先日の六甲山では、今年の干支にちなんで蛇谷北山に登りました。
あと少し「蛇」の字の付いた山を歩いた時の想い出をお聞きください。
2006年晩秋、日本山岳会の行事の一環で大峰奥駆道の南部・玉置山「宝冠ノ森」から笠捨山を歩きました。
宝冠ノ森は一時、南奥駈道最後の行所と言われていました。これは江戸後期に入って逆峰が一般的となり、玉置山から本宮までを歩かずに玉置山から竹筒に出て、北山川を舟で新宮に下ることが多くなったためです(森澤義信氏「大峰奥駈道七十五靡」による)。また上掲書によれば、笠捨山から古屋宿間の稜線上の現在の奥駈道も江戸時代には使われず、笠捨山から熊谷ノ頭を経て上葛川に下り、ここから古屋宿に登り返していました。この山行では奥駈道最南部の行所・宝冠ノ森を訪ねて上葛川で一泊、翌日「江戸道」を辿って笠捨山に登る途中、熊谷ノ頭から蛇崩山を往復しました。
6時30分、上葛川を出発。吊り橋を渡って山腹の植林帯を急登すること1時間、標高差400m程を登って尾根に出る。
雲海の上に熊野の山々が浮かんでいた。さらに斜面をトラバースした後、分かり難い道を急登して熊谷ノ頭に着き、
ここから約1キロの尾根道を緩やかに二つのピークを越して蛇崩山頂(1172m)に立つ。
朝の出発から3時間経っていた。しかしブナとカラマツの黄葉にミネカエデの赤い色が混じる美しい林に囲まれた山頂は、期待に違わない、奈良の秘境と言ってよい程素晴らしいところだった。
熊谷ノ頭に帰り、正面の木の間越しに見えるの笠捨山を目指す。二つのピークを越し、最後は胸を突くような急登に息を弾ませて双耳峰の東峰に着いた。電波反射板が立つ広い頂で素晴らしい展望が拡がっている。孔雀岳、釈迦ヶ岳、行仙岳…と奥駈道が通る山々がずらりと居並んで出迎えてくれた。
笠捨山本峰(1352m)は少し先にある。去年5月、ここに着いたのは激しい雨が降りしきる中だったが、今日はこの青空。みんなの顔も晴れやかだ。
想い出の奥駈道を葛川辻まで辿り、そこから下山にかかる。急な下りではないが、桟道、崩れた沢のトラバースなどを何度となく繰り返す。振り返ると紅や黄色に彩られた樹の上に笠捨山が浮かんでいた。15時前にバスの待つ上葛川に下った。