今朝は高島屋に用事があってでかけたついでに、安野光雅、絵本「三国志」展を覗いてきました。
そう、覗く、という感じで8階ホールに足を踏み入れました。
ところが、入るやいなや、そのすごさに圧倒され・・・。
中国の絹本と画材を使って大胆かつ繊細に描かれた「三国志」の世界は、壮大かつ繊細で、そのすごさに思わず言葉を失いました。
安野光雅が、中国にスケッチ旅行を始めたのは78歳のときだそうです。
それから4年、会場には、なんと93点もの水彩画が展開されています。年間23点もの大作を、78歳がすぎたころから中国に取材旅行にいき、描いたという勘定になります。
安野光雅のすごさに圧倒されながら会場を歩いていくと、会場ちょうど真ん中あたり。そこに大きなパネルに書かれた長い文章がありました。
足をとめると、それは安野光雅さんへのオマージュとして書かれた、作家の澤地久枝さんの文章でした。
読みながら背筋がぞくっとしました。鳥肌が立ちました。それほどまでにすごい文章です。
ぎしぎしと音がするくらい力強く、的確で、それでいてぬめっと艶やかで、私はぞくぞくしながら、そして最後には大きなため息をつきながら、そのオマージュを読んでいました。
「この人は、この文章を書くのに、いったいどれくらいの時間を使ったのかしら」
「こんな文章、いったいどうやったら書けるようになるのかしら」
そんな有り体なことを、考えながら。
いやはや、すごい人たちです。
そう、覗く、という感じで8階ホールに足を踏み入れました。
ところが、入るやいなや、そのすごさに圧倒され・・・。
中国の絹本と画材を使って大胆かつ繊細に描かれた「三国志」の世界は、壮大かつ繊細で、そのすごさに思わず言葉を失いました。
安野光雅が、中国にスケッチ旅行を始めたのは78歳のときだそうです。
それから4年、会場には、なんと93点もの水彩画が展開されています。年間23点もの大作を、78歳がすぎたころから中国に取材旅行にいき、描いたという勘定になります。
安野光雅のすごさに圧倒されながら会場を歩いていくと、会場ちょうど真ん中あたり。そこに大きなパネルに書かれた長い文章がありました。
足をとめると、それは安野光雅さんへのオマージュとして書かれた、作家の澤地久枝さんの文章でした。
読みながら背筋がぞくっとしました。鳥肌が立ちました。それほどまでにすごい文章です。
ぎしぎしと音がするくらい力強く、的確で、それでいてぬめっと艶やかで、私はぞくぞくしながら、そして最後には大きなため息をつきながら、そのオマージュを読んでいました。
「この人は、この文章を書くのに、いったいどれくらいの時間を使ったのかしら」
「こんな文章、いったいどうやったら書けるようになるのかしら」
そんな有り体なことを、考えながら。
いやはや、すごい人たちです。
留守のときは、お隣のおばさんが水遣りをしてくれ、お陰で戻ったときに私を、それなりに楽しませてくれます。
明日時間があったら高島屋へ寄ってみよう澤地久枝さんの文章、読んでみたい
明日は東京ですか?
お忙しいのね。
でも充実した休日だったようでよかったですね。
お庭の手入れもなさったとか。
猫ちゃんも大喜びだったでしょうね。
お気を付けてお帰りください。
19日までですね。 ちょっと行けるかどうか・・・。(汗)
安野光雅さんについては、以前雑誌「サライ」の「インタビュー」に登場し、その記事にとても心ひかれたことを憶えています。
どんな媒体であれ「表現」するということは、いかに取り繕っても結果として自分の‘レベル’をさらけ出すことで、“恥ずかしい”ことであるということ。
それに、形になっていない“見えないもの”を表現したい、というようなことを言っていたように記憶しています。
自分自身のオリジナルの「発見」「感動」が大切であるということ言っているのだと、印象に残った次第です。
ブロガーの端くれとしてわたしも心がけたいと思っているところです。
ご無沙汰しております。
安野さんは中国へのスケッチ旅行の年、癌を宣告され、それを乗り越え、4年の歳月をかけ、このお仕事を完成されたそうです。そういった「表現」することへの飽くなき探求の深さを持ち続けていらっしゃる方が、「自分のレベルをさらけ出す」「恥ずかしい」などとおっしゃると、我々はどうしたらいいのかと、はたと立ち止まってしまいます。
澤地久枝さんの文章を読みながら、「ああ、この人は、ご自分に刃物を突きつけながら、これを書いていらっしゃる」と、瞬間、思いました。
やはりすごい方たちです。
それから、それぞれの絵に押された落款印が、とてもステキでした。絵のなかに融和していて、格調さえ醸し出している落款。中国人が彫った落款らしいです。
お時間がおありでしたら、ぜひお薦めです。