ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

2016年の山行(1) 畝 傍 山

2016-01-10 11:50:37 | 山日記

【登 山 日】2016年1月5日    【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子
【コースタイム】登山口 11:10… 頂上11:35~11:50…東大谷日女命神社12:10

初詣の橿原神宮は三ヶ日が過ぎても、結構な人出だった。参拝を済ませ、北門を出て登山道に入る。時間が遅いので、下りてくる人に次々出会う。追い越していくのは高校生らしい若いランナーが多い。緩やかに山腹を捲いて登っていくと、左手の谷側の林の中に、真っ赤な一叢の紅葉が緑の中に鮮やかで目を引いた。道標のある畝傍山口神社への分岐で10人近いグループに出会い、まもなくY字状のヘヤピンカーブで右へ折り返す。直進する細い道はY字の下棒にあたる。



ここまでが少し長く感じたが、折り返してしばらくガラガラの急坂を登ると、間もなく「イトクの森」への下り道分岐にでた。ここはすでに山頂の一角で、左に御神木を囲む石の柵が見える。隅の大きな石標に住吉大社の名前が刻まれている。大阪の住吉大社で祈年祭(2月)と新嘗祭(11月)に使われる土器に畝傍山山頂の土が使われ、それを採取する「埴土神事」が行われる。(現在でも、この神事が行われているというコメントを、のちにFBで教えて頂いた。)

山頂には二人の子供連れの若い夫婦が休んでいた。三角点で記念撮影をして汗をぬぐう。山頂南側からは、靄で霞む大和平野に耳成山と天乃香久山が浮かんで見えた。北から東にかけては、ぼんやりと霞んで山の形も定かでなかった。

畝火山口神社跡近くに置かれた、新しい竹製のベンチに腰を下ろして休む。この神社は、もともとは大山祇命を祭神とした、延喜式神名帳に記載されているほどの古い神社である。江戸時代には「畝火明神」とも呼ばれ、天正年間から戦前まで山頂に鎮座していた。昭和15年(1940年)、紀元二千六百年にあたって橿原神宮が大拡張されることになり、東麓にある神宮や神武天皇陵を見下ろすのは宜しくないということで、政府によって現在の場所(畝傍山の西の麓)に移された。

今日は登ってきた同じ道を下る。登ってくる人に道を譲りながら、ゆっくり歩いて東大谷日女命神社に参拝する。この神社はかなり古くからこの地にあり、江戸時代までは熊野権現の名で知られ、イザナギノミコトを祀っていた。 明治20(1887)年頃、祭神は神功皇后へ、さらにその後、ヒメタタライスズヒメノミコトに変る。明治35(1902)年、現在の社名(大谷は近くの地名)になる。姫蹈鞴五十鈴媛命は神武天皇の御后である。

山頂の神社といい、ここと言い、皇国史観に振り回された時代の記憶を思い興させる山だった。


2015年の想い出(2)

2015-12-23 12:48:09 | 山日記

7月27日 『アイヌ語でヌタプカムウシュペ(川が巡る上の山)と呼ばれた大雪山塊。50kmにわたって2000m級の山々が連なる、広大な北の山地である。一帯はまたカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という名にふさわしく、夏は色とりどりの高山植物の咲き乱れる雲上の楽園でもある。今回、丸屋夫妻とともにCT社のツァー「高山植物の宝庫・黒岳と北海道最高峰・旭岳3日間」に参加して、今まで機会がなかったこの山に、ようやく登ることができた。』参加者20人、ゆったりしたバスで天人峡温泉に着きました。例年、不要ということで冷房がなく、寝苦しい夜を過ごしました。

7月28日  大雪山最高峰の旭岳 へ。スタート地点の旭平ですでに標高1600m。



残雪の残る「姿見の池」周辺のお花畑から地獄谷の噴煙を見ながら登ります。私が最高齢ということで一番前を歩かせて貰いました。霧がだんだん濃くなり、最後の登りでは気温が高く、ダラダラ流れる汗を拭いながら登りました。



山頂(2291m)は残念ながら濃い雲霧の中で、晴れていれば利尻山まで見えるという大展望は望むべくもありませんでした。
下山後、層雲峡温泉へ。この日もエアコンがなく、おまけに窓が開かず、蒸し風呂のような部屋でした。

7月29日 黒岳 ガスが去来するもののまずまずのお天気。ロープ、リフトを乗り継いで七合目からスタート。急なジグザグ道の連続でしたが、ゆっくりと465mの標高差を登り切って1984mの山頂に立ちました。霧が晴れて、昨日登った旭岳が右手遠くに、その横に北鎮岳、北海岳が並んでみえました。



下山後、ロープ駅でエゾシマリスに出会ったのも楽しい想い出です。

9月29日 天理竜王山

今年の夏は異常な高温で低山に登る気にならず、なんと大雪山以来2カ月ぶりの山歩きになりました。蒸し暑く、虻やブヨを払いながら登りましたが、楽しい半日の山歩きでした。

10月3日 



宝山寺へ参詣したあと、岩谷滝から生駒山へ登り、暗峠、鳴川峠を経て千光寺に下りました。



万歩計の数字は24,000歩を数え、二つの古寺を尋ねて満足のハイキングでした。

10月8日 河内飯盛山 室池園地へ車を置いて、蟹ヶ坂コースを下りました。



沢沿いの急坂を桜池へ登りかえすと、近くにお目当てのシュスランの大群落が二つあり、思ったよりの数の多さに感激しました。



山頂に登り楠公寺、権現の滝を見て車を置いた園地に帰りました。


11月5日 来春の「まほろば365」行事の下見で高円山へ。



滝坂道演習林入口から大文字火床、三角点に登り、引き返して谷道を樋之口谷池に下りました。ここから奈良町を経て近鉄奈良駅へ歩きました。

11月28日 二度目の高円山下見 白毫寺からの登り道は廃道になったらしく、前回降りた樋之口池横から尾根道を登り、大の字の第三画下の地点に出ました。



軽食のあと元の道を下り、白毫寺からは久しぶりに東山緑地の紅葉を楽しみ、元興寺塔址から猿沢池経由で近鉄奈良駅に歩きました。

数度の矢田丘陵(松尾山、矢田山)を除くと、今年の山行はたったこれだけです。恒例にしていた秋の富士にも登れず、2000mを越える山は旭岳だけ。10年前の2015年は海外のキナバルに始まり、夏山で槍と白山へ、秋は大山、他の月は奥駆道始め近畿の山々へと、登りまくっていたことを思うと淋しい限りです。来年はどんな年になるか楽しみですが、まあ歳相応に無理をせず、ゆっくり歩き続けて行こうと思っています。


2015年の想い出(1)

2015-12-21 17:13:19 | 山日記

2015年の正月は義父の喪中で、孫たちが帰ってくることもなく、二人だけで淋しく迎えました。
 三ヶ日が過ぎて間もなくの6日、私が右目の緑内障と白内障の手術で大阪医療センターに入院、幸い早目の治療で経過は順調で、15日に退院することができました。また、
4月には大腸検査の結果、3mmのポリープを一個摘出。また腰痛が再発して、6月初旬から11月中旬まで整形外科へ治療とリハビリに通うなど、加齢による体力の低下を自覚させられる一年でした。しかし、二人とも、まだまだ山歩きは止められません。ここで、この
1年の山歩きを振り返ってみます。

今年の初登りは3月5日になりました。丸さんの車に乗せて貰って、ウメの咲く長岳寺門前に駐車。いつもの道を竜王山へ登りました。



南城跡の山頂からの展望は、春霞か黄砂か、残念ながらぼんやり霞んで、今一つでした。下りは長岳寺奥ノ院へ寄り道してお不動さんを拝んだり、竜王古墳群の穴を覗いたりしながら、湿っぽい道を下って山辺の道にでました。笠蕎麦で遅い昼食後、笠山荒神へ参拝。



そのあと、奇岩の白山(しろやま)にも寄りました。遠来の山友には、狭い山道をあちこち走って貰って本当に悪かったと思っています。

3月12日は壺阪寺から高取山に登りました。前年は一日違いで雪の道でしたが、今年は壺阪門址を過ぎて木の階段を登ると、僅かに一握りの雪が残っていただけでした。



最高所の三角点は「日本三大山城」の一つ、高取城址本丸の一角にあります。



下山は二ノ門址の池と猿石を見て、岩屋不動にも寄り道した後、砂防公園に下って「雛めぐり」を楽しみました。


4月23日、音羽三山。1979年以来、実に36年ぶりの山です。不動滝に車を置き周遊しました。観音寺では十一面千手千眼観音を拝んだ上に、お寺の来歴などのお話を聞き、ゆっくり休ませて頂きました。



展望台から林の中の観音山を経て、



経ヶ塚山、熊ヶ岳と縦走。



山に入っている間は誰にも出会わず、二人で貸し切りでしたが、大峠からの下りの林道は長くて少し消耗しました。

4月28日は丸さん夫婦と比良の打見山から蓬莱山







小女郎池まで往復しました。お目当てのミズバショウは見つかりませんでしたが、青空の下、楽しいハイキングでした。

5月14日も丸さん夫妻と、鞍馬から天ヶ岳へ登りました。



大原の里十名山に数えられる山で、シャクナゲ尾根の名を持つ花の道もありますが、この日は鞍馬から山頂を経て大原の里に下る自然林のコースを歩きました。



 山頂近くの送電線鉄塔の建つ場所からは、竹生島の浮かぶ琵琶湖が霞み、



その左には武奈ヶ岳がくっきりと望めたました。シャクナゲには出会えませんでしたが、不安だった足や腰も痛くならず、ツツジが彩りを添える新緑の中、山歩きの楽しさを満喫することができました。

5月25日は王寺の達磨寺で聖徳太子の愛犬「雪丸」に対面後、2004年以来の明神山へ登りました。三角点は風神社の北側にあり、前とは少し形が変わっていました。



南北二つの展望台から周囲の山々や大和平野をゆっくり眺めて下山しました。


6月17日、 丸さん夫妻と観音峰へベニバナシャクヤクを見に行きました。私たちには4年ぶり8回目になります。



展望台付近は太いロープが張ってありましたが、ベニシャクヤクは数を増やしていました。



三等三角点の埋まる観音峰に登りましたが、無展望の上に霧の粒が大きくなり、肌寒さを感じるほどになったので早々に山頂を後にして、観音岩屋に寄り道して帰りました。駐車場所に着くのを待つように雨‥。

梅雨の晴れ間の僅かなタイミングで旧知の美しい花に出会えて、本当に幸運でした。 <続きます>


大雪山に登りました (2.黒岳)

2015-08-05 08:45:35 | 山日記

 7月29日。黒岳に登る。ただし旭岳からの縦走ではなく、リフト終点からの往復楽チン登山である。昨夜泊まった層雲峡温泉の宿にもエアコンがなく、おまけに虫が入るので網戸がなく蒸し風呂のようだった。しかし、少し疲れていたのか、短時間ながらぐっすり眠れた。

今日はガスが去来するものの、まずまず好天気で、黒岳ロープウェイの窓からは行く手の山頂がくっきりと望めた。

黒岳駅は五合目1300m地点にあり、駅舎屋上の展望台に登ると黒岳、桂月岳、凌雲岳、上川岳がずらりと並んで見えた。

ここが黒岳への登山口になるが、私たちは今日中に帰宅するので、キタキツネやエゾシカの足跡の残る舗装路をリフト乗り場へ急ぐ。道の傍らには

タカネトウチソウや

モミジカラマツなどの花が咲いていた。

冬はスキー用となるペアリフトは、足元の草原に咲く高山の花を見ながら、僅か15分で七合目降り場まで運び上げてくれる。ロッジの前から歩き出して5分ほどで七合目の標識が立っている。昨日の旭岳に比べて距離は短いが頂上まで465mの標高差がある。

ごろごろの岩塊の急勾配の道を何度も折り返してジグザグに登って行く。東斜面で朝日を背に受けて登ることになるが、曇り空で日差しがないので助かる。それでも昨日に増して噴き出してくる汗を、絶えず拭いながら高度を上げて行く。

ダイセツトリカブト、

ハイオトギリソウ、ウメバチソウ

エゾヒメクワガタと枚挙に暇のないほどの花の楽園である。八合目からはさらに多くの高山植物と出会う。

 

中でもチシマノキンバイソウとミヤマキンポウゲは斜面一面を黄色に染め上げていた。

急なジグザグ道の連続だが、まねき岩を過ぎると頂上部が望め、降りてくる人が「上は晴れていますよ」と励ましてくれる。



最後の急坂を
ゆっくりと登り切って10時、1984mの山頂に立った。右手に三角点のあるピークが見えるが、登山路が崩壊していて立ち入り禁止になっていた。

霧が晴れて昨日登った旭岳が右手遠くに、

その左に北鎮岳、北海岳が並んでいたが、雲が流れてすぐに姿をかくしてしまった。

山頂でも

コマクサや

トカチフウロ、

イワツツジ、

エゾヒメツメクサ

イワキキョウなど数多くの高山植物を見ることができ、「花の百名山」の名に恥じぬ美しさだった。

この日も滞在20分で慌ただしく頂上を後にする。

同じ道をピストン、五合目でエゾシマリスに見送って貰い、始めての北海道の山とお別れした。


 


大雪山に登りました(1.旭岳)

2015-08-03 18:09:36 | 山日記

 アイヌ語でヌタプカムウシュペ(川が巡る上の山)と呼ばれた大雪山塊。50kmにわたって2000m級の山々が連なる、広大な北の山地である。一帯はまたカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)という名にふさわしく、夏は色とりどりの高山植物の咲き乱れる雲上の楽園でもある。今まで機会のなかったこの山に、ようやく登る機会を得て、2015年7月27日午後、旭岳山麓の天人峡温泉に着いた。

柱状節理の岩壁がそそれ立つ渓谷沿いの温泉街は、かっては旭川市の奥座敷として知られた面影も薄れ、廃業した施設のあとが目立つ。

ホテルの前が涙岩という名勝の一つだが、渓谷沿いに落差270mの羽衣の滝、さらに上流の敷島の滝への散策路は土砂崩れで閉鎖されていた  夜、激しい降雨があり明日の天候が危ぶまれる。

7月28日。北海道最高峰の旭岳に登る。北海道でも今年の暑さは異常なようで、気温が関西と変わらないのに例年不要のエアコンがなく、寝苦しい夜を過ごした。朝は窓から眩しい陽が射しこんだが、旭岳ロープウエイ山麓駅に着く頃から濃いガスが出始める。

姿見駅でロープウェイを降りると、すでに標高1600m。旭平と呼ばれるなだらかな高原である。

チングルマや

ホソバノキソチドリ、

エゾノツガザクラ、

エゾコザクラなどのお花畑の中を15分ほどで

残雪の残る「姿見の池」に来る。常時観測火山に指定されている山だけに背後にはたくさんの噴煙が上がっている。

池の周辺はチングルマの大群落で白く染められ、

イワブクロや

ミヤマリンドウ、



コマクサも火山礫の中に咲いていた。

ここからは次第に傾斜が増す黒い砂礫地の中を、地獄谷の噴煙を見ながら登る。振り返ると、流れるガスの中に姿見の池の碧い湖面と白い残雪のコントラストが美しい。

七合目の上で、高山病か熱射病か急に倒れて救助を待つ人が横たわっていた。

登るにつれて霧がだんだん濃くなり、その中に偽金庫岩の黒々とした岩塊が浮かび上がる。ここから道は左(北)へ折れ、最後の登りとなる。気温が高くダラダラ流れる汗を拭いながら登る。

岩塊の中に咲くヒメイワタデ、

メアカンキンバイ、

エゾヒメツメクサなどに慰められながら、

金庫岩を左に見て最後の急登で2291mの旭岳頂上に着く。

ちょうど正午だった。広い山頂台地に一等三角点「瓊多窟」、右手斜面やや下には小さな祠があり、

砂礫のなかにチシマクモマグサの白い花が風に揺れていた。残念ながら濃い雲霧の中で、晴れていれば利尻山まで見えるという大展望は望むべくもなかった。

天候が怪しいので雨が降らないうちにと、20分ほどの滞在で軽食を済ませて元の道を下った。


この花を見たさに観音峯へ(2015.06.17)

2015-06-19 21:01:10 | 山日記

【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子

【コースタイム】虻峠トンネル出口駐車場07:45…観音平08:55~09:10…展望台09:35~10:05…観音峰10:50~11:00…展望台11:43…観音岩屋12:05~12:20…駐車場13:50

ベニバナヤマシャクヤクの花を見に行こうと丸さん夫妻を誘うが、今年は色々な花の咲く季節が例年に比べて早いようだ。先週、FBで知った情報ではこの週末が恐らく最後のチャンスらしい。4人の予定と天候の関係も勘案してようやく日を決める。前夜も雨が降り、まだ雲が葛城の姿を隠している朝6時、迎えに来てくれた丸さんの車で家を出る。京奈和道が御所まで通じるようになったので、1時間半で虻峠トンネルを抜けて駐車場に着く。

薄い靄のかかる吊橋を渡って「みたらい遊歩道」を横切る辺りからは、例年通りコアジサイの花が満開だった。

足元は昨夜の雨で少しぬかるんで滑りやすいので、ゆっくり歩く。観音の水の冷たい水で喉を潤して、右に谷を見下ろしながら登る。濃いピンクのササユリが一輪、緑の中に鮮やかな色を見せていた。木の間からちらちら見える大日岳辺りの山腹の雲が次第に上がっていくのを見ると、天気は良い方に向かっているようだ。しかし第一展望台では、まだ山頂部を見るのは無理だろうと見送って先に進む。緑に苔むした岩が現れて、その上にウツギの白い花が点々と散り落ちて美しい紋様のようだ。

 

 大きな銅鳥居を潜って休憩舎のある観音平に着く。頭上に青空が開け、日が射しこんできた。広場の中央に円形に配置された御影石に腰を下ろして、パンとコーヒーで小腹を満たして出発。

御歌石を過ぎて観音岩屋分岐からしばらく山腹を捲き、ジグザグの階段道を登って展望台へ登る。

上の平に着く手前から道の左側に太いロープが張られ、「絶滅危惧種の植物自生地であるので撮影のためにロープを越えないこと」の旨の表示板が設けられていた。ここへは4年ぶり8回目になるが初めてのことである。高曇りの空には青空も覗き、しばらく天気は持ちそうだ。

待望のベニバナヤマシャクヤクをロープ越しにカメラに収めて後、展望台にザックを置いて、ロープの張られていない東側のカヤトの斜面に下る。

陽当りがいいためかベニシャクの花は既におちていたが、刈り残ったジキタリスの群落越しに稲村から大日、バリゴヤの頭に続く稜線が美しく望めた。展望台に帰り、先着していた男性に記念写真を撮って貰って観音峰(観音峯山)に向かう。

緩く1285mピークへの鞍部に下る辺りにも濃い色の花があちこちで見られた。深い林の中の急坂は苔むした倒木や、ブナやカエデの大木の立ち並ぶ滑りやすい急坂を登る。ピークからは緩く下って登り返し、最後はフタリシズカの花やトリカブトの葉の大群落の中を三等三角点の埋まる観音峰に着く。

無展望の上に霧の粒が大きくなり、肌寒さを感じるほどになったので早々に山頂を後にする。下りは滑りやすいことさえ気を付ければ楽で最後の急坂で視界が開けると、展望台に数人の人影が見えた。皆さん、ベニシャクの写真が目的らしく登る気配はない。タイムを残すための写真だけ撮って下る。昼前になって登ってくる人に出会うようなる。女性の多い10人パーティもあった。

観音岩屋へ寄り道して、腰をかがめて中へ入り観音様を拝む。周辺には記憶通り、白シャクヤクの葉がたくさん見えた。

観音平で昼食をとり、後はどんどん下って観音水を汲んで駐車場に帰る。待っていたように、パラパラと大粒の雨が落ちてきた。梅雨の晴れ間の僅かなタイミングで旧知の美しい花に出会えて、本当に幸運だった。


天ヶ岳に登りました(2015.05.14)

2015-05-16 10:14:13 | 山日記

【天 ヶ 岳】京都市北部、大原の里十名山に数えられる山で、シャクナゲ尾根の名を持つ花の道もあるが、今回は鞍馬から山頂を経て大原の里に下る自然林のコースを歩いた。

【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子

【コースタイム】叡電鞍馬駅 08:30 … 薬王坂入口 08:35 … 静原分岐 09:00~09:05 … 戸谷峰(525.2m) 10:05~10:10 … 静原水谷分岐 10:25 … 三又峰(622m) 10:50~11:00 … 天ヶ岳 12:20~12:30 … 展望所(昼食)12:45~13:15 … シャクナゲ尾根分岐 13:45 …翠黛山・焼杉山分岐 14:20~14:25 … 寂光院 15:00



出町柳からのワンマンカーで終点の鞍馬駅に着く。鞍馬の火祭りで使われる松明(子供用)や天狗の面などが飾ってある無人の駅舎を出ると、大きな天狗の面に迎えられる。中年男性が独り、大鉢巻を締めて気合を入れていた。



写真を撮り歩き出すとすぐ鞍馬寺の山門を左に見て大きく右に曲がる。先ほどの鉢巻姿は颯爽と山門への石段を登っていった。町並みの中の電柱に、ちょっと分かり難い標識があり、民家の横で川を渡る。ここに東海自然歩道の大きな説明図があった。京都一周トレイルの一部でもあるらしい。

地蔵堂横から薄暗い林の中、まず石段の道、そして木の段の急坂を登る。

大きな落石の横を通り抜けて峠状のところに来る。

静原への分岐で「薬王坂」の説明板がある。一息入れて左の山道に入る。

少し行くと経塚があり、元禄年間の文字が見えた。
 自然林の中の道は傾斜を強めたり弱めたりしながら次第に高度を上げて行く。



ようやく地図上の525.2m三角点に着く。真新しい「戸谷峰」の標識がある。

しばらくは平坦な尾根道が続き、静原水谷への分岐で左に折れる。この辺り「山を美しく」「ゴミは持ち帰ろう」などと呼びかける静原小学校の生徒たちのポスターが随所にあり、地元の山を守ろうとする子供たちの心がうかがわれて微笑ましい。道は木の根道になり、勾配が強まると左手に鞍馬の尾根が木の間隠れにちらちら見える。622mのピークは暗い森の中で、道標に三又山の文字が見えた。

更に登ると目指す天ヶ峰が右手やや高くに見えるようになるが、かなり遠く思える。やや開けたところで写真を撮り、更に小さいピークを二つ超える。大きな尾をしたリスやびっしり木に付いたキノコを見たりするうち、思ったより早く天ヶ岳に着いた。

思ったより小広く気持ちのよい山頂だが、回りは樹木に囲まれ展望は全くない。

ヤマツツジの赤い色だけ緑の中で鮮やかだ。せっかくなので、しばらく休んだのち大原への標識に従って下る。小さいコル状のところを登り返すと、目の下に道標が見えたが鉄塔からの展望を楽しみに皆でそれぞれに道を探す。

左の踏み跡へ入った和と丸さんが「鉄塔が見える」と言う方へ行くと抜け出して、今日初めて広々とした展望場所に飛び出した。

東には竹生島の浮かぶ琵琶湖が霞み、その左には武奈ヶ岳がくっきりと望めた。反対側の貴船、鞍馬の山並みを見ながら腰を下ろして昼食を取るうちに、カンカン照りだった頭上に雲が拡がってくる。

元の分岐に戻る途中で踏み跡を下ると、百井峠への道に出た。先ほどの山頂からの尾根がすぐ頭上に見える。ここからヤマツツジが美しい緩やかな道を行くと、シャクナゲの木が現れ出したが、やはり花期には遅すぎて茶色に変わった花弁が残っているだけだった。シャクナゲ尾根の分岐まで時々、岩が露出してロープの張ってある処もある。

手の谷側に獣除けの網が張ってある処をしばらく通ると焼杉山と翠黛山の分岐にくる。ここから谷道になり、かなりの急坂をぐんぐん下る。清流が音を立て小さい滝がかかっている美しい谷を下り、林道にでた。先ほどから鳴き声の聞こえていたカジカの姿をみて川沿いに下ると、大原側の登山口に出た。

「大原の里十名山」標識は焼杉山、翠黛山の登山口であることも記されている。建礼門院侍女たちの墓所を過ぎると急に里の景色になり、寂光院の前に出た。大原バス停まであと800mだが、久しぶりに寂光院に参詣することにして今日の山行を終える。シャクナゲには出会えなかったが、不安だった足や腰も痛くならず、ツツジが彩りを添える新緑の中、山歩きの楽しさを満喫できた。


ホームページ更新しました

2015-05-10 15:59:47 | 山日記

ホームページ「ペンギン夫婦お山歩日記」 http://www.kcn.ne.jp/~kaichiro/を更新しました。

更新分は昨(2014)年までの足跡 http://www.kcn.ne.jp/~kaichiro/list/list-d.htm と
今(2015)年の山行 http://www.kcn.ne.jp/~kaichiro/yama2015/sankou2015.html  です。 

皆様のおかげで通算のご閲覧数が230,000を越しました。これからもよろしくお願いします。


打見山から小女郎池へ(2015.04.28)

2015-04-29 15:39:29 | 山日記

【メンバー】丸屋博義、丸屋三輪子、芳村嘉一郎、芳村和子

明日からGWの連休が始まる。今月の4人での山歩きは、のんびりと展望を楽しもうと比良山系南部の山へ。南草津で丸さん車に拾って貰い、琵琶湖を見ながら北上。

琵琶湖バレーのゲートを潜りロープウェイ駅へ続く道はボタンザクラが満開だった。9時40分始発の121人乗りゴンドラは、GWを控えて山頂の遊具などの整備に登る人たちを除くと、ハイキング客は私たちの他は数人だけだった。

薄雲のかかったような琵琶湖を見下ろしながら、僅か5分で打見山(1,108m)の山頂駅へ到着。

 

始めてここに来たのは、1959年1月3日だった。大学の同級生だったNと二人、正月2日.比良に向かった。当時の山日記に『一番の江若電鉄で北小松へ。ヤマモモの滝、小白ヶ谷、望武小屋。八ツ渕で昼食の雑煮がラジュウスの調子が悪く、なかなか煮えず。吹雪。八雲避難小屋に泊まる。 3日、武奈登頂。打見で昼食。蓬莱を経て、17:30蓬莱駅着。』と書いている。この後、高校の後輩や、山の会などで何度もこの稜線を歩いた。そのたびに山頂が開発されていき、冬はスキー場として、夏場は「山の遊園地」として賑わっている。

リフトの横の広い道を大きく回り込むように歩いて行くと、古い縦走路の道標があってほっとする。一本だけ動いているリフトに沿ってスキーゲレンデを登る。リフトの下に黄色の大きいスイセンが咲いていて、連休後半頃はさぞ見事だろう。

かなりの傾斜を登ってリフト終点が近くなると、金網のフェンスに遮られた。手前には大きな残雪があった。前を行く若いペアに倣って、扉を開けて次のゲレンデに入る。芝の上はシカの糞が至るところに落ちている。

急な登りに息を切らす頃にホーライパノラマリフトの山頂駅に着く。横に置いてある数脚のベンチの一つに腰を下ろし、まず水分を補給する。



右手の広い台地に蓬莱山一等三角点(1,174m)、その横に慰霊碑や何体もの石地蔵さん、石塔などがある。振り返ると打見山、その左手に堂満岳や去年4人で登った武奈ヶ岳などが見えた。目の下の笹原の中にこれから歩く縦走路が続き、小女郎池の水面も光っている。ゆっくりと記念写真を撮り出発。後から登ってきた、ロープで一緒だった三人組の男性はベンチに座ってビールを飲みだした。三角点前から笹原の中を下る道は両側から笹が覆いかぶさる石ころ道なので、ベンチの横に帰って広い道を下る。この道もかなりの急坂で、ぐんぐん下る。

途中で新しい指導票があるレスキューポイントを過ぎると道はなだらかになり、時々開ける琵琶湖の展望を楽しみながら下る。高年の男女三人組、犬二匹を連れた男性に出会った。

アセビの白い花が咲き、高い木の梢でウグイスが声高く鳴いている(写真は丸さん撮影)。最後に一段下って小女郎峠に降り立つ。
右にすぐの小女郎池は、ひっそりと静まり返り静かに眠っているようだった。池の周りをぐるりと回ってミズバショウを探す。1983年4月下旬、和子と来て初めて群落を見た。

1997年に低山徘徊派(PC仲間の山グループ)で来たときには『池の向かい側にあるにはあったが、数も以前に比べてずっと減り、個体も思いなしか小さくなったようで可憐というより哀れである。』と書いている。今日は目を皿にして探したが、時期が悪いのか、絶滅したのか葉っぱ一枚見つからない。

しかし、池を前にして仰ぐ蓬莱の山の美しい姿は前と変わらなかった。池の畔でゆっくりと昼食をとる。犬を連れた人が帰ってきて、池の水を汲んで犬たちに飲ませていた。

元の道を帰る途中で、笹原の中にたった一輪、絵の具で染めたように美しいショウジョウバカマを和子が見つけた。なにか見ることが出来なかった水芭蕉の埋め合わせのような気がして、満足して往復3時間、休憩1時間の楽しかったハイキングを終えた。


陽春の音羽三山(2015.04.23)

2015-04-24 19:38:11 | 山日記

【メンバー】芳村嘉一郎、芳村和子

【コースタイム】不動滝08:40 … 南音羽09:08 … 観音寺 09:45~10:07 … 万葉展望台 10:40~10:45 … 音羽山(851.7m)11:10~11:15 … 経ヶ塚山(889m)11:40~12:05(昼食)… 熊ヶ岳(904m)… 大峠13:30 … 不動滝 14:30

好天気に誘われて多武峰街道(県道37号線)を南へ走る。昨年も鹿路の鹿華苑に行くなど何度も走った道だが、音羽三山を訪ねるのは1979年以来、実に36年ぶりになる。下居で観音寺への標識を見て集落の中の細い道を登り、参拝者用の駐車場に来る。狭い場所に砂利が積んである上に、帰りにここまで登ってくる苦労も考えて、少し上の水道施設の建物のある処から引き返す。

37号線をさらに南へ、八井内の不動滝前のスペースに車を置かせて貰ってスタート。少し引き返して百市の集落に入り、地図を確かめて南音羽へ向う。広い舗装の林道を緩く登っていくと、20分ほどで見覚えのある水道施設の建物が見えた。ここが峠のようで少し下ると先ほどの参拝者用車置き場で「百市1.2km」の標識がある。

車止めがあり寺までは約1kmの登りになる。

舗装はしてあるがかなりの急坂で、一丁ごとに立つ丁石や、

ところどころで可愛い動物たちを描いた標識が励ましてくれる。ちょうど半分ほど登った祓堂でチョッキを脱ぎ、水を飲む。こんなに長かったかと嫌になる頃、無常橋を渡り、階段を登って寺の境内に入る。

遠くから手伝いに見えている若い女性が本堂に上げて下さって、十一面千手千眼観音を拝んだ上に住職手作りのお菓子を添えたお茶まで頂いた。お寺の来歴などのお話を聞き、ゆっくり休ませて頂いて出発。

境内には天然記念物のお葉付き銀杏、その右手に不動堂がある。

山道に入ると本来の道が左に別れ、

桜など植樹中の山肌を直登する道で万葉展望台に出る。

正面に金剛・葛城から二上山を見晴らし「大阪まで眺望できる」として奈良県景観資産に指定されている。ここでも道が左に分かれ、「近道」と書かれた檜林の中の踏み跡を取る。

かなりの急登で稜線に出て、先ほどの道に合流すると急に歩きやすくなり、しばらくで新しいベンチの置いてある音羽山(851.7m)山頂に着いた。樹林の中で全く無展望である。

すぐに腰を上げて経ヶ塚山に向う。少し急な下りで鞍部に出る。登り返す途中の笹原の中に大宇陀の方に下る分岐があり、ここで右に折れると間もなく笹原の中に大きく開けた経ヶ塚山(889m)だった。

古事記で国見山と言われた展望の山も、今は植林帯の中で何も見えない。多武峰の鬼門に当たるので経を埋めたという山名の由来の塚も、以前の山日記には「案外に新しい」と記しているが、かなり破損が進んだようで針金が何重も巻かれて補強してあった。この山頂が三つの山で一番広いようなので昼食にする。咲き残った山ザクラが舞う雲一つない青い空に、ジェット機が白い航跡を残していった。

熊ヶ岳へはササの中の急な下りで始まるが、幸いに刈られてよく手入れされている。岩がむき出しのところもあり注意しながら下る途中、行く手の熊ヶ岳の姿が整った形を見せる場所があった。

美しい鋭三角形で、登り返しの厳しさが思いやられる。鞍部からは大きな岩の横や、滑りやすい急な道、笹原の間の道と次第に高度を上げて行く。

何度か急登を繰り返すと思ったよりも楽に、三山では一番高い熊ヶ岳904mに着いた。ここも林に囲まれて無展望である。

ここから稜線の道は緩やかになり、高度を下げながら小さなピークを越えて行く。前の記憶では倒木帯で景色が良いところがあった筈だが、曽爾の古光山らしい辺りが見えただけで、近鉄の無電反射板の立つピークに来る。塔の横の三角点標は見過ごした。ここで右に折れてさらに植林帯の急下りで大峠に降り立つ。稜線は三津峠を経てさらに竜門ヶ岳に続いている。

峠は神武東征の時、女軍を配備してヤソタケルと戦ったと日本書記に記された「女坂」伝承地で、その石碑と小さなお地蔵さんが立っている。

右に折れて暗い谷間の道を下る。勾配が弱まり左に折れると、目の前に美しい滑滝が現れた。近づくと林道が行き止まりになったところで、舗装路の上を水が流れ落ちているのだった。ここからはこの沢沿いの林道を下る。ところどころ水に覆われ、緑色の苔が生えている上を歩くので滑りやすく、二度ほど足をすくわれかけた。ここまであまり休憩もせず、順調に歩いてきたが初めて少し疲れを感じた。しかし休む場所もなく30分ほど下ったところで、すぐ右手に広い車道が見えた。道はその下を通ってさらに続いているが、そこを登ってきた地元の人らしい三人の中年男性に出会った。今日、歩き始めて初めての人たちである。「ここは通れん。何べん頭打つか分からんぞ。遠回りやけど広い道行った方がええ」とその一人に言われて、仕方なく右の二車線の車道に登る。すぐ右に大峠トンネルの入口が見えた。しばらく歩いてどこに続くのか不安になり、次の集落(針道だった)で道を聞き先の林道に降りる。さらに心配になるほど沢沿いに歩くと、朝置いた愛車が見えた。最後はちょっと疲れたが、妻は「80歳にしては、よう歩いた」と冷やかすように言った。