枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

西海の教会堂を訪ねて その6 紐差教会堂 (長崎、平戸島)

2018-05-06 | 教会・天主堂を訪ねて
長崎県平戸島。丘陵が海岸まで迫り海に落ち込む地形が多いのですが、島の中央部、紐差町には、比較的広い平地が拡がっています。ここは、明治の初めより多くの切支丹が住む場所となり、明治19年にクーザン神父により初代の天主堂が献堂されました。明治20年、赴任地の外海の土地の貧しさを憂いたド・ロ神父が、紐差の土地を購入、4家族23人の移住が実現したこともありました。この頃より、更に大きな天主堂建設の計画が始まり、40年を経た昭和4年(1929)、今に見るこの壮大な天主堂が竣工、献堂されました。
設計は鉄川与助。鉄川のこと、別に記しました。鉄川としては二つ目のコンクリート造りの天主堂。
外部は、ゴシックの丸い入口、ロマネスクの丸い窓など、折衷した様式と言われます。平面は三廊式、内部の立面は西洋の大型教会建築の常道とされる三層構造ではなく、二層構造。そして天井は、これも常道のリブ・ヴォールト天井ではなく、折上天井(船底天井)、天井の花模様が何とも優美な印象を与えます。装飾の付いた白い柱と折上天井の織りなすこの空間。鉄川の心と才の極みを見る思いがするのです。

紐差天主堂、東洋一の規模を誇った旧浦上天主堂なきあとは、日本最大の天主堂と言われた時期がありました。規模だけではありません。その内部空間の素晴らしさは、おそらくわが国の天主堂の中で、最も高い位置にあるであろうと言わます。
鉄川与助の造った天主堂に一貫して見られる花の模様。あるときは椿に、あるときは菊に似ていますが、真実は、きっと鉄川が思い描いた天上の花なのでしょう。天主堂に捧げられた熱い思いの証しのように・・、私には感じられます
。(2008年2月)