はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

運動会の秋

2006-11-11 16:20:21 | はがき随筆
 10月1日、海の近く山紫水明に恵まれた大川小の運動会が堪能できた。準備運動を在校生と共にした。9時、在校生、赤白の応援合戦で始まった。そしてついに「華の五十才組」141人と在校生75名のかけっこがスタートした。大川弁まじりの大声援、大爆笑は盆地にこだまして最高のドラマだった。拍手の中、在校生、五十才組はハンヤ節でグラウンドを輪舞し、男女仲良く手をつないで退場した。老若男女、思わぬ人との出会いあり、懐旧の念あり。児童会スローガン「がんばろう 自分の限界をこえるまで」を脳裏に刻み、校門を後にした。
   阿久根市 松永修行(80) 2006/11/11 掲載

理想と現実

2006-11-10 11:16:24 | はがき随筆
 日本の人口は、高齢者の割合が20%を超えたらしい。団塊の世代の我々の老後はどうなるか心配だ。
 同年代の女友だち3人で、おしゃべりをする。「施設に入るのが当たり前になっていて、お金の多少でランク別に振り分けられる」「だったら私なんか一番下だ」「一番下の施設も満杯であふれたら、姥捨て山か野たれ死にか……」「本当は自分の家が一番なんだけど」「理想は、そうよね」「とりあえず元気で行こう」。で、気楽な諦めに終わった。しかし、自分の家で老後を家族に託すことは、難しいことと実感した。 年を取るのも覚悟がいる。
   いちき串木野市 奥吉志代子(58) 2006/11/10 掲載 
写真はバセさんよりお借りしました。

タケノさん語録

2006-11-09 11:15:44 | はがき随筆
 母は、裏の土手を草払い中に滑ってけがをした。病院で「まだ年寄りにはなりたくない」と、のたまう。院長が「89才が年寄りでなく誰が年寄りなの」。それには答えず「ひ孫の運動会や孫の結婚式があるから早くなおして下さい」と頼んだ。
 先日、親せきの葬儀後の席で「ビールも飲んださんかった」と大きな声で言い、周囲を唖然とさせた。
 近くに住む双子の妹には「征子から小言を言われた事がない」と。痴呆がある母との暮らしは、日々バトルの連続である。そしてそれは、そう遠くはない自分の事かも知れない……。
   薩摩川内市 馬場園征子(65) 2006/11/9 掲載

人違い

2006-11-08 11:41:38 | はがき随筆
 北九州に住んでいる倅が先日、高隈ダムに釣りに行き、帰ってくるなり「おやじ、来てたね」と言う。身に覚えのない私は「こんいそがしけ、そげなひまが、どけあっか」と言ったら、狐につままれたような顔をしている。
 倅が言うには、そろそろ日も傾き出したころ、何気なく振り向いたら30㍍位の所に私が立って見ていたので「釣れないよ」と合図までしたと言うのである。
 倅は目がわるくはないので、よほど似た人がいたのか、それとも高隈山の狐が山を下りて来て倅をからかったのかもしれない。
   曽於市 新屋昌興(68) 2006/11/8 掲載
写真はsusumuさんよりお借りしました。

ああ、65歳

2006-11-07 11:15:12 | はがき随筆
 疲れが、一晩寝ても取れなくなった。そんな矢先、介護保険証と、インフルエンザ予防接種の補助金申請付きの通知が社会保険庁から別途来るとある。社会保険庁の名に思わずギョッとすると同時に不安がよぎる。
 政府は65歳以上の老人が増えすぎ、財政を圧迫すると、まるで仇扱いだ。
 どれもこれも、お前は65歳なんだと自覚を強制されているみたいだ。
 が、孔子曰く「六十而耳順」ともいかず、「七十而従心所欲不踰矩」にはほど遠い。ああ、半端なる65歳よ。
   肝付町 吉井三男(65) 2006/11/8 掲載

夫唱婦随元年

2006-11-06 14:47:21 | はがき随筆
 高千穂峰登山に夫と初挑戦した。登りは難なく山頂に着き、雄大な景色に見とれていると、瞬く間に霧があたりを覆いつくした。山小屋で記念の杉細工を求め下山開始。火山れきに足を取られそうになりじっとしていると、先に下りた夫が迎えに来てくれた。夫は私が昼食時間を過ぎても到着しないので、上を見ると登山道から外れ、岩にしがみついている赤いシャツに目が留まったとのこと。私は復路の運転を控えケガのないようにと、慎重に下山していたつもりだったが……。
 ともあれ無事に下山し、その後筋肉痛も起こらなかったのは幸いだった。
   鹿児島市 斉藤三千代(59) 2006/11/6 掲載

いろは歌に学ぶ

2006-11-05 17:11:30 | はがき随筆
 私の郷里には、薩摩島津中興の英主といわれる島津忠良(日新公)をまつる竹田神社がある。この広い敷地の奥にある墓までの道に、日新公が作られた「いろは歌」を刻んだ石碑47基が立ち並んでいる。「いにしへの道を聞きても唱へてもわが行いにせずばかひなし」で始まるいろは歌47首は、今の世にも通用する人の生き方を示した素晴らしい歌である。藩政時代の薩摩藩は、このいろは歌を子弟教育の基本とした。明治維新を成し遂げた薩摩藩のエネルギーも、そういう中から生まれた。ぜひ訪れて、これらの歌を味わってほしいものである。
   南さつま市 川久保隼人(72) 2006/11/5 掲載
   写真はHiroさんにお借りしました。

お別れ

2006-11-04 11:12:33 | はがき随筆
 吹き抜ける風のように人生も吹き抜けていく。クラスの人々はもう残り少なく、いつ吹くかわからない自分がある。
 私は別府へ行きます。当分、お目にかかれません。随筆の皆様、大変ありがとうございました。
 目の病になり、片方は見えません。カトリック系の施設で療養とともに、たくさんの人と生活することになりました。
 本当にいろいろとありがたく、感謝、感謝でございます。
   さつま町 浅山清子(85) 2006/11/4 掲載
   
写真は2004年6月、ペンクラブ山口との交流会に参加された時の、とってもお元気な浅山さんです。

米ノ津川沿い

2006-11-03 17:10:33 | はがき随筆
 晴天が続く土曜日。午前中は孫の保育園の運動会に行き、午後から体調が良かったので歩くことにした。家から20分ほどで米ノ津川沿いのジョギングロードに出る。堤防で車は通らないし、高台なので風もさわやかで見晴らしも良い。黄金色の田もあちこちで刈り取りが始まっていて秋真っ盛り。私は昼間歩くのが好きで、四季折々の景色を見ながら歩く。今はススキやセイタカアワダチソウにコスモスなどが見られ、川の水も澄んできた。今日は川にカモが浮いていた。「やあ、今年も来たね」という感じである。こうして歩ける自分をつくづく幸せだと思った。
   出水市 川頭和子(54) 2006/11/3 掲載
写真はCozyさんよりお借りしたヒドリガモです。

天国の友へ

2006-11-02 11:03:47 | はがき随筆
 君が末期の肺がんを患い、病院を出て荒尾の自宅に帰る、とは聞いていたが、夏の夜、突然「明日、福岡のホスピスに入る。これまでありがとう」と電話をくれた時は気が動転して「がんに負けるなよ」としか言えなかった自分が歯がゆく、腹立たしい。
 その7日後に君が帰らぬ人になるとは……。辛い身なのに私の妻や母を案じてくれた優しい君の、見舞いや葬儀にも行かれず済まない。許してくれ。
 遺骨が奥様の胸に抱かれての帰路、西の空に現れた虹に2人の娘さんが「お父さんの天国へのかけ橋よ!」と叫んだと聞く。君の笑顔が浮かんできた。
   出水市 清田文雄(67) 2006/11/2 掲載
写真はgootaroさんよりお借りしました。

傘寿の内祝い

2006-11-01 12:26:38 | はがき随筆
 子供の設営で10月15日、市比野のホテルで傘寿の内祝いをした。長男がほほ笑みながら、司会は僕にと自信満々。出席者は身内だけ25人。乾杯のあと義妹の洋子が「祝い舟」と「箱根八里の半次郎」を踊ると盛大な拍手。妻の妹京子はカラオケのトップバッターで自慢の「みだれ髪」を歌うと、カラオケ愛好者が次々マイクに向かう。おいや息子の踊り、長男夫婦のダンスで笑いが止まらない。お陰で最高の幸福。最後に司会者よりマイクを向けられ、皆に贈る言葉。健康、努力、とお礼。花束贈呈でひ孫星那(せな)(3歳)には感激。司会のお陰で宴も最高。皆に感謝。
   姶良町 谷山 潔(80) 2006/11/1 掲載
写真はHALIさんよりお借りしました。