ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

去年の今日(12.19)

2008-12-19 17:55:29 | 過去の今日
ちょうど一年前の今日、国立大阪医療センターで緑内障の手術をしました。
難しい手術で失敗すれば失明のリスクもあると言われていました。それだけに
包帯が取れて、無事に目が見えた時のうれしさは忘れられません。
あれから一年、この病気の特徴で視神経が損傷して視野の狭くなったのは回復できません。
しかし眼圧はほぼ正常に推移して、30~40日に一度、診療に通い、毎日目薬を点眼するだけで済んでいます。


今日も元気に一日を過ごせたことに感謝して、明日もよい日でありますように…。
矢田歩きの帰りに、矢田寺の塔頭・大門坊境内の北向き地蔵さんに手を合わせました。
「一願成就」と書いてあるように、どんな願い事もひとつだけは聞き届けてくださる、頼りになるお地蔵さまです。

あれから8年(12.12)

2008-12-12 17:38:39 | 過去の今日

8年前の今日、つまり平成12年12月12日の御在所岳山頂です。
低山徘徊派の仲間が12時12分に山頂に集まりました。
中道を登りましたが、キレットの上はガチガチに凍っていました。


そして、こちらは今日の矢田山。
矢田寺の紅葉もほとんど終わり、奥に見える一本だけがまだ残っています。


松尾山からの縦走路も落ち葉に埋め尽くされて、冬枯れのさびしい景色になりました。


矢田四国遍路道(12.2)

2008-12-02 19:38:28 | 過去の今日

今日は午後遅くから「へんろ道」に入りました。


近頃、四国八十八か所を模った遍路道の石仏すべてに、各札所のご詠歌、般若心経、理趣経などを記した首掛けを寄進された奇特な方がおられます。
なんと役行者、前鬼、後鬼もきれいな前掛けをつけています。


遍路道保存会のメンバーが紅葉の名所を目指して整備されているだけに、早くも美しい色どりです。


五十八番札所からいったん巡礼道を離れ、いつもの矢田山最高所を往復したあと、八ケ所巡りを継続、美しい夕陽に染まる矢田寺に帰りました。

1999年11月24日

2008-11-23 11:19:51 | 過去の今日
変愚院夫婦にとって最高の到達標高度になるカラパタール5,545mに立った日です。


16日にルクラを発ち、高度順化を重ねながら9日目のこの日午前10時、エベレストを間近に仰ぐこのピークに登り着きました。


登りに要した時間3時間、「ああ、もうこれで登らなくていいんだな…」という感慨より浮かばないほど、ふたりとも疲労困憊していました。


一緒に旅してくれた山の後輩二人と、献身的な現地スタッフの支えがなければ到底登れなかったと思えるトレッキング・ピークでした。
 しかし、黒みがかった蒼い空の下に、ぐるりと並ぶ純白の神々の座。


笠雲を冠にした世界最高峰エベレスト。

そしてローチェ、アマダブラム、カンテガ、タムセルク、タウチェ・ピーク、トゥナ・ピーク…。


すぐ近くには水晶のように美しいプモリの姿…。ながい長い間の夢が実現した至福の時でした。


ばたばたと風にはためくタルチョ(五色旗)の音は、今も耳に残るようです。
頂上滞在はわずか30分。


下山も予定のロッジが満員で泊まれずに日が暮れ、月明かりの中を歩き続けて、その日の行動は12時間にもなりました。
長い苦しい一日でしたが、これまでの生涯で(おそらくこれからも)最高に素晴らしい一日でした。

過去の今日(9月23日)

2008-09-23 18:21:11 | 過去の今日
4年前(2004年)の今日(9月23日)、初瀬山に登りました。
長谷寺の裏にある548mの低山で、万葉集で「こもりくの」の枕詞で詠われる泊瀬山は、この辺り一帯の山をいうようです。

こもりくの泊瀬の山は色つきぬ 時雨の雨は降りにけらしも(坂上郎女)



長谷寺から登るのが普通ですが、私たちは都祁に抜ける県道途中にある初瀬ダムの下、「見廻(みかえり)不動尊」の近くから登りました。
もちろん道標はなく、正しいルートかどうかも分からない心細い踏み跡を拾っていくと、30分ほどで長谷寺からの道に出ました。
さらに30分登った山頂からの展望はほとんどなく
周りを囲む木の間から南に音羽三山、東に貝ヶ平山、鳥見山らしき山がちらちら見えました。

ちょうど30年前(1978年)の今日は、町内のハイキング同好会例会で青山高原へ。
子供たちと4人で西青山駅から別荘地を抜けて、木の階段道を髷山三角点へ登り昼食。
霧が深くなり、やっと山道らしくなった林の中の道を布引滝へ下り東青山駅へ。
大急ぎで下りましたが1時間に1本の電車を逃し、ラジオで藤井寺球場の近鉄阪急決戦を聞いたのも懐かしい思い出です。



45年前の1963年は、結婚の前年。社会人の会の南八ヶ岳合宿。霧の中で赤岳を越えてキレットへ下り、強風の中で1時間近くかかって設営しました。
このときの様子は前に「数字の山・八の山」で見て頂きましたので、写真を一枚。
二人とも体力があったこの頃に帰りたいものです。

北へ南へ…夏山真っ盛り(8月22日)

2007-08-22 21:35:56 | 過去の今日
今年の夏は、遠出が出来なかったまま過ぎていこうとしています。
いつもなら涼を求めて高い山へ出掛けていたところです。
これまでの8月22日を振り返ってみました。

46年前(1961年)…高校3年の弟と烏帽子、槍、大滝へと縦走中です。
この日は6時過ぎ烏帽子の小屋を出て、三ツ岳から快適な縦走路を辿り、野口五郎岳に立ちました。



このあと、ガラガラの急な岩屑道を鷲羽岳に着く頃から濃い霧になりました。三俣蓮華は山腹の捲き道を辿らず、強風と濃霧の山頂に立ったため双六岳まで時間がかかりました。
ビバークを覚悟した17時前、双六小屋の姿が霧の中に浮かび上がりホッとしました。

38年前(1969年)…奥穂高岳。
涸沢のテント生活中の一日。天気が悪いので奥穂高へピストンで登ることにしました。せっかくの山頂は濃いガスの中でした。

36年前(1971年)…大和葛城山。
今ではホームグラウンドのようになった山ですが、今の住所に引っ越して3年目のこの年この日、家族4人では初めての山行でした。

33年前(1974年)…剣山。徳島の知人宅から日帰りで往復しました。
下りは行者道をとりましたが、前日の雨で岩が滑りやすく、クラックに取り付けられたクサリの丸い輪も雨と泥に濡れていて、爪先を入れて下るのにちょっと苦労しました。
この後、この山には4度登っていますが、いつも頂上小屋でお世話になっているので、日帰りはこのときだけです。

12年前(1992年)…石鎚山。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
前夜、大阪南港からフェリーで松山へ。8時前には土小屋に着き、裏参道を歩き始めました。最後の「三の鎖」が使用中止になっていて捲き道を登ったのが心残りです。



写真は最高峰・天狗岳頂上です。四国の第一、第二の高峰に登ったのが、図らずも
同じ8月22日でした。

11年前(1993年)…乗鞍岳。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
西穂に登ったあと、蒲田温泉で飲んでいて帰るまでにもう一山登ろうと云うことになりました。



5時に宿を出て畳平まで来ると冷たい霧雨。強風とガスの中、手探り状態で頂上に立ちました。


10年前(1997年)…雨飾山。
前夜、小谷温泉に泊まり、この日山頂を目指しました。
花が多く美しい山でしたが、暑さには弱りました。山日記には「恐らく始めてこんなに水分を摂った」と書き残しています。
フトンビシの岩壁と、下山後の露天風呂から見上げた星空の美しさが目に焼き付いています。

20年前は…

2007-07-15 15:42:29 | 過去の今日
つれづれなるままに…退屈しのぎに…20年前は何をしていたのか
日記を引っ張り出してきました。

1987年7月15日は水曜日、もちろんまだ現役ですからこれと
いって変わったことは書いていません。
前日は、(今年同様)台風の接近で局地的な豪雨。湿度も90%とベタ
ベタの一日だったと…しかし15日は新阪急ビル屋上のビアガーデン
で飲み会をしていますので、台風は無事通過したのでしょう。

17日の日記には、「今夕、裕次郎逝く」と…。
私は同じ1934年生まれですから、彼より20年長生きしていることに
なります。

初めてヒマラヤジャイアンツを… (3月31日)

2007-03-31 19:05:35 | 過去の今日
10年前の今日、ヒマラヤの8000m峰を初めてこの目で見ました。

英語もおぼつかない二人だけでの、心細いネパール初訪問…。
昨日(1997.3.30)は降雪のため峠の村・ゴラパニで停滞。
夜になって次第に晴れて、ヘール・ボッブ彗星が見事に大きな尾
を引いているのを、肉眼ではっきり見ました。


そしてこの日は暗い内に登り始め、1時間程登ったプーン・ヒル
で寒さを堪えて、夜明けを待ちました。


「6時10分、青白色のダウラギリの頂上がオレンジ色に輝き、
その明るみが次第に下に拡がってくる。声にならないどよめきが
起こり、やがて耐えきれないように感動の声が大きくなる。


左が雪煙を上げるアンナプルナⅠ峰、右がアンナプルナサウス。

今回のトレッキングをアンナプルナやダウラギリを見るコースに
した理由は、初めて読んで感銘を受けた山の本が、H・プールの
「八千メートルの上と下」であり、ついでM・エルゾーグの
「処女峰アンナプルナ」であって、アンナプルナが長い間の憧れの
山だったからです。
どうせならエベレストBCへ…という♀ペンを「初めてで、しかも
パーソナルツァーだから…」と説得して、やってきました。
そして憧れの山に対面できました。


ヒウンチュリです。

北西からダウラリⅡ、Ⅲ、Ⅳ、そして大きくⅠ峰(8167m)、
トクチェ・ピーク。北東にかけてニルギリ、陰に隠れるように
真っ白なアンナプルナⅠ峰(8091m)、南峰、ヒウンチュリ。
端のマチヤプチャレ(6993m)はやや逆光気味。
ずらりとヒマラヤ・ジャイアンツが並ぶ光景はまさに圧巻…。」

当時の山日記を読み返すと、あのときの感動が改めて蘇ります。
今日は二人にとっての「ヒマラヤ初見参記念日」です。

1999年11月28日-ヒマラヤン・ビュー・ホテル

2006-11-28 18:54:28 | 過去の今日

ポストモンスーンの11月は、ヒマラヤの山々を展望するのに
最もふさわしい季節です。
7年前の今日は、ナムチェバザールから少し登った丘の上に
立つヒマラヤン・ビュー・ホテルでのんびりとその絶景を眺めて
いました。
中央の岩峰はアマダブラム、左で雪煙を吹き上げているのが
世界最高峰のサガルマータ(エベレスト)とローチェです。
実は、上の写真は10日前の11月18日に撮影したものです。


その後、厳しい高所のトレッキングで、私たちペンギン夫婦として
は最高到達点となるカラパタール(5,545m)に立つことが出来ました。
私たちの視線の先にあるのはエベレスト、後ろの美しい水晶のような
山はプモリです。頭上にヒマラヤワシが悠々と舞っています。


無事下山したとき-28日はこの通り、実に素晴らしい晴天でした。
名残惜しさに、何度も振り返りながら山を下りました。
今もこの光景が瞼に焼き付いています。

谷川岳 (1996年8月19日 )

2006-08-19 09:02:33 | 過去の今日

ちょうど10年前の今日は上越の谷川岳にいました。
これは天神峠から仰ぐ双耳峰の本峰。左がトマの耳、右がオキの耳。
こんなに快晴に恵まれた素晴らしい山行でしたが…山よりも
片道11時間の運転がしんどかったです。当時は長野道、上信越道、
関越道が結ばれてなく、八ヶ岳を越えて佐久経由で走りました。


天神尾根を登って肩の広場に着いたところ。大指導標と肩の小屋が
見えます。


コマクサが美しく咲いていました。近くに見えるのは万太郎山です。


オキの耳(1977)頂上。谷川連峰の最高所です。後ろに見えるのは
トマの耳。眼下に水上の町、遠く榛名山が霞んでいます。


トマの耳にて。ここから肩に帰り、西黒尾根を土合口に下山しました。