はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

春みつけた

2006-03-23 10:36:17 | はがき随筆
 部屋を出ると、風も穏やかで日差しも和らかい。今日は春の証を見つけに行こう。私はマンションの谷間を歩くのももどかしく公園に急いだ。桜はまだ蕾も出ていなかった。カエルは、トカゲは? 見つからない。近くのスーパーに行った。春の野菜はいろいろ出てはいるが、今ではハウス栽培で冬でもある。タケノコは、タケノコは? 探したがまだ出ていない。あきらめて売場を歩いていると、ふとブロッコリーが目に付いた。冬のより大きい。1個100円。安いじゃないか。その時、ハッとひらめいた。これが春なんだ。都会の春は野菜の値段にあった。
   鹿児島市紫原 高野幸祐(73) (3月23日掲載)

春待つ心

2006-03-22 11:46:49 | はがき随筆
 1年間の学習の成果を発表する「いきいき春待ちコンサート」があった。出演者の1人1人の輝いた瞳や弾んだ歌声に、ステージの上は既に春爛漫であった。それぞれの歌声が、大きな力となって私の心に強く迫ってきた。女性合唱団Mハーモニーの透き通るような歌声に、心の澱がすっかり洗い清められた。素晴らしい仲間にも恵まれて、新たなエネルギーも分けてもらった。4月からまた更にチャレンジしなければならない歌が、私を待っている。今から自ずと心が浮き立ってくる。時期は今まさに春。胸を張って、大きく一歩を踏み出してみよう。
   鹿児島市中央町 古木一郎(64) (3月22日掲載)

はがき随筆2月入選

2006-03-22 10:15:48 | 受賞作品
はがき随筆2月度の入選作品が決まりました。
 △出水市上鯖淵、橋口礼子さん(71)の「春隣り」(26日)
 △出水市高尾野町柴引 、山岡淳子さん(47)の「小鹿との出会い」(2日) 
 △鹿児島市鴨池、川端清一郎さん(58)の「桜島山」(8日)
の3点です。
 
 2月は、近づいた春を待つ気持ちを書いた文章がたくさん出ました。緋寒桜や白梅を楽しむ橋口さんの「春隣り」、水仙を株切りして亡父に供える松田ハル子さんの「春の音」など。皆さん、しっとりした内容を一文一文短くさらりと書いたのが早春を描くにのぴったりでした。文末も、「春隣り」は「残り少ない人生。澄んだ冬の青空を眺めながら春を待ちたい」。「水仙」は「明日から歩くことに努めよう」。「春の音」は「この春に会えて、どんな日にも負けないで生きよう」といった具合。いいですね。
 さて、山岡さんの「小鹿との出会い」は面白いですね。山道を運転中に出会った小鹿が母鹿に「すごいものを見たよ。風よりも早く走る物体とそれを動かす動物」と言う。母鹿はそれは人間だよと教えている、という楽しい風景です。こういうふうに思う山岡さんのお人柄が、素晴らしいですね。
 面白いと言えば、桜島は島か山かを考える川端さんの「桜島山」、学校給食を作っている娘さんから始終食べ物の検査をされる楠元勇一さんの「賞味期限」、清田文雄さんの「メジロ」などいい味です。
難しいと言いながら短歌を習う小村忍さんの「60過ぎの習い事」、娘さんから1万円のプレゼントがあり福祉住環境の本を買う岩田昭治さん。お二人とも岩田さんの言葉によると「老身に鞭打って前向きに」励む幸せが、しみじみ伝わりました。
 飲み友達と相談して挨拶しない女性に口を開かせた道田道範さんの「むっつりお嬢」も面白い。窪啓子さんの「先のこと」、小村豊一郎さんの「老を生きる」、若宮庸成さんの「娘よ」は、生き方を深く、そして明るく考えていいですね。
   (日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授・吉井和子)
係から
入選作品のうち1編は25日午前8時40分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。作者へのインタビューもあります。「二見いすずの土曜の朝は」のコーナー「朝のとっておき」です。(3月22日掲載)

ありがとう

2006-03-21 10:42:49 | はがき随筆
 電動車椅子で近郊に外出した。近ごろは座位体制が不安定になり、1人での院外への出掛けが危うくなっているが、この日は意を決しての外出。ところが、寒い日なのに途中で雨になった。でも、近い距離とはいえ帰院すべく電動車椅子を走らせた。その時、1人の青年が走って来て、傘をさしかけて病院まで送ってくれた。名前を聞いたが「言うほどのことでもないですよ」と笑顔。「ありがとう」の重みが、そして青年のさわやかな姿が、どれだけ私にとって大きな喜びとなり、「生き行かされている」力になったか。計り知れない尊いドラマとなった。
   加治木町木田 志風忠義(66) 3月21日掲載

鹿児島の桜

2006-03-20 15:55:18 | かごんま便り
 この季節になると赴任した先で、或る風景を探すことにしている。今回は薩摩半島方面に車を走らせた。ここにも似たような景色があった。
 これは紀友則(平安時代)の「春がすみ たなびく山の 桜花 みれどもあかぬ 君にもあるかな」の気分に浸りたいからだ。みれどもあかぬ君(いくら見ても飽きない君)の部分は、もう私には関係ないが、せめて若々しく、早春を迎えた喜びを感じたいから。
 山の姿が異なり、たなびく霞こそないものの緑の山に山桜が淡色の彩りを添えている。里の桜よりも一足早く咲き、存在感を示していて趣がある。
 昔の人はとりわけ桜への思いがあった。「風雅和歌集」には、花の様子と風景を詠んだそれぞれの歌を「待花」「初花」「見花」「曙花」「夕花」「月花」「惜花」「落花」の順に配列してあるという。
 この区別も繊細で風流。「月花」に収めてある後鳥羽院の句は「あたら夜の 名残を花に 契りおきて 桜わけいる ありあけの月」。今の時代、夜桜を愛でるどころか提灯の明かり、焼き肉の煙、酒宴のにぎわいが先にくる。
 山桜の景色を楽しんだ帰りに、知覧特攻平和会館に寄った。胸を打つ展示の品。一つの辞世の句が立ち止まらせた。「野畦(あぜ)の草 召し出されて 桜哉(かな)」。原田栞大尉、第27振武隊(疾風隊)とある。平和ならば野の草のような自分が、特攻に選ばれたことで桜になることができた、という。12字に凝縮して表現した心奥。もっと詳しく知りたくて同館参事、松元淳郎さん(78)に聞いた。
 以前、元華厳宗管長・狭川明俊大僧正もこの短冊を5分ほど見つめて「これが20歳やそこらで書ける字か、詠める句か」と、つぶやいたこと。原田大尉が戦死したのは1945(昭和20)年6月22日。知覧からは最後の出撃で26歳だった。翌23日は沖縄守備軍の組織戦が終了した。熊本県菊池市の出身で、大学卒後に志願して入隊したことなどを説明していただいた。私と同じ出身県で、しかも大学の先輩だった。
 説明を聞くうちに咽(のど)に熱い塊(かたまり)が込み上げてきた。ほんの60年前には実際にそんな時代があった。18歳で出撃した人もいる。鹿児島の桜は、当時と比べて、恵まれた今の生活を、改めて考えさせてくれる機会を与えてくれた。
   毎日新聞 鹿児島支局長 竹本啓自 (毎日新聞鹿児島版 3月20日掲載)

卒業式シーズン

2006-03-20 14:45:14 | はがき随筆
 3月はあらゆる学校の卒業式のシーズンである。喜怒哀楽を共に過ごして指導を仰いできた先生方をはじめ、同じ教室で机を並べて学んできた学友とも卒業式後、いよいよおさらばしなければならない。「蛍の光」や「仰げば尊し」などが講堂内に厳かに流れてくると、別離の辛さが一段と高まり、熱いものがじーんと込み上げてくる。目元をそっとハンカチで拭う女性、凛として引き締まった顔々々。この日を境にして更に進学する者、あるいは就職する者と道は二つに分かれるが、共に若さと夢の実現に向けて万全を期してほしい。
   霧島市隼人町 有尾茂美(77) 3月20日掲載

姉の帰郷

2006-03-19 17:33:01 | はがき随筆
 テレビを消して1人静かにいる夜は、無性に電話をかけたくなる。その相手は千葉に住んでいた、たった1人の姉だった。急逝して1年近いこの春、串木野に帰ることに。
 日置市出身の義兄は転勤族で、故郷を遠く離れて家も構えたので、せめて自分にお迎えが来るまでは、姉を生まれ育った地に移そう、と決めたのだ。
 小さな箱に眠ったまま故郷に帰って来て何になろう、私は一茶の「めでたさも中位なりおらが春」の句を幾度も思い浮かべた。しかし、もろもろの命が躍動を始める季節だもの、みずみずしい春の花で姉を迎えることにしよう。
   いちき串木野市上名 奥吉志代子(57) 3月19日掲載

恐怖の日

2006-03-18 10:44:56 | アカショウビンのつぶやき
3月18日
 61年前の恐怖の日、姉と私は防空壕の中で泣きながら震えていた。B29の爆撃音は絶え間なく続き「母ちゃん母ちゃん」と押し殺して呼ぶ声は轟音にかき消されてしまった。
 特攻基地だった鹿児島県鹿屋航空隊が米国の猛爆撃にさらされたのが61年前の今日。
 「母ちゃんとお姉ちゃんは必ず後で行くから、2人で防空壕に行きなさい」と厳しく言われた幼い2人、空襲警報のサイレンが不気味に鳴り響く真っ暗な道を、しっかり手を握って防空壕に走った。前夜から上の姉が産気づき、母と助産婦さんは家に残らねばならなかったのだ。
 長い長い時間が過ぎ、戸板に乗せられた姉が防空壕に着いたのはその日の夕刻。命の危険も顧みず助けに行ってくれたのは、近くに住む朝鮮の方々だった。心ない差別に傷ついていた方々が大きな愛のお返しを下さったのだった。「赤ちゃんが生まれるまでは帰れない」と、迎えに来たお子さんを諭して帰されたと言う助産婦さん、沢山の人に見守られ、間もなく無事に女の子が誕生した。翌日の新聞には助産婦さんの善行と「防空壕で生まれた珠のような男児(?)」と書かれていた。
 誕生の瞬間から戦争に翻弄され、終戦直前に沖縄戦で父親を亡くすという哀しい運命を背負って育った姪もすでに還暦を過ぎた。
 戦後61年、戦争のない今を大切にしよう。そして戦争体験を知る私たちが、世界中で繰り返される残虐で無意味な戦争から目をそらさないで生きていこう。
     (アカショウビン)

もうすぐ4年生

2006-03-18 09:48:46 | はがき随筆
 4年生になったら、クラスがえがある。友だちもかわるし、ふえるの楽しみ。
 だけど、酒井さんは東京へ引っこしちゃうし、むつと君は清水小へ転校するし、さみしい。
 まだ他にも、引っこす人がいるかもしれない。悲しいなあ。
 でも、4年生になったら、クラブ活動も始まるし、楽しい事もいっぱいありそう。
 もうすぐ、私は4年生になる。その時を、ドキドキ、ワクワクしながら、みんなと待っている。
 4年生への道を歩み出す。
   鹿児島市真砂本町 萩原三希子(9) 3月18日掲載

卒園式に参加しました

2006-03-17 23:19:33 | アカショウビンのつぶやき
3月17日
 風雨に荒れた昨日がウソのように真っ青な空と暖かい空気に包まれた素晴らしい朝、信愛幼稚園の卒園式に行って来ました。一生懸命練習したのであろう、子供たちの元気な歌声や立派に暗唱した挨拶の言葉に、孫でもないのに胸がジーンとなり目はうるうる…。
そして卒園する可愛い園児たちと保護者の方々に御祝いの歌声を届けました。讃美歌「いつくしみ深き」とこどもさんびか「ハ・ハ・ハレルヤ」の2曲。
「世の友われらを 捨て去る時も 祈りにこたえて いたわりたまわん」と。
園長先生は「幼稚園はこどもたちの大切な根っこを育てる所です」とおっしゃいましたが、しっかり張った根っこに支えられ力強く歩いてほしいと祈る思いでした。

たくさんお友達を作ってね。    (アカショウビン)

小さな試み

2006-03-17 22:00:32 | はがき随筆
 長い間見慣れてきた庭前の花の名が出てこないことがある。ははぁ、私も認知症の入り口に来たなと思う。そこで回想法が認知症予防に有効であると聞いたので、大阪在住の姉と毎日のように電話で追想談を交わした。ところが、姉の入院で昔話は中断のやむなき次第となった。幼年時代の回想は尽きることなく、八十路の私を若返らせる。そこで記録を思い立ち、毎日原稿用紙1枚ずつ書いていたら100枚近くなった。読み返すと父母在りしころの幸福の絵を見るようで楽しい。又、人間の脳の収蔵量にも驚き、考えさせられる記録となった。
   肝付町前田 竹之井敏(81) 3月17日掲載

孫と愛犬ピス

2006-03-16 20:25:36 | はがき随筆
 東京に住む孫が遊びに来るという。大学を卒業し、4月から奥州仙台に赴任するらしい。久しぶりなのでわくわくしながら歓迎の準備をした。ただ初対面のピスと、孫の仲が心配だったが、なりゆきにまかせることにした。来鹿の夕べ、日焼けした孫が玄関に現れた瞬間から、ピスの抗争が始まった。声をかけても無視、近寄るものなら威嚇する。仲を取り持つすべもなく4日間が過ぎた。「ピスと仲良くしたかった……」とつぶやき彼は帰京した。沈丁花が香るがらんとした居間に、四肢を伸ばしたピスがいびきをかいて眠っている。
   鹿児島市伊敷 福元啓刀(76) 3月16日掲載

みそ汁

2006-03-15 12:54:57 | はがき随筆
 帰省した娘たちと久しぶりに鍋を囲んだ時の事。「最後に取りたい食事は何か」という話になり、結局はご飯とみそ汁だろうということになった。
 それでは何のみそ汁がいいかとなり、とっさに二女と私は「豆腐とワカメ」。長女夫婦は顔を見合わせていたが「カニ」と同時に言い、夫はおもむろに「タケノコと菜っ葉」と言った。
 小さいころ母が、かつお節を削り、おみそを加えて湯を注いだ「節茶」を寒い時などに飲ませてくれたのを思い出す。香りとうま味があった。あれも立派なみそ汁で母の味だった。
   霧島市溝辺町 秋峯いくよ(65) 3月15日掲載

アイコンタクト

2006-03-14 11:35:02 | はがき随筆
 座敷犬ハナに「散歩に行くよ」とか「車に乗るか」と言うと、彼女は目を細め短い尻尾を振って玄関へ走る。
 そんなハナも雨や風、暑さ寒さは苦手。散歩に行きたくない時は、戸惑う目をするが主の眼力には勝てない。
 先日、動物病院の先生が混合ワクチンを接種の際に「この子は人の言葉が分かるし、アイコンタクト(目と目の疎通)ができる賢いイヌ」と褒められるのを、耳を動かして聞くハナ。
 帰りの車の中で「駐車代とフード代1万2千円は痛かったよ」とささやくと彼女は上目づかいに私を見て、次に目を伏せ助手席にうずくまった。
   出水市高尾野町柴引 清田文雄(66) 3月14日掲載

梅の咲くころ

2006-03-13 23:12:47 | はがき随筆
 今年の立春寒波は冷えた。自宅の小屋で零下2・5度を示した。日差しが日一日と長くなり、陽光の中で、もう畑の紅梅は、プーンと芳香を放って数輪咲いている。
 梅が咲くころになると、春風のように温かかった友を思い出す。梅の盆栽を育てていたSさんが逝って2回目の梅を見つめる。
 私に夢をくれた友は、もういない。難病にも最後まで弱音を吐かず頑張った友Sさん。私は見舞うことしか出来ずに本当に悔しい思いをした。
 Sさん。もう梅が咲き始めましたよ。悲しくて優しい梅。
   出水市大野原町 小村 忍(62) 3月13日掲載 特集版-6