昨日の,教育テレビ「日曜美術館」は久しぶりにおもしろかったです。
「まだ大丈夫だ、ほめられないから。~美の異端児 北大路魯山人~」
写真は魯山人の代表作である「黒織部沓茶碗」
今で言うところのマルチアーティストであった魯山人。
陶芸・書・美食に才能を発揮した魯山人の魅力について語られた45分でした。
「傲岸不遜」「大言壮語」
そんな彼への世間の評価はとても厳しいものだったようです。
けれど、
「独断でないと、足が地についた歩行を感じられない」
と、魯山人の思考は、それぞれのジャンルすべてにおいて、独創的かつ排他的でした。
そんな彼が内省している、いわゆる「毒」の意味を読み解いていったのが、昨日の「日曜美術館」でした。
特にコメンテーターの発言がエキサイティングでした。
虎ノ門の、「ホテルオークラ」の坂下にある「菊地寛実記念智美術館」の林屋晴三館長のお話が、極めて魯山人的でおもしろかったです。
「表現における<間>を、魔性とも思える感性で捉えている」
「本歌取りの名人で、悪評とうらはらの美しさを持った、心の自由なアマチュアだった」
「彼の持っていた毒。その美意識・思想はあらゆる深さ、大きさに繋がっていく」
また、イサム・ノグチ&山口淑子夫妻を新婚時代、北鎌倉の魯山人の自宅に居候させていたという話に及び、ナレーションでは、「イサム・ノグチの孤独な生い立ちと、魯山人自身の孤独な生い立ち、それを重ね合わせ、魯山人はイサム・ノグチに力を注いであげた」というところで、すかさず、彼からクレームが!
「生い立ち云々なんてところでまとめてもらっちゃ困る。魯山人はイサム・ノグチの才能に惚れ込んで、力になっただけ」
何度か足を運んだことのある「菊地寛実記念智美術館」の、建物のしつらえの<間>の美しさ、展示の<間>の美しさを思い出しながら、この年老いた館長の軽妙洒脱なお話を、日曜日の朝、心地いい気分で聞いていました。
魯山人絶筆となった書は「聴雪」
病の床に伏しながら、魯山人は降る雪にどんな音を聴いたのでしょう。
「まだ大丈夫だ、ほめられないから。~美の異端児 北大路魯山人~」
写真は魯山人の代表作である「黒織部沓茶碗」
今で言うところのマルチアーティストであった魯山人。
陶芸・書・美食に才能を発揮した魯山人の魅力について語られた45分でした。
「傲岸不遜」「大言壮語」
そんな彼への世間の評価はとても厳しいものだったようです。
けれど、
「独断でないと、足が地についた歩行を感じられない」
と、魯山人の思考は、それぞれのジャンルすべてにおいて、独創的かつ排他的でした。
そんな彼が内省している、いわゆる「毒」の意味を読み解いていったのが、昨日の「日曜美術館」でした。
特にコメンテーターの発言がエキサイティングでした。
虎ノ門の、「ホテルオークラ」の坂下にある「菊地寛実記念智美術館」の林屋晴三館長のお話が、極めて魯山人的でおもしろかったです。
「表現における<間>を、魔性とも思える感性で捉えている」
「本歌取りの名人で、悪評とうらはらの美しさを持った、心の自由なアマチュアだった」
「彼の持っていた毒。その美意識・思想はあらゆる深さ、大きさに繋がっていく」
また、イサム・ノグチ&山口淑子夫妻を新婚時代、北鎌倉の魯山人の自宅に居候させていたという話に及び、ナレーションでは、「イサム・ノグチの孤独な生い立ちと、魯山人自身の孤独な生い立ち、それを重ね合わせ、魯山人はイサム・ノグチに力を注いであげた」というところで、すかさず、彼からクレームが!
「生い立ち云々なんてところでまとめてもらっちゃ困る。魯山人はイサム・ノグチの才能に惚れ込んで、力になっただけ」
何度か足を運んだことのある「菊地寛実記念智美術館」の、建物のしつらえの<間>の美しさ、展示の<間>の美しさを思い出しながら、この年老いた館長の軽妙洒脱なお話を、日曜日の朝、心地いい気分で聞いていました。
魯山人絶筆となった書は「聴雪」
病の床に伏しながら、魯山人は降る雪にどんな音を聴いたのでしょう。