當麻寺境内 講堂(右)と本堂(奥)
さて、昨日の続き
...なぜ、塔の先端が八輪なのか
...なぜ、南門がないのか
もし、當麻寺が葬送を目的として建立されたとすればその理由が説明できます
古代、皇族や身分の高い人を葬るときに「殯(もがり)」という習慣がありました
殯とは、死者を本葬する前の仮安置を意味しますが、死者に対する悲しみ、畏れ(おそれ)などが癒えるまで、長期間にわたることもあったようです
この葛城付近は高貴な人を葬るところに近かったわけですから、殯を行う場所が必要だったはず
つまり、當麻寺で殯をした後、竹内街道を葬送し、河内飛鳥に葬った...と考えるなら
塔に陰の数字を込めたことや
遺体を送りだすのに立派な南門など必要なかったこととつじつまが合います
あくまでも私説です
それも、私ではなく、奈良在住で歴史家だった従兄弟の説です
従兄弟は若い時に奈良を放浪し、落ち着いた先がこの當麻寺だったそうです
それ以来、當麻寺中の坊の住職さんとの親交が始まったと聞いています
残念ながら、その従兄弟も5年前に亡くなり、今は當麻寺の境内の一隅にあるお墓で静かに眠っています
さて...
もうひとつの不思議、本堂と金堂の話は次回あらためて
少しですが
境内の木々の紅葉が始まっていました