、まだ面白かろうと。『破曉』の第一話では視力を失った浮世絵師に英語のノートを渡してますからね。絶対読めない(笑)。初回で振り切ったので後は楽になりました。とはいえ、毎回弔堂に有名人が来るという「徹子の部屋」スタイルですからね、毎回徹子さんが、いらっしゃいと出迎えるだけでは読者も飽きますよね。誰が来ようと意外性もなにもない。そこで『炎昼』では視点人物以外の常連客で縦筋を作ったり、『待宵』では買わないで逆に売りに来る客を出したりしてみました。そういう振れ幅を持たせないと保(も)たなかったでしょうね。『霜夜』に到っては、主より客の影響力の方が強い。弔堂はもう単なる装置でしかない。弔堂が書籍流通を体現した存在だとしたら、もう彼がいなくても成立する時代になったんです。彼は用無しになるべきで。

―― 確かに読んでいて、それまでのフォーマットが崩れているな、と思いました。

 結局ほぼ基本フォーマットに沿っていたのは一巻目だけですからね。『巷説百物語【こうせつひゃくものがたり】』もそうなんですけど、僕は一冊ごとに形を変えないと気が済まないみたいで。自分が飽きてしまうんでしょうね。

―― 今回は各話の題名も「活字」「複製」「蒐集」「永世」「黎明」「誕生」と、どことなく大量印刷と流通の始まりを暗示するものになっていますね。

『破曉』の冒頭では丁稚(でっち)が車を引っ張って本を買いに歩いています。つまり取次(とりつぎ)の仕事をしているんですが、『霜夜』では取次会社ができているから、彼らの出番はない。一作ごとに五年時間が経つという決まりにしたのは、そうした変化をわかりやすくするためでもありました。実は、最後に弔堂を火事で全焼させたかったのですが、編集者から反対されて沙汰止みに。ちょっと燃やしたかったですね(笑)。

『霜夜』成立の根底には 「週刊少年ジャンプ」があった

―― 各話のゲストについて伺いたいのですが、『破曉』にも登場する夏目漱石が「活字」で再登場するのはなぜなのでしょうか。

『破曉』にも夏目金之助は出てきますが、名前だけです。視点人物が漱石と同じ本を奨められるというだけ。だから最終巻には漱石本人を出そうと決めていました。明治四十年だと、専業作家として小説を書き始める時期なので、漱石は教師の重圧から解放されて嬉しかったでしょうし。新しい仕事について迷っている甲野に対して「活字はいいぞ」と言ってその気にさせる役目には適任じゃないかと。そもそも私は漱石の小説に非常に影響を受けているんですね。文豪なんだけど、格調高いというより軽妙さをもって時代に受け入れられた人ですよね。『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』は、近代小説の形が定まって以降に書かれていたら、ただのユーモア小説と評価されていたかも。人としても面白いですし。

―― 次の「複製」は日本近代美術の確立者である岡倉天心です。

 錦絵のようなものと書籍って、別物ではあるんですが、角度を変えて見れば同じものでもあるんです。例えば、漫画雑誌って昔は読み捨てが当たり前でしたよね。昔の「週刊少年ジャンプ」なんか酸性紙に刷られていて、二十年もすると裏抜けがして読めなくなるから、みんな捨ててました(笑)。でも今、漫画は日本の誇るべき文化です。古書価も高いし、原画展が開催されたりする。評価軸がまったく変わっちゃった。浮世絵も同じです。浮世絵って、今でこそ美術品として大事に扱われてますが、当時は紙屑として捨てられてましたからね。浮世絵は昔の「ジャンプ」と同じなんですね。その価値を語らせるには、当時から浮世絵を評価し、大衆芸術として位置付けるべく「浮世絵概説」なんかを書こうとしていた天心がいいだろうと。

―― なるほど、それで浮世絵ですか。

 浮世絵は明治から大正期にかけて海外で評価が高くなって、それで国内評価も上がったんですよ。この国ではどういうわけか、海外で褒められると慌てて自国内の評価も上げるという不思議なことが起きる。自分のいいところを自分で気づけないというおかしな一面がありますよね。浮世絵もその一つです。

―― 第三話「蒐集」に登場するのは帝国図書館初代館長の田中稲城(いなぎ)です。大量印刷の時代に公共図書館が出現するというのは、改めて指摘されると、なるほどと納得しますね。

 中島京子さんが『夢見る帝国図書館』(文春文庫)というとても素敵な小説を書かれています。あの作品を読んで、国家的な施設である帝国図書館と個人の蔵書家が抱える悩みがまったく同じだということを思い知らされました。本が増えると書棚に入らない。お金がないと本は買えない。田中稲城の悩みって我々の悩みなんですよ。蔵書という概念も、この頃にできたもののはずでしょう。それ以前は、一般家庭に書架なんてなかった。この時代から民間の蔵書家というものが誕生し、本の置き場がないという悩みが出現したわけで。

―― 永遠の悩みが。

 帝国図書館は、戦争のせいで規模は縮小されるわ、予算は削られるわでさんざんな目に遭います。もし日本が戦争なんて愚かしいことをしていなかったら、もっと立派な国会図書館が今頃はあって、日本中の人が喜びながら通っていただろうと考えると忸怩(じくじ)たるものがありますよ。だからこそ田中稲城に一言語らせたかったのですね。

―― 次の「永世」には朝の連続テレビ小説「らんまん」で主人公になった植物学者・牧野富太郎が登場します。しかし『書楼弔堂』では「らんまん」以前から名前だけですが登場していましたね。

 これも「少年ジャンプ」ですよ(笑)。僕は一九七〇年前後の「ジャンプ」は捨てずに保存してます。故・水木しげるが『悪魔くん復活 千年王国』を連載していたからです。当時の「ジャンプ」は紙が悪くて、保存環境に関係なく経年劣化がひどい。あと三、四十年もすると完全に読めなくなってしまうかもしれません。かつてのテレビ番組は、ビデオテープが高価だったため、次々上書きされていた。当時の番組の中には映像が現存しないものも多い。それを知ったときはショックでした。最初からないならともかく、あるものがなくなるとは情けない。今あるものはいつまで保つのか問題というのが、子供時代から私の中にはずっとあるんです。

―― ああ、だから植物標本で牧野富太郎なんですか。

 標本はいずれ朽ちますが、牧野は絵も描いてますよね。しかも印刷まで学んでる。でもそれで満足したかというと……どうなんでしょう。それでもそれがいつまで残るのかという不安がこみ上げてきたのじゃないか。僕もかつてはテレビ番組を一生懸命エアチェックしてましたけど、ご存じの通りビデオテープの時代は終わりました。デジタル化したって永遠ではない。完璧な保存手段などないのだと思い知らされて侘しくなった僕と、牧野も同じ気持ちになったのではないかと。

―― ご自分が重なりましたか(笑)。

 心配はあったと思うんですけどね。あれだけたくさんのものを分類・整理し、保存していた人であれば、絶対同じような懊悩を持っていたはずです。さっきの田中稲城もそうですが、本好きなら少なからず、この蔵書をいつまで持っていられるだろう、と考えるんじゃないですか。でも甲野のようにもともと本に関心がない人は、そんなこと考えもしない。両者に話をさせたら絶対噛み合わないんですよね。思えば、これも私は「少年ジャンプ」で気が付いたんですよ。絶対に大丈夫だと思っていたら紙が裏抜けして読めなくなってしまった「ジャンプ」から。明治の頃なんて紙はもっとひどいですからね。いい紙を使って、印刷も綺麗にしたほうがいいですよ。確かに業界を維持するためには出版社が儲けなければいけないんだけど、きちんとした形で本を売ってちゃんと読者に届けるという形で儲けるべきなのであって、いたずらに原価を下げようとするのは間違っていますよね。本はある程度高い値段でも、買う人はちゃんと買うんです。安けりゃいいってものではない。バブルからこっちの四十年ぐらい、出版社の人たちはいろいろ方向性を見失っている感がありますが、その萌芽がこの当時すでにあった気がする。電子書籍が出てきてから紙の本という呼び方ができましたが、その割に紙はあまり注目されていないですよね。紙にもいろいろあって、デザイナーだっていろいろ考えて用紙を決めている。品質のみならず仕入れ価格も違う。その苦労をご存じですか、という気持ちをこめております(笑)。

―― 次の「黎明」は他の話と少し毛色が違うように感じました。言語学者の金田一京助がゲストですが、彼が取り組んでいたアイヌの問題が取り上げられます。

 金田一京助は私らの世代では辞書を作っている人として有名でしたが、基本的にはアイヌ語学者です。しかし、ずいぶん研究対象とは揉めてますし、批判もされています。民族の問題というのはデリケートなもので、差別的な言論は論外としても、単純に価値観を押しつけあうようなことをしてもいけないでしょう。そこに関しては現代でも未解決というよりない。だから金田一京助をアイヌ語学者として持ち上げるだけですませることはできなかったんですが、ただ『霜夜』の時代の金田一は、樺太(からふと)から帰ってきたばかりで、俺はアイヌ語研究で生きていく、と決めた直後ですからね。甲野は甲野で、いろいろな人に話をされて混乱しているんですが、その甲野が、好きにしようと決めたばかりの金田一と出会う、という話なんですね。それが正しいかどうかは別として、好きにすることで目の前の霧が晴れたような気持ちになる。だから「黎明」なんですけどね。

―― なるほど。

 黎明は単に明るくなってくるだけで、その後で雨が降るか雪が降るかはわからんのですよ。兆(きざ)しにすぎなくて、結果は見えない状態ですよね。ここまで条件が出そろったら出版文化はなんとか形になるだろうという予兆はありますが、まだどうなるかはわからない。今の出版業界はこの形でいいのか悪いのかはわからない。そういう不確定な部分は示しておかなきゃいけないなと。最終話でやると暗くなりますし。

キャラクターは京極小説の核ではない

―― そして大団円となる「誕生」です。

 最終話「誕生」は一回書き直しています。本当は釈宗演(しゃくそうえん)回でした。釈宗演が弔堂に行って、禅問答のようなことを繰り返すのを横で甲野が聞くという。ただ、書いてみたはいいものの、これが面白くないんですよ。いや、書くのは面白かったんですけど、多分作者以外の人は面白くない。坊主と坊主の闘い、僕は得意なんです(笑)。でも、わかりにくい。だから釈宗演はちょい役に落として書き直しました。

―― 最終話らしく、前の巻に出てきた懐かしい人も顔を出しますね。

 最終回だから全員出しました、みたいなほうが、坊主が禅問答で形而上的な謎かけをするよりはいいでしょう。私はそんな高尚な小説を書きたいわけじゃないし(笑)。それから、ある人物は、名前こそ出していないけど、すでに〈百鬼夜行〉シリーズにも登場しています。だから〈書楼弔堂〉でそうなった経緯を説明しておかなくちゃいけなくて。

―― 改めて振り返ると、明治二十五年から四十一年が日本の出版史上極めて重要な時代であったことがよくわかります。これで弔堂とお別れというのは少しさみしいですが。

 書籍流通の仕組みができ上がるまでを見届けたら、お役御免ですから。まあ、弔堂は作中、北へ向かうと言ってます。北に何があるのか、ということはまたいつか。

―― いや、気になりますよ! でも毎回思いますけど、京極さんはいつも魅力的なキャラクターを作られますが、そのキャラクターは絶対小説の中心にならないんですよね。

 キャラクター小説も面白いんですけど、基本的に構造は全部同じになるので、書き手としては飽きちゃうんですよね。キャラクター小説自体は魅力的なジャンルなので、僕じゃなくて他の誰かが書いてくれればいいと思ってしまう。

―― 本作も真の主人公は書籍流通の仕組みなんですよね。弔堂自体は巨大な空白に近い。

〈書楼弔堂〉シリーズに登場する歴史上の人物は、ある程度史実に基づいて書かなければいけない。僕が勝手に作っていいわけではないんです。実はそっちのほうがはるかに面倒くさいんですけどね。だから、それ以外の人間はなんでもいいわけで。主人は流通の化身みたいなものだし、語り手はどうしようもない人たち。これ、実在の人物が出てこなかったら、本当につまらないですよ。小僧の撓はよくわからない子ですしね(笑)。

―― シリーズを振り返ってみて、最初の構想から何か変わったことはありますか。

 僕は最初に決めたまんま全部書いちゃうので、途中で話をいじって変えることは通常あまりないです。だから最初に考えた通りではあるんですが……間が空くと忘れちゃうこともある(笑)。本来甘酒屋は死んでたような気もしますね。作者の肚づもりとしては、もっと夏目漱石のような軽妙な感じにしたかったな、という思いはありますね。最初のほうが少し硬いんですよね。『待宵』なんかは、憎まれ口をたたくじじいが出てきて、僕はそういうじいさんが大好きなので筆が滑ってる気もしますが。だから殺さなかったのか(笑)。

―― デビュー三十周年にあたる本年は、〈巷説百物語〉シリーズが『了(おわりの)巷説百物語』で完結しました。同作では妖怪を仕掛けに使うことが不可能な時代に入り、登場人物たちが一斉に退場して、活躍の場はもう物語の中だけになるだろう、と宣言して終わりました。弔堂が自分の役目を終えて消えるという本書の終わり方には同書と共通するものを感じます。

『鵺(ぬえ)の碑(いしぶみ)』『了巷説百物語』『書楼弔堂 霜夜』は間を空けずにほぼ続けて書いていますから、どこか似てしまったのかもしれませんね。『了巷説百物語』も『霜夜』もやるべきことはやったからおしまい、という内容で湿っぽくはないのですが、これで最終回、はい、さよなら、と作者が肩の荷を下ろした感じは少し出てしまっているかも(笑)。

京極夏彦

きょうごく・なつひこ●小説家・意匠家。

1963年北海道生まれ。94年『姑獲鳥の夏』でデビュー。著書に『魍魎の匣』(日本推理作家協会賞)、『嗤う伊右衛門』(泉鏡花文学賞)、『覘き小平次』(山本周五郎賞)、『後巷説百物語』(直木賞)、『西巷説百物語』(柴田錬三郎賞)、『遠巷説百物語』(吉川英治文学賞)、『鵺の碑』などがある。

[文]杉江松恋(書評家)

1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。

聞き手・構成=杉江松恋/撮影=大槻志穂

協力:集英社 青春と読書

 Book Bang編集部

 新潮社

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f4d3889c44a346a8c10a59c6464ea91951159ed


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