ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ホームページ更新しました(2012.08.17)

2012-08-17 13:39:30 | パソコン日記

今回は「野の花・山の花」のページを全面的に更新しました。


カナディアン・ロッキーをはじめ、カムチャッカ・アバチャ山、中国四川省・大クウニャン山、富士山、白馬岳、八ヶ岳、加賀・白山、四国・剣山をリニューアル済みです。
(前に一度でもご覧頂いた方は、キャッシュが残っている場合がありますのでURL欄「最新の更新」をお試し下さい。)

残暑まだ厳しい中、美しい高嶺の花々で涼を感じて頂ければ幸いです。

河内綿の花

2012-08-16 09:36:12 | 今日の大和民俗公園
河内では江戸時代(17世紀頃)から明治時代のはじめにかけて木綿生産が盛んで、『18世紀中ごろの久宝寺村(現八尾市)の田畑の作付状況の記録によれば、村の耕地の7割に綿を植え付けた』という記録が残っているそうです。<八尾市歴史民俗資料館のHPによる>
 
 
大和民俗公園では、今、この綿の花が咲いています(2012.08.16)
(一番左の写真は葉の形が違うので、河内綿ではない近縁種かも知れません)

大台ケ原を歩く(2)

2012-08-14 14:35:19 | 山日記

 

これから向かう正木嶺を正面に見ながら、日出ヶ岳を後にします。
 
展望三叉路からは早や赤く色づき始めたドウダンツツジの林の中、長い階段道を正木嶺へ向かって登り返します。
 
 
この階段が設けられた頃は真新しい白木の色が緑の中で際立ってしっくりせず、♀ペンなどは「もう大台へ来るのが嫌になった」と嘆いていたものです。私も当時(2000年11月)の山日記に、次のように腹立たしい思いをぶちまけています。
 『(この木道は) 去年(平成11年)に設置されたものだが、おかげでこの辺りの光景は一変してしまった。ところどころ「なぜ木道か」という説明がある。植生を守るためというのは分からぬでもないが、ここまでやらねばならないのか、他に方法はないのか。利便性ゆえに観光気分で押し掛ける大衆と、それに対応する行政の単純な発想を淋しく思う。カナダやスイスなど観光先進国の様子を、お役人にはぜひ勉強して欲しいものだ。』
 しかし、その「空中回廊」も時の経過とともに次第に色褪せて、今では周囲の景観にすっかり馴染んで違和感がなくなりました<写真:いのっち>。
 
最高所(前は正木嶺と呼んでいた処、今は正木辻というようです)で小憩(11:00~11:10)。
木道の途中には所々に、このようなベンチが設けられています。背後に見える日出ヶ岳とはここでお別れです。<写真:ワンウーボーイ>
 
 
 
この辺りが一番、白骨林の美しいところです。もともと、ここはトウヒの森で地面はコケ類に覆われていたのですが、1959年の伊勢湾台風によってトウヒが倒され、コケ類が衰退して代わりにササが茂ったため現在の姿になりました。
 しかし、この白骨林も年々、立木が減り倒木が多くなっているようです。
 
 
昔はもっと凄かったのです。写真は1995年6月1日、シャクナゲ平(日出ヶ岳を大杉谷の方に少し下ったところ)へ義父(84歳)、義母(80歳)をシャクナゲを見に案内した帰りに、同じ場所で撮ったものです。まだ木道はできていません。
 
 
11時40分、正木ヶ原。<写真:ワンウーボーイ>
ここも美しいイトザサの中に立ち枯れたトウヒやウラジロモミが点在し、子供たちが幼い頃は倒木に登って遊んだものです。今は通路両側にロープが張られて立ち入ることはできません。10分休憩して出発。
 尾鷲辻へ出たところで、当初は中道を帰る組と大蛇へ行く組に分ける予定でした。しかしパーティを分散することの不安もあって、中道を予定していた人の意見を聞いた上で全員で大蛇へ行くことにしました。
 
 
尾鷲辻からは歩き難いゴロゴロの石の道を少し登ります。本ナゴヤ嶺(1593mピーク)を下ると、再びイトザサの広い台地、牛石ヶ原にでます。
 右に見える大きな石が「牛石」。理源大師が牛鬼という怪物を封じ込めたという伝説があり、触れると「白日も天地晦冥となり」降雨になると恐れられています。
道を挟んで、左手に八咫烏のとまる弓を持ち、右手を眉にかざして遠くを望む神武天皇の銅像が立っています。
 昼食予定の時間が過ぎているのですが、午後からは雨になると予想して甘いものだけ補給しただけで、すぐに出発します(12:20~12:30)
 
 
 
今日は会わないかと思っていたシカさん達が、白い尻尾を振り振り無心に何か食べていました。
シオカラ谷の分岐までくると霧か雲かが湧いてきて、周りは白いヴェールを被ったようになりました。雨と競争するように大蛇へ急ぎます。
 
 
13時、大蛇の先端に立ちました。蒸篭も東ノ谷の滝もリューゴ尾根もボンヤリ霞んでいます。
<写真:ワンウーボーイ>
 
 
恐竜の背のような岩場をM夫人がスタスタと降りてきて一緒に写真に納まってくれました。
 10分足らずの大蛇滞在で引き返す途中、ついに雨粒が落ち出しました。大きなケヤキの下で雨具を出す間もあらばこそ、すぐに土砂降りになりました。シオカラ谷への分岐で、尾鷲辻へ引き返さず吊橋に下ることで全員の了承を得ました。雷鳴も聞こえ出したので尾根道を歩くよりも、標高を下げる方が良いと判断したからです。しばらくの間は谷川の中を歩くような感じで、おまけ足場の悪い個所もあって慣れない人は本当に大変だったと思います。しかし全員で助け合いながら、着実にシオカラ谷に下り着きました。
 吊橋に着く頃に雨は上がりました。吊橋を渡るとすぐ急な石段の連続、いったん水平な道になってヤレヤレと思うと最後にも一度、急坂の登りが待っています。何度も歩いている私でも長く感じる嫌な処で、かなり苦しく辛い思いをした人もあったことでしょう。それでも15時に全員、駐車場に帰着しました。びしょ濡れの服を着換えて、15時半再会を約して解散。
 初めての方にも少しでも山の良さを知って頂けるように努力したつもりですが、雨の洗礼や昼食抜きの強行軍で「もう二度と山はご免」という嫌な思いをされた方が無いように願っています。
 
 
付記:ドライブウェイ途中の花はトモエソウでした。山野に生えるオトギリソウ科の多年草で、背丈は50㎝から大きいものは1m20㎝にもなります。巴状の黄色い5枚の花弁は一日で萎んでしまいます。
 帰り道では何度もゲリラ的な豪雨に出会いました。ところが家に帰ると庭はカラカラに乾いていて、花たちが雨を待ち兼ねている顔で出迎えてくれました。

大台ケ原を歩く(1)

2012-08-13 07:31:26 | 山日記

8月11日、浅い眠りから覚めると雨は止んでいました。朝の露天風呂から見ると山肌に纏わりついていた霧が上に向かっています。急いで朝食を済ませ、8時過ぎ一晩お世話になった山鳩湯を後にしました。
 4台の車を連ねて大迫ダムから新伯母峰トンネル手前を右折、狭い道を登って伯母峰峠から先日まで通行止めだった大台ドライブウエイに入ります。まだ雲が多く、右手の大普賢岳方面の絶景は見ることができませんでしたが、霧は晴れて眩しい夏の太陽が顔を出しました。真新しい焦げ茶色のガードレールが設置されるなど、改修工事が進められています。登るにつれて高山の雰囲気が強まり、ウツギの花の白い色が鮮やかです。道の両側に黄色い花がずらりと並んでいます。しかし経ヶ
峰の横を通る辺りから、ナゴヤ岳下から西大台へ下る地点、三津河落山や筏場道への入口の川上辻、など懐かしい登山道へは「立入禁止」の標識が並んでいます。

 まだ駐車スペースの多い山頂駐車場に着きました。トイレや身支度を済ませ、全員で簡単な屈伸運動をして、9時、東大台周遊路に入ります。<写真:いのっち>

昨夜の雨に洗われた木々や笹、苔の緑が目に染みるようです。太い木の幹にはシカが樹皮を食べるのを防ぐために金網が張り回してあります。しばらくは殆ど水平な道が続き、「これなら歩け通せそう」の声が聞こえます。

トリカブトの花が美しく咲いていました。

小さな沢を二つ、三つ越えると登り道になります。よく整備された歩き易い階段道をゆっくり登ります。

尾根にある展望三叉路に着きました。朝日に照らされた日出ヶ岳を背に記念撮影。残念ながら海は見えませんでしたが、昼までは持ちそうな空模様に一同、元気百倍です。(10:00~10:15 )<写真:ワンウーボーイ>

日出ヶ岳へ長い木の階段道を登ります。大台ケ原山最高点の日出ヶ岳は、深田久弥の日本百名山に選ばれ、また三重県最高峰。標高1694.9 m。

10時25分、全員元気に登頂しました 。三角点を囲んで記念撮影のあと、展望台に登りました。過去2度この山に登っている Iさんは、ここから富士山を見たことがあるそうですが、今日は展望はそれほどよくありません。大峰山系は雲の中で、これから向かう南の正木嶺、北の三津河落山などだけがくっきり見えました。しばらく休んで出発します。10時45分
<写真:ワンウーボーイ>


入之波温泉へ集う(2012.08.10)

2012-08-12 18:30:56 | 山日記

 

入之波温泉は国道169号線(東熊野街道)を南下して大迫ダムからダム湖に沿って数キロ走ったところにあります。古く平安時代からすでに温泉として開湯されていて、江戸時代には薬湯として知られて湯治に訪れる人も多かったといいます。
8月10日午後はあいにくの曇り空で、大迫ダムを過ぎる頃から雨になりました。
 
吉野川源流近くの入之波は、旅館・山鳩湯と他に民宿が二軒あるだけの山奥です。この日、山鳩湯に集まったのは去年イタリア・ツァーの仲間8人。6月に雨の京都で会ったとき、ひょんなことから大台ヶ原に行くことになって大津、芦屋、長岡などから遠路はるばる 集りました。皆さん、私よりは10年以上若いとはいえ高年者で、ただ一人の登山愛好家Iさん以外は殆ど山の経験のない方ばかりです。
 
 
私達が着くとすでに皆さん到着されていました。まずは温泉で汗を流します。
山鳩湯は成分の多い濁り湯で有名で、木の湯船には薄茶色の石灰分が付着しています。これは露天風呂で巨大なケヤキの切株に石灰分が付着しています。ダム湖を見ながら少しぬるめのお湯に遣かるうちに、少し小降りになりました。<写真:ワンウーボーイ>
 
 
お湯からでて、玄関のイノシシ君の前を通って食事の場所へ。
 
 
 
まずは再会を祝し明日の山行の成功を祝って生ビールで乾杯。<写真:ワンウーボーイ>
 
 
名物の鴨鍋です。
 
 
そしてアマゴの塩焼き。
少しウンチクを傾けますと…アマゴは天魚と書きます。イワナに似ていますが側線に赤い斑点が並んでいるのが特徴です。
ついでですが、これもよく似たヤマメは山女と書きます。一つのお鍋にご飯を入れて雑炊に、もう一つにはウドンを入れてお腹いっぱい。
 宴会を切り上げて部屋に帰ってからも持ち寄ったオツマミで焼酎や酎ハイでワイワイと二次会。22時になったので部屋に引き上げましたが、川の音に雨かと心配したりして浅い眠りでした。 

海外トレッキングのサイト、リニューアルを完了しました。

2012-08-09 12:59:10 | パソコン日記

2006年は日本人が始めてヒマラヤ8000m峰のマナスルに登頂してからちょうど50年目にあたりました。初登攀者の今西寿雄氏は元日本山岳会関西支部・支部長でもあります。支部ではこの年を記念する「マナスル三山展望トレッキング」を企画し、当時、会員だった私は♀ペンと二人参加しました。

短い日数でしたが、マナスルとあわせてこれも日本人が初登の山、P29、ヒマルチュリを間近に仰ぐことができました。毎晩テントの中で、現支部長の登山家・重廣恒夫氏(エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ブロードピークの8000m峰4座。更に7000m峰4座のサミッター)のお話を聞き、また、ネパール最大のお祭りダサインの様子やポカラ山岳博物館の見学など充実した旅でした。

海外山行2008年には日本山岳会関西支部の海外山行「カムチャッカ・アバチャ山登頂」に参加しました。
緯度が高いので、BC周辺でも美しい高山植物がいっぱいでした。しかし、頂上までの標高差1900mを一日で往復しなければならず、加齢もあって今回も苦しい登山になりましたが、それだけに忘れられない思い出ができました。

事情があって私はこの2008年末で日本山岳会を退会しました。しかし在会中、諸先輩方や山友たちとの山行や行事などを通じ、いろいろと学び、数々の貴重な体験をさせていただきました。

また、この二度の山行でご一緒したツァーリーダーの鹿田匡志氏、先輩の女性会員・先水美智子さんのお二人は今は鬼籍に入られました。
改めて在りし日の面影を偲び、公私にわたるご厚誼に感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り致します。

*これで「海外トレッキングのページ」の更新は全て終わりました。続いて「山の花」のページを更新中です。まずは「アバチャ山の花」をご覧ください。


ホームページをリニューアルしました(2012.08.06)

2012-08-06 18:04:31 | パソコン日記

キナバル山東南アジアの最高峰で、周辺の地域とともに世界遺産に登録されている4095.2mの山。
最初は2005年1月に登りました。

その時の一番気に入っている写真です。

標高差が大きくわれわれ高年者には厳しい山でしたが、気のあった仲間同士の楽しい雰囲気の中で、奇岩や岩盤の特異な山岳風景、ウツボカズラなど珍しい動植物にも接することができ収穫の多い山行でした。

2年後の2007年1月、主宰していた地域の山の会で、仲間たち10人と再びキナバル山に登りました。

夜になると雨という天候でしたが、登頂日は幸いに晴れて全員が登頂。山頂からの素晴らしい展望を満喫しました。下山後、コタキナバル近くの島で遊び、熱帯の山と海を存分に楽しむことができました。

二度の登山記録をUPしましたので、どうぞご覧ください。


ホームページをリニューアルしました(2012.08.05)

2012-08-05 17:27:03 | パソコン日記
【四姑娘山・花のトレッキングと大姑娘山(5025m )登頂】
のホームページをリニューアルしました。
中国四川省の標高4000m~5000mの草原や砂礫に、青いケシやエーデルワイスを始め、色とりどりの美しい花が咲き乱れ、まさに地上の楽園に遊ぶ心地でした。
 
 
 
5000m峰の大姑娘山にも登頂でき、帰りにはパンダを抱っこするというおまけまでついた、本当に楽しい旅でした。
し古い記録ですが、暑さ凌ぎに涼しい高山の花と山をご覧いただければ幸いです。