ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

お雛様七態

2010-03-03 09:54:33 | 旅の想い出
今日は雛祭り。
これまでにこのBLOGで見て頂いたものばかりですが、今回は
素材の違うものを並べてみました。



男びな女びなの始まりは、和歌山県加太にある淡島神社の祭神
、小彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であると言われます。
仁徳天皇5年3月3日に、友ヶ島から対岸の加太へ遷宮があった
ことから、現在まで雛祭は3月3日に行われるとも…。
これは1979(昭和54)年に、1700年大祭が行われたとき、南海電鉄
が発行した記念切符です。



押絵のお雛様(大和民俗公園)



和紙で作られた美しい立ち雛。
ずいぶん前に、♀ペンがさる工芸品店で買ったものです。



「赤膚焼のお雛様」(大和郡山市・二楽窯)



紀州雛。漆器に蒔絵を施した立派なお雛様ですが、これは素朴な
盃の形をしているのが珍しくて求めました。
仁徳天皇が神功皇后のお姿として作らせたものが紀州雛のはじま
りだそうで、内側には金色に耀く葵の御紋が描かれています。



竹で作ったお雛様(高取町・土佐)



長浜市・黒壁ガラス館前のお店にあったガラスのお雛様。

富士山の日(2月23日)

2010-02-23 17:27:40 | 旅の想い出
今日は223で「富士山の日」だそうです。
以前に見て頂いたものですが、期限が切れたのでもう一度UPしました。

デジブック 『富士百景』


昨日は22222で「ネコの日」だったとか…
婚活期間が過ぎて、ようやく静かな夜を過ごせたと思いきや、昨日は
庭に気持ちよさそうに大きな奴が寝ていて、♀ペンが「ギャッ」と
悲鳴をあげました。

クマさんに出会った

2010-02-08 09:20:28 | 旅の想い出
いくら動物が好きでも山でクマに出会うのは怖いです。

2005年7月、岐阜県側から白山に登りました。
平瀬登山口から約3時間登った大倉山避難小屋の先で、前後に人気のな静かな
山道を二人で歩いていると…

ナナカマドやタケカンバが並ぶ笹原の中を緩く下る。少し道が広く平坦になった曲が
り角、10m足らずの右手前方に急に黒いものが現れた。
「ク、クマ!」と叫ぶと、立ち止まってあどけない顔でこちらを見てから、トコトコ
と道を横切って左の笹原に姿を隠した。
身長1.5mほどの子グマだと思うが、あっけに取られてカメラを向ける間もなかった。…

「近くに親がいる筈だ」と気付くと急に怖くなって、その場でしばらく動けません
でした。



でも、いまでもあのキョトンとこちらを見ていた可愛い顔を思い出します。
写真は72年夏、乗鞍からの帰り平湯峠の茶店で飼われていた小熊。


「クマ出没危険」ポンポン山にて

関西の山にもツキノワグマがあちこちにいます。大峰の前衛峰で「ウォー」という
低い鳴き声を聞いて肝を冷やしたこともあります。
降りてきてからこんな標識を見てドキッとすることも再三です。


大峰山系の某前衛峰にて

しかし、これは多分に登山者締め出しの匂いがプンプンする表示です。
少し手前にはご丁寧に絵入りの標識もありました。



でも愛嬌もののクマさんは、どこでも人気ものです。(1996年9月槍平小屋で)
ついでですが、なかなか風情のある親切な小屋でした。


平湯・クマ牧場で さまざまなポーズで餌をおねだりするクマたち(1993年7月)

これも愛嬌あるクマさんの写真です。

ここにはたくさんのクマがいましたが、その2年後訪れたスイス・ベルン市のクマ牧場
では、なぜか数頭しか姿を見せずがっかりでした。



しかしクマはベルン州のシンボルなのです。
左右手前の旗にクマの絵が見えます。奥中央は有名なベルンの時計塔。



ユングフラウに登る登山列車の途中駅、アイガーバント駅のベルン州旗



カナダでもクマは人気者です。写真はカナディアンロッキーの登山基地・ジャスパー
のシンボルのクマ(1998年4月)



大峰山系南部・笠捨山への登山口・上葛川の民宿「うらしま」のご主人が仕留めた
小熊。
この民宿の夕食はボタン鍋にアユの塩焼きやシカ肉が出ましたがクマ肉は品切れでした。
一度だけどこかの山でクマを食べた筈ですが、どこだったか記憶が薄れています。

動物ふれあい体験

2010-02-01 15:37:46 | 旅の想い出
私たち夫婦は大の動物好きで、新婚旅行の帰りに飛行機待ちの時間に鹿児島の鴨池
動物園に行ったくらいです。
どんな動物も好きですが、ただし変愚院はクモ、♀ペンはネコだけが大の苦手で見る
のも嫌です(そのくせ♀ペンがトラ好きなのは不思議なことです)。

前回「ペンギンタッチ」を見て頂きましたが、今日は私たちの思い出の「ふれあい体験」
をご覧ください。



まずはコアラ(1997年10月 オーストラリア オーストラリアン・ウールセッド)
水は飲まず、特定のユーカリの葉しか食べない夜行性の有袋類。じっとダッコされて
いる様子はまさに生きた縫いぐるみ。



クリムゾン・ロゼラ(1997年10月 オーストラリア ベルグレーブ郊外)
オウムの類い。全くの野生だが人怖じせず、ヒマワリの種を差し出すと集まってくる。



レインボー・ロリキート(1997年10月 オーストラリア カランビン・サンクチュアリ) 
ちょうど朝の食事時間。蜂蜜を浸したパン屑をあげると、羽音を響かせて飛んできた。



サル(1999年4月 タイ プーケット)
島のお寺に住む野生のサル。子供たちの人気者でモンキーバナナを貰いに来る。



ゾウ(2001年3月 タイ プーケット)
プーケットファンタジーは食事をしたあと、動物も多数登場する歴史劇やマジックを
楽しむ劇場である。この小象はショーが終わったあと観客の記念撮影に応じて、しきり
に愛嬌を振りまいていた。



パンダ(2001年7月 中国四川省臥竜)
大姑娘山に登った帰り、ウォロンの「大熊猫保護研究中心(センター)」に寄った。
当時28頭が飼育されていた。5時迄の見学時間は過ぎていたが交渉の末に入園できた。
可愛いぬいぐるみのようなパンダを100元(1500)で抱かせて貰って大喜び。



チョウ(2003年1月 沖縄 琉球城蝶々園)
熱帯の花の咲く園内に入るとチョウチョウが群がってやってくる。入り口で貸して
くれる帽子に秘密があるのか?



カモメ(2004年6月 北海道 利尻島)
島から帰る船をカモメがいつまでも追ってくる。今、パン屑を咥えて飛び去ったところ。



フンボルトペンギン(2006年4月 南知多 ビーチランド)
またしてもペンギンです。こんなにたくさんの子に一匹とは、ちょっと罪な感じ。

干支の山 (午~申)

2010-01-18 11:00:22 | 旅の想い出
2002年(午)
北アルプス・白馬岳(2933m)2002.7.28~30
25年ぶり5度目の白馬。28日、千日山歩渉会の仲間たちと八方第二駐車場から
ジャンボタクシーで猿倉へ。白馬尻山荘泊。



29日、快晴。大雪渓を登り、小雪渓でコーヒータイム。避難小屋を過ぎると傾
斜も緩み、色とりどりに咲き乱れるお花畑の中を楽しく辿る。白馬山荘へは昼
過ぎに着いた。昼食後、頂上へ遊びに行く。雲が多くなり杓子岳、百貫山、旭
岳、ときどき顔を見せる鉢ヶ岳などすぐ近くの山の他に展望はない。



しかし夕食を終える頃から空が晴れ、オレンジ色から茜色に変わっていく夕焼
け雲の下に白山、剣・立山連峰、槍・穂高がずらりと並んで、素晴らしい落日
ショーを繰り広げてくれた。

30日、ツァーの大パーティが出発うる声が騒がしく、私たちものろのろ進む長
蛇の列に混じって小屋を発つ。風が強く、かなり気温が低い。頂上は大混雑な
ので、右手の岩稜でご来光を待つ。



4時50分、妙高の上から陽が昇ってくる。雲一つない快晴の空の下に360度の
大展望がくり拡げられる。妙高の左に火打、その左に雨飾山。右には高妻山、
噴煙を上げる浅間山、ゆったりとした八ヶ岳、その右に富士、南アルプス。
杓子岳から針ノ木に続く後立山に重なるように穂高、槍。立山、剣。毛勝三山
の横に白山。ふと気が付くと祖母谷の方角に白馬岳の影が映り、刻々とその形
を変えていく。剣岳が朝日を浴びてバラ色に変わる。いつの間にか大パーティ
の姿が消えた頂上で記念撮影をして、名残惜しい白馬岳を後にする。



馬ノ背の岩稜で大部隊に追いつき、時間待ちの間に朝食。小蓮華岳頂上から見
ると白馬岳北面が急峻な地形であることがよく分かる。少し下るとお花畑が続
く。白馬大池までの間では花や景色の写真を撮りながらのんびりと歩く。大池
小屋の前でコーヒータイム。大きなケルンの立つ白馬乗鞍を過ぎて天狗原への
下りで、ロープが渡された大きな残雪のトラバースがある。ここから巨岩と残
雪の入り交じった歩きにくい急降下の道になる。勾配が緩まると、湿地帯の中
に木道の続く天狗原に出た。木道、樹林帯の中に切り開かれた笹原の下り、ス
レートが敷かれた道で栂池自然園に着く(13時)。ロープウェイとゴンドラを
乗り継いで暑い暑い下界に下り、今年の夏例会を終えた。

2003年(未)
丹波・櫃ヶ岳(羊ヶ嶽)582m 2003.10.05
櫃ヶ岳は多紀アルプスの東端に近く、京都府の由良川水系と兵庫県篠山川水系の
分水嶺をなしている。当時、所属していた日本山岳会の00周年記念事業の一環で
ある「日本列島中央大分水嶺踏査」に先行する形で、関西支部でこの日、この山
から雨石山、毘沙門山まで日本海と瀬戸内海の分水嶺を縦走した。



国道173号線が板坂峠の下を潜るトンネル近くの宮代橋から正面に櫃ヶ岳が見え
る。地道の林道から山道になり、沢沿いのジメジメした道から植林の中のはっき
りした踏み跡の登りになり、30分ほどで稜線にでた。雑木林の中で展望は殆どな
い。丹波町側に越える峠道だがあまり歩かれていないようだ。櫃ヶ岳への道は
赤布の標識もあり、はっきりしている。短い急坂を登り10分ほどで頂上に立つ。
歩き始めて1時間足らずだった。



頂上三角点横には「羊ヶ嶽」の標識があった。瑞穂町の方から羊の方角に見える
からとも、金属精錬に関わりがある山名ともいう(慶佐次盛一氏「兵庫丹波の山
々」)。背後の木のかなり高いところに「櫃ヶ岳」の山名板があった。雑木林に
囲まれ、殆ど展望のない山頂でしばらく休み、左に折れる稜線の道を下って縦走
に入った。

2004年(申)
泉南・猿子城山 (約705m)2004.01.18
西国第四番札所・槇尾山施福寺の裏に連なる連山の一峰で、楠木一族の山城が
あったところである。
槇尾山駐車場から根来谷沿いに登る。次第に雪景色となり、稜線の五ツ辻に出る
と見事な霧氷になる。露岩の散在するトラ尾と呼ばれる尾根道を登る。緩やかな
道から西国巡礼旧道を併せると再び急坂の登りになり、雪を被った十五丁石地蔵
の前に出た。



三国山へ向かう道と分かれ、左折して猿子城山に向かう。小さいピークを越え、
急坂を登り返すと、松や檜に囲まれて展望のないピークに「猿子城山」の山名板
があった。駐車場から約2時間だった。

ここからボテ峠への下りは標高差200m。転げ落ちそうな急坂に浅い雪が積もり滑
りやすい。峠でダイアモンドトレールにでて、歩きやすくなる。谷を挟んで向か
いの尾根に槇尾寺塔頭の赤い屋根が見える。昼食後、小さな谷に下ってバンヤ峠
に登り返し、町石道を「槇尾山最高峰」捨身ヶ岳に向かった。蔵岩に登ると、東
には暖かい日を浴びた岩湧山から金剛山に続く尾根、西には関空方面、北にかけ
て大阪湾岸に連なる市街の上に六甲、遠く霞むのは淡路島か四国の山か…
快晴の空の下に遮るもののない大展望が拡がっていた。

2005年(酉)
宇陀・鳥見山(740m) 2005.01.11
何度も登った山だが、この日は初歩きで二人で「まほろば湖」から東海自然歩
道を歩いて行った。湖畔から榛原に続く舗装路を行き、トンネル手前から口ノ
倉に登り、集落を抜けて水利施設の前に来る。ここから緩やかな山道になり、
やがて石畳道の急登で「高束城址」に出る。ここでほぼ中間点になる。峠から
東に折れると、いかにも自然歩道といった趣のなだらかな道になる。木の階段
を少し下って枯れたススキや野菊の原っぱにでて、振り返ると台形の高束山が
もう遠くなっている。舗装路に変わって宮垣内集落を抜け、榛原に向かう広い
林道を行くと鳥見山公園。「2000年の森」を抜けて展望台に登る。



雄岳三角点で写真を撮って、駐車場所まで同じ道を引き返した。誰にも出合わ
ず、二人だけの静かな山里歩きだった。9:45発~14:20帰着

鳥見山から貝ヶ平山へ 2005.01.18
千日山歩渉会18人の大パーティで雪の中を歩いた。天候のせいか鳥見山公園駐車
場には他の車が見当たらず、貸し切り状態。身支度を調えて、長い列になって動
き出す。小雪が舞う中を稜線にでたが、無展望なので展望台には寄らず、そのま
ま頂上へ向かう。今日は風はないが気温が低く、汗もでないうちに雪景色の山頂
に着く。
 ヒノキ林の緩い下りで一時少なくなった雪が、コルから登り返すと次第に深く
なってくる。先行者の足跡がない、ふわふわした純白の雪を踏んで登る爽快さを
久しぶりに味わう。勾配が強くなって、虎ロープが張ってある岩混じりの箇所を
二度過ぎる。



香酔山への分岐を右に分けると、まもなく見覚えのある貝ヶ平山頂上(822m)
だった。山名板を囲んで記念写真を撮り、アイゼンを着けて元の道を帰る。

干支の山 (卯~巳)

2010-01-17 09:03:08 | 旅の想い出
1999年(卯)
赤兎山(1628.7m)1999.05.14


加越国境(石川県白峰村と福井県大野市、勝山市の境)にあり、白山火山帯に
属する展望にすぐれた山。山頂部に高層湿原がある。
林道終点の駐車場近くには、新緑の中にコブシとムシカリの白い花が咲き、
足下にはリュウキンカの群落が黄金色に輝いている。明るい林の中をジグザグ
に登る。道の両側にはショウジョウバカマがずっと咲いている。雪解け水が溜
まったところにはリュウキンカの群落。早くも残雪が現れ、その上を歩いたり
水の流れに沿った道を行ったりする。



 小原峠から上は、ずっと真っ白な雪の斜面。踏み跡も目印も全くないので、
ともかく主尾根と思われるところを直登する。大舟山分岐にくると前方左手
に赤兎山の丸みを帯びた頂が見える。左手に白山連峰を眺めながらのんびり
と尾根を辿ると赤兎山頂上。



 遮るもののない眺望が待っていた。北東から真東にかけての白山連峰。左端
の御前峰からいったん下って次の高みの別山へ。三ノ峰、二ノ峰、一ノ峰の連
なりは真東に距離が近いだけに主峰に劣らず堂々としている。手前には願教寺
山から野伏ヶ岳への稜線。南西に荒島岳が青く浮かび、その右手・西に少し離
れて経ヶ岳の姿が大きい。



荒島岳の方向から雲が湧いてきたのをしおに、元の道を引き返した。

2000年(辰)
竜の字のつく山は多いので、この年は近くは天理の竜王山から遠くは御坂山塊
の竜ヶ岳まで、毎月一つ竜の山に登りました。

このページをご覧ください。

2001年(巳)
蛇 山<おろちやま> 2001.01.07

兵庫県氷上郡山南町西部にあり標高358m。国土地理院地形図には山名の記載
はない。山頂に岩尾城跡があり、地元では城山と呼ばれている。



山南町の稲荷神社の赤い鳥居が登山口である。四国88箇所を模した石の地蔵を
いくつか見ながら、共同アンテナが二本立つ最初の小ピークに着く。ここから
アカマツが多い尾根道になる。少し勾配が強まり小さな岩場を登る。ピークを
越えて緩く下る。ここまで北北西に向かってきた道はほぼ西に行くようになる。
南南西に蛇山山頂が見えるピークに「城山まで440m」の標識があった。 緩く
登り返して15分ほどで頂上についた。



南側の少し低い所が天守跡で、石垣が何段にも残っていて山城址の感じが濃い。
頂上からはほぼ南に向かって、滑りやすい急坂を下る。途中に深い空堀跡や下
知殿曲輪、南曲輪などの小広場がある。親縁寺への分岐からは緩やかなジグザ
グの道になり、やがて笹原の中を通って小学校の裏に出た。次第に降雪が激し
くなり、辺りは銀世界に変わっていった。

蛇谷ヶ峰 2001.05.20

比良山系北部・滋賀県高島郡高島町と朽木村の境にあり、標高902m。山頂東側
から高島郡富坂に落ちる谷が蛇谷で、西の朽木側からは、足利時代に造園され
た周林(秀隣)院庭園の借景として小椋栖山と呼ばれた。
「京は遠うても十八里」といわれた鯖街道を北へ、市場から入部谷沿いに朽木
スキー場入口に走り車を置く。リフト沿いに登ると「さわらび草原」に「標高
485m・ 蛇谷ヶ峰へ2.2㎞」の標識があり、遊歩道が雑木林の中に伸びている。
歩き始めて1時間15分で頂上に着く。



真ん中に三角点のある広場で、やや霞んでいるものの素晴らしい展望だ。北に
マキノ方面、東に琵琶湖、リトル比良。南は釈迦ヶ岳、無線中継塔の立つカラ
岳、コヤマノ岳、ひときわ高く武奈ヶ岳…。



 同じ道を下り、時間があるので朽木の古刹・興聖寺を訪れた。旧秀隣院庭園
は12代足利将軍義春が三好長基反乱の京から難を避けたとき、管領・細川高国
が将軍を慰めるための築庭といわれている。正面に蛇谷ヶ峰を仰ぎ、谷水を引
いた池を持つ美しい石庭だった。

干支の山 (子~寅)

2010-01-16 13:24:56 | 旅の想い出
昨日の戌、亥の山に続いて、1996年からの「干支の山」に登った思い出です。

子ノ泊山(907m)1996.5.11



 吉野から紀伊半島を縦断、新宮を過ぎ再び熊野川の支流沿いに遡って目指す
山へ。桐原から舗装林道となり、中の谷橋を渡った路側に駐車する。
いきなり雑木林の中の厳しい直登を30分はどで稜線に出る。さらに急坂を登って
小広い台地に飛び出すと、そこが一等三角点のある頂上だった。(仮登山口から
2時間20分)



 東から南にかけて大きく熊野灘が拡がり、北から西には大峰、熊野の山並み
と360度の展望台なのだが、残念ながら薄墨を流したような曇り空の下で、すぐ
近くの山が頂を見せるだけだった。帰りに「落打ノ滝」を見に行くが、その豪壮
さに度肝を抜かれた。

伊勢・牛草山(550.3m)1997.01.08



伊勢自動車道玉城ICを出て更に南へ宮川の支流・一之瀬川に沿って走る。
2ヶ月前に登った獅子ヶ岳と、ちょうど川を挟んで向かい合う位置になる。
川口集落から五里山橋を東に渡って林道に入る。この先が工事中で、ここから
林道歩き45分で登山口に来る。
 檜林を抜け、広葉樹林のジグザグの急登となる。小ピークを二つ越え、テー
プに導かれて急坂を登り切ると、明るく視界が開け小さい岩がごろごろした小
広場の山頂だった。
正面に五所ヶ浦の眺めが拡がる。他は木に遮られ、展望はただそれだけだった。

牛廻山(1206.8m)1997.05.10 
 紀伊半島の中央部、奈良・和歌山の県境にある。
北側を通る十津川往来は、古くから大和の十津川と紀州の龍神を結ぶ物資交流
の道であり、また高野山と熊野を結ぶ信仰の道でもあった。
 十津川村最奥の迫西川の集落を過ぎて和歌山との県境が、峠の蟻ノ越である。
大峰南部から熊野に続く山々が紫に霞んでいる。十津川から龍神にかけて緑の
尾根が起伏して連なっている。牛廻山はこの尾根とほぼ直角に交わる別の尾根
(蟻ノ越からさらに北へ続く県境尾根)との交点のすぐ西の隆起である。尾根
の上の古い登山道を40分ほど歩くと、まったく展望のない頂上に着いた。



往復するだけでは物足りず、龍神まで歩くことにしたが道が不明瞭で、藪こぎ
や少し深刻な道迷い、最後は長い林道歩きの末に、頂上から3時間かかって目
的地に着いた。

信貴山(437m)1998.01.07



大阪と奈良の府県境となっている生駒山脈の南端、高安山から東に派生した尾
根上にある双耳峰。山頂には戦国時代に松永久秀の築いた城跡があり、また朝
護孫子寺・空鉢堂が立つ信仰の山でもある。何度か登っているが、この日は高
安山へ縦走した。



高安山は天智天皇のとき、都の防備のためこの山頂に烽火台を置いたといわれる。
近年、倉庫跡などが発見され、山城の規模を持っていたらしい。山頂三角点から
信貴山へ引き返し、奥の院へ参詣して帰った。

虎伏山  1998.03.15
阪和自動車道泉南ICを出て金熊寺梅林駐車場に車を置く。隣接の信達神社
の石段を登り、山道に入る。近頃あった山火事で焼け残ったマツやクヌギの中
を進むと小広い台地に出る。



目の前に真っ青な泉南の海が拡がり、関空島は目の下。海を挟んで友ヶ島、
淡路島、ずっと右に明石大橋が見える。六甲と麓の市街地もはっきり見える。
その手前は大阪のビル群。東から南にかけて大阪と和歌山の府県境の山がずら
りと並んでいる。



寺から1時間足らずで頂上らしい広い台地に着いたが、三角点も山名板も見
あたらない。2万5千図にも山名や登山路の記入がない山なので、確認のし
ようもないが辺りの様子からここを虎伏山頂とした。焼け跡のような台地で
昼食をとる。
四石山へ縦走の予定で1時間ほど進んだが、山焼けのあとで歩き辛く道も不
明瞭で元の道を帰った。

ネパールの旅(20) - チトワン国立公園 2

2009-10-04 08:26:29 | 旅の想い出
ヴィレッジ・ウォークでタール族の村を訪ねます。
タール族はネパールに数ある種族のうち、タライ族などと共に北インド語
系に属する人たちです。



人口約60万人のタール族は5つのグループに分かれますが、チトワンの
人びとはマハトンと呼ばれます。殆ど自給自足に近い生活を送っています。
黄色く見える一面のカラシナ畑の向こうに、集落が見えます。



夕暮れ近くなって羊たちがねぐらに帰ってきました。



屋根を葺いている少女。



食用のハトを飼育する箱。
集落を歩くと家屋の様子など珍しい光景が多かったのですが、どの家の
門口にも坐っているお年寄りが写真を撮られるのが嫌な様子を見せたので、
これ以上、無遠慮にカメラを向けることはできませんでした。



夜になると、若いタルーの人たちがロッジの中庭に集まってきました。



勇壮な音楽とともにスティック・ダンスが始まりました。



最後は宿泊客も踊りの輪に加わって、まるで盆踊りのノリです。
これも彼らの貴重な現金収入源になっているようです。



一夜明けて、ゾウの背に揺られてジャングル・サハリに行きました。
国立公園内にはトラ、サイ、クマ、ヒョウ、イノシシなど40数種の哺乳類や、
クジャクを始め150種もの鳥類が棲息しています。



他のグループに出会うとゾウ使い(彼らもタルー族)たちは、お互いに
動物の居場所の情報交換します。



その甲斐あってサイ発見!!
絶滅が危惧されているインドサイです。



しかし、あっという間に姿を隠してしまいました。
結局この日はサイ2頭、シカ1頭、クジャク一羽他トリ多数を見ただけに
終わりました。動物を見るのに適した時期は、エレファント・ウィードと
いう背の高い草を刈り取る2月以降のようです。

またオンボロ・ジープで川を渡り、迎えにきていた車でカトマンドゥに
帰りました。
先にも触れましたが、全食事付き一泊二日、アクティヴティも含めて4人
で240ドル、十二分に楽しめた旅でした。

ネパールの旅(19)-チトワン国立公園 1

2009-10-03 08:39:51 | 旅の想い出
1999年11月下旬、エベレストを間近に見るカラパタール(5,545m)への
トレッキングを無事に終えて、カトマンドゥに帰りました。
帰りのフライトまで3日間余裕があるので、現地の旅行社に相談すると
一人わずか$60で1泊2日のチトワン行きツァーをアレンジしてくれました。



ネパールの国立公園は殆どが北のヒマラヤ山地にありますが、チトワンは
インド国境に近いタライ平原に位置しています。
カトマンドゥから旅行社の社員が運転する車で4時間かかってソウハラへ。



ここで、迎えに来たこのオンボロ・ジープに乗り換えます。
大きく揺れながらラプティ川を浅瀬伝いに渡り終えると、今までの景色とは
全く異なる南国の風景が拡がっていました。
写真は公園内のロッジに着いたところ。赤シャツは運転手、白い帽子の男は
ガイドのビノ。日本語はできませんが、分かり易い英語で説明してくれます。



ロッジ内の部屋。思ったより清潔で豪華な作りでした。



昼食後、カヌーに乗ってクルーズ。



ワニ2匹、マングース、その他にたくさんの水鳥を見ました。



次にエレファント・ブリーディング・センターに行きました。
ネパールには野生のゾウはいないので、サファリ用に主にインドから輸入して
ここで飼育しています。



ここで生まれたネパール生まれの小象も増えています。



夕食の時間になりました。



このゾウたちは観光用のポロの練習をしています。

ネパールの旅(18) - ポカラ3

2009-10-02 08:27:07 | 旅の想い出


ヒンデ(ヒンドゥー)・バシニ寺院
ポカラの旧市街地郊外の小高い丘の上にあります。
森の中にいくつかの小さい社があり、それぞれクリシュナ神、ヴィシュヌ神など
が祀られています。



なかでも女神・ドゥルガー(ドルガ)を祀る祠が中心です。



この日はダサイン最後の日とあって、晴れ着の人で大賑わいでした。



長い行列ができています。パラソルの下に坐っているのは修行者です。



生け贄のニワトリを捧げる人もいます。
右に見える門を出て石段を下り、オールドバザールへ向います。



南へへ500mほど行くとオールド・バザールです。
100mほどの間に古い煉瓦作りの家が並んでいます。殆どが3階建てで1階が
商店になっています。



ここは、かってチベットとの交易で栄えたところで、山の人相手のネワール族
の商店が多いということです。



こんな祠もあります。



しかし今はもう少し南の、飛行場に近いマヘンドラ・プルという通りに
新しいバザール(商店街)ができて、古いバザールは人通りも少ないよう
でした。



落ちついた佇まいの町並みだけが、栄華の跡を伝えています。

*これでポカラの町の探訪を終わり、次は「ネパールの旅」最後の地として
チトワン国立公園を訪ねます*