立花隆の『臨死体験・上下』を一週間ほどかけて読み終えた。先に『証言・臨死体験』を読んでいたのだが、これは日本の著名人の体験を内容としたよくある事例集だ。立花の本格的な考察はこの2冊に尽きている。実に面白かった。
何がどう面白かったか・・・これからも折に触れて書くことがあるだろうが、それが単なる脳内現象であれ、魂の存在や死後存続を示唆するものであれ、その世界が、どうやらこの日常現実の世界と極めて近い、或いは重複したものであるらしい。つまり、これまで臨死体験などとは無縁だった私自身のこの存在にも深く関係しているらしいということ。これが分かっただけでも大きな収穫だった。
「科学にとって第一に重要なのは、現象そのものである。いかに異常なあるいは超常的な現象であろうと、現象が存在するなら科学はそれを考察の対象の中に取り入れなければならない。より多くの超常現象を説明できる説明原理こそ、より普遍的な説明原理である。そして科学が目指すものは、最も普遍的な説明原理である。・・・人間の精神世界を科学の対象とするとき、物理的世界では考えられないほどの多様多種な異常現象にぶつかる。これまでの精神科学は、そのような異常現象をアブノーマルなものとして切り捨てることで自己を成立させようとしてきた。しかし、件pの例一つ取っても分かるように、アブノーマルなものを切り捨てることで成立する精神科学は、同時に人間精神の最も豊穣な部分、最も創造性に飛んだ部分をも切り捨てることになってしまうのである。これは科学の退行現象である。真の精神科学は、より多くのアブノーマルな精神現象を説明可能にする方向に発展していかなければならない。」¥縺EP186
この立花の方法論は、この種のテーマに対する私のスタンスと重なる。超常や異常は、常識や日常性の埒外(らちがい)にあるものを形容する言葉で、多くの常識人が敬遠しがちな世界でもあるのだろうが、そもそもこの世界に「常なるもの」があるのかどうか。つまりは、心と物を巡る二元論や一元論など、存在論の原初にまでこの問題は及ぶのである。これが面白くない訳がないが、そう簡単に答えが出せる訳でもないことは確かだろう。
何がどう面白かったか・・・これからも折に触れて書くことがあるだろうが、それが単なる脳内現象であれ、魂の存在や死後存続を示唆するものであれ、その世界が、どうやらこの日常現実の世界と極めて近い、或いは重複したものであるらしい。つまり、これまで臨死体験などとは無縁だった私自身のこの存在にも深く関係しているらしいということ。これが分かっただけでも大きな収穫だった。
「科学にとって第一に重要なのは、現象そのものである。いかに異常なあるいは超常的な現象であろうと、現象が存在するなら科学はそれを考察の対象の中に取り入れなければならない。より多くの超常現象を説明できる説明原理こそ、より普遍的な説明原理である。そして科学が目指すものは、最も普遍的な説明原理である。・・・人間の精神世界を科学の対象とするとき、物理的世界では考えられないほどの多様多種な異常現象にぶつかる。これまでの精神科学は、そのような異常現象をアブノーマルなものとして切り捨てることで自己を成立させようとしてきた。しかし、件pの例一つ取っても分かるように、アブノーマルなものを切り捨てることで成立する精神科学は、同時に人間精神の最も豊穣な部分、最も創造性に飛んだ部分をも切り捨てることになってしまうのである。これは科学の退行現象である。真の精神科学は、より多くのアブノーマルな精神現象を説明可能にする方向に発展していかなければならない。」¥縺EP186
この立花の方法論は、この種のテーマに対する私のスタンスと重なる。超常や異常は、常識や日常性の埒外(らちがい)にあるものを形容する言葉で、多くの常識人が敬遠しがちな世界でもあるのだろうが、そもそもこの世界に「常なるもの」があるのかどうか。つまりは、心と物を巡る二元論や一元論など、存在論の原初にまでこの問題は及ぶのである。これが面白くない訳がないが、そう簡単に答えが出せる訳でもないことは確かだろう。