東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

夏の足裏鍛錬の意義〜個体発生と系統発生の区別と連関〜

2017-08-25 08:01:44 | 運動・鍛錬・リハビリ
登れなくなっていた木に登ることが出来た。個体発生が系統発生を繰り返さなければならない、ということのイメージが深まった。

前期末試験勉強の為に時間を割いて運動不足の期間がそれなりにあった結果として、今年は春の早い時期に登れていた標準木(自身のギリギリ登れる、サボると登れなくなる木をそう呼んでいる) に登れなくなっていた。お盆休みの期間でなんとか、と思っていたのだが、その標準木に今朝は登ることが出来た。

理由は、直接には昨日までのお盆休みからの夏の足裏鍛錬のゆえと思える。(夏の足裏鍛錬については、南郷先生の著作を読んでいただければ、と思うが、端的には夏の焼けた地面、砂利道の上を時間にして1時間ほど、数キロにわたって歩く、走るするもの)

木登りにどうして足裏鍛錬と思われるかもしれないが、木に登るには手、上肢の力だけでは不足で、足裏でしっかりと木の幹を押さえ込む実力(特に神経の働きの実力)が不可欠である(少なくとも自身の登りかたでは)それゆえ、今朝、標準木に登れたのは昨日までのこの数日間の夏の足裏鍛錬のおかげ、と思える。

それとともに、菅野先生が「講義録」で説いてくださっている、歴史性を踏まえての実践の必要性、意義を実感出来た、理解が深まったと思える。端的には、夏の足裏鍛錬によって四足歩行の中身の実力をそれなりに培うことが出来たからの、木に登るということが可能となったということ。

そう考えると、夏の足裏鍛錬=神経・脳細胞の実体力の養成であると捉えるだけでは無しに、その培われるものが、人間の歴史性における、生命現象→単細胞→カイメン→クラゲ魚類→両生類→哺乳類(四足歩行)→猿類の過程における、哺乳類(四足歩行)の内実であるところの実力、神経・脳細胞の実力なのだ、と思える。

ここは、個体発生は系統発生を繰り返すという場合に、個体発生の各段階は系統発生の各段階そのままでは無い、そのまま繰り返すのでは受精卵=単細胞が人間にまで至るのに36億年かかってしまう、そうでは無くて、正確には個体発生は系統発生を論理的一般的に繰り返すのであって……と説かれることの、理解に関わることである、と思える。……改めて、しっかりと説きたいと思う。
お盆以降の強烈な残暑のおかげで、今年は夏の足裏鍛錬が、しっかりと行えている。
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