北海道新聞 07/01 16:00
国後島南部のオタトミで発見されたチャシ跡(北海道博物館提供)
学術交流訪問団5月に発見
【根室】国後島を5月24日から同27日まで訪れた北方四島ビザなし交流の北方四島歴史・文化学術交流訪問団(団長・右代啓視《うしろひろし》北海道博物館研究部長)が、同島南部のオタトミで、アイヌ民族のチャシ(とりで)跡五つを発見した。18~19世紀初めに築かれたとみられ、当時の同島でアイヌ民族の勢力が強かったことを物語る。右代団長は「北方四島でこれだけ多くのチャシ跡がまとまって一度に見つかった例はない」と話しており、今後も調査を続ける考えだ。(今井裕紀)
今回の訪問団には右代研究部長ら道内外の6人が参加した。一行は5月26日朝、ボートでオタトミの岸に到着。段丘を歩いて航空写真で見当を付けていた場所を目指すと、チャシ跡五つを発見した。
チャシ跡は海岸段丘のがけの地形を利用した「面崖(めんがい)式チャシ」と呼ばれる様式で、上から見るとV字形やU字形に掘られた壕(ごう)が確認された。それぞれのチャシの全長は約20~26メートル。一部のチャシは途中で築造をやめた形跡があった。今回の発見場所の近くのオタトミ墓地へ元島民らが墓参したことがあるが、これまでチャシの存在は確認されていなかった。
訪問団は2006年からビザなし交流の枠組みで北方四島で調査を行ってきた。色丹島東部のチボイや国後島中央部の植古丹(うえんこたん)など、これまでに北方四島で22カ所(択捉島2カ所、色丹島6カ所、国後島14カ所)のチャシ跡を確認している。
18~19世紀初め築造 現地アイヌ民族、勢力の強さ反映
右代団長によると、チャシが造られた18世紀ごろのクナシリ・メナシ地方(現在の国後島や根室管内)は、アイヌ民族の勢力が強い地域で、特に国後、択捉、色丹各島は松前藩の勢力の影響を受けていない地域だった。18世紀末ごろに松前藩の場所請負制の下で商人が入ってきたという。
訪問団が5月27日に根室港に帰港後開いた記者会見で右代団長は「国後島の東沸湖などにも、チャシ跡が残っているという情報がある。今後も調べる機会があれば、アイヌ関係のものがどんどん見つかるだろう」と指摘。北海道博物館の鈴木琢也学芸主査は「オタトミには戦前、研究者が行っていたがノーマークだった。チャシ跡の周辺にはかなり勢いのあるコタン(アイヌ民族の集落)があったと予想できる」と話した。
近年は根室市内のチャシ跡に多くの観光客が訪れるなど全国的に注目度が高まっている。根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(しげと)学芸員は「四島のチャシ跡がどういうものか実際に見ることができた。今後、資料館の来館者に四島の状況を説明する上でも意義は大きい」と振り返った。
チャシ跡 チャシは「柵」、「囲い」などを意味するアイヌ語。自然の地形に盛り土をしたり壕(ごう)を掘って区切ったりして多くは16~18世紀につくられた。戦いのためだけではなく、漁の見張りや祭祀(さいし)の場として使われたと考えられている。北海道教育委員会によると、道内で確認されたチャシ跡は515カ所。その内、釧路管内では122カ所、根室管内では80カ所と、釧根管内で全体の約4割を占める。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/320865
国後島南部のオタトミで発見されたチャシ跡(北海道博物館提供)
学術交流訪問団5月に発見
【根室】国後島を5月24日から同27日まで訪れた北方四島ビザなし交流の北方四島歴史・文化学術交流訪問団(団長・右代啓視《うしろひろし》北海道博物館研究部長)が、同島南部のオタトミで、アイヌ民族のチャシ(とりで)跡五つを発見した。18~19世紀初めに築かれたとみられ、当時の同島でアイヌ民族の勢力が強かったことを物語る。右代団長は「北方四島でこれだけ多くのチャシ跡がまとまって一度に見つかった例はない」と話しており、今後も調査を続ける考えだ。(今井裕紀)
今回の訪問団には右代研究部長ら道内外の6人が参加した。一行は5月26日朝、ボートでオタトミの岸に到着。段丘を歩いて航空写真で見当を付けていた場所を目指すと、チャシ跡五つを発見した。
チャシ跡は海岸段丘のがけの地形を利用した「面崖(めんがい)式チャシ」と呼ばれる様式で、上から見るとV字形やU字形に掘られた壕(ごう)が確認された。それぞれのチャシの全長は約20~26メートル。一部のチャシは途中で築造をやめた形跡があった。今回の発見場所の近くのオタトミ墓地へ元島民らが墓参したことがあるが、これまでチャシの存在は確認されていなかった。
訪問団は2006年からビザなし交流の枠組みで北方四島で調査を行ってきた。色丹島東部のチボイや国後島中央部の植古丹(うえんこたん)など、これまでに北方四島で22カ所(択捉島2カ所、色丹島6カ所、国後島14カ所)のチャシ跡を確認している。
18~19世紀初め築造 現地アイヌ民族、勢力の強さ反映
右代団長によると、チャシが造られた18世紀ごろのクナシリ・メナシ地方(現在の国後島や根室管内)は、アイヌ民族の勢力が強い地域で、特に国後、択捉、色丹各島は松前藩の勢力の影響を受けていない地域だった。18世紀末ごろに松前藩の場所請負制の下で商人が入ってきたという。
訪問団が5月27日に根室港に帰港後開いた記者会見で右代団長は「国後島の東沸湖などにも、チャシ跡が残っているという情報がある。今後も調べる機会があれば、アイヌ関係のものがどんどん見つかるだろう」と指摘。北海道博物館の鈴木琢也学芸主査は「オタトミには戦前、研究者が行っていたがノーマークだった。チャシ跡の周辺にはかなり勢いのあるコタン(アイヌ民族の集落)があったと予想できる」と話した。
近年は根室市内のチャシ跡に多くの観光客が訪れるなど全国的に注目度が高まっている。根室市歴史と自然の資料館の猪熊樹人(しげと)学芸員は「四島のチャシ跡がどういうものか実際に見ることができた。今後、資料館の来館者に四島の状況を説明する上でも意義は大きい」と振り返った。
チャシ跡 チャシは「柵」、「囲い」などを意味するアイヌ語。自然の地形に盛り土をしたり壕(ごう)を掘って区切ったりして多くは16~18世紀につくられた。戦いのためだけではなく、漁の見張りや祭祀(さいし)の場として使われたと考えられている。北海道教育委員会によると、道内で確認されたチャシ跡は515カ所。その内、釧路管内では122カ所、根室管内では80カ所と、釧根管内で全体の約4割を占める。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/320865