国道384号が福江島の北岸から西岸に沿って向きを変えるところ、三井楽町貝津に貝津教会堂があります。この地には大正12年創建された天主堂がありましたが、現在の建物は昭和37年に増改築されたもの。美しいステンドグラスを持つ素朴な感じの御堂です。
教会堂の前で一人の旅人にお会いしました。これから大瀬崎まで歩くとか。
貝瀬を過ぎ島の西岸に出ると、そこは高浜ビーチ。見渡せば濃淡二色に塗り分けられた海の色、白砂、波・・その永遠の様に魅せられます。
道は国道から県道に変わり、福江島最西端の地、玉の浦へ。そこには井持浦教会堂があります。明治28年に建立された御堂で、島内の木造御堂から煉瓦造御堂への転換のハシリになったとも。大正13年の増築により当初の雰囲気が変わってしまったともいわれます。境内に明治32年に建設された日本最古のルルドがあります。本場ルルドの奇跡の泉から霊水を取り寄せたといいます。
島の西端、それは五島列島の西端でもありますが、はすぐ傍、大瀬崎。この辺りの人の手が殆ど入っていないような自然の姿に浸ります。
大瀬崎灯台
玉の浦への道の途中、立谷(たちや)に寄りました。ここは明治の黎明期、天主堂の一つ立谷天主堂があったところ。天主堂は平成3年台風により倒壊しました。残された写真を見ると和風の民家の内部にリブ・ヴォールトの天井を設えた驚異の御堂。(旧五輪天主堂をさらに素朴にしたような・・)何処か、何故か限りない懐かしさを感じるのです。
緩やかな星山を背にした天主堂跡には、聖母像と石碑が置かれていました。近くには信徒の墓地もありました。人に出会うこともない立谷への道を戻ります。(2010年5月)
立谷付近の海岸
立谷の道
聖母像
墓
教会堂の前で一人の旅人にお会いしました。これから大瀬崎まで歩くとか。
貝瀬を過ぎ島の西岸に出ると、そこは高浜ビーチ。見渡せば濃淡二色に塗り分けられた海の色、白砂、波・・その永遠の様に魅せられます。
道は国道から県道に変わり、福江島最西端の地、玉の浦へ。そこには井持浦教会堂があります。明治28年に建立された御堂で、島内の木造御堂から煉瓦造御堂への転換のハシリになったとも。大正13年の増築により当初の雰囲気が変わってしまったともいわれます。境内に明治32年に建設された日本最古のルルドがあります。本場ルルドの奇跡の泉から霊水を取り寄せたといいます。
島の西端、それは五島列島の西端でもありますが、はすぐ傍、大瀬崎。この辺りの人の手が殆ど入っていないような自然の姿に浸ります。
大瀬崎灯台
玉の浦への道の途中、立谷(たちや)に寄りました。ここは明治の黎明期、天主堂の一つ立谷天主堂があったところ。天主堂は平成3年台風により倒壊しました。残された写真を見ると和風の民家の内部にリブ・ヴォールトの天井を設えた驚異の御堂。(旧五輪天主堂をさらに素朴にしたような・・)何処か、何故か限りない懐かしさを感じるのです。
緩やかな星山を背にした天主堂跡には、聖母像と石碑が置かれていました。近くには信徒の墓地もありました。人に出会うこともない立谷への道を戻ります。(2010年5月)
立谷付近の海岸
立谷の道
聖母像
墓