ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

私の関西百山(94) 但馬妙見山

2014-11-17 14:14:46 | 私の関西百山

 

94 但馬妙見山( 1,139m  <中国山地東部>
(たじまみょうけんさん)兵庫県美方郡香美町と養父市の境界にあり矢田川、日置川の分水嶺をなしている。山麓の名草神社は妙見さんと呼ばれ、古くから信仰の山であった。人の運命を左右する星・妙見尊は明治の廃仏毀釈の折に山麓の日光院に移されたが、戦前までは農民の妙見参りは続けられ、妙見杉の葉を持ち帰って農作物の豊穣を祈る習わしがあった。またザゼンソウの自生地があることで知られる。
 
 
2005 年5月8日、千日山歩渉会 15 人でマイクロバスをチャーターして妙見キャンプ場に向かった。八鹿の市街地を抜けて県道を走り、林道に入ったとたん通行止の表示に出会う。「キャンプ場まで7キロ」の標識もある。ドライバーは「行けるところまで行ってみましょう」と、狭くて曲がりくねった急坂の道を大ナル登山口まで登ってくれた。キャンプ場を通り抜け、緩やかな登りを 30 分ほどで背の低い杉林に入る。
 
 
急坂を登ると尾根道はやや緩やかになり、クマザサの切り開きの中を行く。まもなく町境尾根にでると「山頂まで 300 m」の標識がある。
 
 
大きな方位盤のある山頂は、そこから 10 分もかからなかった。昼食後、妙見新道の急坂を下る。ブナ林の中を緩やかに下り、左手の林道にでる。
 
 
西側から古い参道が出会って再び山道に入るところが妙見峠。二体の石の地蔵さんと十三丁を示す町石が立っていた。この町石は名草神社までずっと続いている。大きなスギが立ち並ぶ暗い道を町石を数えながら下ると、自然に名草神社の境内に入っていく。
 
 
ザゼンソウの群落は社務所手前の山側斜面にあった。
 
 
大きな門のような入母屋作り、こけら葺きの拝殿を潜り抜けて本殿に詣でる。ともに県文化財に指定されている立派な建築物である。
 
 
石段を下り大鳥居をくぐると美しい朱色の三重塔(国の重要文化財)がある。その横に台風で倒れた夫婦杉の切株を覆う記念館があった。 300 年を越えるというこの杉を始め、境内に繁る杉の木は妙見杉という品種だそうだ。江戸時代、出雲大社の本殿の建材となり、その縁でもと大社にあった三重塔が名草神社に移されたという。神社を出て参道が終わると広い車道がバスの待つ大ナルへ続いていた。
 
 【コースタイム】 大ナル登山口 10:25…町境尾根 11:30 …妙見山山頂 11:40 12:35 …妙見峠13:15 …名草神社 13:50 ~14:10 …大ナル登山口 14:25

私の関西百山(93)三十三間山

2014-11-11 08:44:39 | 私の関西百山

 

93 三十三間山(842.3m  <丹波高原東部>  
 
(さんじゅうさんげんざん ) 福井県(三方上中郡若狭町)と滋賀県(高島市)にまたがる。独立峰ではなく、三方五湖の南東にある矢筈山、雲谷山から南に走り若桜街道・熊川宿近くの杉山で終わる県境尾根の最高峰である。山名は京都三十三間堂の用材(棟木)を切り出したことに由来する。
 
 
201210 16日、イタリアツァーで知り合った山仲間と 5人で登る。9時半に倉見に着く。登山届ボックスの横に木の杖がたくさん置いてあった。地元の人によく登られている山らしく、後で聞くと、この辺りでは小学校高学年や中学生も遠足で登るそうだ。駐車場奥に「三十三間山」と記された石碑と、その横に山名の由来と、字は三十三間堂を管理する妙法院主の揮毫であることを記した石碑があった。幅の広い立派な林道を八幡川の流れを見ながら緩く登る。
 
 
 20分で二つの林道の分岐である登山口にくる。美しい流れに沿った道は、何段かに分かれた小滝を捲くよう登る頃から次第に傾斜を増して、右手の山肌が崩落した箇所にくる。
 
 
沢が二つに分かれる処で「最後の水場 山頂まで2.4km 」の標識があり、沢を離れてジグザグの山腹に取り付く。尾根道に出ても急坂が続く。
 
 
「夫婦松」の標識まで登ると山頂まで 1.5km」の表示がある。やや霞んだ若狭湾や三方五湖を眺めながら休憩。夫婦松から勾配はさらにきつくなり、掘割状になって斑ロープが張ってあったりする。
 
 
「風神さん右へ 10m」の標識からひと登りで国境稜線に飛び出した。
 
 
一気に開けた展望は胸が空くような爽快さだ。少し登ると芝生の広場があり、そこからは 10分足らずで頂上に着いた。
 
 
灌木に囲まれた狭い空き地に三等三角点と何枚かの山名板。展望は全くなかった。引き返して芝生の広場に降りる。地元の登山者に左手遠くに霞む三角形の山が青葉山と教えて貰う。この広場は風の通り道でいつも寒いくらいだそうだ。食事を済ませて、風神さんを見に行ったり、夫婦松でコーヒータイムを楽しんだりしながら元の道を下った。
 
【コースタイム】倉見駐車場 09:40 …林道分岐10:00 …最後の水場 10:20…夫婦松11:10 ~11:17…山頂まであと1 km地点11:40 …風神 11:57…県境稜線12:03 ~12:07…三十三間山山頂 12:20~12:30 …芝生広場 12:40~13:20 …夫婦松 14:00~14:20 …最後の水場 14:50~14:55 …駐車場 15:20

私の関西百山(92) 白髪岳

2014-11-09 16:07:30 | 私の関西百山

 

92   岳( 722m)   <丹波高原西部>
(しらがだけ)美しい山容から丹波富士と呼ばれる、この地域での代表的な山である。山名については諸説あり、はっきりしない。隣接する松尾山には、別名・高仙寺山の由来となった高仙寺のあとや石仏群がある。
 
 
 
1994 4 月、近所の奥さんと 3人で二つの山を巡った。松尾山との分岐に車を置き、茶畑の中の林道を白髪岳に向かう。桜公園と名づけられた小広場では今が満開の桜が、さらに少し上ではエイザンスミレが出迎えてくれた。 30 分ほどで林道と分かれ、しっかりした山道となる。銀の採掘跡の洞穴を過ぎると勾配が強まるが、次はヤブツバキのトンネルで赤い絨毯を敷き詰めたような道を行く。
 
 
ジグザグの登りはタムシバの白い花が慰めてくれて、知らぬ問に高度を上げる。タムシバは「尾根全体を真っ白に染めるので山名の由来となった」という説があるほどで、この山を代表する花と思われる。
 
 
稜線に出ると露岩が現れ、やがて赤松の点在する岩場となる。際立った岩頭に登ると左右の緑の山肌は一面にタムシバの白を散りばめた美しい眺めだった。
 
 
快適な岩の感触を楽しんで登るうちに、最後は笹原の中の一登りであっけなく二等三角点のある頂上に立った。周囲の展望はさえぎるものなく、北に多紀アルプス、東に三国ヶ岳、南に虚空蔵山、西に西光山など丹波の山々がぐるりと取り巻いている。
 北へザイルの張られた急坂を下る。道の両側一面にショウジョウバカマの大群落が 200 m程も続く。ヤブツバキの咲くなだらかな尾根道になり、ピッチがあがる。北側の展望が開ける所で昼食をして、保福寺への道と分かれて松尾山へ。
 
 
僅か 200 mほどだが木に槌って喘ぎながら登る。小広場になっている山頂は南北朝時代に山城のあった所といい、鬱蒼と雑木に囲まれ展望がないので小憩して出発。
 
 
やや下った所に仙ノ岩という平らな大岩があり、正面に虚空蔵山と眼下に緑の田野が見渡せて壮大な眺めだった。女性二人は仰向けに寝て大きく山の空気を深呼吸。
 
 
再び暗い林の中の急な下りを終えると、少し開けた墓地(卵塔群)、三基の石仏、松尾寺本堂跡と続く。不動の滝を見て流れに沿って下ると未舗装の林道となり、舗装路に変わるとすぐ朝の登山口に着いた。
 一日中好天で、全行程が美しい花を愛でながらの恵まれた山行だった。
 
<コースタイム> 登山口 9 :40 …銀鉱穴跡 10 :17 …白髪山頂上( 722m )11 : 15~ 11 :35 …昼食 12 :10 ~ 45…保福寺分岐 12 :55 …松尾山 13 :05 …仙ノ岩 13 :20 …本堂跡 13 :50 - 14: 05 …登山口14 : 40

私の関西百山(91) 三岳 ・ 小金ヶ岳

2014-11-07 09:30:14 | 私の関西百山

 三 岳

三岳(793m)・小金ヶ岳(725m)
(みたけ・こがねがたけ)丹波の東、篠山盆地の北に連なる多紀連山は、北部の妙高山、南部の弥十郎岳周辺とともに多紀連山(兵庫)県立自然公園に含まれ、 600 ~800m の低山ながら急峻な風貌から多紀アルプスとも呼ばれている。三岳はその主峰であり、大タワを隔てた東側の小金ヶ岳とともに登られることが多い。三岳は「御嶽」とも呼ばれ、役行者を祀る祠があるなど修験道との関わりが深く、小金ヶ岳は「金嶽」と呼ばれたことから採鉱(金?)との関連がうかがわれる。
 
 1987 11 月、千日山歩渉会例会で太タワに車を置いて二つの山をピストンした。前日は大阪・京都・兵庫の府県境にある深山に登り、篭坊温泉に泊まった。
 
 
 8 日 大タワまで車で登る。ここは金剛と葛城を分ける水越峠に似た地形で、左手は三岳、右は小金ヶ岳へのコルになり、広場があり水場も近い。ユーレイ峠と呼ばれたほど寂しかった面影はどこにもない、明るい峠である。パークして三岳へ向う。
 落葉を踏んでの快適な登りも束の間、滑り落ちそうな急坂となり、木の枝や岩角を掴んでようやく登りきると、次のピークがひかえている。三回ほどだまされた未にやっと石室に着く。
 
 
 793.4m の一等三角点のある頂上は更に 30m 捏先になる。万歳をして記念撮影後、石室に帰りコーヒーを沸かし、周囲の展望に見とれる。南に北摂の山々、西に虚空蔵山など、東にこれから登る小金ヶ岳と実に壮観だ。眼下には篠山の町が小さく見えた。
 
 
大タワへ下り、すぐに小金ヶ岳へアタック。始めは昼なお暗い杉の大木の中の登り。右手に折れてじめじめした所をまき、広葉樹林の中、短いが本日最難所の急登を過ぎて、ようやく稜線に出る。
 
 
振返ると三岳が堂々とそびえている。ここからはアルプスの名に恥じぬ気持ちの良い岩峰が続く。
 
 
いくつか岩場をよじ登り頂上に立つ。潅木が繁り展望はもう一つだが、メンバーの一人が双眼鏡で、白いドームのある昨日登った深山を見付けた。大タワからいずれも 1 時間ほどで頂上に立てる、手軽だが面白い山だった。
 
 小金ヶ岳
 

私の関西百山(90) 東床尾山

2014-11-05 11:23:24 | 私の関西百山

 

90 東床尾山( 839.1m  <丹波高原西部>
(ひがしとこおさん) 兵庫県和田山町の北端、糸井渓谷の奥に位置する一等三角点( 839.1m )を有する山、南西2 kmにある西床尾山、鉄鈷(かなとこ)山とあわせて糸井三山と呼ばれる。
 
 糸井の大カツラ

2003 10  26日、千日山歩渉会のメンバー7名で登った。糸井渓谷沿いの林道を羅漢谷出合の西床尾山登山口を過ぎ、車止めで駐車。ここで JAC 会員の須磨岡さんに出会う。「はりまハイキング」や「たじまハイキング」の   著者で新ハイキング・クラブのリーダーでもあり、この山域の精通者である。 5 600 mほど沢沿いに登ると、囲いの中に国の天然記念物「糸井の大カツラ」が立っていた。
  樹齢 2000 年、高さ35 m、6畳ほどもある主幹は枯れてガランドウになり、その周囲に大小 80 本という「ひこ生え」が取り巻いている。須磨岡さんパーティ3人の後を追うように出発。カツラの後ろで橋を渡り、よく整備された右岸の道を行く。左岸に渡り返すと涼しいスギ林になり、対岸に「助右エ門桜」の大木を見る。更に登ると「衣谷鉱山精錬所跡」の案内板がある。ここで昭和初期まで金が取れたということで、河床や道端に精錬後の鉱石が山になっている。
 
 
歩き始めて 30 分近くで分岐にくる。自然歩道は左の避難小屋のある稜線に向い、峠を越えて出石へ続いている。沢を離れてしばらく山腹を登り、やがて三角点から派生する尾根の直登となる。途中で一息入れて林を抜け、ようやく青空の下の広い山頂に飛び出した。
 
 
さすが一等三角点のある山頂だけに展望は素晴らしい。北に出石の街並みの向こうに法沢山、高竜寺ヶ岳、右手奥に微かに日本海と丹後の山が霞んでいる。東は大江山塊と三岳山、東南すぐ近くに鉄鈷山、南には粟鹿山と氷上の山々、
 
 (南西)
 
南西の西床尾山の後ろに笠形山、ぼんやりと段ヶ峰、西の氷ノ山方面は黒い雲に覆われているが、北にかけて神鍋、須賀ノ山、扇ノ山…と遮るものがない。(これらの山の名前は、須磨岡さんからていねいに教えて頂いた。)
 
 
食事中に西床尾山から縦走してきた JAC の中島氏ら4人が山頂に到着。3グループ全員で記念撮影後、鉄鈷山へ縦走する。朝来郡と出石郡の境界になっている南東に延びる稜線を行く。
 
 
紅葉の始まった疎林の中に踏み跡が続き、顔色も気持ちも明るくなるような楽しい道だ。やがて急坂を滑り落ちるような道に変わり、山腹をトラバースするように下って朝の駐車場所から登ってきている峰越林道に降り立つ。右手にススキと紅葉に彩らた鉄鈷山を見ながら但東町への峠を越えて再び右の稜線に入る。 
 


718
 mピークから小さい鞍部に下り、ススキの原をかき分けながら登り抜けると、やや急な笹原の登りとなり、林の中の鉄鈷山ピークにでた。北側が僅かに開け木の間から東床尾山が見えた。
 
【コースタイム】駐車場所 10:05 …糸井大カツラ 10:15…避難小屋との分岐 10:47 …東床尾山(839.1m)11:17 ~ 12:25(昼食)…林道に出る 13:15 …718m ピーク 13:50 …鉄鈷山(770m?)14:05 ~ 14:15…衣谷精錬所跡 15:05 …糸井大カツラ 15:15 

私の関西百山(89) 磯砂山

2014-10-25 08:49:21 | 私の関西百山

 

89  磯砂山( 661m   <丹波高原西部>

(いさなごさん) 661m 。丹後半島のほぼ中間部、京丹後市峰山町にある天女伝説の山。中腹まで車道が通じ、登山道もよく整備されていて、地元の人に親しまれている。
 
 
一夜を過ごした国民宿舎・丹後由良荘を後に、川沿いの府道を南に車を走らせる。正面の磯砂山が次第に近づいてくる。乙女神社近くで道端のおばさんに道を聞き、府道と舗装林道を4㎞登ると「羽衣茶屋」がある。ただしトイレとベンチだけの無人休憩所である。すでに標高400 m、車を置いて小雨の中を出発。
 
 
やや勾配の強い舗装道を 300 m登ったところが登山口で、「頂上まで 1010 段」という標識がある。しばらく登ると左手のガレ場の上をトラバースして、峠状になったところに「磯砂女池」への分岐がある。池へは帰りに寄ることにして、「あと 870 段」を頑張ることにする。雨はいつの間にか止んだ。
 
 
階段は適度な歩幅になるように工夫され、しかもチップが埋め込んであって足に優しく、歩きやすい。右手、海側が開けてきたが霧が出てきて乳白色のベールに覆われている。「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔を通過して、ひと登りで頂上の広場に着く。登山口から僅か 40 分、楽なハイキングだった。
 
 
一等三角点があるので展望はよい筈だが、あいにく霧の中で展望はまったくゼロ。ヘリコプターで天から舞い降りたというモニュメントの天女と記念撮影して、元の道を下る。
 
分岐から小さなコブを越えて磯砂女池に行ってみた。今は薄暗い木立に囲まれた小さな水溜まりに過ぎないが、昔は天女が水浴びしたというほど、神秘的で清澄な池だったのだろう。
茶屋に帰る頃、また雨が降り出した。林道から府道へ降りたところで、偶然、先ほど道を尋ねたおばさんに出会った。挨拶すると「天気が悪くて悪かったねえ。どこから来たの」、そして「お茶、飲んでいきませんか」と言ってくださった。昔ながらの旅人への親切が嬉しかったが、このあと太鼓山へ行くので辞退した。
天女神社は、天女の子供を祀ったという言い伝えがあり、前にキャンプ場などの施設をもつ「天女の里」がある。参拝して天女の里でお土産に桃を買った。鱒止の青々した田園風景の中で振り返ると、展望に恵まれなかった私たちを気の毒がるような磯砂山が、「今度はいい天気の時においで…」と見送ってくれていた。
 
2007 年7月26 日【コースタイム】羽衣茶屋 09:10 …登山口09:15 …磯砂女池分岐 09:25 …礒砂山09:50 ~ 10:15…磯砂女池分岐 10:27 …磯砂女池…分岐 10:40…登山口 10:45

 
「礒砂女池の羽衣伝説」(分岐の説明板より)
北畠親房著の元元集(1337年)に『丹後国風土記に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に井あり。その名を真井(女池)という。この井に天女八人降り来て水を浴(あ)みき。麓の和奈佐という老父(おきな)、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。天女万病に効く天酒(てんのさけ)をよくす。 十有余年するうち、老父の家富み栄えるも、老父は”汝はもともと、わが児にあらず”と家より追う。天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡(こおり)船木の里にたどりて死す。 里人天女を奈具社(なぐのやしろ)に祀る。こは豊宇賀能売(とようかのめ)の命(伊勢外宮の豊受大神)なり』と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある天女伝説の中でも、極めて格調の高いものである。 大宮町 

私の関西百山(88) 青葉山

2014-10-23 09:01:55 | 私の関西百山

 88  青葉山   <丹波高原西部>

 
(あおばやま)若狭湾のすぐ近くに聳える。秀麗な双耳の山容は福井・京都、それぞれの側から若狭富士、丹後富士と呼ばれている。山麓の松尾寺は西国二十九番札所である。山陰地方の植物の宝庫でもあり、その数は 400 種類に及ぶという。(写真は西峰)
 
 
 2003 年5月6日、 JACの先輩たちと 5 人で松尾寺に車を置いて山麓の道を歩き、途中の今寺登山口を見送って、東峰から延びる尾根末端の中山道登山口から登った。緩やかな登りから木の階段道になり、大きくジグザグを切るように登っていくと、赤紫や白のイカリソウの花が目を楽しませてくれた。
 
 
 植林を抜けて尾根に出て勾配も次第にきつくなる頃、展望図のある四阿があり、高浜の海岸や大島半島など若狭湾の展望を楽しんだ。尾根道にはさまざまな野の花が咲き、豊かな自然の饗応が続く。
 
 
馬ノ背の岩稜に登ると、眼下に高野の集落が箱庭のように見えた。ブナ林の登りを終えると、青葉神社の祠がある東峰頂上の小広場に飛び出した。
 
 
食事の後、西峰への縦走路に入ると尾根は細くなり、足元が切れ落ちている所もある。イワカガミ、イカリソウ、ヤマルリソウ、フデリンドウに加えて、ヤマシャクヤクの花が点々と咲いていた。大きな岩が次々現れ、洞穴のようになった岩もある。
 
 
嶮しい岩稜では真新しい金属製のハシゴが取り付けてある。西峰の頂上は東峰より広く、何枚もの山名板、大きな丸太のベンチ、松尾寺奥の院の祠などがある。
 
 
 
祠の背後には高さ 10m ほどの幅広い大岩があり、岩の上に登ると内浦湾の素晴らしい眺めが拡がった。しかし、海岸には原子力発電所の建物が見え、また北朝鮮へ拉致された人達のことや、岩壁の母も山行中の私たちの話題だった。単純に「海の見える山」として楽しむだけではすまない、さまざまなことを考えさせられる山でもあった。
 
 
急坂を松尾寺に下り、参詣を済ませて山門近くまで来ると、横の庭園には目もあやなボタンの花が咲き誇っていた。花の山の最後を飾る印象的なフィナーレだった。
【コースタイム】松尾寺 08:30 …中山道登山口 09:45~ 09:55 …高野への分岐 10:17 …展望台 10:50 ~11:05 …東峰 11:55 ~12:30 …西峰 13:10 ~13:40 …松尾寺 14:20

私の関西百山(87) 愛宕山

2014-10-21 11:16:30 | 私の関西百山

 

87 愛宕山( 924m <京都北部>
(あたごやま)京都市の西北、丹波と山城の国境に比叡山と対峙して聳える山。山頂の愛宕社は火伏せの神として「伊勢へ七度、熊野に三度、愛宕さんへは月参り」と俗謡にも歌われたように崇敬された。山麓に月輪寺、空也の滝の見どころがある。
子供たちが小さい頃は子供会で、また千日山歩渉会例会でも登っているが、いずれも雪のある時期である。ここでは 1990 年1月末に二人で登った時の様子を記す。
 
 
秋には紅葉の名所で賑わう清滝の駐車場に車を置き、猿渡橋を渡って登山口の鳥居をくぐる( 09:30 )。舗装路から石段の山道となり急登が始まる。頂上まで五十丁の一丁毎に右の地蔵さんが立ち、別に合目の標識もある。 3 合目辺りから歩き易い広い道になり、途中、幾つかの休憩小屋を見送り、 5 合目を過ぎると勾配も緩くなる。杉林の中の大杉神社(↑)を過ぎると、左手の展望が開け京の町並みや比叡山が見える。
 
 
柚子の里・水尾への分岐の小屋はすでに七合目半( 11:00 )、始めて小休止するが汗が引いて寒いので、立ったまま煙草一服ですぐ出発。この前後から雪が見え始める。しばらく平坦な道を行き、また石段の登り。樒を売る大きな小屋があり、お婆さんが「ようお参り」と声を掛けてくる。
 
 
黒門の大鳥居を潜る(11:30 )。両側に灯篭の並ぶ、幅広い真白な雪の参道は神々しい気に満ちている。
 
 
社務所の前から急な石段を登り、本殿に参拝して無事登れたことを感謝(11:45 )。滑り易い石段を下り、休憩所裏のベンチで湯を沸かし、ラーメンを啜る( 12:00~12:25 )。陽が陰るとさすがに肌寒く、木の技に干してあったタオルがバリバリに凍った。
 
 
月輪寺への下りはかなりきつい。熊笹の中の凍てついた雪道で 200m 程だけアイゼンを着用。松や杉の林の中をジグザグに下って静かな月輪寺に着く。(13:15 )丁寧な物腰の若い尼さんにご朱印を戴く。ここからまた長い下りが続く。空也の滝への分岐を今回は見送って、河原でコーヒータイム( 14:00  20)。後はのんびり舗装路を辿って駐車場に帰り着いた( 14:50 )。
 

私の関西百山(86) 大文字山

2014-10-19 16:22:36 | 私の関西百山

86 大文字山(466m ) <京都北部>

(だいもんじやま)北の比叡山から南の稲荷山まで京都の町の東に連なる山並み「東山三十六峰」の主峰である。すぐ東の如意ヶ岳と併せて東山如意ヶ岳とも呼ばれた。お盆の16日に精霊送りの行事として、山腹に巨大な「大の字」が描かれることで有名。金閣寺に近い左大文字山では、大の字を裏返しにした「左大文字」が送り火とされる。
 
 
1982年4月、町内のハイキング同好会月例会で南禅寺から歩いた。『赤レンガの疎水橋の下から山に向かう新島穣の墓を過ぎ、木の間がくれに下界がうかがえるだけの単調な上りで稜線に出る。ゆるい下りで山中の少し広い十字路は、大津と鹿ヶ谷とを左右に分けている。俊寛もたどった山中かと思うと興趣深い。
 
 
ここから更に一登りで三角点につくが、展望はあまり良くない。(南禅寺より約1時間)。15分ほど下ると急に視界が開け、大の字の字面の一番上の地点に着く。京の街が眼下に広がる様は、まさに絶景。今まで樹林に視界を遮られていただけに、一段と印象的である。京の町並は背後に嵐山と賀茂の流れや御所の緑を控え、寺院の屋根や塔が散在し、さすが1000年の歴史の重みといったものを感じる。』
 
 
18年後の2000年2月、南禅寺に車を置いてふたりで同じ道を登った。尾根へ登る途中では日陰に雪が残っていた。『十字路の峠に出ると、立派な京都一周トレイルに出会う。NO.42の標識がある。直進すれば山科御陵への道、大文字山へは左にこのトレイルを行く。標識NO.45でトレイルを離れて、少し登ると三角点である。
 
 
…ぐんぐん下っていくと、ぱっと視界が開けて大文字の火床の上に飛び出した。レンガで囲った火床の横に、三角錐を逆にしたような金属製の新しい容器が取り付けてある。前には確かこんなものはなかったが、燃料でも入れておくのだろうか?「大の字」の横棒端辺りに腰を据え、京の町を見下ろしながらお握りを食べ、ラーメンをすする。
 
 
右手の比叡山はくっきり見えるが、正面の嵐山から右手奥の愛宕山にかけてはぼんやり霞んでいる。眼下の銀閣寺の森の向こうに吉田山、その奥に京大。黒谷光明寺の寺院群左に平安神宮の真っ赤な大鳥居。京都タワーは春霞のベールの中だ。ゆっくり展望を楽しんで急坂を下る。』前に来た時と同じく銀閣寺に下り、哲学の道を歩いて南禅寺に帰った。
<写真は全て2000年のもの>

私の関西百山(85) 比叡山

2014-10-17 08:42:19 | 私の関西百山

85 比叡山(848.3m) <京都北部>

(ひえいざん)京都・滋賀の府県境を南の四明ヶ岳から北に連なる山並みは、琵琶湖東岸からは大きな山塊に一望できる。京都側からは秀麗な山容のため「都富士」と呼ばれた。八瀬からケーブル、ロープウェイを乗り継いで、簡単に遊園地のある四明ヶ岳(838m)に達することが出来る。登山コースとしては修学院駅から「きらら坂」を登るのが普通である。この道は昔、叡山の僧兵が強訴のために神輿を担いで都に降りた歴史の道でもある。比叡山は最澄によって開かれ、延暦寺を中心とした東塔、西塔、横川の三塔十六谷と言われる全山が寺域である。宗教的には東山麓の近江側からの道が表参道とされ、坂本には今も多くの僧坊がある。

 

2004年9月、千日山歩渉会14名で日吉大社から参道を上り、大比叡三角点(848m)を踏んで無動寺谷道を下ったときの想い出を記す。大宮川観光駐車場に車を置き、日吉大社と比叡山高校の間の石段を登って山に向かう。しばらく林道を歩き左側の急な山道に入る。送電線鉄塔を過ぎると、なだらかで歩きやすくなる。この道は東塔本坂といい、昔はたくさんの人が利用した参道で、随所に石段や手摺りなどの名残があり整備されている。歩き始めて45分で左側が切れ落ち、道の中央が抉れた急坂となる。しかし、短い登りで三体の石地蔵の立つ草地に出た。ここから林道経由で坂本へ下る道がある。3分ほどで亀堂に着いた。背中に石碑を乗せた亀の像が古いお堂の前にある。左に法善堂を見ると道は舗装された坂道になり、延暦寺の境内に入る。



すぐに根本中堂の前で、比叡山の中心部だけに大勢の観光や参拝の人で賑わっている。坂道を登って阿弥陀堂と東塔を結ぶ回廊の下を潜るようにして裏側に回り、左に山に向かう道を登る。狭い平地にでると古いお堂の背後、深い杉林の中に「登山道」の小さい標識があった。尾根に出て右に折れて無線中継塔の立つ山頂部に来る。



給水設備裏の高みに一等三角点と大比叡の山名板があった。背の高い杉木立に囲まれて展望は全くない。東に延びる尾根の杉林の中をぐんぐん下る。智辯大師廟を過ぎて古い墓地を通り抜け、ドライブウェイに降り立った。赤い鳥居を潜り、西尊院横の歩道を下るとケーブル延暦寺駅。眼下が開け、薄日が差す琵琶湖南部が初めて望めた。石の鳥居を潜って無動寺参道に入る。石段を下り、玉照院前から竹藪を通る山道になる。急坂を下り、小さい沢を二つ渡る。沢沿いに下り、 小さい尾根を一つ越すと再び長いなだらかな下りになり、県道に出た。



【コースタイム】大宮川駐車場9:45…日吉神社9:50~10:00…大宮谷林道分岐10:50~11:00…亀堂11:03~11:05…根本中堂(見学、昼食)11:15~12:05…大比叡三角点(848.3m)12:45 …ケーブル駅13:10~13:20…日吉神社14:35~14:45…大宮川駐車場14:50