20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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枯れたひまわり

2009年09月06日 | Weblog
 道ばたに、枯れかけたひまわりを見つけました。
 真夏のひまわりは、太陽にしゃんと顔を向け、輝きにみちています。
 けれど、枯れたひまわりほど無残で、悲しいすがたはありません。

 その枯れたひまわりをみるたびに思い出す絵があります。
 創画会に所属していらっしゃる、ある日本画家の方の絵です。

 その方の絵のテーマが、この20年、いえ、もっと長きにわたり、すっかり枯れてしまったひまわりなのです。というより、朽ちかけたひまわりだけを探求し続けた画家といっても過言ではありません。
 秋になると私は、この数十年、来る年も来る年も上野の都美術館で行われる「創画展」を見にいっています。
 創画会は、加山又造や秋野不矩や上村松篁など、たくさんの著名な日本画家たちが所属する会で、古くさい日本画の画風にこだわらず、フレキシブルで自由な画風の団体です。

 その画家の「枯れたひまわり」は、「今年は吹っ切った明るさがあった」、あるいは、「今年はさらに厭世的な匂いがする」など、同じ「枯れたひまわり」が描かれているのに、その年によって微妙に違った印象を与えるのです。
 それが不思議であり、また魅力でもありました。
 まるでその画家の、折々の精神状態を垣間見るようで・・・。
 私はそんなふうに、まるで一種マニアのように、創画展を見に行くと必ずその画家の「枯れたひまわり」を広い会場から見つけ出したものでした。

 いまでも道ばたに枯れたひまわりを見つけると、あの絵を思い出します。
 そして、その人はなぜ、数十年ものあいだ、「枯れたひまわり」ばかりを描き続けたのかしらという、いまも解けない疑問を、ちょっぴり切ない気持ちを抱きながら考えているのです。
コメント
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