目を悪くしてから遠近感が捉えにくく、油断するとつまずいたり尻餅をついたりする。また、完治していない膝を庇うので下りにも結構時間がかかる。登ってきた道を下るのが最短だがゴツゴツした急坂の道は膝を悪化させる恐れがある。一部ブル道を使うことは3年前に試みたが距離が長く時間もかかる。同じ長い距離を歩くならと、前に二度使った御殿場道から宝永山の馬ノ背(鞍部)を越えて六合目に帰ることにした。
今日は「お鉢巡り」を割愛したので、ゆっくり剣ヶ峰で滞在して下山にかかる(12:15)。
前に見えるピークは三島岳、その下の大きな屋根は公衆トイレ、その左が山小屋・富士館で、浅間神社奥宮は広場を挟んだ左側、浅間ヶ岳の下になる。足元の火山岩の砂礫がザラザラ崩れるので、先を行く人同様、ヘッピリ腰で右手の鉄柵も手助けにしてゆっくり下る。
振り返ると、やはりキツイ登りだ。3月の地震で大内院(火口)周辺の壁も崩れ、工事が行われている。
そのせいもあって、直径500m、深さ200mの火口の眺めも以前より荒々しさを増したように感じられる。
正面のなだらかな山が久須志岳(3,740m)、右へ大日岳(3,750m)、伊豆岳(3,750m)。
浅間神社奥宮は木花之佐久夜毘売命(木花咲耶姫このはなさくやひめ)を祀る。もとは修験道・村山三坊の支配する大日堂だったが、明治の神仏分離令で浅間大社の所有になった。村山修験の流れをくむ畠堀さんらのグループは私たちが剣ヶ峰に向かうとき熱心に祈りを捧げていたが、今は下山の準備をしていた。途中、ブル道も使って五合目まで下り、3日間の行程を終わるそうだ。畠堀さんに記念写真を撮って頂いて、お別れした。(12:27~12:37)
剣ヶ峰と反対側(内陣を逆時計回り)に数分も行くと御殿場道の頂上である。鳥居がたち柵で囲まれたところは銀明水。もう一つの雪解け水が伏流となって湧く金明水は、久須志岳のふもとにある。右に見える銀明館の前から御殿場への下山道が始まる。(12:36)
富士宮道に比べて楽とはいえ、下り始めはやはり傾斜が強い。ごつごつした岩の道が何度も屈折しながら、次第に高度を下げていく。途中に目標となる山小屋や道標もないため、かなり長く感じる。ふと右を見ると富士宮道を下る村山古道グループらしい人影が見えた。
一時間近く下って、ようやく勾配が緩まり、やや歩きやすくなった。この御殿場道はもともと登山者が少なく、ある統計では夏でも富士宮道の7分の1とかで、自分のペースで歩けるのはいいが少々心細い。午後になって雲が湧いてきたが、まだ沼津方面の市街地や駿河湾が見えている。目の下に小屋の屋根が見えたので、ともかくそこまで下りて休憩しようと頑張る。始めて登ってくる若者に出会う。しばらくして下ってきた中年の男性に追いつかれ、言葉を交わし先に行ってもらう。小屋はどうやら八合目で、休業中の見晴館らしい。建物の横の岩に腰を下ろして、たっぷり水分を補給し10分ほど休む。
次の七合九勺、赤岩八合館の入口や窓は、番号を打った木材を積み重ねて締め切り、厳重に冬の備えをしている。ガスが出てきたが、まだ頭上は青空で陽が射している。10分ほど前に休んだばかりなので、休まずに通過する(14:30)。
この小屋には2008年8月皇太子浩宮殿下が宿泊している。このとき、皇太子一行は富士宮新五合をスタート、宝永山荘前を通って宝永山馬ノ背から御殿場道に出て、この山小屋で一泊。翌朝、山頂でご来光を見て御殿場道を下った。それ以後、今私たちが辿っているこのルートは「プリンスロード」と呼ばれるようになった。
ここからも同じように入口や窓を厳重に戸締りした小屋が短い間隔で現れる。合目を表す標識や道標は一切なく、小屋の看板も外してあるので、どの辺りを歩いているのか全く分からない。後で御殿場市のホームページなど見ると、赤岩八合館の後は気象庁避難小屋、砂走館(七合五勺)、わらじ館(七合四勺)と続いている。
次の小屋の前で始めて「七合目」の文字を見つけた。建物は日ノ出館である。(14:45)
ガスが次第に濃くなって辺りを包んできた。この御殿場道の下りでは二度目の2006年8月、霧に包まれて宝永山への道を失い、標高差を100mあまり登り返した苦い経験がある。その時の記憶では、ジグザグの道を六合目まで下って森林限界らしいところをトラバースしている。しかし今回は日出館の少し下、ブル道と合流するところに小さい標識があった。
登山道と分かれて右に折れると、すぐにブル道を横切るように「御殿場口新五合目」へを示す次の標識がある。
下山道の大砂走りに入ったが視界は霧に閉ざされ、勾配は次第に急になる。砂煙をあげながら下り、時々立ち止まって宝永山へのトラバース道を探すが、目標になるものもなく次第に不安が募る。霧が薄れたときに見上げると日ノ出館らしき建物と二人の人影がぼんやり見えた。更に下って、しばらく立ち止まって待つが二人が降りてくる気配はない。前は砂走りを下る区間はもっと短かった記憶があるので、また前回の二の舞で下り過ぎたかと思う頃に、左の六合目から来る道とT字形に交わるところに出て、道標があった。
右に折れるとほぼ同時に霧が晴れて、正面に宝永山の斜面が見える。
また霧が深くなった。前回はこの分岐を行き過ぎたが、今はこんな立派な道標が立っていて安心だ(15:18)。ほぼ平行な道を3分ほどで宝永山の馬ノ背の少し上に出た。左に下り、宝永火口と山頂とのコル、馬ノ背に出る。(15:27)
馬ノ背に荷を置いて人影の見える宝永山に向かう。また青空が出てきて山頂の姿が美しい。
美しく整備された宝永山頂(2,693m)には、女性3人に囲まれた羨ましい男性がいた。地元から日帰りできたグループで、私たちの写真(前出)を撮ってくれた女性は自称第一夫人。第二、第三夫人とも毎回入れ替わるとか(笑)。(15:35~15:45)
馬の背に帰ってしばらく待っていると霧が流れて、ようやく富士山頂部が姿を見せた。(15:57)
ここからが結構長い。ざらざらの斜面をゆっくり下る。上から見ると綺麗な道に見えるが、砕けた赤い溶岩が崩れやすく歩き難い。
30分ほどかかって宝永第一火口の底に着いた(16:30)。大きな火山岩がゴロゴロしている。2年前の2009年10月にも大きな落石があったところだ。最後の休憩をして、昨日ブロッケンを見た第一火口縁へ登る。生ビールの待つ宝永山荘まであとわずか。青空を背にしたエビ茶色の宝永山が見送ってくれている。