黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 宮城県の旅(2010,2014)

2019年02月19日 | アマチュア無線

       


 私が2010年の東北からの移動運用を計画した段階で東北6県の中で宮城県だけは此処からは絶対運用しようと思える町村の候補地が思い浮かばなかった。山形、秋田、青森、岩手県は余り考えなくても直ぐに候補地の名は思い浮かんだが宮城県だけは其れまでに沢山の移動局が繰り返して移動運用が行われて居たので正直言って私が移動してみたい町村は宮城県内には無かった。然し全都道府県からの移動運用を計画した以上は何処からかは運用せざるを得ないので強いて挙げるとするなら伊具郡丸森町(06001A)と牡鹿女川町(06002A)か松島町(06013B)かな?とお思うくらいだった。


 当時からアマチュア無線局数の減少化は既に進んでいたが、此の当時(最近もそうだが)の7エリア内を移動運用する地元のアマチュア局のアクティブさや7エリアの固定局数は多く私のエリア別の交信実績数を見ても1エリア(32827)3エリア(15356)7エリア(13993)と堂々の第3位をキープし、人口の多い2エリア寄りも多く然も3エリアに近い実数からも此のエリアだけは局の減少化は余り進んでいない様に感じる??


 其の中で宮城県は東北随一の人口を有し、然も移動運用をアクティブに行う錚々たるメンバーが居るのだから当然な結果ではあるのだが・・・・・
其の様な事情から2010年に訪れた宮城県は私の移動運用実績さえ作れば良いと考えて居た。初めて宮城県に入り以前からアイボールを約束して居たOMさん2人と登米市の道の駅で御会いした後に観光予定の松島町に向かい小高い山の上で車中泊する事に成ったが其処には暴走族が集結して居りとても車中泊が出来る状態では無かったので案内して戴いたOMさんがホテルにお勤めの知人に連絡して安心して車中泊が出来るホテルの駐車場を確保してくれた。


 明けて翌日は偶々「日本三景」を祝う記念日と重なって仕舞い町筋が可也の賑わいに成って居たので昼間は観光に徹して遊び回って夕方前に町を出て運用先である女川町へと向かったが東松島町辺りで温泉に入りたく成ってカーナビで温泉を検索したら「かんぽの宿」が出て来たので其方に向かう途中に野蒜海岸(海水欲場か?)で移動運用が出来そうな良い場所を発見し「ロケーションは良いしクレームが入る心配は無いので此処に決めた!」と運用場所を急遽変更して先ずは温泉へ浸かる事にした。温泉を出て車に戻ると終日歩き回った疲れと温泉に入った心地良さから一休みの心算で後ろのベットで横に成ったら何と翌朝まで極楽浄土状態で眠り込んで仕舞った。


 思わぬ失敗で結局2010年度の宮城県からの移動運用は出来ず仕舞いで宮城県内の観光所の仙台市内も通過しながらも観光する事無く福島県へと向かう事と成った。然し後で考えると此の時に移動運用が終わって居たら2014年の東北方面の旅は多分無かったと思うので矢張り運命的な物だったのかも知れない。そして宮城県内の移動運用は2010年に出来なかった松島町の小高い山の上の駐車場で2014年にリベンジ、然し此の時も朝方に暴走族が現れタイヤを軋ませながら小回りをして居た。もう一箇所は丸森町の阿武隈川の堤防から運用と成った。


 2010年の移動運用時には長野県麻績村の聖湖近くで暴走族が現れて途中でオジャンに成ったし青森県鶴田町でも途中で現れて喧しく運用出来ずに途中で切り上げ、松島町は最初から居てアウト状態に何せ此の年は不思議と暴走族とご縁があった。
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今朝のDX入感状態

2019年02月19日 | アマチュア無線

 先週の半ばから週末に掛けて私も風邪を引いて仕舞い体調が芳しく無く無線運用は出来ていなかったが体調が良くなった昨日辺りから朝方のワッチを再開した。昨日はARRL CW  CONTESTが開かれて7~14MHz帯は参加中のW方面の信号で混雑して弱いアフリカ方面のDX信号は聞えずW方面のオンパレード状態であった。今朝は久し振りに05時頃から3.5~7MHz帯で受信を開始したらPY0F,TZ4AM,TR8CRの信号が弱く入感していたが此の局とは既に交信済みでワッチのみに終わった。
 


         今朝聞えたDX局(05:00~07:50JST)



  PY0F(7,CW)     TZ4AM(7,CW)    TR8CR(7,CW)


  OL100ZH(7,SSB) LU4AT(7,CW)    ER1GY(7,CW)


  SV2BXA(3.5,CW) PY5ZHP(7,CW)   XX9D(7,CW)
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 相変らずのDX CONTEST参加局の減少化

2019年02月18日 | アマチュア無線

 先週の12日に1日中徳島市内の人混みに出掛けて居たら疲れたのか?珍しく宵の口から眠たく成って蒲団に入った。翌朝に目覚めたのは06時頃で何時に無く良く寝たなぁと思いながら起き出したら頭が重い感じ・・・・・・・最初は睡眠時間が長過ぎたか?と思って居たが昼ごろに成ると少し熱がある感じなので風邪薬を飲んで昼先からは蒲団の中で大人しくして居たが翌日も頭が重く終日蒲団中で過ごす事に成った。如何やら人混みに居た事に寄り風邪を貰って仕舞った様子、15日も昼まで蒲団の中で大人しくしたが熱も無いので何時もの通りの生活に戻って居たら其の晩から咳が出る様に成って其れが段々と酷く成って17日頃にピークに成り今日辺りは大分楽に成ったが矢張り夜に成ると少し咳き込む事があり如何も身体が本調子に成らない。


 其の性で無線機のスイッチは入れなかったので業務日誌を確認したら何と2月10日から交信実績が無し状態に・・・・此れでは拙いと思い今朝は久し振りに無線機のスイッチを入れたらCWのコンテストが行われて居たのでDXコンテスト・カレンダーで調べたらARRL DX CONTEST CWが行われて居る事が解かり交信相手はUSA局で此方からはRSTプラス001から始まるシリアルNOの送信と成って居たので何時も通りの呼掛け専門で少し始めた。メインは14MHz帯を中心に運用したが交信出来たのは50局程で全バンドでのCWモードでの1stQSO局は一局も無く殆ど7MHzか14MHzで過去にQSOして居る局ばかりで然も先週のRTTY CONTESTでQSOした局が結構多くて矢張りCONTESTに参加する様な局は限られている感じで寂しい感じ、コンディションが悪い性も多分にあるのだろうが?国内外供のアマチュア無線離れの傾向は可也進んで居る様に思える。寂しい限りです。
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 岩手県への旅 (2010年、2014年)

2019年02月18日 | 旅行

      


 東北の岩手県への旅は2010年7月13日~7月18日と2014年の保々同じ頃の7月14日~7月15日の二回訪れた。最初の旅は無線の移動運用が主たる目的であったが三陸リアス式海岸を此の目で見てみたい思いも同じ位にあった。最初に訪れた年は久慈市から南下を始め野田村、譜代村、田野畑村、山田町、大槌町を移動運用した。此の移動運用は東北地方では青森県に次ぐスリリングな展開で全国の沢山の局と交信する事が出来たし山田町や大槌町での運用場所で5人の方とアイボールが出来て此の時の旅で総勢10名の東北の方と御会いする機会があった。


 又、田野畑村での最初の運用場所では地元の土木作業員と運用場所の件で一触即発状態と成ったが其の時に大きい熊が駐車場を横断するハプニングがあって其々が慌てて各自の車に飛び乗って事無きを得た。(喧嘩に成ったり熊に襲われる事も無かった)此の事は私が全国行脚中に起きた三大事件の一つである。後の二つは2011年に沖縄県の金武町の米軍基地(上陸用舟艇置場で何も置いては居なかったので)の向かい(基地内ではない)で大きなアンテナを張って調子良く運用していたら銃を持ったアメリカ兵MP二人組みに「何を遣って居るのだ出て来い!」と金武町で緊張する一件に成った事と2013年の鹿児島県鹿児島郡十島村(中の島)の御山を上がって居る最中に一寸した他所見で其処だけグレーチングが無い場所に左後輪を側溝に脱輪し引き上げ様のジャッキが引き揚げ作業中に不運にも壊れて仕舞い万事休す状態に成り恥ずかしながら最終的に地元のお巡りさんのお手を煩わせて仕舞った一件である。


 2010年の岩手県内の旅はハプニングは有った物の無事徳島に帰り着いた6ヵ月後に三陸海岸があの大震災に寄る大津波で甚大な被害を被る等は考えても居なかった。そして2014年に北海道に行く機会があったので帰る行程に前回に訪れた場所に再度訪れる事にしたが私が山田町で運用した場所等は様相が完全に変って居たし陸前高田市を夜の20時頃に通過すると前回は明々として居た町筋の灯りが全く無く遠くに普及作業員用の為か?コンビ二の店灯りだけがポツリと光る現状に愕然となった。又前回の大槌町では良い運用場所が見付からず2~3時間を掛けて海岸線から可也奥深い山麓部分まで分け入って探したが2014年に訪れた時は其の場所まで行って漸く以前の景色が確認出来たが漁港近くの少し高い場所に立っていた人家は影形も無く更地状態に変って居た。翌朝に見た田老の堤防や三王岩横の遊歩道もグチャグチャに壊れて居たし其の近くの海岸線は様相が激変し更地になった場所に更に盛り土するユンボやブルトザーは忙しく動き回って居たが矢張り人家が無い景色は寂しく悲しかった。ただ生活の糧となる漁業関係の港や、漁協の設備や製氷塔等は真新しい物に建て替えられていたり養殖用の生簀か?内海に可也の数が浮かんでいる姿を見て漁業関係は徐々に復旧して居る姿が確認出来て嬉しく思ったし其処に日本人魂を強く感じた。日本人て本当に凄いと思う。

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 山形県の旅 

2019年02月16日 | 旅行

      


 私の東北方面の旅は2010年と2014年に出掛けて居るが東北6県の中で山形県だけは2010年度の1回のみに終わって居る。山形県には此の年の5月26日から5月31日までの5日間の滞在と成った。此の当時の私は観光旅行等は二の次でアマチュア無線の移動運用に凝り固まって居たので山形県内での観光と成ると天童市周辺しか記憶に残っていない。


 此の時は既に長野県内の10箇所の移動運用を終えて此れから私が山形県~秋田県~青森県~北海道~岩手県~宮城県~福島県を一回りする事は周知されて居り私も東北エリアからの第一声は山形県からで可也気合が入って居た事を憶えて居る。移動運用は小国町、飯豊町、真室川町、最上町、舟形町、金山町の6町からの運用と成った。此の中で舟形町と金山町が当時の山形県内としては余り運用が無く珍しく、私も全町村との交信達成で後々まで残って苦労をした関係で出来るだけ条件の良い場所からの運用を心掛ける事にした。小国町~飯豊町の運用後に山形市内を通った筈なのに私の記憶の中に此処辺の記憶は全く無い。天童市を通過した後に舟形町と金山町(山形県内では一番北側に位置する)の運用場所を事前に確認してから南側の真室川町に下がり運用、其の後に更に南に下がり最上町~舟形町を運用し最後に当時に一番要望の多かった金山町を運用する等、随分不規則な動きの移動運用をして居るが其れだけ舟形町と金山町の移動運用に掛ける気持ちが強かった。


 其々の運用地では16時頃までにはアンテナをセットアップしコンディションが開けたら7MHz帯から運用し呼掛けが途切れたら3.5MHz帯にQSYし運用、呼掛けが無くなったらQRT(22時頃まで)翌朝は06時頃からワッチを開始し08時過ぎまで毎日7時間を越す様な運用を繰り返して居た。今思い返すと1箇所の運用地で此れだけの時間にわたり呼掛け続けられるだけのアマチュア局が居た事に驚くが「正に移動冥利に尽きる良い時代」であったと思う。無線運用が終わるとアンテナを撤収し朝食を兼ねた早い昼食を取り次の運用地に移動する途中で観光スポットが在れば見て回る状態で山形県に関しては初めから計画されて居た物は殆ど無かった。結構ハードな移動運用中の唯一の楽しみは昼間にじっくり温泉に浸かり汗を流す事、此の付近は松尾芭蕉で有名な「奥の細道」の舞台と成った場所で街道筋には名湯が並び素晴らしい温泉に毎日入れ山形県と成ると温泉地の思い出ばかりが沢山残って居る。

 


 


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四国八十八箇所霊場 第11番札所「藤井寺」

2019年02月16日 | 四国88箇所霊場

        


 四国88箇所霊場 第11番札所の「藤井寺」は三方を山に囲まれ渓流の清らかな場所にあり、此の仙境に心を惹かれた弘法大師は此の地で護摩修法をされたのは弘仁6年の事と伝えられて居る。此の年は大師42歳の厄年に当たり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫造して堂宇を建立した。其の地から凡そ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊と言われる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。其の堂宇の前に5色の藤を植えたという由来から、金剛山藤井寺と称される様に成った。


 此の寺は、真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院と発展したが天正年間(1573~1592年)の兵火に寄り全山を消失、江戸時代初期まで衰微した。其の後、延宝2年(1674年)に阿波藩主が帰依して居た臨済宗の南山国師が入山して再興し、其の折に宗派を臨済宗に改めている。天保3年(1832年)に再び火災にあい本尊以外の伽藍は全て焼失した。現在の伽藍は万延元年(1860年)に再建された物で本尊は「厄除け薬師」と親しまれており国の重要文化財に指定されて居る。


 阿波の霊場の第1番札所から此の第11番札所の藤井寺までは其々の寺と寺との距離が極端に離れていないが藤井寺と第12番札所の焼山寺への遍路道は細く険しい山道で約13Kmもあり男性の歩きで8時間、女性の歩きだと9時間掛かる程で「遍路ころがし」と言われる遍路の難所と成って居る。私達は車で廻ったが其れでも可也の時間が掛かる行程であった。
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 秋田県内の旅(2010,2014年)

2019年02月15日 | 旅行

      


 東北の秋田県への旅は2010年の5月31日~6月6日までの1週間と2014年の7月13日の十和田湖を青森県側から秋田県側に抜ける行程で1日間だけ滞在した。旅と言っても其の大半はアマチュア無線の移動運用に費やされ観光の方は余り出来ていない。最初の旅は調度5月の連休前の様な清々しい気候の中を旅したので秋田県内の旅の印象は毎日が青空の下での心地良い旅であった。


 無線の移動運用は東成瀬村に始まり「道の駅 協和」、五城目町、井川町、大潟村、八郎潟町、藤里町、小坂町の8箇所での運用と成ったが此の中で秋田県山本郡藤里町は当時余りQRVも無く当局も此の時点では交信歴は全く無かった。従ってどの様な場所なのか?凄く興味が在って秋田県内を旅する機会には何が何でも見に行きたい町であったし此処で移動運用が出来れば可也の注目度と交信実績が期待出来るだろうと想像して居た。


 従って此の町での滞在も態々沢山の局がQRVする週末の土、日曜日に掛けて行い田園地帯の真ん中の幅広の農面道路に陣取って車を動かす事無く2日間に渡る無線運用と成った。運用地点は半径200mの園内には人家も無く絶対に運用中にクレームが入らない場所でトイレだけには困ったが理想的な場所に10mH以上の7MHzと3.5MHz帯のフルサイズのインバーテッドVアンテナで時間の許す限りの運用で総交信数852交信は離島を除く運用では国内で最高記録と成って居る。


 其の他の運用地の東成瀬村は岩手県との境で標高が820mHもある場所で此の時期でも吹き溜まりには3m程の雪渓が残り早朝の気温は車中で0度であった。小坂町の運用も樹海ロードの山中(844mH)で翌日に話し掛けてきた地元の人が「昨日の夕方にも此処に此の車が止まって居たが此処で車中泊をしたのか?」と聞かれたので「ハイ そうです」と答えたら「地元の人間でも遣らない此の様な場所でよう車中泊が出来るなぁ~」と呆れられた。また「道の駅 おおがた」や八郎潟の運用場所は全く灯火の無い真っ暗の中での車中泊と成り夜と太陽が出た時点でのギャップは相当な違いがあった。


 秋田県内の旅行としては無線仲間から教えられた「秋田に行くのなら少し遠いが泥湯温泉と云う秘湯が有るので是非行く様に!」と勧められたので立ち寄ったが本当に山奥の温泉で裸電球一つしか無い脱衣所で驚いたがお湯は最高で私が入湯した温泉の中でベスト5に入る温泉であった。湖の田沢湖や十和田湖畔も一回りしたり男鹿半島も1日じっくりと時間を掛け廻る事ができて非常に良かったが藤里町の運用後に世界自然遺産に登録された白神山地を抜けるルート317号で青森県の西目屋村に至るコースをピョンピョン二世号で走破出来なかった事だけが残念で成らない。矢張り此の地に折角行きながら白神山地を見ずに帰ったのは返す返すも残念で成らない。


 
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 四国八十八箇所霊場 第10番札所「切幡寺」

2019年02月15日 | 四国88箇所霊場

        


 切幡寺は切幡山の中腹、155mの高さに境内が有り此の寺の大塔から眺望は素晴らしく眼下には吉野川がゆったりと流れ前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。切幡寺の歴史や由来に寄ると古く、此の山麓に機を織る乙女がいた。此処で修法して居た弘法大師は結願の7日目に綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は織りかけて居た布を惜しげも無く切って差し出した。大師は此の厚意に大変感動し「何か望みはないか」と尋ねると乙女は「父は薬子の変に関係して島流しと成り、母は身籠って居たが、男の子が産まれれば其の子も咎を受ける。どうか女の子が生まれる様にと、清水の観音様に祈願し、やがて此の地に来て生まれたのが私です」といい「亡き父母に代わり、観音様を作ってお祀りし、私も仏門に入って精進したい」と願いを告白した。


 大師は強く心を打たれて、早速に千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身したという。大師は此の時の事を嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願に寄り堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置し本尊にしたと伝えられて居る。得度山、灌頂院、切幡寺など其々の名称もこうした由縁による。


 切幡寺は山麓から本堂まで約800メートル在り333段の石段があり女厄坂、男厄坂を上り切ると本堂がある。寺務所の下まで車で登る道も有るが道幅が狭く車同士の対向時には苦労する事に成る。今回は境内に紅梅の花が咲き始めて彩を添えていた。
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 今晩は珍しく早寝とします。

2019年02月12日 | その他

 今朝は早朝に7MHz帯でS52NY(CW)とUT5NR(CW)の信号だけが強力に聞えて居ましたが呼掛ける暇も無くて身支度をして08時頃から所用で出掛けていたら帰って来たのは18時過ぎで夕食の後にブログを書き込もうとパソコンを立ち上げてキーボードを叩き始めましたが長距離の運転で疲れたのか?書き込み内容も浮かばないし全く前に進まず眠気だけが襲って来る状態に・・・・今日は諦めて早寝をする事にします。この時間に眠りにつくと明日の早朝の02~03時頃に目覚めると思うので良い考えが浮かぶかも知れません。今日の日中は素晴らしい青空で暖かい天候で其れに誘われたのか?紅梅も花が開き始めました。せめてもブログのテンプレートの写真だけは明るい早春の物に入替えて眠る事にします。
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 昨日は都の河川敷デビュー

2019年02月11日 | 都ちゃん

      


 先日に息子夫婦に「休みに孫の顔を見に行くぞ!」と都合確認の電話を入れたら息子の会社はカレンダー通りの三連休なのだが嫁の会社は日曜日に行事があり出勤だとかで「其れなら此方が都を連れて行く」との息子からの連絡が入ったから家内の方は、さあ大変!部屋のコタツ蒲団に足を取られて転んで怪我をしたら大変!とか、何か口に入れたら大変だ!とかで日曜日の朝は部屋の片付けと掃除に大童状態に・・・・・・


 おやつは「何が良いのか?」と聞いたら「卵ぼうろ」位ならの返事で相変らず厳しい事を言ってるなぁ~と思い家内に甘味の少ないチーズ・ケーキを買って来て貰った。そして13時頃に息子と都ちゃんが我家に来たが如何も何時もと違う場所なので一寸緊張した状態なので早速に卵ぼうろと柔らかい塩煎餅を渡すと何時もの欲張り都は片手に卵ぼうろをもう片方の手には塩煎餅を持って交互に食べ始めた。


 少し時間が経った処で例のチーズ・ケーキを見せたら瞬間に都の目の色が変りイスからすくっと立ち上がるとニコニコ顔でスプーンを持って食べ始めた。多分保育所でも食べる機会が在るのだろう。此れは美味しい物で其の食べ方も知って居るからこそ自分で食べた訳だ。そしてショート・ケーキを一切れ完全に食べ終えた。御蔭で其の後は「御爺ちゃん御爺ちゃん」の連発であった。


 都はテレビは見せて貰えない様なので(マンションにテレビは置いて居ない)大好きなアンパンマンの漫画を見せたら写真のような状態で見入ったり音楽に合わせて楽しそうに踊って居た。



      


 午前中は天気が良くなかったが14時頃から日が照り始めたので外に連れ出して河川敷の遊歩道を歩かせたら喜ぶ事喜ぶ事、笑顔で万歳したり最後は流石に徳島県産、阿波踊り状態で踊り始めた。矢張り徳島市内のマンション近くの広場とは大きさと開放感は桁違いで気に入って貰えた感じで如何やら掴みはOKの様だ。
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 青森県内の旅(2010年、2014年)

2019年02月11日 | 旅行

          

  


 私が行った青森県内の移動運用は大間町、佐井村(二回)風間浦村、東通村、六ヶ所村、横浜町、野辺地町、平内町、七戸町、鶴田町、板柳町、藤崎町、田舎館村、蓬田村、今別町、西目屋村、五戸町、南部町の18町村(19箇所)と成って居る。此の数字は北海道、長野県に続く3番目の多さと成って居る。此の地での移動運用は其の大半が人里を離れた辺鄙な場所が多く真っ暗な中での車中泊も多く大変では在ったが其の分、沢山の思い出が出来た。又、移動中に態々現地までお越しいただいてアイボールQSOをした方とは移動運用を全くしなく成った現在でも交流は今でも続いて居る。


 観光面では下北半島の日本三大霊場の一つの恐山の独特の雰囲気や仏ヶ浦の素晴らしい景観、八甲田山や十和田湖の美しさは格別で今でも時々夢に見る。また行く先々には素晴らしい温泉があり八甲田山麓の「猿倉温泉」と「谷地温泉」は泊り客の入浴が優先され、日帰り浴客は早い時間帯で打ち切られ入浴出来なく成る事を知らずに2010年度には入浴出来ずに随分と残念な思いをしたので2014年度の旅行計画に組入れ其の機会に入浴する事が出来た。そして此の方面にある十和田温泉や(一日に有名な温泉を3箇所ハシゴした)酸ヶ湯温泉や蔦温泉では開業まで時間待ちの早朝に蔦七湖を一人で歩いたり八甲田山登山も計画し登ったが強風と天候不良に見舞われ途中で断念、残念な結果と成ったが束の間の晴れ間には綺麗な景色を見る事が出来た。


 東北方面の旅行は2回行ったので青森県には行くチャンスは私には多分無いと思うが私の中では(自然の景観を楽しむ意味では)北海道。長野県、青森県が日本国内のベスト3に入る。


 
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 下北半島への旅

2019年02月10日 | 旅行

     


 下北半島は斧の形をした特色のある形の半島で子供の頃に地図を見てから何故か興味を持って居たが四国の片田舎の人間が訪れるチャンスは多分無い場所と思って居た。処が仕事をリタイヤしてからアマチュア無線での運用が少ない町村を移動運用する事を思い立ち、最初は四国内の移動運用程度と考えて居た私が其の気持ちが段々とエスカレートし最終的に日本一周を計画し一番最初に北海道内の移動運用を実行し始めると其れまで遠いと思って居た東北方面(特に青森県)に対する距離感は一気に狭まり、そう遠い存在ではなくなった。


 当時の旅行は無線の移動運用が主たる目的で其の実行段階で訪れる場所場所の名所旧跡を序に見て回る状態であったが最初の北海道旅行(2009年)の函館山からかすかに見える青森県側の陸地を見た時に子供の時に興味を持った下北半島の事を思い出し次回は東北方面を廻りたいと強く思った。時おりしも此の時期に高速道路低料金サービス化が始まり此れを利用した徳島を出発し長野~新潟~山形~秋田~青森~北海道一周~青森~岩手~宮城~福島~新潟~長野~富山~岐阜~京都を廻って徳島に帰る2ヶ月半以上の車中泊での旅行を1年間を掛けて計画した。


 其の中でも私の一番の楽しみは青森県内の移動運用の旅で特に下北半島は最優先して行いたい場所であった。此の方面には観光地としても恐山や仏ヶ浦があり其れ等は他の地に無い独特な物であり、其の性か?私は此の下北半島に二度も訪れ無線の移動運用では「むつ市」を除く下北半島にある全町村で移動運用を行った。むつ市(恐山から)も本当は行いたかったが私の最初からの移動運用信念として其の地を常置場所とする局がアクティブにQRVされて居る場合は移動運用は行わない事と、基本的には「市」からの移動運用は何らかの余程の理由がある場合を除き行わないと決めて居たので下北半島では唯一移動運用を行わなかった。又、横浜町も最初に訪れた2010年時には此の町からアクティブな局が居られたので行わなかったが其の後の2014年頃には余り其の局のお声が聞えなかったので運用する事に成った。佐井村は二度の移動運用をして居るが此れにも理由があり最初の運用地(2009年度)の「願い岩」を実は「仏ヶ浦」と勘違いして居たので其の仏ヶ浦の景観を見る為に再度、佐井村に行ったので違うポイントから運用する事に成った。


 私にとって無線の移動運用場所としての魅力は青森県(特に下北半島)が本州随一の地と今でも思って居るが観光地としても私には強力なインパクトがあり日本三大霊場の恐山もそうだが「仏ヶ浦」は独特で其の侵食された岩場の景観は「凄い!」の一言に尽きる。私が保々日本全国を廻った中で良く似た感じの場所として鹿児島県大島郡徳之島に確か「犬の門」と云う波に寄る自然侵食された岩場があるが規模、迫力供に及ばない。残念ながら「仏ヶ浦」の場所は自動車で行くには少し便が悪い僻地にあるが私の見た景観の中では全国のベストテン入りし岩場の景観としてはNO-1と成る。今思うと もしアマチュア無線の移動運用を行って居なかったら多分此の下北半島へ出向く事も無かったと思うが二度も訪れる機会が在った事に凄く縁を感じ私には忘れられない場所と成って居る。


 最初の写真で「はまなすラインは道路状研が可也悪い」と書き込まれているが正解は「道路状態が可也悪い」です。元は「状態」と成って居るのですがファイルとして「名付けて保存を行う段階」で稀に此の様な状態が起こります。理由は不明です???


 


 
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 CONTESTで感じる無線局の減少化!

2019年02月10日 | アマチュア無線

 今朝は昨日から始まって居る「2019 CW WW WPX RTTY CONTEST」に参加してみる事にしました。DXコンディションは余り上昇して居る様には感じられませんでしたが?それでも矢張りコンテストと成ると皆さん気合も馬力もMAXの様で信号強度は何時もとは比較に成らない強さで入感して居ました。


 此のコンテストはRSTプラス001からの始まるシリアスナンバーの送信で簡潔な送信無い様なので私の様な者でも何とか追従出来るのですが矢張り呼掛け専門の運用では成果は余り上がらず。午前中に7、14MHz帯で運用し40局程度で頭打ち状態に、そして09時を過ぎると14MHz帯で聞えて来るのはJA局が段々と多く成り早目にQRTしました。


 夕食前の夕方に14MHz帯ではEU方面が聞えて居ましたが現在は信号が可也落ちて期待出来るのは矢張り7MHz帯か?と思ってワッチして居ますがあまり聞えず芳しく在りません。仕方が無いので明日の朝に少し早起きして此のコンテスト終了までの09時まで聞いてみる予定、其れにしてもアマチュア無線局の減少化は国内外供に同じ状態の様で、当局は滅多にRTTYモードでは運用しないのに今朝の交信局の中で1stQSO局は1局のみで他は全てRTTYモードで交信歴が有るのに驚きました。全てのモードで言える事ですが最近はコンテスト等では限られた局のQRVしか無いのが現状の様です。
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 北海道の旅 NO-2

2019年02月09日 | 旅行

        


 2009年から2018年の間に訪れた北海道内の観光スポットと無線移動運用をおこなった場所
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 「日本一週の旅」の記録を作る事に

2019年02月08日 | 旅行

        


 私が2008年~2018年に掛けて無線移動運用や旅人として全国を廻った観光地の景色や当時の思い出が加齢と供に段々と忘れて居るので今後の事を考えて全ての旅の行程と訪れた場所を其の撮った写真(約8000枚)とブログ記事とグーグル・アースで現地を探りながら思い出してまとめてみる事にした。


 一番多く訪れた場所は矢張り北海道で過去に2009年に1ヶ月、2010年に25日、2014年には1ヶ月と最近は2018年に家内と純然たる旅として2週間ほど廻り北海道の外周と有名な観光スポットは殆ど廻って居るが今回其の旅を追跡したら記憶が可也あやふやの物もあり纏めるのに苦労したが過去の事を振り返って居ると楽しい事や大変だった事を思い出して時間の経過を忘れて仕舞う状態に・・・・・北海道だけでも整理に2~3日程掛かったので日本一周の記録と成るとどれ程の時間が掛かるかは?解からないがお迎えが来るまでには仕上げたいと思って居る。


 写真の中に訪れた場所や訪れた年を書き込んだが誤字や間違いがあり未完成の状態で最終的な物の仕上がりは可也先に成るそうな状態か?95%位の完成度かなと思う。先は可也長い。

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