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今週の本棚:海部宣男・評 『アイヌの世界』=瀬川拓郎・著

2011-04-19 | アイヌ民族関連
 毎日新聞 2011年4月10日 東京朝刊

(講談社選書メチエ・1575円)
◇縄文の言語と文化のタイムカプセル
 アイヌ語には、日本語との共通な言葉が少ない。「アイヌ」という言葉自体、「カムイ=神」に対する「人間」の意味だから、私たちが日本的と考える発想とはだいぶ違う。宇宙の概念を含め世界観や文化一般でもいわゆる日本の伝統文化とは大いに異なるし、オホーツク文化の影響も明らかだ。長期にわたって互いに近く暮らしてきたのに鮮明なこの違いは、どこからきているのだろう。
 言語学から専門的に見てもアイヌ語はやはり日本語とは違うし、北方諸民族の言葉とも違うそうだ。それどころか同系の言語が見当たらず、系統不明な言語というしかないという。
 では、民族学・民俗学からはどうか。本書はクマ祭りなどアイヌ文化の比較分析や考古学の成果を組み合わせながら、アイヌ世界の成り立ちに迫った好著。まだ謎の多いアイヌ文化に、多面的な考察の光を当てている。
 北のアイヌは、南の旧沖縄人とともに縄文人の流れを濃く汲(く)む人々で、大陸から稲作文化を持ち込んだ人々によって南北に追われたという見解がある。ただしこれには異論もあるし、孤立した言語であるアイヌ語に対し、琉球語は旧(ふる)い歴史時代の日本語を祖語とする。
 著者は、古くは蝦夷(えみし)と呼ばれたアイヌの人々は、やはり縄文人の流れを汲むと考える。アイヌ語は、失われた縄文語を基礎とする言語だろうと。その後、古代から近代にかけての日本語から、また北のオホーツク文化を担ったツングース諸言語からも、文化と共に言葉や概念を輸入し変容してきた。そうした著者の考察は、縄文の流れを汲む続縄文文化、農耕文化の影響を受けた擦文(さつもん)文化、さらにオホーツクの荒海に乗り出した大交易時代、というアイヌ文化の変遷の歴史をふまえたものである。
 もしそうならアイヌ語は、失われた縄文語の基層をいまに残す言語ということになるわけだ。
 なかなかすごいことだなあ。
 アイヌ世界の変遷をたどる上で著者がくり返し考察するのは、飼いグマ儀礼を含むクマ祭り文化。縄文文化のイノシシ儀礼からアイヌのクマ儀礼へと移っていったという。してみるとアイヌの信仰・儀礼も、縄文から古代日本の言語・文化のタイムカプセルなのだ。
 日ごろ親しみ深い北海道だが、そこで育まれてきた歴史や文化について、私たちは知らないことだらけだ。本書には目を開かされる事項・考察が満載である。『日本書紀』に書かれた遠征で、阿倍(あべの)比羅夫(ひらふ)は誰と、どこで戦ったのか。七~九世紀の東北地方から北海道石狩地区への農民の進出は、どんな影響を残したか。古代からくり返されたオホーツクの民との攻防の末、一一世紀頃からサハリン・沿海州へと乗り出したアイヌの人々は、何をめざしたのか。
 どれも面白い話だ。著者によれば、アイヌはある時期「オホーツクのヴァイキング」だった。モンゴルの大軍をサハリンで迎え撃ったというのも、すごい。
 最後に著者が提示するのは、「アイヌ世界の景観」を復元する試みである。舞台は上川盆地、時間スケールは一万年。登場するアイヌの人々は、森の民から、川の民=サケを売りさばく交易の民へ、そして内地からの屯田兵や水田耕作の農民たちに「二流農民」へと押し込められる。民族の文化とその舞台を、時間を軸に俯瞰(ふかん)する試みが新鮮だ。
 考えてみれば明治のアイヌに起きたことは、かつて稲作文化の流入によって日本各地の縄文人に起こったことでもあっただろう。アイヌの世界が、二重の意味で縄文と重なってくる。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20110410ddm015070011000c.html
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