前の記事に続き「煙突」の話。
広い空に立つ煙突を見ると決まってある光景を思い出す。
遠い昔の光景だが、実際に目の当たりにしたものではない。
小学校の低学年だった頃のこと、
子供向けの科学雑誌に紹介されていた写真、
「お化け煙突」の光景だ。
東京のどこか。
広く開けた空に4本の煙突がそびえ立っている。
煙突は異様に大きく、子供心には恐ろしいほどの光景に思えた。
また、見る場所を変えながら紹介しているのだが
4本の煙突はある場所では1本に見え、
また別の場所では2本、3本に見えたりもする。
何のことはない、菱形に配置された4本の煙突が
見る場所からの重なり具合で、
本数が変わったように見えるだけなのだが
異様な大きさと「お化け」という形容が
芽生えたての好奇心を掻き立てるには充分だった。
それから10年以上も後のこと。
大学受験で上京する新幹線の車中。
東京に近づくと都会の風景を目を凝らして眺めていた。
「お化け煙突」の本当の名前や場所など肝心なことは覚えていなかったが、
雑誌で見た光景だけは長く心に残り続けていて
当時まだ空の広い東京のどこか
あの巨大な煙突なら見えるはずだと思ったのだ。
そして、それからの4年間。
東京タワーや貿易センタービルなど
高い建物に昇ると煙突を探したものだったが
結局見つけることはできず、
そのうちに「お化け煙突」の記憶すらすっかりと忘れてしまっていた。
さらに時を経て、建築の仕事に携わるようになってからのこと。
ふとしたきっかけで「お化け煙突」が内藤多仲氏が設計した千住火力発電所だったことを知った。
内藤氏は構造設計の大家で、東京タワーや名古屋電波塔、通天閣など
日本のタワー建築の草分けとしてもよく知られた建築家だ。
内藤多仲氏の略歴に「千住火力発電所」の名を見つけた時、
子供心に刻んだ「お化け煙突」の記憶が蘇り
その著名な建築家の作品だった偶然に感動すら覚えた。
昭和20年代の千住火力発電所(wikipediaより)*1
千住火力発電所は大正15年に稼働開始。
戦時中も空襲の被害を受けることなく稼働を続けたが
施設の老朽化、豊洲に新しい火力発電所が建設されたことを理由に
昭和38年に稼働を停止、翌39年に解体された。
「煙突とお別れの会」が開催されるなど惜しまれての解体だったという。
昭和39年(1964年)というと先の東京オリンピックが開催された年。
当時の私は8歳、つまり大学受験で上京した時すでに、
「お化け煙突」は記憶の中の光景でしかなかったのだ。
ずいぶんと味気ない顛末となってしまうのだが
さらに調べてみてわかったことがある。
今も跡地にはモニュメントが残されていること、
さらには、両さんでおなじみの人気漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場していたというのだ。
見ることができなかった光景の記憶。
けれども、その記憶を今も大切にしている人が他にもいる。
そのことを知って少しうれしく思ったりもした。
追記
記事を見返しながらさらに思ったことがある。
お化け煙突の跡地にはモニュメントが残され
解体から半世紀以上も経つというのに多くの方に親しまれている。
このことはかなり奇異なことだ。
なぜなら今日、火力発電所はその使命はともかく
近隣住民にとっては「迷惑施設」のひとつだからだ。
それを許すおおらかさ。
それが「昭和」という時代、
それも30年代の特長なのかもしれない、と思えてきたのだ。
The Platters - Smoke Gets In Your Eyes
*1 掲載にあたり日本での著作権保護が満了していることを確認しました
https://blog.goo.ne.jp/arakawa3po/e/35aeff32b86b1a5d3c41eba0397ec15a
お化け煙突の話は
同じ写真倶楽部のかたから聞いたことがあります
私は銭湯の風情が好きで下町を歩くと銭湯の煙突を探します(*^-^*)
煙突って結構俳句に詠まれているのです
坊城俊樹先生の句で
「煙突は煙突として震災忌」これ好きな俳句です
「さんま焼くや煙突の影のびる頃/」寺山修司
「かぎりなく煙吐き散らし風やまぬ煙突」尾崎放哉
。。。話が横道にそれてしまいましたm(__)m
二つの記事、興味深く拝見しました。
このコロナ禍が納まったら
ぜひ跡地を訪れたいと思います。
ご存知の方いらっしゃったのですね。
それだけの人の心に残った光景を
共有していることをうれしく思いました。
そして、ご紹介くださった煙突の句。
見上げた空と煙突に思いを込める。
空倶楽部のお題になってもいいくらいですね(笑)
トークでまとめるブログ。小粋な雰囲気で楽しい文章でした。
お化け煙突とこち亀の世界、漫画の世界は連載終了で時間が止まります。
ギャグが一切出て来ず人情話に徹した回がぽつぽつあるバランス感覚が最高でした。
詠んではいましたが
そんなに入れ込んではいなかったので
ほとんど記憶がありません。
年をとったせいか、最近、「人情」という言葉に弱いです。
読んでみようかなと思った次第です。