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1959年8月14日。変愚院25歳です。新穂高から入山し、双六
~槍と西鎌尾根を辿るうちに台風接近。槍からの稜線は危険
で横尾回りで涸沢へ。台風に直撃されて小屋で二泊したあと、
ザイテングラードを登って穂高岳山荘についたところ。このあと、
その日のうちに奥穂、前穂を経て上高地に降りたのですが、
残念ながら自分の写った写真は残っていません。
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1963年8月14日。大阪市立YS高校山岳部の夏山合宿。
前列左端、変愚院。山名板を持つ教え子らが今年、還暦を迎え
ました。経過した年月を思うと感無量です。
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翌1964年8月14日。五竜岳頂上。
3年生になった去年と同じ顔が見えます。この年は白馬から
唐松~五竜~鹿島槍~爺岳と後立山連峰を縦走(もちろんテント
泊)しました。
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山岳部顧問は、他のクラブ顧問と違って生徒達と全く同じように
行動しなければなりません。荷物はやや軽めですが、生徒の命を
預かる責任は重大。本当に好きでないとやってられません。
しかし、教師と生徒を越えた人間としての絆はいつまでも強く、
お互いの心に残っています。
1970年は蝶ヶ岳にいました。社会人山岳会で5パーティに分かれた
槍ヶ岳集中登山のCLでした。この年も台風に遭遇、結局、槍に
登ったのは、なんと最難関の北鎌パーティだけでした。各パーティの
安否確認が大変でしたが、全員無事に下山できてほっとしました。
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1978年8月14日。東鎌尾根にて。
赤い帽子の♀ペンの左後ろ美穂13歳、右後ろ岳志10歳。この頃は
ご近所の山好きな家族と一緒に、よくキャンプや登山をしました。
この年は燕~東天井~常念~蝶と縦走しました。
さあ、あと5日で一年ぶりの北アルプスです。今年は千日山歩渉会
の皆さんと穂高へ行きます。お天気になりますように…。