當麻寺の本堂
ここの本尊は「當麻寺曼荼羅(まんだら)」
浄土を描いた絵図と理解して下さい
平安末期に始まった末法思想の世相の中で
「當麻寺へ行けば、お浄土が拝める」と、この御本尊はたいそうな人気だったそうです
イマ風に表現するなら、浄土バーチャル体験!
ちなみに、いま本堂にあるのは鎌倉時代に作られたとされるレプリカ ...それでも重要文化財です
白鳳時代に作られたとされる本物は封印、当然ながらこれは国宝だそうです
本物を見た従兄弟が言っていたことですが、
まるで絨毯の様、当時の日本に作れるはずもない
また、絨毯といえばペルシャ
日本でないどこかで作られたものが、シルクロードを通って持ち込まれたのでは …そんな仮説が思い浮かびます
さて、本堂と講堂の不思議の話
當麻寺境内図 を参照していただくとその位置関係がよくわかります
通常ですと、南に門があって、東西の塔の真ん中を通り、金堂(本堂)、講堂という配置となります
これまでの説明の通り、南門がない以外は當麻寺もこの配置
そして、金堂の中には、弥勒仏座像(白鳳時代:国宝)と四天王像(白鳳時代:重要文化財)が安置されています
この仏像群だけでも、じゅうぶんに本尊と成りえるものですが
當麻寺境内図をあらためて見ると
わざわざ、東側に東大門を設けて、曼荼羅堂と呼ばれる建物に直線的な導線ができています
この曼荼羅堂に本尊の當麻曼荼羅が安置されている・・・すなわち本堂ということになります
ここで本堂が二つある(曼荼羅堂、金堂)不思議の謎解きです
おそらくは曼荼羅堂と東大門は創建からずいぶん後にできたものと推測されます
目的は、末法思想が世に広まる平安末期以降、浄土を現す當麻曼荼羅を本尊に仕立てたかった
ここで本尊のくら替えがおこった、つまり、拝観者確保のためのしたたかな経済感覚から、
本尊を仏像群から曼荼羅に変更した
そして、それに合わせて、今の建物と導線が作られたと考えられるわけです
さらに、時代が下った鎌倉時代
中の坊には大和三庭に数えられる庭と茶室が作られます
中世、歴史の表舞台に立ち始めた武士階級
武士たちの間でブームが巻き起こった「茶のたしなみ」を巧みに利用することで
パトロンとして取り込もうとしたのではなかったでしょうか
創建こそ法隆寺と肩を並べるくらい古いにもかかわらず、メジャーにはなれなかった當麻寺
それゆえに、あの手この手で時代を乗り切ろうとした
そんなたくましい経営感覚をこの寺は脈々と持っていたようです
そんなことをツユとも感じさせない静かな境内
私にとっては、この佇まいと時代をしたたかに乗り切ってきた人間臭さのギャップがたまらない魅力なのです
私説 當麻寺縁起 おしまい
※その二にも記しましたが、記載した内容は
あくまでも、當麻寺をこよなく愛する私と私の従兄の私説であり、
史実に基づくものではありません