*過去の今日はどこの山に登っていたかを振り返ってみました。このシリーズは新しい山行報告ではなく、かなり古い記録や写真も含んでいます。山行の際には、必ず最新の記録をご参考ください。*
1960年1月5日 武奈ヶ岳(四条畷高校山岳部)
1月4日 いつもは嫌な金糞峠の登りも元気に突破。八雲ヶ原の30~50cmの積雪上にテントを張る。
1月5日 晴れのち雪。朝食後、強風の武奈ヶ岳へ登頂。テントを撤収して縦走に入る頃から、ミゾレが降り始める。南比良峠で昼食。打見に着いたのは16時半で、予定よりだいぶ遅れたので小屋に入る。我々のパーティだけの貸し切りで、夜遅くまで歌ったり、話したり、愉快に過ごせた。
1月6日 ゆっくり寝て、11時、小屋発。蓬莱から小女郎峠へきて、厚く凍った小女郎池の氷で滑ったりして、小女郎道を下山。全員快調でピッチ上がり、16時37分発のバスにちょうど間に合った。
1961年1月5日 氷ノ山(四条畷高校山岳部)
1月3日(曇のち雨)年末からスキーで遊んでいた大久保を発ち福定から山へ。大谷ヒュッテ近くの水場にテントを張る。1月4日(雨のち雪)東尾根への取り付きが雪に埋もれ判らず、急斜面の草付きを直登。道標を見つけた頃から雪に変わる。ジグザグの登りが続くがワカンにも慣れ、尾根の上に出て昼食。風雪が強まる。東尾根の単調な登り。寒さと疲労でクタクタになった頃、ようやく千本杉に着く。ヒュッテの中でテントを二つ合わせに張る。
1月5日(曇のち晴)昨夜は二年生の合宿最後の夜というので、歌合戦などで思わぬうちに遅くまで騒いでしまったのが祟って、出発は昼前になった。それでも夜までには大久保に着けるだろうと簡単に考えていた。
ガスの中を頂上に向かう。大した苦労もなく頂上に着き、記念撮影後、出発、ブン廻しコースに入る。
氷ノ山越えで昼食。雪をプロパンで溶かした紅茶とコッペパン。1175mのピークをからみ、急斜面の難場をトラパースし終えた頃、冬の日は西に沈み、鉢伏の稜線がまだかなり遠くに見える。日が暮れると、右下方に大久保の灯りが手招きするように近い。スキーヤーの付けたシュプールをヘッドランプで照らしながら追って平らな鞍部へ来たが、シュプールは更に小さなコプを越えて続いている。いったんはコブの上に出たが、鞍部まで引き返し、右の谷へ下る。谷を渡った斜面にスキーコースの標識を見つけたが、尾根は鋭く谷へ落ちていて、とうてい下れそうもない。炭焼き用の薪小屋の側でテントを張る。雪を取りにテントの外に出ると、寒月が鉢伏から高丸山、そして小白越えと続く稜線をコウコウと照らし出していた。
<コースタイム>起床 6:50…出発11:50…氷ノ山頂上12:30~55…氷ノ山越え13:45-15:05…難場を過ぎる17:00…大ナル19:20…幕営地20:40…就寝 02:30
1月6日 非常食が乏しく、僅か5合の米をお粥にして、餅の小切れをいれ朝食に代える。小さな谷を越え斜面に取り付き、何回か小さな谷を越え、やっとスキー小屋らしきものを見つける。スキーヤーが数人見える。去年通った牧場のルートより、かなり西寄りである。下るにつれて雪は重くなり、空腹にラッセルがこたえる。もうリフトの音が聞こえ、ゲレンデのざわめきが風に乗って聞こえてくる。12時前、大久保の見慣れた神社の前に飛び出した。あとで聞くと僕達の降りたのは小代越えではなく、大ナルという難コースだったとのこと。出された甘酒で生き返ったようになり、何杯もお代りを重ねた。
1962年1月5日 鉢伏山(四条畷高校山岳部)
氷ノ山から縦走した後、鉢伏山頂上を踏んで大久保に下山した。
1978年1月5日 葛城山~金剛山(ご近所のS家と芳村家家族8人)
ロープウェイ前駐車場に車を置く。ロープで天神森で降りると積雪あり。暖冬でもあり、予想外で嬉しくなる。葛城頂上付近は10cmもあり、和はスノーボートを持ってこなかったのを残念がる。稜線はさすがに風が強く、大阪側は雪が飛ばされて地肌が見えている。
縦走路に入る。南側の斜面では雪が溶け始め、ぐちゃぐちゃで歩きにくいが、日陰では凍って歩き易い。水越峠まで嫌になる程ぐんぐん下る。チェインを巻いた車の登ってくる峠を少し大阪側へ下ったところから林道を登る。カヤンボの辺りで左手の稜線に取り付き、ジグザグに登る。尾根筋はパノラマ道と名づけるだけあって、左、奈良側の展望よく、快調に登る。頂上近くは美しい樹氷の林で人も少なく、雪も締まり絶好である。
15時、頂上葛木神社着。慌ただしくアイゼンを付けて下山にかかる(15時20分)。横峰まで走り降りて、距離的に近い名柄を目指す。しばらく急坂で雪の状態が悪くダンゴになる箇所もあったが、休憩もせず走るように下って、17時前、無事、村へ出る。御所からSとタクシーで車を取りに行く。今日は全行程17K、休憩も全くなしの強行軍だったが、子供たちも元気いっぱい。素晴らしい山行だった。
2003年1月5日 小野アルプス 小野市と加古川市の境界を為している150~200mの低山の連なり。 正しくは来住山地だが、所々に露出した岩稜があるのでこの名がある。【メンバー】JAC関西支部、やまゆき会、他(計20名)
【コースタイム】林道車止め 9:45…アンテナ山 10:00…安場山10:25…アザメ峠10:50~11:00…惣山11:15…小野富士11:45~12:30…岩倉峠12:45…紅山13:00~13:10…男池13:45
林道終点の車止めが登り口になる。標高差で50m程登るとNTT電波塔があり、その横から縦走路が始まる。落ち葉の散り敷いた雑木林の中を少し下って、登り返すと最初のピークの愛宕山である。風が冷たいのでなかなか身体が暖まらない。次の安場山では、道から少し離れた笹原の中に四等三角点標石があった。次の四つ目のピークを下って立派な舗装路に降り立つ。
ここがアザメ峠で東半分の縦走を終えたことになる。広場の奥に地蔵さんが安置された大きな祠がある。空は真っ青に晴れ上がり、気温も次第に上がって絶好のハイキング日和になった。
車道の向かい側から再び山道に入る。惣山を過ぎると岩稜を行くようになり、両側の展望が拡がる。右に鴨池やキャンプ場、左手には中国道を走る車や権現湖の水面が光って見える。アンテナの立つピークで尾根は左に折れる。
一登りで冠山(通称・小野富士)の頂上だった。
昼食後、見晴らしのよい岩尾根を辿って展望台へ行く。東に小野市街や小野工業団地、その上に六甲の山並み。南は明石大橋、明石・加古川市、遠く淡路島が霞む。西にはすぐ目の前の紅山、その左手遠くに高御位山を望む。北は眼下に鴨池、その向こうに笠形山はじめ播州北部の山が居並んでいる。
素晴らしい展望を満喫して、最後の目的地・紅山に向かう。小野富士を下りきると鴨池から登ってくる道と出会う。この道を少し左に行くと岩倉峠で、ここから右に折れ山道に入る。雑木林を抜けると、目の前に薄紅色の幅広い岩稜が延びている。
所々にルートを示す白い○印が付けられ、見た目には厳しそうだが取り付いてみると非常に登りやすい岩で、コースを外れてもどうと言うことはない。ストックを支えにして登り、ほとんど手を使わずに済んだ。ただし結構、勾配があるので、降りるとなると慎重なクライミングダウンが必要となろう。
登り切ると林に囲まれた広闊な感じが漂う山頂である。久しぶりにJAC例会に同行した和子と記念写真を撮って貰い、北側の雑木林の中の小径を下る。ドライフラワーになったコウヤボウキの群落や大きなシダの原の中の急坂を下り、雑木林の中にある岩倉2号古墳を見学にいく。6世紀に造られたがっちりした立派な石組みの古墳である。元の道に帰り、しばらく行くと急に平坦な田園地帯に出た。
振り返ると惣山と紅山を両側に従えた小野富士が、午後の逆光に浮かび上がっていた。
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