はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

夏の終わりに

2006-09-04 15:50:48 | はがき随筆
 
 盆が過ぎ、甲子園が終わって夏がすんだという思いが強い。感動の多い高校野球が夏を一層暑くしたが、それなりによかったと思う。
 年を取ると誰もが寂しく落ち込んでしまうが、人生いつまでも感動しながら生きることだと思う。
 癌手術をして1ねん8カ月。元気なからだになってまだ現役の田舎者。すこしでも世の役に立てばと思っている。
 やがて法師ゼミが鳴き秋となる。心素直に、もう少し頑張ってみたいと思うこのころである。二度とない人生だから。
   志布志市 小村豊一郎(80)2006/9/4 掲載 特集版-2 

小さな名前

2006-09-04 15:43:13 | はがき随筆
 激しい雨に鬼ユリは咲き乱れ、薄紫のアガパンサスが美しい。
 キンカンの白い花びらは地面を覆っている。
 雑草は思いっきり両手を広げ、青シソやスギナまで伸び放題になっている。
 毎日展の発表の日はプランターの花苗を植え替え、入賞・入選の知人たちに祝福の便りを書く事にしている。自分は大字書から漢字Ⅱへ変更したばかりで期待は皆無。一息ついてよく見ると入選の欄に小さな名前の春籟(雅号)が。
 うれしい。感動で花の色も潤んだ。
   薩摩川内市 上野昭子(77) 2006/9/4 特集版-1

スイカの思い出

2006-09-03 15:23:41 | はがき随筆
 50年近い前、父の勤務地である日置市の山あいに住んでいた。
 スイカを食べる前は、いつも縁側で家族5人。母が、ざく切りして運んだお盆のスイカに、皆でかぶりつく。種を外にプップッと落とす。すると、縁側の下で飼っていた数羽の鶏が、声を上げてついばむ。私たち子どもは、種が、半分に切った竹の餌入れに命中するよう、工夫して飛ばした。
 ある夏、スイカを食べた後、私と弟だけお腹をこわした。布団を並べ、交代で便所に走る。その姿がおかしいと、父母と五つ上の姉は笑った。今は亡き父、母、姉。夏が、また行く。
   いちき串木野市上名 奥吉志代子(58) 2006/9/3 掲載

誰でもラジオ!

2006-09-02 17:57:07 | アカショウビンのつぶやき
 冷や汗を拭いつつ、ラジオから流れる我が声を聞きました。

我が町で開局したコミュニティFM、「FMかのや」のボランティアとなって2カ月、5分間のミニ番組がようやく生まれました。
難産のため、途中で放り出したくなったけれど、沢山の方々に背中を押され、助けられた結果でありまーす。

まず手始めに、「はがき随筆」を取り上げました。これからはジャンルにとらわれず、いろいろ挑戦しようと思っています。

取材の協力もよろしくお願い致しマース。

スタジオは我が家のパソコンルーム(写真)、初めて見た「ミキサー」とやらの使い方も分からず、いっぱいあるケーブルをどこにつなぐのかもさっぱり……。

文字通り五里霧中のスタートで、強力な助っ人O氏の存在がなければ実現不可能でした。

シナリオを作り、すっかりお膳立てしてくださったK先生、感謝してまーす。
今ではすっかり、はまってしまい「いつまでやるの!」と言われるまで頑張るつもり…。

何やかやで、ブログの更新も遅れがちでしたが、これからは真面目にブログの更新も致します。

「FMかのや」は、77.2MHZ 「FMきもつき」は、80.2MHZです。
まだまだよちよち歩きですが、応援してくださいね。

FMかのや HPも見てくださいね。

夏の終わりに

2006-09-02 14:57:21 | はがき随筆
 仲間が集まると、稲刈りを終えた田で野球をした。グラブを持っていない私は外野を守ったが、打席に立つと、あこがれの王選手気分でバットを振った。小4の時、親父が新品のグラブを差し出した。裕福な家庭ではなかったので、心底嬉しかった。1人で宙にボールを投げて捕球しながら遊んでいると、親父は素手でキャッチボールの相手をしてくれた。いつの間にか夢中になりすぎて、素手の親父めがけて力いっぱいにボールを投げていた。親父の手は真っ赤に腫れ上がっていた。暑い甲子園が終わり、初秋の風が吹き始めるころ、親父の29回忌がやってくる。
   鹿児島市 吉松幸夫(48) 2006/9/2 掲載

恋文

2006-09-01 14:48:58 | はがき随筆
 7月喜寿を迎えた今の気持ちを最後の恋文として妻へ届けたい。主夫業を進めるなか、かつての妻の主婦業の多事多端がしのばれる日々。家事全般、地域の会合や行事・慶弔への参加など。また娘へのお袋の味の伝承とかゆいところに届く介護の配慮、耐える・譲るなど子育ての自信に満ちた心意気と決して豊かでない家計を健全に切り盛りし34歳で新居を構え、退職後更に1棟を建築することへの協調などに感謝したい。1人での賄いは、思慮不足で不手際が多く、「おーい……」と叫ぶことも。やはりいい連れ合いだった。明日も大事に生きたい。
   薩摩川内市 下市良幸(77)2006/9/1 掲載