katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

デイ・サービスとコーナンで下地

2022-03-21 23:48:49 | デイ・サービス

今日は午後からデイ・サービスで本日は7名だったんだけど、一部撮れて無かったのね・・・残念。やっぱり時間は掛かるだろうな・・と思ったが、箱ものは目地の仕上げに時間が掛かるのね。最近では珍しくギリギリだったのね。

まっそれでも無事に終わったので何より。そんな中、まぁそうなるわな・・・って話が、サンプルとは変えたのね。だからサンプルは無いのね・・・つまり白いタイル以外は全部自由。こうなると、どうして良いか?判らない人続出なのね。

ただそれも狙いだったのね。つまり自由って言うのは、自分で考える・・・って部分なのね。逆にサンプルがあるって言うのは、ただ色を変えるだけで、ほぼ何も考えないで済む。そこで考える部分を作ったのね。自由に・・・って。

所がその自由は、考える事が嫌いな人には厄介な事になる。逆に考える事が苦痛じゃ無い人は、適度に悩んだり出来る。所が考える事が嫌いな人でも、何張っても大丈夫だから・・・って言う事が納得まで出来なくても、まっ良いか・・って

進み始めると、まっこんなもんか・・・まっこれで良いか・・・って張り始めると、そもそも考える事が好きじゃ無いのだから、どんどんと進み出すのね。しかも、その進み具合を他の人に見られた時に、凄い進んでるじゃん・・

なんて言われたら、そんなに嫌な気分にはならないから、今度はやる気スイッチが入れば、気持ち的にラクになるのね。所が逆にどんなに説明しても、上手く行かない・・・と考え過ぎてしまったり、左右対称とかハードルを上げてしまったりすると、

さっきの例のような人が進めば進む程、気持ちが焦る。ただ実はそのこだわりこそが、オリジナルの物作りの原点だったりする。まっ良いか・・・と進むのは、フィーリング的なノリ。逆に色々考えて構築って言うのは、図面でも引く勢い。

差が出て当たり前なのね。そんな説明をすると、昔美術の時間にそんな事が多々あった・・・って。そんな事は、こうした理由から起こっただけで、しかも左右対称のように、誰もが見てすぐ判る規則正しい決まりを作れば、当然キチンと、

ってな具合になるから、流動的なフィーリングよりも、増々時間は掛かる。ただそれだけ。そんな事が伝えられたら良いかな・・・って。一見、全く違う話だけれど、落語の例えで言うと、落語って前座って修業の身の人は、人前で演じる事

が緊張感の中で、独り練習とは違う練習をする事になるのだけれど、そもそも練習している身なのだから、持ちネタなんてそんなにある所か、もしかしたら1つのネタを繰り返しているのかも知れないのね。所が真打ち、つまり認められた人に

なると、会場の雰囲気やそこにいる年齢層、今日起こった時事ネタまでぶち込んで来る。つまり持ちネタの中から、どれにするか?瞬時に決める事が出来るのね。じゃこの例を自分に置き換える・・・自分がもし前座だとしたら?

もうサンプル通りしか出来ないから、用意して来た事だけ・・・になる。つまり予定調和であり、安心安全となる。そうね、言い方を変えれば自分中心とも言えるのね。何処だろうと、誰だろうと、全て演目は一緒ってね。ただ、それしか

出来ないから前座なんだけれどね。所が真打ちとなると、あれこれ海千山千。携帯電話が鳴ろうと、いびきをかいて寝ているお客だろうと、話の中に盛り込んで笑いを取れる。イレギュラーな事の回避まで用意されている。当然、何度もその

ような事に出くわしているから・・・だから真打ちなのね。つまりサンプルはただその提出日までの最低限の仕上げであって、自分が作った時に、どんな事が起こり得るか?のサンプルでもある。安心安全なら、そのままで良い訳で。

でももし、もっと良い事を思い付いたのなら、試したい・・・でも、サンプルを作り変えてしまったら、サンプルは増えるわ、時間は掛かるわ、そしてまた予定調和を作った事になる。それでは何も変わらないのね。

要するにここは、俺の練習の場所でもあったりもする・・・流動的な対応が出来るようになる為の・・・って考えれば、イレギュラーな事が起こり得る最高の場所なのね。何しろ何が起こるか判らないのがデイ・サービスなのだから。

色んな勉強になるのね。そもそも予定調和のサンプルありの物作りは、他の事でみんなやっているでしょ?それなら、みんなと違うもの・・・を仕上がった時、みんなと見比べたり、ここが違うとか、こんなのあったの?って気が付いたりする

・・・そんな事が興味が沸くって言うような、初歩の初歩な、あんな頃の気持ちになってくれれば、刺激になるかな?って思ったりするのね。何か変わった事になるような、仕上げた時に、これ自分の?なんて言われると、してやったり。

こんな事になるんだぁ・・・って思って貰えれば幸いなのね。サンプルよりもはるかに良くなったのね。まぁただ、そのみんなが考えた分の時間は押したんだけど、間に合って結果オーライって事で・・・。

その足でコーナンへ。今度は来月分の埼玉コープのミモザのカフェトレイの下地とサークルの人の分の下地。勿論、こんな時間からじゃ終わらないんだけど、少し進めとかないと時間が取れないのね。そんな訳で8時までの2時間。

それからアトリエに戻って11時過ぎまで、陸前高田の材料拾い・・・まだ何にするか?決め兼ねているのね。シンガポールで考えると、バティック柄なんて言う派手な色合いが出て来るし、プラナカンなんて言うのは、淡くて色んな色が使える。

前者ならガッツリ1cmタイル的な色合いになり、後者ならコロなんて事になる。どちらにしても、薄っすら見えているんだけれど・・・まだ決め兼ねているのね。こっちにはこっちの良さがあり、あっちにはあっちの良さがある・・・。

ただ流石に時間も無くなって来た・・・。


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デイ・サービスの仕込みと中学生の額縁

2022-03-21 00:45:42 | デイ・サービス

今日は朝から久しぶりのコーナンスタート。数日後に中学生の教室があって、その額縁作りの為なのね。ここで彫ってアトリエで組み立て。何だかんだで2時頃にはニスの1回塗りまで終わって・・・その後は明日のデイ・サービスの仕込み。

これを10個やると、暗くなっていたのね・・・もうちょっと早く終わって時間作りたかったんだけれど、そんな訳で夜はやっと陸前高田の下絵の続きとなるんだけれど、まだ悩んでいて・・・コロなんて言うタイルも候補に上って・・・

何しろタイルは今月中に頼まないと・・・。


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デイ・サービスのサンプルやら色々と・・・

2022-03-20 00:55:50 | デイ・サービス

今日は何しろ明後日持って行く、デイ・サービスのサンプルから・・・ただ漠然としか浮かばない状況で昨日が終わって、何とか朝、下絵は描けたものの、このままコーナンに行くのか?・・・って悩みつつ、車に乗って少し走ったが、急きょ

アトリエに戻って・・・一旦落ち着こう。昨日のキウイの小物作品を参考にするのなら、今の状況では今までと同じような下地になるだろうし・・・一旦それを捨てないと変わった結果は得られない。って事は判っているのだから・・・。

結果としてはこうなったんだけど、要するにコーナンで下地をやる為には、コーナンで木を買わないとならない。でもこの忙しさの中で、いつものような手間の掛かる下地は今回は難しい。しかも季節モノでこいのぼりなんて選ぶと、2匹欲しくなる。

しかも自立するには、ある程度厚みのある木じゃ無いと立たないし、彫る手間に切る手間も加わる事になる。じゃ薄くしたらキーホルダーみたいになっちゃうし・・・って、色々と見直していると、こう言う事か?ってたどり着いたのね。

まぁ上手く着地出来たかな・・・。そんな中、キウイから根付を頼まれて・・・

そんな合間を見つけて、予約していたオイル交換に行って・・・その後は、陸前高田の下絵の続き。

また少し進展なんだけれど、この縁取りを・・・

こうする?

それともこうする?って悩み所なのね。最初のはレトロなタイルで、形が変わっているけれど同じものを並べるから、フォーマルな感じ。逆に次のは新しいタイルなんだけれど、シンプルな四角。ただ大小の大きさの違いでポップな感じ。

今のは形の話で、色となると、レトロな方はモヤモヤっとした変わった模様が何とも言えない高級感で、新しい方は、こんな濃紺はとても珍しいと思うのね。だからかなりパンチがあって、中のタイルがクッキリハッキリすると思うのね。

何しろ今回は特に新しいタイルとレトロなタイルを混ぜて使いたいのね。それは当然、以前の土地と生まれ変わった今の土地・・・って言う意味なんだけれど、昔の土地が良かった・・・って言う人が沢山いらっしゃると思うのね、きっと。

でもそれを知らずに生まれて来る子達がいる。いつかその子達が大きくなると、その新しさも定番になる。歴史って言うのはその繰り返し。そうね、ここで良く出て来る残酷な話としては、赤坂プリンスの話・・・。

老朽化って大義名分で、壊されたのね。新しく生まれ変わる・・・と。ただその建物は日本を代表する設計士のもの。それは壊された・・・ただ、実は旧赤坂プリンスは壊されなかった。おかしく無いかな?老朽化と言うのなら、真っ先に

そっちでしょ?つまりそうじゃ無い理由がある。それは歴史的財産と言う事なのね。ただ単に例え有名設計士だろうが、歴史的財産にもならない場合、老朽化と言う大義名分で壊される。これがアンティークやビンテージと中古の違い。

まぁ簡単に言えば、その当時のお金持ちと平民の格差は半端無くて、しかも職人の腕すらも大きく違ったんだろうね。何しろこれが手作業?ってその技術の高さには驚くし、それをやる職人の技術と予算と工期などを考えたら果てしない。

所が例え有名設計士だとしても、時代はバブル。その当時は一律中流なんて世の中だった。つまり格差を感じさせなかった。って事は差を感じないのだから、どれもこれもが変わらない。しかも忙しさって言うのは時間の制約があったりする。

更に言えば、手間よりも取り付け。高いものを取り付け、新しいものを取り付けってやれば、新車、新曲、新築、新人・・・何でも毎年上書きされて行くもので・・・。常に改良されて行くのだから、洗練されて行く。

こう言うと新しいものが常に良い感じがする。がしかし、残されるものは、全てぶっちぎり・・・って言う凄さなのね。流行りものはその時代には重宝だが、常に流行りはすたれる。雨後の筍のように、何処にでも生えるからね。

だから壊しやすいし、捨てやすい。そもそも直す行為がお金が掛かる。一部直しても、全部直しても左程の差を感じ無ければ、新しい方が綺麗だしね。ただ問題はそれでも思い入れ。そこにどんな思いがあったか?なのね。

つまり流行りものなら、中古になるだろうね・・・数年で。しかし、流行りに流されないこだわりがそこにあると、流行りには流されない。それが一点もの。ずっと変わらない何か・・・がそこにあるのね。逆に言えば、壊す前提なら、店舗

のように、儲かったら店内をガラッと新装開店みたいになれば、雰囲気も変わって新鮮な気持ちになったりする。こんな違いがあるとして、今ここでは一体何が必要なのか?となると、例えばデイ・サービスの場合なら、お手軽簡単。

だから一生ものでは無い。だから流行りものを作る感覚。でも陸前高田の場合、残って行くものと考えるなら、何十年後を見据えないと、その時、あーこれ昔流行ってたタイル・・・では、壊される側になる。でもそれを超越した何か?を

探さないと・・・。今は新しく見えて、でも何処か懐かしく、でも未来で見ても凄い・・・となると、旧赤坂プリンスのようなものを目指すべきで。タイルもだが、当然腕も問われる・・・。そもそも簡単に言えば、戦国時代の武将。

仙台の伊達政宗みたいに、今もフルネームを誰でも知っている・・・なのに足軽の名前は1人も言えない。この差。当然、作家katsuとしてはそっち側を目指さないと、生きる道は無い。逆に先生katsuは逆で、本当に足軽なの?って声を掛けて、

蝶にする・・・って言うのが仕事。全く正反対の生き方だから、中々難しいのね。スイッチの切り替えがね。おっと話を戻して、そう言う点でも、ただ古いタイルなら良いか・・・って訳じゃ無くて、でも流行りがダメな訳でも無い。

常にバランス。今回はどっち寄りか?簡単なのは、新しいと古いみたいな両極端な例。こう言うのが馬鹿馬鹿しい話で、どちら側か?を選んで、真っすぐ進めばそれで良い。誠に単純な話なのね。ショッカーとライダーどっちが良い?

こんな話でしょ?今の人達はそんな簡単な質問はされていないのね・・・子供ですら、ライダー対ライダー。俺にも正義があるし相手にも正義がある・・・どっちの道が正しいのか?やら、ランドセルを選ぶように、何とか坂みたいに48人も

いれば、好みの人がいるでしょ?的な・・・ただね、老人になるとセンター付近以外は、全部一緒に見えちゃうのね。AKBあたりまでは判ったのに・・・。こんな事も大事で、その他大勢に見えてしまうのに、老人になってもセンターなら、

記憶に残る。この記憶に残るって部分が大切なのね・・・ずっと・・・一度見たら忘れない・・・記憶に残る・・・そこが大事な所なんだけれど・・・。

 

 


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キウイ教室とデイサービスのサンプル

2022-03-19 07:30:02 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室。プレゼント用って事で何個も作っているんだけれど、結構溜まったんで目地って事で・・・

ただどうやら1個忘れちゃったらしく・・・先日のサークルでも進めていたみたいなのね。俺は今回は規制があって行けなかったんだけど。まぁそれはそうと、こう言うのを見ると、相変わらず上手いなぁとか凄いなぁ思うのね。

何しろあの大作を作っている人の小物作品だから、タイルを切るってだけの事を言えば、何も心配無いのね。じゃ何がどう上手いのか?切るってワードの意味を掘り下げて見るとすぐ判るのね。例えば包丁だとする。包丁も切る道具だよね?

じゃ大根を切る・・・これは上手い下手を問わなければ、俺でも出来る。つまりこの文章はとても幅広い表現になる。ではおでんの大根くらいで・・・と具体的な大きさを指定したとすると、ただ幅だけ合わせるなら、これも何とかなる。

しかし、面取りなんて事をするんでしょ?もっと言えばかつら向きをしないと・・・。テクニックが増す訳で。つまりひと口に切るなんて表現は大まか過ぎて、実はひっくるめて切るって表現であって、1つの切り方が出来てもそれはまだ、

切れた・・・程度であって、一通り色んな形を困らず切れるようになって、切れるって表現になるのね。それをクラッシュ・・・つまり流動的な形が切れても、それは切ったのでは無く、正確には割れたようなものなのね。

これを踏まえて、タイルを思った形、狙った形に一通り切れる・・・これが出来るようになると、その人への評価として、上手いなぁ・・・って事になるのね。ただ上手いなぁって言うのは、今度は残酷なもので、テクニックみたいな話は

反復練習である程度、誰にでも権利が発生するのね。それをまた変わった視点で言うと、俺の切ったパーツはキウイのようになると、何の遜色も無ければ、区別も付かない・・・これが上手いって表現に繋がって来るのね。

つまり上手いって言うのは、練習と継続で時間は掛かるが何とかなるものなのね。これが今度は凄い・・・って表現になると、自分を基準にそれを超えているかどうか?みたいな感覚で、更に言えば切るって技術とは関係無く、素敵な配色や

素敵な配置、そしてそれがデザインって事になるのね。ここが厄介な話なのね。さっきの切るって話は、練習と継続である程度何とかなるが、デザインって言うのは、漠然と練習と継続だけでは、手に入らないものなのね。

例えば楽器の演奏。演奏だけなら、切るって行為と一緒だけだから、練習と反復で誰でも何とかなるもの。でも、歌を作る・・・となると、世界一の演奏者が素晴らしい歌を作るとは限らないのね。そこがオリジナルの難しい所なのね。

ただそことて掘り下げると、歌には作詞と作曲があって、作詞って言うのは、言葉を知らない・・・って人じゃ無ければ、さっきの切るって話のように、誰にでも権利があるものなのね。所が曲となると、道具が必要になるのね。

つまり道具の使い手じゃ無いと、ピアノやギターが弾けないと、曲が作れない・・・なんて事になる。つまりオリジナルって言うものは、こうしたもので構成されているものなのね。で、一応難癖付けられるのも、嫌なんで常に世の中には、

例外って言うモノがあって、それが近頃のパソコンで歌を作る方法。全く楽器が弾けなくても、初音ミクさんのような、ボーカロイドって言うんだっけ?あれを使うと、出来るって話ね。ただ、それとてパソコンって機械を使えないと出来ない・・・

同じ事だけどね。ただ楽器がパソコンに変わっただけ。作詞なら鉛筆とノートだけで良いしね。でもこれとて、スマホに入力する・・・なんて形なのかも知れないけど。話を戻して、つまりデザインって言うのは、たやすく無いって事。

勿論、技術って言う切るって事も、たやすくは無いんだけれど、どちらが手に入れやすいか?となると、技術なら確率が高い・・・って話。そして更に話を戻して、勿論、キウイの大作の凄さは、見た事のある人なら、すぐに判るだろうが、

何故この小物作品が凄いって言うんだろうか?って疑問が残ると思うのね。その理由は、完成したのを見れば簡単そうで、誰にでも出来るサンプル?って言うように見えるのね。そう見れば・・・ね。見た後に、出来ると思う行為・・・

まぁ簡単に言えば、後出しジャンケン。見た後に出したら勝てるよね?判りやすいでしょ?でもね、それとて甘いんだなぁ・・・ジャンケンなら3つしか無くて、老若男女条件は一緒だけれど、オリジナルって言うのは残酷なのね・・・。

たった3つじゃ無いし、無限なのね。つまり見たものに変化をさせると、後出しの方が豪華になったり、より可愛くなったもするのね。ただ良い事と悪い事は背中合わせ。もし技術ってものが最高点の人の物真似をデザインを変えてやっても、

そもそもの技術の無さの露呈にもなる。勿論、それを上回るデザインがあったのなら、もしかすると良く見えるかも知れないが・・・。つまりキウイの場合、技術点は満点でのオリジナル制作って事になる。しかも大作があれの人・・・

それが小物。これを技術を見るのなら、まずタイル屋目線で見れば、目地幅の均等性。キッチリ綺麗な間隔。そして縦横の真っすぐさ。変に曲がっていたりしている場所も無く、キッチリ揃っている。つまりタイル屋さんに指摘される所が、

見当たらない。だから満点。そしてここからが大事なポイントで、タイル屋さんには、見ればバラの形に切れたとしても、見たから真似が出来るだけで、考えるって力はほぼ無いに等しいのね。きちんと綺麗に水平垂直の人達だから。

更にその時に切る技術が生かされるのね。キチンと同じバラを切れないと、均等には入らないし、美しく見えないのね。しかも、しかもなのね。それを何枚もまるで機械のように揃えられる・・・これこそがプロ顔負けなのね。

つまりこれをネットで販売してサイトに載せたする。売れる売れないは二の次だけれど、プロとして売っている人達の中に潜り込んだ時に、まさかの素人・・・しっかりプロは比べられる事になる。腕の良し悪しって言うのは比較対象があると、

とても判りやすいものなのね。人とは残酷なものなのね。そうね、ここまで理解出来ると、後は簡単で、先生としてキウイの小物と戦わないとならない・・・って考えた時に、これを見て、これを超えるものを、この大きさで色違いを何個も

って事になった時、いとも簡単には勝てないなぁ・・・って思うと、この小物作品の完成度は尋常じゃ無いなって思うから凄いな・・・の表現になるのね。それを踏まえて、これを見て貰うと・・・

見れば出来るし、単純な模様の繰り返しなんだけれど、更に小さいスペースでこの完成度・・・お見事なのね。凄いわ。になるのね。ただ、その凄い小物を作ったキウイが、先日の居酒屋さん看板を見て、凄いです・・・って言うのね。

そうね、80cmになると、そう簡単にはキウイと言えども、負ける気もしないし、ある程度勝算はあるし、もし教えるような機会があるのなら、教える事はまだある。しかし、小物作品には何処にも教える事は無いし、逆にその感覚を盗ませて

頂きたいのね。だから凄いって表現に繋がったのね。そんな中、来月分のデイ・サービスのサンプルを考えないとならず・・・まぁ季節で言えば、子供の日・・・こいのぼりにカブトねぇ・・・。


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リピーターさん教室と陸前高田の下絵

2022-03-18 01:50:08 | モザイク作家

昨日の地震は凄かったですね・・・ウチは停電して・・・ただ特に倒れたものは無かったし、アトリエも何でも無ければ良いな・・・って出勤すると、セーフだったのね。そんなこんなで午後からリピーターさん教室。それまでは陸前高田の下絵の続き。

イワナとヤマメを追加したのね。ただイカみたいなのがいるから、海なのに川魚?って思う人もいるだろうけど、中には海に行くつわものもいるのね。そしてこのモチーフはイカはただのイカでは無くて、そそのかし的な役なのね。

イカは都会とか誘惑の表現に使っているのね。この土地に留まる人もいるし、戻らない人もいる。それを海に行くヤマメやイワナで比喩的表現に使っているのね。

名物、名産をモチーフに使って、この土地に帰って来る人や、観光として訪れる人がまた戻って来るようにも見えたら良いし・・・。今までのモチーフの中でイカだけは、ここの特産品では無いのね。だからよそ者の担当。

だからこのイカモドキを華やかにして、都会みたいな誘惑に見せたいのね。手を伸ばして捕まえるみたいな。それをすり抜けて地元に帰る・・・大きくなって戻るみたいに。ではリピーターさん教室。3回目で完成したのね。更に追加で、

お楽しみで切らずに完成のコースターも。まぁ良くある光景なんだけれど、切って張っての繰り返しは、何しろ地味で、左程進まないものなのね。それがその人の心持ち1つでいくらでも変わるのね。だから作品は自分自身なのね。

例えばキッチリ、ピッタリなんて言葉が好きな人が、初めてモザイクをしたとする。更に言えば、絵が上手いとか、手先が器用なんて言われた事があれば、当然今日の結果もそうなる・・・と思い込んだりするのね。しかもモチーフや構図も

決まっていたりすると、初めてやる事なのに、時間まで決めたりしていると、本当に?出来るの?って思う方が普通であって、こちらとしては、へこませないように何とか説明したいんだけれど、何しろやりたいと思うから来ている訳で・・・

すると更に大きさまで決まっていたりすると、大抵は小さめなのね。そこでなるべく大きく・・・とアドバイスをするも、家のあそこに置きたいから・・・みたいに設置場所ファーストだったりして、それなら一部をアップにして、その

モチーフを使いましょう・・・って提案すると、オダギリジョーじゃ無いけど、じゃ良いですぅーみたいになったりもするのね。仮にそうで無くても、既に思い描くものと違っている・・・って気分、そうここでも気。まぁ乗らないだろうね。

でも、乗ったから、乗らないからでは無くて、初心者だから、下手で良いし、それが当たり前だから習いに来ているんだけど、今までどの分野もそつなく終えて来たって自信がある人には、プライドが傷つくものなのね。

そこでへこたれるって場合は、何と無く、仕方無く進む事になる。そうね、言い方を変えれば、これで最後位の気持ちでね。ただある意味、ようやく落ち着いた感じなのね・・・こっちとしては。それこそが謙虚って位のスタイルになるから。

こうこうこれじゃ無きゃ嫌って事から、じゃこんなもんで・・・明らかにレベルを下げた。その気持ちであれば、自分がこれから初めて切ったパーツが大事に思えるものなのね。しかしながら、こんなのじゃ・・これじゃ・・・と理想が高いと、

あれもこれも嫌になるから、ただひたすら失敗し、納得が行くパーツが出来るまで、ただ粉々にするだけになるのね。所が、心持ちがこんなもんか・・・って事になると、今までの分野の結果と比較しなくなった分、進める事が出来るのね。

こんな事が過信側に身を置く人の例だとすると、全く逆の場合は、何をしてもぶきっちょで・・・でもやって見たくて。こんな場合は、謙虚を通り越して卑屈的になるし、自虐な感じなのね。でも大丈夫、下手だから習いに来ているんだし、

先生なら来ないでしょ?って言うと、苦笑いなんかしてくれれば、安心してくれたりする。この時点で簡単にリラックス出来るのね。既に気負いが無いから。そこで安心を増す為に、今までの美術と比較した時に、絵の上手い人は絵を超えられない。

でも折角下手だったのね・・・って日本語は変だけど、折角を付けると前向きになるから、その下手の絵を超えられれば、今日はいつもよりも結果が良くなるから。って言うと、更に笑えたりする。それは受け入れているからなのね。

もうこれを手に出来れば、結果は簡単に付いて来るもので。こんな人は、ニッパーの握り方、刃の入れ方、脇を締める事、バイクに乗らない、いびつ角形、小学生の避難練習、戦の勝敗のカギ・・・こんな暗号めいたワードが頭に残る。

だから次回から、そのワードに反応するようになる。つまり成功を目指すんじゃ無くて、失敗要素を取り除くだけなのね。こうすると失敗する、こうすると失敗しそう・・・みたいな事を排除して行くと、自ずと結果が付いて来るのね。

でも成功ありきでスタートすると、本当に初めてやるのに、その方法論で成功するのかな?って先生が思った瞬間、経験値で無理だろうな・・・と思えたりしたら、その時点で無理なのね。これが常連となると、相手もかなりのつわもの。

相手の技量と作品の難易度を測った時に、時間を掛ける事を苦にしない・・・ってスタイルを身に付けているから、一応老婆心として、大変だよ・・・と言う位で、何とかなっちゃうのは、技術と場数を踏んでいるからなのね。

こんな事を経て、何とか張り終わるのね。どんな形であれ、張り終われば目地になる。どんな気持ちであっても、目地入れって行為は一緒なのね。それが最後は、あっ割と良いかも・・・になったり、凄いぃぃってなったり、いずれにせよ、

こんな時が報われた瞬間なのね。その結果を得れば、その結果のお陰で話を聞いて貰える事もあったりする。例えば、3回掛かったトカゲの方は、真の1点ものなのね。これは今後一切何処にも売っていないし、中々真似も出来ない。

何しろ民芸品を買って、更に彫って、モザイクをする・・・手間の掛け方が違うのね。所がコースターの場合、これはこれを見てタイルさえ手に入れば、誰でも見様見真似で作れてしまう。デザインとはそんなもの。見せたら安易に盗まれる。

そんな簡単に盗まれるものは、1点ものとは中々言いずらいのね。でも楽しむって言うのは、簡単なもので、そして残酷なのね。簡単に言えば、卵を割ってかき回して、ご飯に掛けて、はい料理・・・って出したら相手は喜ぶか?とか、そんな

料理教室に通いたいか?って話なのね。まぁ最低でもだし巻き卵位にはしないと・・・先生として、料理人としては、お金は頂けないだろうなぁ・・・って話。つまりこの手のコースターなら、もう俺は目地入れ位しか用事は無いだろうし、

もっと何かバージョンアップするようだと、まだまだ教える事はあるだろうし・・・いずれにせよ、モザイクってこんな感じ・・・ってさわりは、教えられたのね。今日は手も痛く無かったようだし、予定していたコースターまで行けたから何よりだったのね。

まぁしかし、出来て見ればこうなると、こんなのにも張れるのかな?なんて思う人がいるのかな?それはそれで面白いんだろうが、出来る事と出来ない事があるからなぁ・・・。

 

 

 

 


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陸前高田の額の下絵の続き

2022-03-16 23:56:14 | モザイク作家

今日は・・・って始めたいんだけど、今の地震で停電・・・外に出たけれど、結構遠くまで消えているのね。揺れたね・・・何か参ったな。入れる事はあったんだけどな・・・。


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リピーターさん教室と陸前高田の額の下絵

2022-03-16 00:45:45 | モザイクタイル教室

今日は、午後からリピーターさん教室なんで、午前中は陸前高田の額の下絵。牡蠣は昨日描いたんで、後はホタテと昆布となるのだけれど、まずは向きだったり、どんな位置だったりすると印象が良いか?とかになるのね。

まぁ簡単に言えば、水戸黄門の助さんと角さんで一組だったり、清水の次郎長の大政小政、風神雷神・・・こんな感じに二人一組で、人気が集中せずにバランスを考えると、牡蠣とホタテがピンクレディーみたいにならないかな?

って感じな事を思い描くのね。その時に今度はジャケット撮影をするとして、背中合わせにするのなら、牡蠣とホタテの貝を合わせるようにするし、やっぱ顔を合わせる方が良いかな?と思えば、身を向き合わせるって事になる。

ただ、そうなると普通は身を売る為の行為だから、貝を背中にして、身をお客さん側にする事になるのね。何しろ新鮮さを強調したいのだから・・・。ただね、お題として産地で取れるから・・・って言うのでモチーフにはしているものの、別に

宣伝用ポスター制作では無いので、単純に入れました、使いました・・・では、安易な発想になる。そんな中、今日はかぐやとの話の中にそれを打ち破る一言があったのね・・・それは、外観の写真を見て、こんなデザインだからなぁ・・・。

って言うと、それ表ですよ・・・場所は中庭側の方だからって。あっ・・・そっか。これで何か吹っ切れたのね。そっか表じゃ無いのね・・・今の俺にはそっちの方が都合が良いのね。そもそも額縁って何?とか、考えた時に、より中身を引き立てるもの・・・

と考えたりするから、金とか凝ったデザインとか、豪華とか、何しろそっち側になると、芸術側な感じがするのね。でも表彰状って感じなら、木の枠とか、今なら無機質なアルミやプラスチックなんてものもあるが、あくまでどちらも、

中身重視の考え方であって、前者は、より見栄えとなり、そこにプラスをする考え方で、後者は中身を引き立たせる為に余計な事はしない・・・的な考え方だと思うのね。ここが重要な事で、中身の引き立たせって事。

つまりそれでは芸術家の先生を引き立たせ・・・になるのね。でもその中身の意味は?となった時、被災地の方々への思いだったりするって事はその人達なのか?と思いきや、その建物はシンガポールの支援だと言うのね。

そしてそれを設計した事務所は有名な人の会社だと・・・まぁ色々と縛りが多いのね。例えば前回のモンゴルの日馬富士学園での額の場合、思い切って責めて、相撲取りの額縁にしたのね。これなら割と決めやすいのね。ただ今回の場合、

奇跡の一本松でさえも、残す残さないは賛否両論であるのだから、ここは触りづらい。しかも青い海、青い空も、同じ理由で使えないとなると、観光地として成立しているような場所では無いみたいなので、決定打になるモチーフが無い。

そんな時に、シンガポールからの支援で建てられた・・・って事になると、親方が見つかった感じがしたのね。関係性は重要であって、それを使って、えーって事は少ないだろう。勿論個人の趣味趣向って事では好き嫌いはあるだろうが。

使ってはダメって理由にはならない。それと観光協会や市のホームページに載っている、牡蠣、ホタテ、昆布、わかめ、イワナや椿にカモメって言うのは、載っている位だから問題も少なくて済むはず。じゃこれを使って始める事にしたのね。

その時に、きっと中身の先生は被災地の人達へ・・・的に作られているのだから、もうその後押しを更に加える必要も無いだろうし、モチーフは使っても、海の青は使いづらい。所が、所がシンガポールの色合いには紺が出て来るのね。

これは非常に有難いのね。何故なら中身のタイルはどうしても白い部分が多くなるのね。つまり額縁は濃い色合いの方が中身が映えるのね。そんな中、青では無いが紺が使えるとなると、それはそれで1つバリエーションが増える。

勿論、決定では無いのだけれど、使いずらい、使えないの中、使えるは貴重なのね。ただね、そうなるとオレンジなんてのも一緒に付いて来ちゃうのね。鬼滅の遊郭編じゃ無いが、ド派手に行こうぜ・・・って言うなら、それも良いが、流石にね。

そんなこんなでリピーターさん教室なんだけれど、今残っている部分の後ろ足辺りの部分、これと同じ前足部分が初回だった事を踏まえて・・・・先生、今日頑張って終わらせて、次回は張るだけのコースターをやって見たい・・・って。

この話と、先日やって数日後、手が痛かったから左手で切る・・・って話が出たのね。まぁこの話で、この後の時間に何が起こるか?どうなるか?の想像が出来る常連さんはいるだろうけど、見なくても想像出来る事が満載なんで、その話から

説明したのね。まずこれは体験である事。では普通体験ってどんな感じ?って言うと、ここでは切る人が多いから、片手で持てる位の作品を完成して持ち帰れるのね。つまり何枚切った?となると、5.60枚以上は切ってるんじゃ無いのかな?

では頭の部分を見ると、20枚弱かな?つまり半分以下なのね。じゃ特別遅かったり、手際が悪かったのか?となると、遅いかどうか?は判らないけど、ピッタリ切っていると思うのね。つまり質を取って、時間を捨てたやり方なのね。

だから体験なのに、その日に終わらない・・・になっているのね。それが1日目の結果。それを踏まえて、その人が今日は終わらせる・・・に変更したのね。場合に寄っては、拾っても良いですか?みたいにね。だから、あくまで体験なんで、

こちらとしては、どうぞ・・・の姿勢だから、これを受け入れた時点で、イレギュラーな訳で。そもそもが出来たぁって感じに終われば良いのだけれど、質を取ったのは、あくまでお客さんの方なのね。つまりこだわりが十分な姿勢って事。

実は既にここで矛盾が生じているのね。つまり、こだわりがあるから体験だけど持ち込んだ。こだわるからピッタリ切った・・・だから進まない。別に下手だから、それしか進まなかった訳じゃ無くて、あくまでこだわったからなのね。

つまりそのこだわりを終わるまで続ければ、初日よりも経験値がある分、上手くなり、時間は掛かったとしても、初日のままで完成が出来るのね。これが初日の気持ちだったはずなのね。所が手の痛みや、切るのが大変だった事、そして進み

具合を考えた時、切らない方が楽で、困らずに進める・・・と考えたから、初日の気持ちを全部変えてしまったのね。一転、綺麗に・・・では無く、終わらせる・・・に。勿論、それはそれで体験なんだから、こうして切るのかぁって経験で

十分なんだから構わないのね。ただね、そもそもが俺の問題のように思っているようだけれど、自分なのね。まぁ果たして最初に言った通りに出来るかどうか?なのね。勿論、最初に無理せずに拾って頂いても結構です・・・とも言ったのね。

左手で器用に切っていたし、お腹の部分を終わったのだから、倍近く終わっている。残りは初日と同じ量。完全に次回終わるのね。ただ、ただなのね、一枚も拾って入れなかったのね。ほらね、入れなかったでしょ?つまり左手でもこだわった。

最初から判っていた事なのね。そもそも初日のパーツのピッタリ加減を見れば、どれだけこだわるか?は想像出来るのね。つまり指導としては、無理せずにもっと楽して良いよ・・・なのね。体験なんだから。これがこれを初日で終わらせ

ようとするのなら、逆にこらこら、いくら何でも乱暴過ぎる・・・もっと丁寧にって言うだろうね。つまりこだわり側の人だって事は判った。しかし手が痛くなった。でも例えば、テニスにテニス肘があったり、ギターの弦を抑えて痛かったり、

ペンにペンダコだったり、反復するってそう言うものだったりするのね。とは言っても、体験なのね。だから、左手でも良いですよ・・・なのね。ただ当然リスクはある。つまり利き腕よりも落ちるし、教えたのは右腕。つまり今日は初日。

しかも利き腕じゃ無いのだから、初日以下でも仕方無いのね。それを判っていれば何も問題無いのだけれど、普通は痛いから・・・だけでやっちゃうのね。ここが問題なのね。ここでその覚悟をして進まないと、結果が満足出来なくなるのね。

つまり気の話になるのね。病は気から・・・こんなの誰でも知っている言葉で、どーでも良いって思われがちなんだけど、全てそれで出来ていると言っても過言じゃ無いのね。やる気、根気、負けん気、気力、気質、気兼ね、気性・・・

キリが無く出て来るのね。つまり大事なワードなのね。例えば、仮に初日のまま終われたとする。そしたらピッタリって作品で終われたのね。しかし左手で切った以上、ピッタリにはならないのね。つまり別人で2日目が終わったのね。

そして数日後にいらしゃるのだけれど、どっちの人が来るのだろうか?もしピッタリの人だったなら、ピッタリ、そうじゃ無い、ピッタリって作品の仕上がりになるのね。でも、もし左手の人が来たのなら、ピッタリ、そうじゃ無いx2になる。

作品は見なくても判るでしょ?でも、体験なのね。そもそも持ち込みで初回から好きに出来る・・・こんな教室は中々無いと思うのね。だから結果として出来た・・・で十分だし、どちらを選ぶのも本人だから、どちらでも・・・なのね。

問題はこの後なのね。楽しむだけならどっちでやっても十分楽しめるのね。でももしピッタリ切った初日の私が出て来たら、許せないパーツが出て来るだろうし、逆にそうじゃ無い私が出て来れば、楽しく終われるだろうし、その後、時間も

作れるから、張るだけ・・・のコースター位は作れるだろうね。ただねただなのね、本当に?なのね。張るだけ・・・言葉のあやって言う人はいるだろうが、違うのねー、そうじゃ無いのね。そのまんまなのね。これを違う分野に置き換えると、

料理なら、切る方が難しい前提で、後は味付けだけだから・・・別に包丁は使わないし・・・ってだけ。ほら、だけ。打つの難しいけど、取るだけなら・・・だけ。楽器は難しいけど、歌だけなら・・・だけ。これらのだけの意味・・・。

つまり両者を比べて、自分の判断で、そっちが簡単って決めている表現なのね。後はバックだけ・・・ってね。つまり本当にそうであるなら、何も起こらずにその人の考え通りの結果になるのね。しかし、しかしなのね。もしそうじゃ無かったら?

そもそもこだわった初日と、今日のどちらが来るの?そして拾っても・・・って言ったのに、拾わなかった。つまり左手でもこだわった事になる。数日後に痛みは無いのだろうか?そして手慣れない初日の、張るだけ・・・は、果たして簡単なのか?

もしボンドだらけになってしまったり、真っすぐにならなかったりしたら、気持ちって気はどんな事になるんだろうか?その話も軽く触れたんだけど・・・流石に体験教室では話したくなかったなぁ・・・。詰まんないから。

体験って、もっと気楽・・・ここでも気ね。ラクに楽しく終われれば、越した事が無いんだけれど、それを経て上手くなりたい・・・って言うなら、気ってね・・・って教える事は大事なんだけれどね。心技体なんて、所詮、技なんて心の後なんだけどね・・・。

気が整わないと、気忙しいとか言うでしょ?そんな時は、落ち着いたら・・・なんて事で後回しにしたりもするのだから。気持ちを自分で作らないと、いつか・・・っていつになるんだろうって事になる。ただね、そんなの体験にはいらない。

そんな中、ちょっとした会話の中で、被災地に行った事があるらしく、いくらか片付いてはいたものの、痛々しい所が至る所にあった・・・と。そうなんだよね・・・当然、俺が取り付ける時は、綺麗な場所になっている訳で・・・。

目に見える場所では無くて、目に見えない場所って言うのは、気持ちって気の部分。何が良くて、何が悪いか?なんて誰にも判らないし、みんな大義名分良かれと思ってやっているのだろうから・・・。ただね、判らないから、知らなかったから、

って言うのは簡単だけど、知ろうとしない悪もある。良く、そんな事言ってくれなかった・・・とか、言ってくれれば良いのに・・・とか、言うのを聞くが、逆を返せば、そんな事を言わせるような人では無かったとも言えるのね。

ただ知らなかった・・・で済むのなら、簡単に進めるが、簡単に進んでは果たして芸術か?そんなものが。寄り添うなんて綺麗な言葉がどうも苦手でね・・・痛みが共有出来ているのなら寄り添う言葉が成立すると思うが、痛い人と痛くない人。

同じである訳が無い。何処まで行っても。でもだからと言って、考えてもしょうが無い・・・って言えるのなら、そっち側で生きられるが、どうやら俺はそっち側では無さそうで・・・とは言ってもそれを判るとも言えないし、言わない。

ただ、ただこう言う事?って問い掛けるだけ・・・そんな事の繰り返し。そこに残る人がいて、そこを去った人もいる。そこに支援してくれる国があって、それで今が成り立っている。残った松でも観光として役立つのなら・・・。

そのトッピングにでもなるようなものになると良い・・・そんな気持ちなんだけれどね。


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陸前高田の額縁の下絵

2022-03-15 00:46:54 | モザイク作家

今日はいよいよ陸前高田の額縁の仕事を始めるに当たって、大家さんの同級生のタイル屋さんの所に相談に行ったのね。そこはここに移転して何度もお世話になっていて、時よりタイルを頂いたりもしていて、困った時は伺ったり出来るのね。

そんな訳で、今日は持っていないカタログを見せて貰いに行ったのね。ここには色々とあるんで、何か面白そうなものは無いかな?・・・と。すると、色々出してくれて、みんな持って行って良いですよ・・・って事で何冊か頂いたのね。

そこでちょっと疑問をぶつけて見たのね。それが何かちょっと気になるのは、ほぼ中国材なのでは?・・・そうね、何処見てもそんな感じですよ。ヨーロッパはあんまり見掛けないし、日本もね・・・って。やっぱりそうなのかぁ・・・。

でもそうなると、どうしても国産で行きたくなるのね。シンガポールとの親善みたいな意味もあるだろうしね。欲を言えばシンガポールのタイルなんてのもあれば良いんだけど・・・。そんなこんなでアトリエに戻って一通り確認・・・。

それと並行に下地になるタイルだったり、既に使うと思われる材料の値段だったり・・・そうして順番に引いて行くと、大体の予算は決まっているから、この辺まで・・・って事になり、必要順だったりする。その時に、後いくら?って事で、

遊びの材料が取れるか?どうか?なんてのはとても大事なのね。余裕が無いと必要最低限になるし、そうだと普通は・・・みたいな決め方になるが、思い切って行っちゃう?なんてのは、失敗もありき・・・って感じだから、当たると今までに無い形となる。

リスクはあるが、遊び心なんてのは、こんな話の繰り返しなのね。そんな中、1つ目の下絵に取り掛かるんだけれど、バティック柄って言うのが上がって来て、こんな感じ?って描いた1枚目がイカなのね。ただ名産では無いが、海を描くとどうしても、

魚やイカだのタコの軟体動物も必要になんて来るのね。勿論、魚も・・・ね。所がここの名産としては、牡蠣にホタテに昆布なのね。更に調べると、ヤマメやイワナなんて出て来るんだけど、海の生き物からいきなり川の生き物って・・・

ただ名物や名産重視なら、それも良しになるんだけれど・・・。そんな訳で牡蠣も手を出して見たのね。

更に椿にカモメってのもあって・・・

とこうなったのね。まぁ使えそうなんで、ひとまずキープ。


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かぐやが帰って・・居酒屋さん看板完成

2022-03-14 07:09:50 | モザイク作家

今日はかぐやが午後イチで帰るので、それまでは陸前高田の額の話・・・あれから色々と考えるも、何かをしつつなんで、漠然と・・・って感じだったのね。例えば中学生になって、どんな部活に入る?って時に、何かスポーツ・・・みたいな。

これだけでも、どんなクラブがあるのか?と確認しなくても、半数以上落とした事になる。つまりこれは消去法的なやり方ね。落ちた中には、音楽、美術、科学や物理と言った勉強みたいなもの・・・そんなものが入っている。

そしてこれから、スポーツって何よ?となった時、やっぱ外かな・・・ってなると、卓球、バドミントン、バレー、バスケットみたいなものが落ちる。こうして実際見なくても、大体想像は出来るのだけれど、人は機械じゃ無いから、フィーリング

とか、気の迷いとか、その日の気分なんてもんがあって、気ね。例えば、友達に誘われて一緒にやろうよ・・・なんて事で入部とか、小学校で見た事ややった事がある部活を見に行ったら、先輩に声を掛けられたとか、そして何と無く・・・

そんな場合、何しろ気と言うのなら、やる気って程の事は無く、言い方を変えれば、相手から見たら人が良いとか、両親や年上から見て、流されやすいとか、優柔不断とか、そんな表現に当てはまったりもする。そんな場合、先輩のしごきとか、

誘った人が辞めたとか、レギュラー争いとか、ただちょっと一緒にやれれば良かっただけなのに、そのスポーツ自体では無い事でリタイアしてしまったりもする。逆にこれに決めた・・・と独り入部の場合、相手の問題で流される事は無いから、

常に自分がどう思ったか?になると、辞めるも続けるも、自分の判断になるが、それとて中学生で確固たる意志なんて持っている人は少ないと思うのね。こんな事から始まって、何度も繰り返した結果、それを経て58歳の俺は?

何をどう考える?って事になるんだけれど、今の俺の立ち位置的には、どれだけの権利をくれるか?なのね。例えば工期や納期。例えば縛りのある無し。勿論予算だってそう。今回の場合は、工期は特に問題は無いと思うのね。

ただ縛りとしては、震災。被災した場所に住んでいる人の場所に、被災してない場所に住んでいる俺では、やって良い事と悪い事は違うだろうし、他にもご参加なされた側と、その施設とか、施設と住人とか、美術会社と施設側とか、

全ての事と俺みたいな、構図としてはこんな事を踏まえたら・・・になる。ただどう考えても、良くも悪くも海を無しと思えない。でも海の直接表現はいかがなものか?・・・本来ならそこに予算もかぁ・・・となるのが、良くある話だが、

今回はそこまで追い詰められる感じでは無いのだが、ここで余裕なんか出して、値段の張る材料なんかに手を出すと、量が多い分、そんなものはあっという間に無くなるもので・・・しかも量が多い分って言うのは、凝れば‥益々なのね。

さっきの例え話は、進撃の巨人なんかの話に似ているが、仲間を信じても失敗し、それなら・・・と自分の判断で・・となっても失敗した場合、次は一体どうすべきか?要するに是正って言うのは、同じ場所、同じ人、同じ環境みたいな所で、

同じって前提の是正であって、違う場所、違う人、違う環境で・・・では成立しずらいもので・・・。結局最後は自分で決める事になるのだけれど・・・これを簡単に言えば、じゃんけんみたいなものなのね。最初は何を出しても良いのね。

何故なら相手の傾向と対策としては、何の情報も無いのだから、無意識って言うノープランでも、結果としての勝ったか?負けたか?だけの問題。しかも今回が最初で最後なら、是正すら無いのだから、考えても無駄とも言えるのね。

ただ例え負けたとしても、まだまだこれからも続くとなると、当然是正が出来る訳だから、傾向と対策は必要になる。それが受験にも繋がる。現役合格なら何も是正は無いが、浪人となれば過去の問題を傾向と対策として必要になる。

ただ同じなら良いが、学校を変えたり、学部を変えたりしたら、経験値としては、場の雰囲気位しか役立たなくなる。つまり、こう言った額の仕事は何度と無くやっているものの、外では初めてだし、国内も初めて。しかも被災地・・・

国内は有利な感じもするが、果たして材料や道具の調達と言った部分が、有利になるか?となると、海外よりはマシ位では、余り期待出来ないし、海外なら飛行機に乗っていれば着くが、荷物の事を考えると車になるから運転になる・・

そうなると俺の車では、積めるものが限られて来る・・・常に良い事と悪い事は背中合わせで、国内有利なんて簡単には言えないのね。以前のモンゴルやローマの仕事でも外国文化を調べたが、当然今回も陸前高田を調べてはいる。

その中でシンガポールが関係あるって事が出て来たし、椿やかもめが出て来たのね。ただカキなんて言うのもあったが、カキがモザイクとして作った時に判るか?となると、かなり微妙だな・・・とも思ったりして。

こんな話を表情を見ながら、かぐやと話せるのだから、ここは興味薄いな・・・とか、おっ乗っているな・・・とか、同じ事を考えている人の表情が伺えるのは有難いのね。これが電話であっても、判らない事は無いのだけれど、見えるって

言うのは便利で、読み取る能力をフルに使わなくても良い分、幾分楽になる。そんなやり取りの中で、1つキーワードになるものを見つけたんで、少しこの時間から得るものがあった・・・かと。そんなこんなでかぐやを送って日常に。

そんな訳で居酒屋さん看板の目地入れ。外はグレーで中心は白。2色にしたのね。これですっかり犬は消えたのね。単なる居酒屋さん看板なのね。ただいたものが消えたのだから、見える人だけには見えるのね。後は様子を見て金具付け。


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居酒屋さん看板張り終わり

2022-03-13 00:48:53 | モザイク作家

今日は昨日に引き続き、確定申告と居酒屋の看板。と言っても、初めてのネット申告なんで、手続きはかぐやが、ほぼやってくれていて、俺は制作。 

そんな訳で張り終わる事が、出来たのね。後は目地のみ。そんな中、ラジオを聴いていると当然、ニュースの中に震災の話題が出て来るんだけれど、今回の陸前高田の額の話・・・一体どう考えるか?なのね。例えば奇跡の一本松の事にしても、

切る切らないも賛否両論で、どっちも正しいんだろうが、切らない側に寄り添い残す事になった・・・つまりモチーフとして海に見える青を使って良いものかどうか?って話・・・当然、海産物をなりわいにしている人達は多いだろうから、

そっち側に寄り添えば問題無いと思うが、そうで無い側になると、思い出すから嫌になるかも知れないし・・・でも調べると、カモメと椿は大事そうなんだけれど、そうなると青い空に青い海って単純に使いたくなったりする。

例えば今回の個人以来の看板なら、お客さんに相談っ形で何でも尋ねれば、問題は解決するが、今回のように不特定多数を相手の場合、こうした悩みは尽きず、何を持ってしてOKなのかは難しいのね。

そんな中、かぐやがいる間に方向性だけでも決めないと、一体それを作るに当たって、どの位掛かって、かぐやが何日位来る事になるか?とか、施工についても、色んな事に関係があるのね・・・ただひとまず、かぐやが帰る前に少しだけ

そんな話だけをする時間が出来ただけでも、ラッキーって事なんだろうが・・・。

 

 


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