世界第二の高峰・K2を舞台にした笹本稜平の「還るべき場所」は、久しぶりに「ページ
を繰るのがもどかしい」思いがする山岳小説でした。
主人公(の一人)矢代翔平は未登のK2東壁登攀中に人生でもクライミングでも最高の
パートナーであった栗本聖美を失います。それも急な雪崩で二人が宙吊りになり、下に
いた聖美が自らザイルを切断して墜落するという事故によるものでした。
以後の翔平は生きる目的を失い、自分の命を救うために聖美が自らの命を犠牲にした
のではないか…という思いにさいなまれます。
4年後、やっと山の世界に帰ってきた彼に、高校時代からの山仲間でもあった板倉亮太
がK2に近いブロードピークへ誘います。亮太は登山専門の旅行会社の経営者になって
いて、ブロードピークへの公募登山隊を成功させたあとK2東壁を登ろうというのです。
この登山隊の顧客の一人、神津邦正が第二の主人公です。医療器具会社の会長で、自らも
自社製の心臓ぺースメーカーを埋め込みながら、ヨットを操るスポーツマン。初めは
「究極の製品PR」のためにエベレストへの挑戦を試みますが、そのトレーニングの
過程で次第に本当の山への情熱を燃やしていきます。本の帯の「魂の糧」というのは彼の
言葉ですが、後半での彼の行動は「人間はどう生きるべきか(そして死ぬべきか)」と
いう命題を、改めて考えさせてくれます。60歳を過ぎてエベレストの頂きに登り、さらに
新しい8000m峰を目指す彼の姿は、困難に耐える勇気と大きな感動とを与えてくれました。
そして、この本の本当の主人公は冒頭の章で遭難死してしまう聖美でしょう。「K2」
は彼女のイニシャルでもあるのが象徴的です。「山で死んではいけない」という信念の
彼女がなぜ自らザイルを切ったのか…最終章のK2でその意外な回答が語られます。
登攀場面の大部分はK2ではなくブロードピークですが、孤高の三角錐K2を目でも
心でも絶えず間近に見ながらの登攀場面は緊張と危険の連続です。次から次へと襲い掛
かる苦難に、顧客を含めて山男たちがどう立ち向かっていくか…。神津の秘書兼山の
師匠の竹原、高所ポーターのイクバルほかの登場人物も、類型的でなく描かれていて
500ページ近いボリュームを感じさせない、最近出色の山岳小説に出会えました。