今日は彼岸の中日、将来の私の墓地と成る場所の掃除に出掛けたが思ったほど草も成長しておらず紫の小花が一面に咲き乱れ余りにも綺麗だったので持上がった草刈機での草刈は止めにする事にした。可憐な小花だったので自然に枯れた頃に草刈をすれば良いと思ったのだ。何せ直ぐ上の墓地の石積みが此の前の台風で少し崩れ其れが我が家の墓地に落ちて居たのでもう少し涼しく成ったら石積みを直す必要があるので草刈は其の時で調度良い様に思われた。
山を下って実家の墓地の先祖と別の両親と兄が眠る墓に手を合わせた後、しきびの葉の落ちたのを拾い集めて居ると見知らぬ御婦人が「今日は 前々から此の墓地の一角に珍しい塔が建って居ますが此れは何の塔ですか?」と聞かれた。「此の塔は私の母が道路を横断中に若い人の車に跳ね飛ばされて亡くなった為に私の父が母の供養の為に長野県の善光寺さんに出向いて許可を貰って建てた塔で墓石では無くて此の中には供養の為の有難いお経が納められて居るらしいです」と私も確認はした事が無いのでそう答えると「そうですか?家紋と凡字が刻まれて居るのは解るのですが前々から何だろうと思って居たのですが調度、今日は貴方が居られたので聞いた次第です良く解りました。」と一礼して御婦人は去って行った。
現在の墓地は先程の山から母親が亡く成った時に降ろして前々から離れた二箇所に合った墓を(我家の初代は私の曽祖父が分家した事からが始まって居るが本家筋の跡継ぎが墓を守らなかったのか?其れを途中から受継いだらしく?父親からも其の経緯は聞いた事は無いのだが)集合したため私の知らぬ先祖から私の祖父と祖母までの墓石と私の両親の代からの墓に分かれて居る。ひょっとすると私の親爺は酒飲みの祖父に泣かされたので同じ墓石には入りたく無かったのか良くは解らないのだが?中央の墓の特等席に両親が兄を挟む様に納められて居る。私としては先祖に敬意を表し御先祖の墓から線香を上げ手を合わして居るが此の事は生真面目な親爺にしては少し理解し難い思いが有るので機会が有ったら聞いてみたい気がするのだが・・・・・其の事は現在の墓地を実際的に造った次の当主と成った兄からも聞く事は無かった。
先祖の墓で手を合わすと祖父と祖母の顔は何と無く思い出せるが直ぐに頭の中に鮮明に浮かぶ程確かでは無い正にセピア色に色褪せた少しピントの甘い写真を見る様な感じだ。二代目の祖父は遣りたい事を遣り通し(4代目の誰かと良く似ているが)66歳で永遠の眠りについた。祖母は92歳まで長生きして別の世界に行ったが今思うと私は既に祖父の寿命を追越した。母親は74歳だったと記憶しているが交通事故に遇わなければもっと長生き出来たであろうに?父親は91歳まで生き天寿を全うした方であろう。当然両親の顔は鮮明に思い出せるが日々の生活や夢の世界で両親が現れる事は殆ど無い。私も下手をすると何時其方にお呼びが掛かるか解らない年齢に達してしまったのに未だに俗世の煩悩と欲の狭間でもがき苦しんでいる情けない人生を歩んでいる。
現在の私は年齢的には人生の総仕上げに近付いたので親爺の唯一の望みであった4代目で初めて分かれて枝葉と成った我家を次代の息子に旨くバトンタッチをして、せめて私以上に家を盛り上げて行って貰える様に最後の仕事をする事を両親の墓前に誓い見守って貰う事を御願いした。