ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ひなまつり-人形たちの宴

2013-02-27 17:51:02 | 矢田だより

来週は「桃の節句」。大和民俗博物館では季節展・「ひなまつり・人形たちの宴」が開かれています。
その様子をごく一部ですが、ご紹介します。


飛鳥雛。昭和初期の屏風飾りのお雛様です。


御殿飾りのお雛様(大正時代)


これも御殿造りですが、横幅が普通のお雛様の二倍以上ある変わった形式のお暇様です。


これも御殿造りですが1920年代のもの。最初の写真では左側に置かれていた男雛(お内裏様)が向かって右側に座っています。これは関西地方で古くから伝わる「京雛」の配置です。


江戸時代後期の「内裏雛」。お姫様の立派な髪飾りにご注目!


この「内裏雛」も古いもので、天保7年の作品です。


これも江戸時代の古いお雛様。
標準的な飾り方(五段、七段)では「随身」は上から四段目(内裏雛、三人官女、五人囃子の下)に置かれます。この人形は左大臣でお膳や菱台を挟んで向かって右側に飾られます。反対側には右大臣。左大臣の方が年寄りで右大臣は若者だそうです。


「人形たちの宴」だけに、大和に因んだ珍しい人形も展示されています。その一部をご紹介します。


武者人形。
央の戦姿の女性は神功皇后です。応神天皇の母君で新羅へ出兵しました(変愚院の頃の歴史では「三韓征伐」と習いました)。
左の赤ん坊を抱いているのは武内宿彌(タケノウチノスクネ)。非常な長命(280歳~360歳?)で、大和朝廷初期の5代の天皇に大臣として仕えたという伝説的な人物です。抱いているのは応神天皇。そして右の人物こそ…名もない旗持ちの雑兵だそうです。


吉野雛や木彫りの春日一刀彫、法華寺の守り犬と並んで、こんな人形も…奥吉野から大台山系にかけて出没する「一本ダタラ」という怪物です。12月20日(出現の特異日?)には伯母峰峠付近へ絶対に近づかないでください。

*例年この時期のBLOGでご紹介していますので、
出来るだけ重複しない写真をUPしました*


大和郡山 盆梅展 (2013.02.26)

2013-02-27 10:49:33 | 矢田だより

毎年この時期に開かれているわが町・大和郡山の「盆梅展」も今年で10回目を数えました。
会場は近鉄郡山すぐ近くの郡山城跡です。追手門の左が追手向櫓、青い旗の後の辺りに多門櫓があります。


追手門前に置かれた紅白のウメはまだちらほら咲き始めたばかりです。
門を入って左に行き、大きく右にカーブして
正面に見える柵沿いに右へ進むと、会場入口の多門櫓があります。


その間にも何本も梅の木がありますが、まだ咲き始めのものが多く、これはよく開いた方です。

多門櫓に入ると、丹精こめて育てられた大きな梅の鉢が並び、えも言えぬ芳香を放っています。

追手門上の会場風景です。

追手向櫓にかけて大きな鉢が並びます。
これはこの盆梅展の代表的な盆栽で、
樹齢400年といわれる古木「悠妃」
今年はまだ、ちらほら咲きでしたが一鉢に紅白のウメが見られます。

天井に届く大きさの「大納言」
郡山城主となった豊臣秀吉の弟・秀長は天正15年に大納言に任じられました。大和大納言と呼ばれ、
旗下の将兵だけでなく領民からも慕われたという温和で親しみやすい性格を見るような、風格のある古木です。


「順慶」
筒井城主、後に織田信長に命じられて郡山城の築城にあたった筒井順慶は、洞が峠の戦いで秀吉と光秀の戦を傍観していたことから「日和見主義者」の代名詞のように言われますが、実際は武将として、また文化人としても優れた人だったそうです。

「春燈」
春の宵の灯りに照らされた女性を見るような艶やかさ、なまめかしさを感じるのは変愚院だけでしょうか?
まだまだ多くの盆梅が会場を埋め尽くして、有名な「長浜の盆梅」にも負けない光景です。


ゆっくり観て回って会場を後にしました。外の庭に並ぶ梅の木も、間もなく見頃を迎えるでしょう。
盆梅展の会期は3月10日(日)までです。