全てが後手後手、との思いする。観見二つの眼で見ることの大事性痛感する。
後期末試験が目前に迫っていることもあって、かつ睡眠、食をしっかりとまともな形でとの思いで実践していることもあって、一日二十四時間では足りない、と思えている。結果としてやらねばならないことに追われて、全てが後手後手にまわってしまっている。との思いがする。
宮本武蔵が五輪書で、勝負においては自分が常に主導権を持って、対手を動かしたいもの、と説いていたということ想起される。現実の自身のありかたは全く逆であると思える。
では、と考えると、五輪書で説かれている、観見二つの眼で見る。ということの必要性痛感される。目の前しか見ていないからの、全てが後手後手であるのだと。
これは、手技の施術においてもと思う。そのための四診なのだと……。
後期末試験が目前に迫っていることもあって、かつ睡眠、食をしっかりとまともな形でとの思いで実践していることもあって、一日二十四時間では足りない、と思えている。結果としてやらねばならないことに追われて、全てが後手後手にまわってしまっている。との思いがする。
宮本武蔵が五輪書で、勝負においては自分が常に主導権を持って、対手を動かしたいもの、と説いていたということ想起される。現実の自身のありかたは全く逆であると思える。
では、と考えると、五輪書で説かれている、観見二つの眼で見る。ということの必要性痛感される。目の前しか見ていないからの、全てが後手後手であるのだと。
これは、手技の施術においてもと思う。そのための四診なのだと……。