また横道に逸れそうになった。ただ、心地観経にいわく「過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ」である。
多少でも過去に触れておけば、次に続く過去が分かりやすくなる。現在も未来も同様。私の拙(つたな)い自分史は、稿を別にしてここにも書き、後に上梓することになるだろう。本題に戻る。
高校一年生、新しい校舎と先生と同級生。ほとんど全ての環境が変わる中で、まことに奇妙な人間とクラスを同じくすることになった。後に愛称で「マーちゃん」と呼ぶようになる矢野君である。
彼の風貌は飄々(ひょうひょう)淡々。たいがいは何かしらんけど笑っている。その動きは鷹揚(おうよう)で、体育の時間はほとんど壁の花になっている。その他の授業でも、懸命に板書を写すのが生徒たちの習いなのに、たまにチラッとメモする程度でノートをとる様子が全くない。先生の口元をぼーっと見ているだけである。
授業の合間や昼食時間など、「アポー!」などと言いながらプロレス技らしきものをかけてくる。普通に見たら愛すべきアホの一類で、どう見ても頭脳明晰には見えない。
ところが、その成績たるや450人中常に5番以内にいる。私には何のことやらさっぱり分からない数学の難問を解くよう先生から不意に指名されても、彼のチョークはいとも簡単にスラスラと正確な解答を黒板上に現す。
「こいつの頭の中はいったいどうなっているんだ?」こんな掴みどころのない奇妙な人間を見たのは初めてで、私は不思議で仕方がなかった。
彼の方も私のことを、勢いだけは良いが少し変わった男だと見ていたようだ。二人はどこかウマの合うところがあったのだろう。ある日、「ちょっとうちに遊びに来ないか?」と誘われた。この不思議を解明する絶好のチャンスだ。私は喜んで、織田が浜近郊・喜多村にある彼の生家を訪れた。
そして、この謎は一気に解決した。彼の家は古くからの農家で、朝が早い。彼も早起きして親の手伝いをする。朝の時間は長い。余った時間を授業の予習に宛てる。元々記憶力は良いから、当日の授業の内容はすっかり頭に入っている。学校での授業などは、すでにしっかりと彼の頭の中に居座った知識の、単なる復習・整理にしか過ぎなかったのだ。
私は「早起きは三文の得というが、マーちゃんの得はそんなもんじゃないねぇ・・・」などということを言ったような気がする。
さらに夏休みを過ぎた秋口、「僕の通っている塾に行ってみないか?」と誘われた。「なに~、君のような出来る男が塾になんか通っとるのか!?」私はいくらか呆れながらも、彼について行き、織田が浜に隣接する東村にある私塾「飯塚塾」の門をたたいた。これがそこらに散在する単なる学習塾ではなかった。
私と「織田が浜問題」の縁の始まりである。
(その4につづく)