ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

「巳」の山の想い出-大峰・蛇崩山(だぐえやま)

2013-01-19 11:38:41 | 旅の想い出

先日の六甲山では、今年の干支にちなんで蛇谷北山に登りました。
あと少し「蛇」の字の付いた山を歩いた時の想い出をお聞きください。

2006年晩秋、日本山岳会の行事の一環で大峰奥駆道の南部・玉置山「宝冠ノ森」から笠捨山を歩きました。

宝冠ノ森は一時、南奥駈道最後の行所と言われていました。これは江戸後期に入って逆峰が一般的となり、玉置山から本宮までを歩かずに玉置山から竹筒に出て、北山川を舟で新宮に下ることが多くなったためです(森澤義信氏「大峰奥駈道七十五靡」による)。また上掲書によれば、笠捨山から古屋宿間の稜線上の現在の奥駈道も江戸時代には使われず、笠捨山から熊谷ノ頭を経て上葛川に下り、ここから古屋宿に登り返していました。この山行では奥駈道最南部の行所・宝冠ノ森を訪ねて上葛川で一泊、翌日「江戸道」を辿って笠捨山に登る途中、熊谷ノ頭から蛇崩山を往復しました。

6時30分、上葛川を出発。吊り橋を渡って山腹の植林帯を急登すること1時間、標高差400m程を登って尾根に出る。

雲海の上に熊野の山々が浮かんでいた。さらに斜面をトラバースした後、分かり難い道を急登して熊谷ノ頭に着き、

ここから約1キロの尾根道を緩やかに二つのピークを越して蛇崩山頂(1172m)に立つ。
朝の出発から3時間経っていた。しかしブナとカラマツの黄葉にミネカエデの赤い色が混じる美しい林に囲まれた山頂は、期待に違わない、奈良の秘境と言ってよい程素晴らしいところだった。

熊谷ノ頭に帰り、正面の木の間越しに見えるの笠捨山を目指す。二つのピークを越し、最後は胸を突くような急登に息を弾ませて双耳峰の東峰に着いた。電波反射板が立つ広い頂で素晴らしい展望が拡がっている。孔雀岳、釈迦ヶ岳、行仙岳…と奥駈道が通る山々がずらりと居並んで出迎えてくれた。

笠捨山本峰(1352m)は少し先にある。去年5月、ここに着いたのは激しい雨が降りしきる中だったが、今日はこの青空。みんなの顔も晴れやかだ。

想い出の奥駈道を葛川辻まで辿り、そこから下山にかかる。急な下りではないが、桟道、崩れた沢のトラバースなどを何度となく繰り返す。振り返ると紅や黄色に彩られた樹の上に笠捨山が浮かんでいた。15時前にバスの待つ上葛川に下った。


暑中お見舞い申し上げます

2012-07-23 11:13:25 | 旅の想い出

ひと時暑さを忘れてカナディアン・ロッキーの山の写真をご覧になりませんか?

古いお話になりますが、1998年7月の今日、2週間のカナダの旅から帰りました。その時のトレッキング、観光、町歩き、そして珍しい花たちのホームページを写真を増やして新しくしました。

これはヒマラヤ・ジャイアンツのひとつ、人類初登頂の8000m峰・アンナプルナの夜明け。
1997年3月のレポートですが、このページもリニューアルしました。お暇な折、どうぞご覧ください。


お土産奇譚

2012-04-27 10:00:15 | 旅の想い出
中国へは何度か行きましたが、目的地への中継地点として成都に三度訪れました。
最初は2001年、四川省の太姑娘山(タークウニャンシャン 5025m)へ登頂した帰りです。その時の7月31日の日記…



『午後、蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭る「武候祠」へ。「武候」とは孔明の贈り名・忠武候にちなむ名であり、主君・劉備玄徳廟と合祀されている。広大な境内を、三国志の世界に思いを馳せながら見て回った。次に「杜甫草堂」へ行く。詩聖が安史の乱を避けて長安から成都に移り、郊外に建てた草堂である。杜甫は4年間をここで過ごし、多くの詩作を残したという。「武候祠」「杜甫草堂」どちらもたくさんの人で賑わっていた。』

次は2006年5月、ラサへ行き、4,999mの峠カンパ・ラを越えてソムドク湖を訪ねた帰りに寄りました。




(これが杜甫の隠棲した庵)



『武候祠はライトアップ効果が良くなって見やすくなり、少人数(註.変愚院夫婦と友人の幸ちゃん、北京で合流した恵那市の青年の計4人)なので雷鳴君(註・スルーガイド、実名である)の説明も良く聞き取れた。杜甫草堂には新しく博物館ができていて、その裏の「珍宝殿」で飾り棚に入った9種の珍宝の説明が長々とある。』
この説明をした人は日本人で「大阪(の?)大学に勤めていて中国美術研究のため成都に滞在している。飾り棚は黒檀製で、これだけでン十万円する。一つ一つの玉の器や壺などにはそれぞれ由緒があり、名工の手によるもの」だそうだ。


(奥に見えるのが博物館)

『何か変だと思っていたら、「5月いっぱい期間限定で」一式120万円で販売しているので、四川省教育援助のため協力してくれという。翌日、「あれを買った人がいる」と飛行機で隣に坐った別のグループの人から聞いた(「ほら、あの人よ」と後姿を教えて貰いました)。「お宝好き」もいるものだと驚いた。』

三度目は2010年8月です。九寨溝、黄龍を訪ねる前に一泊した成都は、最初に来た時とは見違えるような近代都市に変貌していました。この時は少し詳しく日記に残しています。

『26日 午後は「武侯祠」に行く。「武侯」とは、三国志で名高い劉備の軍師「諸葛亮(孔明)」に死後贈られた贈名である。成都はかつて彼が長年働いた都市で、そして5回も魏国北伐に出発した都市なので、当初はここより西に離れた所に「武侯祠」があった。ここは、もともと劉備の墓と廟があったところだが、明の時代に「君臣を合祀するべきだ」という考えによって、合併されて現在の形になった。したがって正門の上の字は、劉備玄徳を祭る「漢昭烈廟」で、これが正式な名称である。(中略)』



「武侯祠」入口をくぐる。先年の四川大地震の影響があったようで、内部でまだ補修作業が行われていた。劉備が「三顧の礼」を持って迎えた名軍師・諸葛亮(字は公明)の像は、『鵞鳥の扇子を持つ智者姿で、中国人のもっとも馴染みの深い諸葛孔明のイメージという。



赤い塀と煉瓦の道が、劉備の墓へ続いている。赤い色は魔よけということで、竹の緑と美しいコントラストを見せる道である。





劉備玄徳の墓と伝えられる塚は高さ 12m、周囲180 m。劉備が病死した白帝城は、三峡付近なので成都から 1000キロも離れている。果たして遺体がここへ運ばれて埋蔵されたかは疑問で、一説には衣服だけが納められているという。発掘が許されないので真実は謎に包まれたままだ。



見学を終えて出口までの間にある「博物館」に入る。各時代の珍しい美術品が展示されているが、学術員が説明を始めると中央の何段かに分れた棚に明りが灯った。

2006年に杜甫草堂の「博物館」で出会ったのと同じ状況だ。案の定、「四川大地震で博物館も被害を受け復旧の費用捻出には入場料収入では足りない。展示品は売り物ではないが、寄付してもらったお礼に差し上げることはできる。この珍しい細工物はいくらすると思うか?この辺りは北京や上海と違って田舎で、細工する人の賃金が安いので6万円でいい。」この販売方法は中国の他の都市でもあるそうだ…。』

これら「お宝」は「撮影禁止」の博物館内に保管されているため、写真で見て頂けないのが残念です。

ペルーのお土産

2012-04-25 17:03:05 | 旅の想い出


ツァーで一番時間を持て余すのがショッピングタイム。中には買い物が楽しみで旅行される方もあるので仕方ないとはいえ、ブランドものや贅沢品で身を飾る趣味はないし、余ったお金はまた次の旅行に…というのが二人の基本的な考え方です。
で、買い物は自分用と身近な人へほんの少しだけ…これは少し古い話題になりますが、3月のペルー旅行の時のお土産です。



定番のチョコレート。マチュピチュを描いた外箱が気に入ったし、ピスコ入りというのが嬉しい。
ピスコは毎日のように食前酒として出てきた、ペルー原産のブドウ果汁を原料とした蒸留酒。甘くて飲みやすいがアルコールの度数は高いお酒です。



こちらのチョコレートはルクマ入り。ルクマは高さが10~20メートルにもなる木で、直径10センチほどの緑の実をつけます。熟すと茶色になりますが、生で食べるほかアイスクリーム、ヨーグルト、プリンなどいろいろな食べ物に使っています。また薬の原料にもなります。



アルパカ(リャマ?)の形をしたクッキー。



ペルー柄の袋に入った塩。クスコから車で1時間半、アンデス山地標高3200メートルにあるマラスの棚田で採れる天然塩。天日干しでインカの時代から作られていたそうです。英語で「Pink Sait」と書いてあるように、淡いピンク色をしていて、ほんのり甘くて丸みのある味。値段も手頃なのですが、ただお土産としては重いのが欠点です。



左はオカリナ。右はサンポーニャ。フォルクローレでお馴染みの楽器です。



毛糸のアルパカと金属製のリャマ。どちらも海抜3,500~5,000mメートルのアンデス高原で放牧されているラクダ科の動物でよく似ています。違いは大きさだと教えられましたが、実は私達にはいまだに区別がつかないのです。(人形になってしまうと尚更です)。



アルパカの指人形。ひとひとつ手作りなので、それぞれ表情が違います。



ナスカの地上絵を描いた石。地上絵のそれぞれを誕生月の星座にあてて購買欲をあおっています。サルは干支にあっても星座にはないと思いましたが、なんと変愚院の誕生月の蠍座のものだそうです。ハチドリは石の形が微妙に面白いので買いました。みんな集めると面白いけど、重いので…。



「トリート・デ・プカラ」
陶磁器のウシ。沖縄のシーサーのような家の守り神です。雌雄一対を屋根の上や家の柵などに置きます。信仰心を表すために中央に十字架を立てたり、火事除けのまじないに下に水壺を置いたり、神様用にチチャ酒を置いたり、いろんなパターンがあります。壊れないように持ち帰るのに苦労しました。



フォルクローレのCD。残ったソルを使い切るのに、リマの空港で買いました。
あとでビデオやスライドショーのBGMに使うための私のお土産の定番です。フォルクローレの定番は、やはり「コンドルは飛んでいく」で2曲入っていました。

お伊勢参り補遺

2012-01-07 20:28:15 | 旅の想い出

内宮で授かった「五十鈴」。五十鈴川の上流の砂で焼いた縁起物の干支の土鈴ですが、とてもいい音色がします。

「おかげ横丁」に入る北の角に新しいお店「伊勢醤油本店」ができていました。香ばしいお醤油の香りが鼻をくすぐります。覗いてみると鉄板で伊勢うどんを焼いています。

「伊勢うどん」は何度か食べましたが、これは新しい名物?「伊勢焼きうどん」¥350。
お手軽価格で見た目より辛くなく美味しかったです。

「もめん屋藍」さんの「おかげまいり犬」。みんな可愛い表情です。

いろいろ買ったお土産の一つ。伊勢のお菓子では「赤福」が有名ですが、「赤福圏内」に住む私たちとしては駅の売店などでいつでも買えるので、この「くうや観助餅」や虎屋の「ういろう」を自分のお土産にすることが多いです。3個、6個、10個と私たち二人家族でも好きな数を買えるのも便利です。

猿田彦神社近くのマンホールの蓋。


イタリアから帰りました

2011-12-14 23:03:34 | 旅の想い出

8日間のイタリア旅行から帰ってきました。
旅行中も予約投稿の古い写真を見て頂いてありがとうございました。
これはとりあえずスーツケースから取り出したお土産の一部です。
カレンダーにも、ガイドブックにもCDやDVDがついています。
ポンペイの石は現地ガイドが「二度目にきた記念に…」と私にくれました。

手前の八角形のようなのは、フィレンツェの中央市場で買ったパンフォルテという硬いケーキ。
フィレンツェのあるトスカーナ州シエナの特産品です。
中央の長~~いスパゲッティはナポリの名物で、長さ55センチあります。
ワインのボトルと比べてみてください。詳しくはまた旅行記と一緒に後ほどお伝えします。


23年前の尾道旅行

2011-10-31 10:59:55 | 旅の想い出

この前に尾道に行ったのは何時だったか…と旅の写真から検索してみたら、1988年の12月でした。今年、行けなかったところや、今は変貌した観光スポットなどの写真もご覧ください。

この頃は結婚記念日が巡ってくるこの頃に、毎年、富士山を巡る旅をしていました。ところが4日前に追突されて車はドック入り。久しぶりに列車で行くことにして「福山・尾道ミニ周遊券」を購入しました。

『24回目の結婚記念日。この年初めての年休を取り、フルムーンの旅。新幹線を福山で降り、バスで勒の浦へ。 10何年か前に歩いた町を、♀ペンと史跡巡り。対潮楼では和尚さんの名調子の解説を聞きながら「日東第一の名勝」に見惚れ、前にはなかった勒城跡の資料館も見学。福山で昼食の後、またバスで明王院へ。夕方の列車で尾道に着き、ロイヤルホテルに宿を取り、刺身、デベラの活け造り、寄せ鍋と海の幸を満喫する。』

今まで気が付きませんでしたが、なんと今年、友人がとってくれたのと同じホテルでした。

翌日朝、駅近くで撮った林芙美子像。

「古寺めぐり」はコース東端の浄土寺から始めました。本堂の写真は今年より、よく撮れています。

今年は行かなかった「西国寺」
仁王門にかかる2メートル近い大草鞋です。

愛宕山の中腹に立つ西国寺三重塔(重文)
例の子規の句にも、お菓子の名にもなった「塔二つ」の、天寧寺と並ぶ、もう一つの塔です。

大林宣彦監督、原田智代主演「時をかける少女」に登場して有名になった「タイル小路」
最近のBLOGの写真を見ると、この頃に観光客などが持ち込んだ壁面のタイルなどは撤去され、もともとあった地元の住人が地面に埋めたものだけが残っているようです。

この時もロープウェイで千光寺山頂に登って、展望台から展望を楽しみました。

「文学のこみち」林芙美子の碑。この時の方が文字がはっきり読めます。

千光寺の鐘

正午。天寧寺三重塔。

天寧寺本堂。五百羅漢がずらりと並び壮観でした。

寺院巡り最後の寺・持光寺。20mに及ぶ「臥龍の松」

『急な坂道を上ったり、下ったり。この尾道も私は三度目だが、3年前の春は千光寺だけで始めても同じ。車無しの旅も新発見があって楽しい。』

『14時に尾道を立ち、岡山からは新幹線で18時に帰宅する。2日とも雨に会わず楽しい旅だった』
まだ、西への新幹線は岡山までしか通じていない頃の、殆ど忘れかけていた想い出です。


出羽三山・旅の想い出

2011-07-23 17:08:41 | 旅の想い出
*お土産のうち、初めて買ったちょっと珍しいものをご紹介します。



「からからせんべい」
山形県(鶴岡)のお菓子。小さな三角形のせんべいを割ると、中から和紙に包まれた昔の玩具が出てきます。
いろんなオモチャがでてくるのが楽しみです。煎餅そのものも、なかなか美味しかった。



「古鏡」
出羽三山・羽黒山の鏡池からでた銅鏡を象ったお菓子。キンツバに似ていますが中にお餅が入っています。
あっさりした甘さでお茶にあった味でした。



「月山中之宮で授かった手拭」
変愚院の大好きな鳥羽僧正の鳥獣戯画風のウサギが描かれています。

*新潟ふるさと村
帰りの飛行機まで少し時間があったためか「新潟ふるさと村」という大きな道の駅に寄りました。
ここには新潟の文化・歴史の紹介をする「アピール館」と新潟各地域の物産を展示販売する「バザール館」の他に、グリーンハウスや花壇などの施設があって、30分ではとても見て回れない所でした。



とりあえず「アピール館」だけを駆け足で見てきました。エレベーターで3階に上がり順次降りてくるようになっています。3階の新潟の四季を紹介している「ふるさとシアター」はパス。

2階では明治から大正にかけての民家や生活の様子を再現しています。
これは「降雪体験コーナー」、年中、人工雪を降らせています。



明治時代の農家の様子。
隣の部屋では、おばあさんロボットが民話を語り、佐渡おけさを歌ってくれます。



カマクラの模型。他にも大正モダニズムの町並みや昭和初期、昭和20年、昭和45年の暮らしの変遷をジオラマで見せるなど、なかなか見ごたえのある施設でした。